FC2ブログ

泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

Category: Category: None   Tags: ---

Response: Comment: 0  Trackback: 0  

天才によって創られる文化と万人によって生きられる文化

「先に、ヨーロッパ建築史において、古典主義が繰り返し現れると言ったのはこういった事情をさすのであり、ニーチェがかつて、アポロ的なもの──古典主義──と、ディオニュソス的なもの──ゴシック、バロック──との対立抗争の歴史としてヨーロッパ文化史を描いたゆえんである。」(『古典主義・折衷主義』宮内康)



 ニーチェの『悲劇の誕生』における「アポロン的なもの/ディオニュソス的なもの」という対立図式が何を意味しているのか、知識人たちにとっても実はかなり曖昧なのではないか。少なくとも上の引用のような、秩序あるスタティックな様式と、混沌としたダイナミックな様式の対立というような、スタイルや図像学的な対立についての図式ではない、ということを前回のエントリーで述べておいた。そうではなくて、ニーチェは(どこまで自覚的であったかはともかく)「秩序/混沌」図式で、文化というものを社会秩序のあり方との関係で語ろうとしているのである。スタイルやイメージの問題ではないとすれば、社会学的な「秩序/混沌」図式でニーチェが題材とした古代ギリシャの文化(例えば建築や彫刻、文学など)を捉えなおすとどんな性格が表れるのだろうか。ニーチェが曖昧にしたまま広げずに終わらせてしまった 「秩序/混沌」図式におけるアポロン/ディオニュソス像を、私なりに浮かび上がらてみたいと思う。

 古代ギリシャの建築や彫刻のような洗練されたモニュメンタルな文化的制作物は、技術的にも経済的にも一般の民衆には制作し得ないものであって、富や力の集中した支配的階級(権力)が制作の主体となってこそ可能であっただろう。権力は、その軍事的暴力や社会制度、文化的形成物などを通じ、自らの宇宙観=秩序を世界に押し付け、覆い尽くそうとする。文化的生産物もそうした秩序化への衝動の一面であり、権力は腕のいい芸術家(技術者、職人)たちを動員し、自らの力と秩序の正当性や永続性、絶対感をその勢力圏の内外に誇示し、その秩序の拡大、維持、再生産に努める。つまり「秩序/混沌」図式におけるアポロン的なものとは、造形芸術というジャンルに関わるものではなく、こうした権力の社会的秩序への衝動として、また逆にディオニュソス的なものも、単に音楽というジャンルのあり方ではなく、民衆(被支配階級)によるそのような社会秩序の破壊・解体への衝動として、すなわちディオニュソス的な文化は権力の転覆局面の文化である。、、、と、こんな視点から図式を展開すべきだと思うのだ。


制作の主体?

 「アポロン的なもの/ディオニュソス的なもの」の「秩序/混沌」図式における文化(制作)主体(?)は、バッハオーフェン流の考えではそれぞれ「個人/非(前)個人」ということだった。アポロン的な文化は、陶酔、忘我の状態にあるディオニュソス的なシチュエーションと違って、醒めた個人的自我が立ち上がっている状態が基礎となって創られるものだということである。大規模な制作活動になれば当然、集団で作業することになるが、あくまでもそれは自立した個の集合としての集団であり、全体的な運動の中に個が埋没しているディオニュソス的なシチュエーションとは全く異なる。


労働と陶酔

 端正で洗練され精緻を極めたギリシャ彫刻や建築作品の威容は、高度な意識の緊張と計画性、制作への細やかな配慮なしには実現されえない。したがってギリシャ彫刻の古典的秩序は、(陶酔とは対極の)素面で行われる労働によってこそ可能だったといえる。秩序の追及は、自立した個人の労働によって達成されるものである。したがって権力の下で文化的制作を行う芸術家(技術者、職人)たちの活動は基本的には厳粛かつ生真面目な「労働」でなけれなならない。一方、ある意味酩酊状態にあるディオニュソス的なシチュエーションにおいては、労働の緊張や配慮はそもそも不可能であり、意識的な主体による制作など目的としていない。


卓越と承認(認められること)

 芸術家たちの個は、それぞれ比較され、才能、技術、腕前などの面で、上下の階梯(ヒエラルキー)の中に位置づけられる。そのような上下関係を測る物差しは文化的権威=権力にあり、権威=権力に認められる(承認される)かどうかが判断の基準になる。つまりアポロン的な文化の制作主体は誰でもよいというわけではなく、権威=権力に認められた卓越した表現の技術や能力を持った者だけがそれを担いうるのである。(自称芸術家が自分の作品を卓越した美であると主張したとしても、それは独りよがりに過ぎない。)そうした表現の専門家たちの中でも最も卓越した者は「天才」と呼ばれ、権力に愛されて、そのヒエラルキーの中で高い地位を与えられるだろう。また、権力の後ろ盾の下で「天才」を頂点とした表現者たちは、民衆を自分たちの制作活動の受動的な「観客」とみなすことで自らを文化における「演者」として能動的な存在へと優越させる。「演者」たち(アポロン的な文化の制作主体)にとって、こうした階梯の上昇(優越)が自らの価値の証となっているわけだが、権威=権力の物差し(プラットフォーム)に依存しているという意味では、その活動はあくまで他律的なものだとも言えるだろう。

 このような権力に組織されたアポロン的文化のあり方を「卓越の文化(天才=演者によって創られる文化)」と呼べると思う。秩序化への意志とは卓越への意志である。卓越することは「上方」への志向に貫かれているということであり、ということは「下方」との対比において自らを優越させる文化である。ちなみに今日まで「芸術(アート)」と呼ばれてきた文化領域は、基本的にこのような「下方」の文化、野蛮で卑俗な文化ならざる文化領域──俗に言う「低級文化(low culture)」──に対して卓越、優越することで成り立ってきた文化領域──すなわち「高級文化(high culture)」──である。(ある自称芸術家の作品が、法に触れるほど猥褻だったとしても、それが芸術だと認められるなら、その作品活動は権威=権力のお墨付きもらったアポロン的な卓越した高級文化だと主張して、実刑を逃れる根拠にもなり得るというわけである。)こうした「卓越の文化=芸術」をアポロン的だと言うのであれば、古典主義のみならずゴシックやバロック、ロマン主義もみなアポロン的だと言えるのであり、先の「アポロ的なもの──古典主義──と、ディオニュソス的なもの──ゴシック、バロック──との対立抗争の歴史」云々がいかに的外れな見立てであるかお判りいただけると思う。


天才によって創られる文化と万人によって生きられる文化

 アポロン的な文化を貫く卓越への志向は、ディオニュソス的な祝祭において束の間、社会秩序=身分関係(ヒエラルキー)が無効になるのと対照的である。ディオニュソス的シチュエーションには、垂直的な優越の問題(上下関係、承認、「演者」と「観客」への分離)は存在せず水平的な平等な交流関係が支配的となる。さらにニーチェの記述において最も印象的なのは「人間はもはや芸術家ではなく、芸術作品そのものとなっている」という言葉で、それはアポロン的な文化のように芸術家という卓越した専門家(演者)が文化を創り出すのではなく、むしろ万人によって生きられるものであること、また権力がするように、その力の証を未来永劫に残さんとする作品の創造を目的としておらず、未来への配慮などなく瞬間の中で燃焼し消えてゆくディオニュソス的な文化の独特なあり方を意味している。逆に、一般の民衆にとってアポロン的な文化のあり方は、逆らい難くその前でひれ伏し、礼拝すべき厳粛な権力の象徴であるが、それを生きることができないという意味で、疎外の文化であり文化の疎外であると言っていいだろう。


公式文化と非公式文化

 歴史的には卓越の文化(アポロン的な文化)は王侯貴族や宗教的権力によって担われた公式文化(バフチン)であり、一方ディオニュソス的な文化は民衆の祝祭(非公式文化=カーニヴァル)として展開してきた。しかし権力の秩序が転覆するのは祝祭だけではなく、例えば社会革命の瞬間とか生活の中の様々な局面で噴出しうるものであろう。ここまで、「秩序/混沌」図式におけるアポロン/ディオニュソス像について敢えて二元論的に整理してみたが、実際の文化には一枚の紙の裏表のようにこの二つの衝動が同居している。この点については後ほど詳しく見てゆきたい。もちろん、ニーチェはこうした「秩序/混沌」図式におけるアポロン/ディオニュソス像について明言はしていない。だが、ニーチェの思考の混乱を修正しながら彼の言葉を拾ってゆけば、以上のような図式を浮かび上がらせることも可能であろう。

 ところでニーチェはショーペンハウアー同様、音楽の精神すなわディオニュソス的なものに文化の根源を見ていたはずだ。したがってディオニュソス的文化のあり方が濃厚に現れているギリシャ周辺の異民族の祝祭を賛美してもいいように思うのだが、ニーチェ自身あれほど感動的、ユートピア的に描いた民衆の祭りを、一転まるで野蛮な風習であるかのように扱うのである。

 「 野蛮な祝祭の中心にあるのは、あふれんばかりの性的放埓(ほうらつ)であったし、その興奮の波はあらゆる家柄のちがいを乗りこえ、社会の神聖な掟さえのみこんだ。まさに自然のもっとも荒々しい野性が解き放たれ、ついにはあの欲情と残忍とが、おぞましく入り乱れることになったのだ。このごった煮は、まさに「魔女の秘薬」を連想させる。(悲劇の誕生』)」



 この民衆のディオニュソス的祝祭に対するアンビバレントな態度に、ギリシャ悲劇を最高の芸術として称揚するニーチェ独特のスタンスが現れているわけである。

(多分つづく)
 

Category: 亡霊退治   Tags: ---

Response: Comment: 0  Trackback: 0  

個体化の原理 (Das Prinzip der Individualität)

 ニーチェの『悲劇の誕生』における「アポロン的なもの/ディオニュソス的なもの」という対立図式は、ショーペンハウアーの「意志と表象」の学説から引き出されたものであるのは間違いないが、よくよく読み込んでみるとそれは2つの異なる図式が重ねあわされたものであることがわかってくる。「アポロン的なもの/ディオニュソス的なもの」はまず「夢と陶酔」というメタファーでそれぞれ「造形芸術と音楽」の本質を表すものだと説明される。と、同時にアポロン的なものには、節度、平静、英知、落ち着き、威厳などの秩序を意味する性格が付与され、一方のディオニュソス的なものには、ギリシャ外部の異民族の祝祭が引き合いに出され、混沌・反秩序的な性格を与えられる。

 しかしエジプトやギリシャ、ルネサンスあたり造形芸術には確かに秩序を感じるが、無秩序な造形芸術などいくらでもありそうなものだし、そもそも夢って支離滅裂なものじゃないかと思う。また、音楽が秩序のない混沌とした音の並びでないことは明らかである。つまり「夢と陶酔」図式と「秩序/混沌」図式は素直には重ならない異質な問題系なのだ。結論から言ってしまえば、ニーチェが付け加えた「秩序/混沌」図式は、芸術作品の造形的なイメージにおける秩序/混沌のことではなく、社会的な秩序/社会的な混沌、無(反)秩序のことなのである。

 一体どのようにこの異質な2つの図式がショーペンハウアーの芸術論から引き出され、ニーチェの論考の中で混ぜこぜになっているのかについてのヒントが、谷本愼介氏の『悲劇の誕生の世界観』という論考の中に書かれている。要はバッハオーフェンという人との交流を通じて、ショーペンハウアーの形而上学的芸術論が、「個体化の原理」という概念をバネにしつつ、社会学的な図式に読み替えられることになったのである。

 ニーチェはショーペンハウアーに倣って、夢の形象に例えられた表象の模像(いわゆるミメーシス)である造形芸術と、意志そのものの模像であり人を熱狂、陶酔させ意志と一体化させる音楽とを、それぞれアポロン的芸術、ディオニュソス的芸術とした。この「夢と陶酔」図式は平板で表層的な対立図式で、ショーペンハウアー芸術論を実在的なジャンル論へと横滑りさせてしまった。

 一方、バッハオーフェンに学んだのは、「個体化の原理」のユニークな解釈をバネにしたショーペンハウアー芸術論の社会学的解釈だった。

 国家や市民という観点が至るところで民族や個人を隔てる垣根を築き上げ、個体化の原理(Das Prinzip der Individualität) を極限的なエゴイズムにまで押し進めるのに対して、ディオニュソスはすべてを一体化し、すべてを平和と原初の生への愛に回帰させる。奴隷も自由人も平等にディオニュソスの秘儀に与ることができた。......ディオニュソスはいっさいの差別を廃棄し、動物どうしの争いさえも終わらせ、被造物の世界に再びあの平和、歓喜、普遍的平等をもたらす。この普遍的平等は、近代人にとって原初の黄金時代のことであり、サトゥルヌス祭や、......サカイア人の祭りにおいて一時的にせよ現出した。葡萄酒と人間に及ぼす酒の力は、ディオニュソスの本性のこのような側面が如実に表れた。(バッハオーフェン『古代人の墓碑象徴に関する試論』)



 「個体化の原理」とは、森羅万象、一切の現象世界(表象)を可能にしているカント的な原理であるが、造形芸術が「個体化の原理」作動後の表象の模倣(ミメーシス)であるのに対して、音楽は「個体化の原理」以前の不可知な意志(イデア)の直接的な模倣である、というのがショーペンハウアーの説である。バッハオーフェンの独特な解釈は、人間の個人的な自我も当然「個体化の原理」作動後に生じていて、国家のような社会秩序もそうした個人的自我をベースに作られているという認識、そしてディオニュソス的祝祭のような「個体化の原理」以前の、前個人的シチュエーションの中で社会秩序が消失し、ユートピア的な平和、歓喜、普遍的平等が束の間姿を現すという観点である。
 ニーチェの「夢と陶酔」図式に重ねられた「秩序/混沌」図式は、このバッハオーフェンを経由したショーペンハウアー芸術論の社会学的解釈だったのだ。

 「人間に疎外され、人間と敵対していた自然、息子に踏みつけられていた母なる自然が、人間という放蕩息子と和解の宴をひらくのだ。大地がすすんで供物をささげ、岩山や荒野の猛獣たちがおとなしく歩みよってくる。ディオニュソスの山車(だし)には野草や花輪がふりそそぎ 、その山車を豹と虎とがひいてゆく。ベートーヴェンの『歓喜の歌』を一幅の絵画にしてみるといい。そして、もろびとがおののき、ひれ伏すときも、ひるむことなく想像力をはたらかせてみよ。するとディオニュソス的な世界がみえてくるだろう。そこには、もう奴隷はいない。その時々の気まぐれな事情や「おしつけがましい慣行」で人間同士を引きはなしてきた、あの厳しく憎悪にみちた境界線はいまや完全に消滅する。ついに世界調和の福音がおとずれ、だれもが隣人とむすばれ、和解し、溶けあったと感じるだけでなく、文字通り<ひとつ>になったと感じるのだ。<個体化の原理>としての<目眩ましのヴェール>は切りきざまれ、神秘にみちた宇宙の本体である<根源的一者>のまわりを漂っているにすぎない。人間は歌い踊ることによって、自分がより高度な共同体の一員であることを表現しているのだ。彼は歩くことや話すことを忘れ、踊ることによってさらなる高みへ舞い上がろうとする。その身振りには魔法の力がみてとれる。いまや動物たちが口をきき、大地が乳と蜜をだすように、人間からも超自然的なものがひびいてくる。彼はみずからを神と感じ、夢でみた神々の歩みさながらに、いまや彼自身が高められ陶然と歩をすすめる。人間はもはや芸術家ではなく、芸術作品そのものとなっている。すなわち、この<陶酔>のわななきのうちに、自然全体の芸術的な力があらわとなり、真の実在である<根源的一者>は無上の歓喜を味わうことになる。もっとも高貴な粘土がここでこねられ、もっとも高 価な大理石がここで刻まれる。その作品が人間なのだ。このディオニュソス的な宇宙芸術家の鑿(のみ)の音にあわせて、祝祭の町エレウシウスの秘儀の叫びがきこえてくる。(ニーチェ『悲劇の誕生』)」



 ショーペンハウアーの芸術論の仮面をかぶっているが、この『悲劇の誕生』におけるニーチェのディオニュソス的祝祭の記述も、社会学、人類学的な味わいが濃厚である。権力を中心に組織された階級や身分のような社会秩序の桎梏、労働へと組織された日常を作り上げている諸禁止、生産のための道具となった自然との関係性、などといった日常の秩序の疎外感からの解放の歓びの記述にしか見えないのである。

 おそらく『悲劇の誕生』を読んだときに感じる居心地の悪さはの原因のひとつは、社会秩序とその解体=混沌についてのダイナミックな社会学的記述である「秩序/混沌」図式を、平板な芸術のジャンル論に横滑りした「夢と陶酔」図式にリンクさせて論じている不自然さにある。総合芸術であるギリシャ悲劇とワーグナーの楽劇との関連から「夢と陶酔」図式が有効になっているのだろうが、むしろ「秩序/混沌」図式を軸に「アポロン的なもの/ディオニュソス的なもの」という文化図式を組み換えなおした方がいいだろう。「アポロン的なもの」とされた秩序化への衝動は、視覚的、表象的な芸術とイコールではないし、「ディオニュソス的なもの」である破壊、混沌への衝動も音楽と必ずしもイコールではない。なるほどギリシャ美術は19世紀にいたるまでヨーロッパ美術の秩序の規範であったが、明朗で均整の取れたリアリスティックな美のイメージやスタイルが「アポロン的」なのではない。そうではなくて、「アポロン的文化」とは、社会秩序の形成、維持、自己肯定の局面における文化のあり方であり、「ディオニュソス的文化」は社会秩序の破壊、解体、反転など否定的局面における文化のあり方だと考えるべきだろう。

 少しだけ具体的に述べておくと、「アポロン的文化」とはギリシャ都市国家の権力の、権力による、権力のための文化である。それは異民族の(ディオニュソス的とされた)祝祭文化のように全民衆(非個人)によって生きられた文化ではなく、都市国家の支配的権威によって認められた熟練した個人(天才)によって創られた文化である。この文化は一握りの天才(演者)と受動的な観客への分離を前提とし、天才(演者)たちの仕事は、権力に求められる作品を制作するという意味では、労働の要素が強い。都市国家はこのような天才たちによって創られた洗練された文化で自らの力と絶対感とを内外に示す、、、こうした局面の文化が「アポロン的」の意味である。(もっとも、ニーチェの論考では、アポロンとディオニュソスの融合した「ギリシャ悲劇」と「ソクラテス」という啓蒙的知性による悲劇文化の形式化の問題の問題が続くのだが、それはまた後ほど検討したい。)

 奇しくもこれはミハイル・バフチンの「公式文化/非公式文化(カーニヴァル)」の対立図式や、シチュアシオニストの「スペクタクル/状況の構築」の対立図式と被り、よく響きあう図式である。私はニーチェの「アポロン的なもの/ディオニュソス的なもの」という対立図式を、バフチンやシチュアシオニストの言説と照応させ鍛えなおし、今日のポストモダンなどと言われる文化の袋小路を打破する道を探りたいと思っている。(つづく

Category: Category: None   Tags: ---

Response: Comment: 0  Trackback: 0  

メモ 「ディオニュソス的世界観」と「バッカス的世界観」 谷本愼介

 『悲劇の誕生』において、「ディオニュソス的世界観」という表現はただ一度、第17節中で使われる。「形象と神話として姿を現そうと激しくあがく音楽の精神は、抒情詩に端を発し、アッティカ悲劇に至るまでしだいに高まっていくが、ようやく豊かな展開を遂げたかと思うと、突如、中断する。そしてギリシャ芸術の表面から姿を消す。しかしこうしたあがきの中から誕生したディオニュソス的世界観は、その後も密議秘祭の中に生き続け、絶妙な転身と変質を遂げつつ、真摯な心の持ち主を魅惑し続けた。このようなディオニュソス的世界観がいつか再び、神秘な深みの中から、芸術として浮かび上がってくることはないのだろうか?」本書が芸術原理の 2 本柱として位置づけたのはディオニュソス的なものとアポロン的なものだが、世界観の根幹をなすのはディオニュソスだけであり、アポロンは問題視されなかった。要するに「音楽の精神」を体現するのがディオニュソスであり、この酒と陶酔の神に基づく世界観が「ディオニュソス的世界観」と定義された。古代ギリシャ人はこの世界観の信奉者だったが、エウリピデスとソクラテスによって葬り去られ、かろうじて密議秘祭の中で身を潜めて生き続けてきたが、ようやく近代ドイツにおいて、要するにワーグナーによって再び蘇ろうとしている。以上が本書の主旨である。事実の積み重ねによる実証を無視した、はなはだ刺激的な仮説だが、仮説を成り立たせるキーワードが「ディオニュソス的世界観」だった。しかしこの世界観はニーチェのオリジナルだと断定できるだろうか。
 当時ニーチェが暮らしていたバーゼルは、ワーグナーが邸を構えていたルツェルン近郊のトリープシェンとは百キロ弱の距離にあって、ニーチェは足繁くトリープシェンに通い、そこのワーグナー邸にはニーチェ専用の部屋まで用意されていた。一方バーゼルには〈バーゼル・サークル〉ともいうべき、歴史学の大家ブルクハルトを中心とした知識人のサークルがあって、無名の古典文献学者ニーチェもそのサークルの一員としてメンバーとの親交を深めた。このサークルに在野の法学者バッハオーフェンがいた。バッハオーフェンは1859年に『古代人の墓碑象徴に関する試論』、1861年に『母権制』を公刊していたが、いずれも私家版であり、ニーチェが知り合った当時は無名に近かった。ニーチェはバッハオーフェンの両著作を間違いなく精読していて、とりわけ前者は『悲劇の誕生』執筆のために大きなヒントを与えただろうと推測される。バッハオーフェンの『古代人の墓碑象徴に関する試論』の中に「バッカス的世界観」という表現が登場する。

 プロテシラオスはトロイア戦争で最初に戦死を遂げ、ラオダメイの愛によって 3 時間だけ冥府から解放されたが、死者たちの案内役にして現世と冥界の仲介者ヘルメスは、冷酷な掟に従って、たちまち彼を冥府に連れ戻した。この神話の理念は、バッカス的世界観と完全に一致する。プロテシラオスの運命は、たちまち入れ替わる生と死、生成と死滅の永遠のくり返し、白と黒の結合という、肉体をもって生み出されたものに課せられた根本的掟をじつに鮮やかに描き出している。


 ニーチェが「ディオニュソス的世界観 Die dionysische Weltanschauung」を世に問う10年以上も前に、バッハオーフェンは「バッカス的世界観 Die bacchische Weltanschauung」を提起していた。バッカスとディオニュソスが同一の神を指すことはいうまでもない。もしもバッハオーフェンが先に「ディオニュソス的世界観」と言っていたら、ニーチェは「バッカス的世界観」を世に問うていただろう。バッハオーフェン以前に「バッカス的世界観」という表現を使った者は存在しない。目下ドイツで刊行中の『ニーチェ辞典』は、「ディオニュソス的・アポロン的」の項目で、ニーチェ以前にこの 2 語が用いられた系譜を30ページ以上にわたって詳述しているが、バッハオーフェンの「バッカス的世界観」にはまったく触れていない。
 問題は用語の異なる 2 つの世界観の内実の比較だが、バッハオーフェンが記す「生と死、生成と死滅、白と黒」の二項対立は、ニーチェが『悲劇の誕生』で取り上げた英雄たちの運命と重なる。バッハオーフェンはプロテシラオスを例に挙げたが、ニーチェはアキレウスを取り上げて、短命の英雄アキレウスが日雇い人夫に身を落としてでも現世に戻りたいと願う気持ちからギリシャ人のオプティミズムを読み解いた。悲劇の英雄たちは一様に滅び去るが、悲劇の本来の主人公はディオニュソスただ一人であり、オイディプスもプロメテウスもすべての悲劇の主人公は「ディオニュソスの仮面」だとニーチェは主張した。つまり英雄たちが「生成と死滅」をくり返す根底には、永遠に生き続けるディオニュソスが存在する。要するに英雄たちが「生成と死滅」をくり返す世界こそが「バッカス的世界観」および「ディオニュソス的世界観」の展開する世界そのものに他ならず、両者にはなんの相違も認められない。
 ニーチェは世界の根底に「永遠に苦悩するもの」としての「根源=一者」を見たが、バッハオーフェンも同様の苦悩を、アリストテレスの『形而上学』を引用して描き出した。「この世のすべては悲哀なのだ。私たちは苦悩から解き放たれることはない。苦しみの生よりも甘味な世界は、死すべきものの目には雲の覆う闇に閉ざされて見透せない。」 ニーチェがディオニュソスの従者シレノスに吐かせた究極のペシミズムのことばを、バッハオーフェンもちゃんと書き記していた。両者を貫く原点がショーペンハウアーのペシミズムだった。
「ディオニュソス的世界観」というキーワードがバッハオーフェンの「バッカス的世界観」からの借用であることは明白だが、本論の内容面でもニーチェはバッハオーフェンに負っていることが伺える。そもそも「ディオニュソス的世界観」という用語はニーチェが『悲劇の誕生』のために書いた予備論文のタイトルだった。1870年のクリスマスに、ニーチェはワーグナーの妻コージマへのプレゼントとして、「ディオニュソス的世界観」と「悲劇的思想の誕生」という 2 つの論文を捧げた。両論文は私家版だが、ともに『悲劇の誕生』の予備論文となったもので、特に「ディオニュソス的世界観」は『悲劇の誕生』の冒頭部分の原型となった。「ディオニュソス的世界観」の最初の一文は以下のとおりである。「ギリシャ人は世界観の秘教をみずからの神々によって語り、同時に沈黙したが、彼らは芸術の二重の源泉として、アポロンとディオニュソスという神を打ち立てた。」 これは明らかに『悲劇の誕生』の冒頭の下敷きとなっている。予備論文ではその後、ディオニュソス的芸術に宿る力について言及される。

 ディオニュソス的芸術は、これに対して、陶酔と恍惚の戯れに基づいている。素朴な自然人を陶酔という忘我の境地に高めるのは、春の衝動と麻酔性の飲み物という 2 つの力である。この 2 つの力はディオニュソスの姿に象徴されている。個体化の原理 (Das principiumindividuationis) はこの 2 つの力によって打ち破られ、主観的なものは噴出する人間一般の力、いやそれどころか普遍自然の力のまえに消失する。ディオニュソス祭は人間と人間を結び合わせるばかりか、人間と自然も融和させる。奴隷は自由人となり、貴族と卑しい生まれの者は一体となって、バッカス自身のコーラスとなる。......類似のディオニュソス祭は太古からあらゆる場所で行われていたことが立証できるが、もっとも有名なのはバビロンのサカイア人の祭りである。



 この箇所は明らかにバッハオーフェンの『古代人の墓碑象徴に関する試論』の叙述を踏まえている。該当箇所は以下のとおりである。

 国家や市民という観点が至るところで民族や個人を隔てる垣根を築き上げ、個体化の原理(Das Prinzip der Individualität) を極限的なエゴイズムにまで押し進めるのに対して、ディオニュソスはすべてを一体化し、すべてを平和と原初の生への愛に回帰させる。奴隷も自由人も平等にディオニュソスの秘儀に与ることができた。......ディオニュソスはいっさいの差別を廃棄し、動物どうしの争いさえも終わらせ、被造物の世界に再びあの平和、歓喜、普遍的平等をもたらす。この普遍的平等は、近代人にとって原初の黄金時代のことであり、サトゥルヌス祭や、......サカイア人の祭りにおいて一時的にせよ現出した。葡萄酒と人間に及ぼす酒の力は、ディオニュソスの本性のこのような側面が如実に表れた。



 ニーチェは芸術を論じ、バッハオーフェンは歴史と社会を論じているが、「個体化の原理」というショーペンハウアー哲学の用語をキーワードとして、ともにディオニュソス的なものに宿る普遍的力を強調している。ディオニュソス的魔力が発揮された具体例としてバビロンのサカイア人の祭りが挙げられる点も、とても偶然とは思われない。
 バッハオーフェンの叙述をニーチェが下敷きにしているのは明白だが、「個体化の原理」という用語をバッハオーフェンは元のラテン語からドイツ語に訳して用いているのに対して、ニーチェはそれを元のラテン語に戻した。しかし微妙な用語の変更は認められるにしろ、ディオニュソスの魔力が「個体化の原理」を破棄して人間どうしの差別を廃棄するばかりか、動物や自然一般の争いも終わらせるという論旨はまったく同じである。ニーチェはディオニュソス的魔力のもとになる陶酔境を、「春の衝動と麻酔性の飲み物」の作用だと記したが、これもバッハオーフェンの「葡萄酒と人間に及ぼす酒の力」という表現の変奏であることは明白だろう。
 誰の目にも明らかな類似は、決定稿となった『悲劇の誕生』では明瞭ではなくなる。第 1 節の後半部分はいわば予備論文の大規模な変奏である。「例外的に 〈個体化の原理〉 が打ち壊されると、人間の、否、自然の最奥から歓喜あふれる恍惚感が湧き上がる。......麻酔性の飲み物や春の力強い訪れによって、あのディオニュソス的な興奮が目覚め、主観的なものは完全な自己忘却に至る。......ディオニュソス的な力に捉えられた群衆の乱舞はバビロンにまで遡り、狂躁乱舞するサカイア人の祭りにたどり着く。......今や奴隷は自由人である。」このような変奏の中でベートーヴェンの第 9 交響曲の「歓喜に寄す」が引用され、元のバッハオーフェンとベートーヴェン=シラーの「歓喜に寄す」のフレーズがいわば渾然一体となって、ディオニュソス的魔力の本質が描き出された。
 さらにディオニュソス的なものと一対をなすアポロン的なものも、バッハオーフェンは詳述している。ニーチェはディオニュソスが支配する本質、闇の領域と、アポロンが支配する仮象、光の領域を空間的な対比として提示したが、バッハオーフェンはディオニュソス的な母性原理の世界と、アポロン的な父性原理の世界を時間的、歴史的流れの中に位置づけた。バッハオーフェンの見方によれば、ディオニュソスとアポロンを区別する決定的要因は、物質性=女性的性質の有無だった。「アポロンは光の本性によって、元々拠り所としていた大地的基盤を背後に追いやった。......かくしてアポロンは物質性を脱して、形而上的な非肉体性を帯びるに至った。ディオニュソスは本質的に生殖的、物質的でありながら、太陽力でもあり続けた。......葡萄酒は火と水を結合させるディオニュソスの力の至高の発現である。」バッハオーフェンが定義するディオニュソスは両性具有の「生殖神」であり、一方のアポロンはエロス的原理を超越した「無性の」太陽神だった。両者の対比の根底にはエロス性の有無があって、ニーチェにはエロス性の有無から両者を比較する観点はなかった。ニーチェは両者の比較においては、ワーグナーが『ベートーヴェン』で提起した「音楽の精神」=ディオニュソスと「造形芸術の精神」=アポロンを採用した。
 以上のようなニーチェの手法は、ワーグナーやバッハオーフェンの引用とはとても言い難い。しかしあからさまな盗用ともいえない。強いていえば「受容」というほかない。ニーチェはこの「受容」という手法において、天才的なわざを披瀝したのであり、マンフレート・エーガーはニーチェを「受容の天才」と名付けた。
 ニーチェはバッハオーフェンと家族ぐるみの交流があったが、バッハオーフェンは29歳も年長だったのに対し、若妻のルイーゼは逆に 1 歳年下であり、彼女とはピアノの連弾に興じたり、コンサートにもいっしょに出かけた。ルイーゼはニーチェについて以下のように回想している。「私の夫はニーチェに好感を抱いていたし、私はニーチェが夫を心から尊敬していたことを知っている。ニーチェはしばしばそのことを私に告げた。その頃に『悲劇の誕生』が公刊されて、夫は本書に魅了され、ニーチェの将来を嘱望していた。」 ルイーゼは夫のバッハオーフェンが自著から『悲劇の誕生』で盗用まがいのことをされたことを非難するどころか、ニーチェに賛辞をおくり、将来を嘱望していたことを報告している。バッハオーフェンはニーチェの盗用まがいのわざに気づかなかったはずがないが、まったく問題視しなかった。

Category: 亡霊退治   Tags: ---

Response: Comment: 0  Trackback: 0  

まあ、こんなものを

jaimson.jpg

、、、読んでいるわけだ。面白いんだけど、ジェイムスンって人はモダニズムという物語が実在していたと思っちゃってんだ。私は、いわゆるモダニズムの理論が私たちを疎外の中にとどめおくための権力によるおとぎ話だと暴き、ワクワクするようなもっと真実らしい物語を紡ぎたいと思ってる。

いや、冗談でなく、マジで。。。

Category: Category: None   Tags: ---

Response: Comment: 4  Trackback: 0  

非ー哲学と間接的存在論

IMG_20190605_072658.jpg

という言葉が以前から気になっている。8000円近くする本で絶対買えないと思ってたら、地元の図書館に置いてあるではないか。オレのために、、、ありぐわと。

「問題は、哲学とその敵(肯定主義)との闘いではなく、非ー哲学であることによって哲学たらんとする哲学ー「否定哲学」である。真の哲学は、哲学を軽んずる脱哲学である。」

たぶん、反芸術が非公式文化による公式文化(芸術)の領域の乗っ取りであるように、非ー哲学というのは非公式知による公式知(=哲学)の乗っ取りのことであろう。だからこそメルロ=ポンティはセザンヌなどの反芸術に共感を抱いていたのだ。が、むしろ「非ー哲学であることによって哲学たらんとする哲学」ではなくて非ー哲学であることによって哲学たらんとする知」と言うべきではないか。この言い方、メルロ=ポンティはあくまでも公式知の領域に足場を置いたままであるように見え、それがややもどかしい。
04 2020 « »
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
目次

カテゴリー 累計
全記事一覧
前衛芸術研究室 28
亡霊退治 75
アート・建築・デザイン 29
思想など 144
旅行・タイなど 62
ニュース・時事など 31
フンデルトワッサー 12
中西夏之 3
日記・その他 127
記憶の底から 15
音楽 6
Category: None 34
反芸術研究室 6
最新のコメント
Twitter
タグcloud
アクセスカウンター
   




プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
 連絡先 araiken#mac.com #を@に置き換えてください。



Archive

RSS