泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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シチュアシオニストは理解されていない (その2)

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 だが、「芸術の脱構築」という言葉自体、何を意味しているのかわかりにくい。「芸術」という制度のどこを解体しなければならないというのか、そもそもなぜ「芸術」は脱構築されなければならないのか? その理由を説明するためには「前衛(アヴァンギャルド)」の誕生まで遡る必要がある。
 前衛は19世紀中頃に芸術の諸分野に姿を現し始める。美術に限って言えば、マネや印象派の中に伝統的なアカデミズムに反抗する表現が浮上し始めている。一般にこのような形骸化した伝統文化への反抗は、「前衛芸術=モダニズム」という美学的なカテゴリーによる解釈を施され、芸術内部での変革として理解されてきたが、私はこれを「前衛(アヴァンギャルド)」と呼び、モダニズムとはっきり区別して、資本主義近代における疎外の克服の試みであると解釈し直すべきだと考えている。19世紀後半に現れた「前衛」という文化運動は「芸術」ではなく、「芸術」を転用しつつ行われた生の実験である。ただし、そのアヴァンギャルドたち自身が、「前衛」の「芸術」からの切断に自覚的ではなく、自らを芸術家として、芸術作品を作っているものと認識していた。この傾向は自分たちの活動をはっきりと「生の変革」と定義していたシュルレアリスムにいたっても解消しきれず、結局「芸術」というブルジョワ的概念の中に運動は回収されてゆくことになる。
 前衛という文化運動が芸術の領域で生起してきたことには理由がある。古の社会にあって芸術は、宗教や王権の絶対的な権力の下でその至高性(祝祭性)を分与されていた。だが市民革命、産業革命とを経て社会が近代化、世俗化してゆくとともに、芸術からは至高な性格は失われてゆき、形骸化、俗化し、市場のニーズに従う商品としての性格が前面に押し出されれるようになった。宗教や王権への従属からの離脱を、近代における「芸術の自律」と言い表す習わしだが、実は主人がマネー(資本)へと入れ替わったといったほうが適切だろう。前衛たちは19世紀のこのような文化状況、伝統的芸術の俗化、商品化、弛緩した凡庸化に敏感に反応し、耐え難い退屈さを感じて、反抗的な活動へと向かっていったのだ。つまり芸術の領域に至高性(祝祭性)を取り戻すことが前衛の求めるところだったと言っていいだろう。だが、前衛によるこの至高性(祝祭性)の再生という課題は、芸術の領域に固有の問題というより、むしろ社会の近代化、資本主義化とともに浮上してきた疎外の克服の謂であることに「前衛」たちは気づいていった。20世紀に入ると前衛運動は、疎外の乗り越え=「生の変革」を自らの課題として自覚するようになったわけである。

 ところでこうした「前衛」の試みは、資本主義のシステム(システムを支える意識)にとって常に異物であり、システムに亀裂を入れ、揺るがす危険を孕んでいるため、当初システムからは攻撃され、拒絶され、黙殺された。やがて少数者による断片的なこれらの試みは、個人的な悲劇と成功の物語としてブルジョワ芸術の制度の中への懐柔され、再統合されてゆく。上でも述べたように、前衛たちが自らの活動が芸術とは異質なものであることに無自覚だったことと、モダニズム論に代表されるブルジョワ知識人による芸術批評が、前衛を芸術の一分野であるかのように解釈してしまったことに、この懐柔=再統合という退行現象の原因がある。
 シチュアシオニストが「芸術の脱構築」にこだわる理由はここにある。「スペクタクル=疎外された生」の乗り越えは、端的にブルジョワ的概念である「芸術」ではありえないし、それが反体制的な意図を持っていたとしても「芸術」の手続きを踏んだアクションは「スペクタクル=疎外された生」の乗り越えにはならないのだ。シチュアシオニストはこうして「芸術」との距離をとることで「前衛」の精神をより純化し、それが「芸術」へと逆流してシステムに回収されないよう警戒を怠らなかった。

 「そんなこといってシチュアシオニストだって作品を作っているじゃないか」という指摘が予想される。転用絵画、転用文学、またドゥボール自身も転用映画を作っている。転用(小倉は「ずらし」と訳している)という言葉がくっついてはいるが、それは(ブルジョワ的)芸術作品と一体どこが違うのか、というわけだ。実際、アンガージュする芸術と芸術の転用を見分けることはなかなか難しい。はっきりしているのは、前衛(アヴァンギャルド)の意識は、「芸術家(アーティスト)」へと横滑りしてきた(もちろんその逆も考えられる)し、「芸術の転用」も「芸術(アート)」という言葉でくくられてきたという現実だけだ。この2つの差異をはっきりさせるためには、「芸術」という制度についてより詳細に分析することが必要だ。

 芸術の制度について、社会的なコミュニケーションのあり方と、アーティストの意識という2つの面から考察することができる。
 まず前者について言うと、芸術は基本的に一方に表現の専門家が、他方に受動的な観客がいて、前者から後者への一方向的なコミュニケーションであるという特徴を持っている。近代以前より芸術作品は卓越した技術を持った表現活動の専門家によって創られた。また、モダニズム流の解釈では、19世紀後半以降、職人的、技術的な洗練よりも「伝統の破壊=新しさ」という価値が全面に出てきた(とされている)。が、いずれにせよ特別な能力を持った個人がアウラを纏いつつ芸術作品を生産し、それを観るものが受動的に美を消費する、という形式を芸術の中に認めることができる。この表現の専門家としての個人は、卓越した技術や「新しさ」を生み出す感性によって、スターとして注目を浴び、経済的な成功を約束される。
 また、芸術は「作品=虚構性」という形式をも備えている。それは日常生活に対して、ある特殊な時空を作品という形で組織するものだといえる。作品を作るときアーティストも意識上で、散文的な日常性から自分を切り離し、虚構の時空を組織するために高度に緊張を高める。それは美術、文学、演劇などにも共通する形式であり、ハプニングやパフォーマンス・アートのような物質的な作品を残さないアクションも、それが日常から切り離された時空を組織するものであるかぎり「作品=虚構」の形式の中にある。この日常性からの作品=虚構の分節を下書きにして芸術のアクションは商品化される。また、アーティストの意識上での「虚構/日常」の分節(前者に高い価値=緊張を付与するという構造)は、資本主義社会における生の「労働/余暇」への分節に横滑りしてゆき、芸術の生産は労働(職業)として意識されるようになる。
 このように見てくると「芸術」という制度が、スペクタクル社会において「前衛」を懐柔し、前衛が取り戻そうと試みた至高性(祝祭性)を、その対極に位置する労働へと転換させる仕掛けとなっていることがよくわかると思う。「前衛」のスペクタクル化を逃れるためには、このレベルでこそ「芸術」は脱構築はされなければならない。
 シチュアシオニストが、個人的な成功への指向に対しては、集団的かつ匿名的な創造を対置し、また「労働」の価値ではなく「遊び」の価値を称揚し、「余暇」の代わりに「自由時間」という言葉で自分たちの「生の変革」の実験を言い表し、「労働」と「余暇」の区別を止揚させようとしていた(「余暇」という労働力再生産領域が「労働」を強制する仕掛けとなっていることを小倉利丸も繰り返し指摘していたはずだ)。これこそがスペクタクルに抗する生のあり方が、同時に芸術というブルジョワ的概念の脱構築の実践であるというシチュアシオニストの活動の実情なのである。

 したがって、シチュアシオニストのいわゆる62年の芸術派のパージについても、(小倉が行っているような)芸術的手段の活用の放棄、旧来の政治への旋回と解釈するのは間違いである。むしろシチュアシオニストの活動の中に「芸術」が混入していることが明らかになってきたので、組織をより純化するためにパージしたに過ぎない、と考えるべきだろう。初期のシチュアシオニストの活動のキーワードとされる「状況の構築」や「統一的都市計画」という言葉には、芸術や技術を戦略的に用いて社会に介入し影響を与えてゆこうとする、建設的でポジティヴなニュアンスが感じられなくもない。初期のシチュアシオニストのこうした若々しくオプティミカルな雰囲気は魅力的だが、曖昧さを含んでいたのではなかろうか。ナッシュとかコンスタントといったシチュアシオニストからパージされた人たちが、どれほど反体制的な主張を持っていたにせよ、そのアクションが上記の芸術という制度の枠組みの中で動いていたならば、前衛集団であるシチュアシオニストにとってその集団の存在意義を脅かすものでしかないだろう。「前衛」であるためには「芸術」であってはならないのだ。まさに「スペクタクルの破壊の諸要素はまさにアートの諸作品であることをやめねばならない。シチュアシオニズムやシチュアシオニストの芸術作品といったものはあり得ない。」のである。(シチュアシオニストの活動は「芸術(アート)」をブルジョワ的制度とするなら、「虚術」とでも名付けるべき性格のものだ。)
 こうしたパージとともにシチュアシオニストは運動の初期のキーワード──「状況の構築」や「統一的都市計画」など──の、魅惑的な環境の創造といったアーティスティックな解釈を許すイメージを払拭し、それらを資本によって組織された空間に亀裂を入れるアクションとして定義し直していったのである。シチュアシオニストの言う「状況の美」とは、(大規模な自然災害が否応なくそうするように)自明と化している私たちの資本主義的な日常性に生々しい傷口を切り開くことである。結局、(芸術と政治の外的な統合という)アーティスティックな理解にとどまってしまうと、62年以降のシチュアシオニストが初期の活動からブレていってしまったようにしか見えなくなってしまうのだ。68年5月の擾乱におけるシチュアシオニストの影響がどんなものであったのは私は詳しく知らないのだが、小倉の提示している筋書き──「この時期出現した多くのスローガン、たとえば「オブジェよ、消えてなくなれ」「見世物的、商品的社会打倒」「自動車=オモチャ」「マルクスを消費するな」などは、明らかにシチュアシオニストのスペクタクル社会批判と連動したものだった。こうして、ISの表現は、現実の運動に無視し得ない影響を与え、「文化がどこまで社会の更新力となりうるか」、文化の変革における可能性を具体的に実践する重要な意味をもった。だが、それは、必ずしもISの目指すところのものではなかった。ISは、5月革命のなかで、学生運動からさらに労働運動へ、そして労働者評議会の構想の実現へという自らのプロジェクトをもっており、文化よりも政治的な変革をむしろ重視するようになっていた。」──にはシチュアシオニストのアーティスティックな解釈特有の誤解が表現されている。68年5月というシステムに刻まれた大きな亀裂──亀裂から垣間見られた「未だに存在していないもう1つの世界」──をモーリス・ブランショは「日常のものとなった詩」と言い表したが、まさに個人的な作者などいないこの「状況の美」は芸術というブルジョワ的概念を脱構築する眼によってしか認識され得ないものだっただろう。
 またこのシステムを引き裂くアクションは、同時に資本主義的な疎外された人間の関係性──階層的、競争に基づいた個人主義的な関係性──を乗り越える試みでもあり、小倉が言っているような古臭い労働評議会主義への回帰ではない。木下誠が正しくも述べているように──「ただ、〈社会主義か野蛮か〉の「労働評議会」があくまで「労働」──人間的な「労働」であっても──の「管理」のための評議会であるのに対して、シチュアシオニストの「評議会」は、労働と余暇が分割されない「遊び」の実践のための評議会、実験的な生活のための「評議会」であったという違いは無視できない(そして、このことが理由で、後に〈社会主義か野蛮か〉とSIは互いに離反してゆくのである)。」──疎外された人間の関係性を乗り越える実践=実験としてのアクションの一面としてとらえなければならない。
 シチュアシオニストの活動の意義に共感を寄せる左翼知識人ですら、シチュアシオニストの悪評の元になっている、メンバーの相次ぐパージを運動の変質や、運動のリーダーである(次々とメンバーを粛清してゆく)ドゥボールの狭量さに原因を探すようになってしまうのは、「芸術の脱構築」の意味を取り逃してしまうからである。たしかに彼らはこうした前衛運動の実践=実験にあたって、わざと古臭い左翼組織に擬態し、そのいかめしいコスプレを楽しんでいたきらいがあり、そのため前衛的センスのない左翼はけむにまかれて当惑し、シチュアシオニストの正体をとり逃してしまったという面はあるだろう。しかし私たちはこの擬態、不可解な仮面の裏でニタニタ笑いを噛み殺しているシチュアシオニストの「遊び」の精神──ボイスの言うところの「それ自体の内的な法則に基づいて生きられるもの」──を目聡く見ぬかなければならないのだ。

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シチュアシオニストは理解されていない (その1)

と、何度か書いてきたが、左翼知識人たちすらズッコケたシチュアシオニスト理解をしてしまうのは、「芸術、文化、前衛」などの言葉の使い方が混乱してしまっているところに理由の一端がある。小倉利丸氏の労働論は非常に面白いのだが、文化論にはいつも首を傾げたくなる。今日、「文化」というものを論ずるのであれば、前衛=シチュアシオニストの理解は必須──だと私は考えているのだが──これができていない。

社会に介入するアート ──シチュアシオ二ストの実験とボイスの「社会彫刻」 小倉利丸


 そこで、おそらく日本にシチュアシオニストが紹介される以前にしたためられたと思われる(パイオニア的だが、少ない情報の中で書かれたと想像される)このテクストを分析し、問題を炙り出したいと思う。タイトルから明らかなように小倉は、シチュアシオニストをヨゼフ・ボイスと同様の社会に介入するアーティスト集団であると見做している。たしかにどちらも資本主義社会における疎外状況の乗り越えを試みていることは共通している。しかし、ヨゼフ・ボイスについて「社会に介入するアート」という理解は正当だが、シチュアシオニストの活動をいわゆる「芸術と政治の統合」とか「芸術的手段での社会へ介入」と解釈していいのだろうか? そうしたものとは似て非なる「何か」なのではないのだろうか?
 資本主義社会における疎外=意味の搾取を乗り越えのために、ボイスは「芸術の拡張」というコンセプトを提起する。小倉によるとそれは「労働とか生きることそのもの、生活すること、そうした日常的な営みと密接に関わるところで再度芸術という概念を構築しようとする。あるいは、そうした日常的な行為そのものを芸術と呼ぼうとする」ものである。すなわち19世紀後半以降のアヴァンギャルドの自律的な変革のエネルギーを美術館や劇場などブルジョワ芸術の枠組み(制度)から、生活の中へと解き放つことを意図していると言っていいだろう。こうした提起はすでに戦前のシュルレアリスムなどによってなされていて決して新しいものではないのだが、いずれにせよこの主張に耳を傾ける限り、ボイスは芸術の問題というより、むしろ新しい生のあり方、使い方を提起しているように思える。
 にしては、美術館にすっぽり収まるインスタレーション作品を制作したり、フルクサスへの参加以来のパフォーマンス・アートような芸術の枠組み(制度)内での活動に、ボイスはあくまでこだわりを見せている。


ヨゼフ・ボイス 「経済の価値」 1980


 写真だけではよくわからないが、小倉によるとこうした作品には現行システムの不条理さを告発したり、芸術という制度への批判する仕掛けが盛り込まれているらしいのだが、ボイス独特の霊的な気配は感じるが、出がらしのダダイズム作品みたいで、美術館に囲い込まれたモダニズムアートとどこが違うのかイマイチはっきりしない。これが「拡張された芸術」なのだろうか、と正直思うが、むしろボイスの様々な──エコロジー、教育、政治活動などの──アクションをトータルしての社会彫刻であり、拡張された芸術なのであって、芸術表現はそうした政治的アクションの一面として理解されるべきなのだろう。
 「パブロ・ピカソが芸術とは不正や不義や人間の権利の侵害、更には戦争などを阻止するための鋭利な刃物のような武器たらねばならないと言ったけれども、現代芸術はそうした要請を満たしていない」という言葉を読むと、ボイスは社会への介入、いわゆる「アンガージュ」の手段、武器として芸術に積極的な意義を認めていることがわかる。
 ところが、小倉によるとボイスはその一方で「私はじっさい、芸術とは関わりがない──で、これこそがほんとうに、芸術に何らかの貢献をする唯一の方法なんだ。私はいつも、この芸術という概念から逃れようとしてきた。そんなものにはなりたくないんでね。私が求めるのは、それ自体の内的な法則に基づいて生きられるもの。それが出発点。だから、芸術に限られるわけではない。私がいう芸術とは、ブルジョワ芸術の概念以上のもの──1つの科学的なプロセスなんだ」と芸術を拒否する発言をもしている。
 このように見てくると、ボイスの中には芸術を巡って2つの思想が混在していたらしいことが想像できる。「アンガージュ=武器としての芸術」をポジティヴに認め、自ら芸術活動を実践する一方、ブルジョワ的概念である芸術の拒否(=芸術の脱構築)について語っているのである。体制を批判する意図を持った、社会への介入を目的とするアートはブルジョワ芸術と理解されるべきではない、という反論が予想されるが、この点は後ほど詳しく考えるとしよう。
 ボイスが結果的に陥ったジレンマを小倉は「ボイスは、結局、解釈の権力に対抗しきれなかった。彼が、芸術の概念から逃れようとすればするほど、彼の行為は芸術の領域に囲い込まれてしまった。「社会彫刻」という彼のモチーフは、彼個人の行為を離れてはなかなか成立しなかった。実は、ここに、彼の限界があった。ベンヤミンが「社会彫刻」やオルタナティブな社会の構想は、たとえボイスの発想であったとしても、社会の人々が共有しなければ社会的な意味を紡ぎ出せない。」と的確に分析している。「彼がどのような行為をしても、それはアートの文脈でしか解釈されず、ギャラリーやアートイベントでは十分な活動の余地を与えられはしても、それは芸術作品なのであり、それ以外のものではないとみなされてきた。たとえば、先の「経済の価値」のインスタレーションも、それが多元的で矛盾を含んだ諸価値のなかにみるものを投げ込むことによって、鑑賞者を取り巻く社会環境の矛盾への問題提起を意図したものだった。しかし、こうしたインスタレーション自体がボイスの作品として、これらの諸価値に対するメタ・レベルの価値を付与されてしまうと、インスタレーション自体がはらむ矛盾のダイナミクスは、ボイスの芸術という単一の価値に解消されてしまう。こうして、インスタレーションそのものがボイスの作品として、芸術的価値をまとってしまっているために、ボイスの趣旨は実感しづらくなっている。彼は、そうした作品の扱いに苛立ちをおぼえていたことはたしかなようだ。」
 問題なのは芸術作品の意味や意図ではなく、芸術という制度の枠組みそのものだという自覚という点で、ボイスは曖昧だったのだろう。「芸術の拡張=新しい生のあり方」を指向していたボイスにとって本音は芸術の脱構築にあったはずだが、おそらくはそのダブルスタンダードを解消することをしないまま、この世を去ってしまった。彼の言葉には共感を覚えるが、その活動は例えばかつてシュルレアリスムが社会に与えた衝撃を、またそれがブルジョワ芸術へと退行していった運命を、乗り超えるものではなかったと言わざるをえない。

 ヨゼフ・ボイスについての小倉の分析にはさほど異論はない。しかしそれに続くシチュアシオニストの紹介は、最大限好意的な紹介ではあるが、典型的な誤解──芸術の脱構築の重要性についての無理解──が露出し、完全にその活動の意味を取り逃がしてしまっている。
「拒否のスペクタクルを洗練することではなくスペクタクルを拒否することが問題なのだ。ISによって定義された新たな真の意味での芸術的であることに努力を傾げるためには、スペクタクルの破壊の諸要素はまさにアートの諸作品であることをやめねばならない。シチュアシオニズムやシチュアシオニストの芸術作品といったものはあり得ない。これを最後に今後はあり得ない。……我々の位置は2つの世界──我々が認識していない世界と未だに存在していないもう1つの世界の間の戦闘的なものである」という、芸術の拒否、芸術との距離感を示すこのヴァネーゲムの言葉は、驚くほどボイスの本音──「私はいつも、この芸術という概念から逃れようとしてきた。そんなものにはなりたくないんでね。私が求めるのは、それ自体の内的な法則に基づいて生きられるもの……」という言葉と響き合っている。両者とも芸術の脱構築について語っているのは明らかである。「シチュアシオニストの芸術作品」など存在せず、「作品の美」ではなく「状況の美」しかありえないと主張し続けてきたシチュアシオニストにとって芸術の脱構築は、出発点においてすでに活動の中心を占める概念だった。
 にも関わらず小倉はシチュアシオニストを社会に介入する反体制的なアーティスト集団であると断じ、しかもその芸術的側面と政治的側面の統合に失敗していると見做す。「ISが60年代初期までもち続けていた文化・芸術と社会変革という課題が未整理なまま、マルクス主義を大幅に受け入れてしまったために、まさにマルクス主義の最も弱い環である文化に関して状況を十分に自分のものにする機会を逸してしまったのである。」つまり、62年以降のいわゆる「芸術派」のパージを、初期のユニークな可能性を持った社会に介入する芸術的手段の政治──労働評議会主義などシリアスな政治活動への旋回──への従属と解釈している。
 むしろ、こうした芸術と政治の「外的な」融合や統合といった発想を抜け出せないことが、左翼知識人の文化論が最も弱い環になってしまっている大きな原因のひとつだろう。シチュアシオニストを私達は内側から──ボイスも語っていたように「それ自体の内的な法則に基づいて生きられるもの……」を把握しなければならない。そのときシチュアシオニストにとって芸術的手段での社会に介入(アンガージュ)などありえないことや、スペクタクルに抗する生のあり方が、同時に芸術というブルジョワ的概念の脱構築の実践であることをはっきり理解することができるだろう。実は小倉自身も「ボイスがファイン・アートの枠組みのなかに社会的モチーフをもち込み、その意味ではアーティストという立場を堅持しての社会的な介入を試みていたとすれば、ギャラリー/ミュージアムの外部に表現の場所を設定したり、大衆文化の方法を駆使するISなどのアーティストたちは、むしろファイン・アートの枠組みの脱構築を試みてきたといえる。」と、シチュアシオニストの活動を芸術の脱構築であると認めている。しかし「アートを脱構築するアーティスト」という論理矛盾は単に言葉使いの問題として済ますわけにはいかないだろう。作品の商品化を放棄し、美術館や画廊を脱出しストリートに表現の場を求め、大衆文化の表現を流用し、現体制の批判を意図したとしても、必ずしもそれは芸術を脱構築したことにはならない。芸術(ブルジョワ芸術)の制度(枠組み)は、私たちの存在の奥底にまで食い込んでいるのだ。

>つづく

Category: 日記・その他   Tags: 亡霊退治  

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けるびぃぃぃぃーーーむ!

昔話なんだけど、30年近く前に銀座で油絵の個展を開いたことがあって、開催中に平原さんという画家の人が訪ねてきて、画廊のオーナーと(個展を開いている、30年後にセザンヌの漫画をポツポツと描いている大物?そっちのけで)美術について話し込んでいた。ネットでちょっと調べ物をしてたら、あっ、この人は! と、その平原さんを発見。わ、その後もずっと絵を描いてるんだ~とビックリ。ついでにその画廊(ギャラリー・ケルビーム)のオーナーだった梅崎さんという人も調べてみた。画廊はもうやってないようだが、こちらも御健在で絵も描いておられるようだ

作品についてのコメントは控えるが、まあこの、しぶ~いアンフォルメル風の絵をずうーっと描き続けて立派に食っていけてるのは大したものだ!

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このホームレスってシチュアシオニストだと思うんだよね

 ニューヨークのセント・ジョーンズ教会の前をデモするホームレスの1人が「これはパフォーマンスではない」と書いたプラカードを掲げていたことにエイドリアン・パイパーが大きな衝撃を覚えたのは、まさに文化的なアクティビズムの限界をこの1枚のプラカードが示していたからにほかならない〔Piper 1992: 48〕。パフォーマンスによって、文化的な表現を押しだそうとするのがアクティビストとしてのアーティストであるとすれば、逆にパフォーマンスであることを拒否するのがホームレスなのだ。ここには、アーティストであることと生活者であることとの間に解決されねばならない切断が示されている。これは、決して1つの例外ではない。問題は、アートや文化的な表象を成り立たせるために引かれたカテゴリーの線分を新たに引き直すこと、あるいは大胆にそうしたカテゴリーを拒絶する方法を編み出すことにあるということなのである。しかし、真の問題は、このように問題を語ることではなく、実践することにあるということもまた明らかである以上、言葉の終わるところからしか新たな出発もない。

都市空間に介入する文化のアクティビスト パブリック・アートの政治性』 小倉利丸



「アートや文化的な表象を成り立たせるために引かれたカテゴリーの線分を新たに引き直すこと、あるいは大胆にそうしたカテゴリーを拒絶する方法を編み出すことにあるということ」ってつまりアート(芸術)を脱構築するってことだと思うんだけど、これは別にブロックとかエイドリアン・パイパーなんて人が大発見したことじゃなくて、1950年代からシチュアシオニストがやり続けていたことでしょ。「これはアートではない」といいながら抵抗の実践をしたのがシチュアシオニストなんだから。

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パフォーマンスの現象学 plus+

 粉川哲夫氏の「パフォーマンスの現象学」(『メディアの牢獄』収録)という論考がなかなか面白い。「パフォーマンス」という言葉に私は「作品化されたアクション」という(どちらかといえば負の)イメージを抱いているのだが、粉川氏は全く異なる定義を「パフォーマンス」という言葉に与えている。

パフォーマンスという新しい概念は、観客――つまり自分は安全地帯にいて対象を冷静に凝視しているような観客――が存在しえないような世界のためのものなのである。言いかえれば、すべての人がみな行なう人であるような現実、これこそがパフォーマンスに対応する現実なのである。



 まるでシチュアシオニストのマニュフェストに書いてありそうな文章だ。たとえば、、、

状況とは、したがって、それを構築する者たちによって生きられるために作られるものである。そこでは、受動的とは言わないまでも少なくとも単に端役的なだけの「公衆」の役割は、常に減少することになる一方で、もはや役者(acters)ではなく、言葉の新しい意味において「生きる者(livers)」と呼ばれる者の関与するところが増大する(『シチュアシオニスト・インターナショナルに向けて』)。



 つまり粉川氏は、シチュアシオニストが言うところの「状況の構築」=スペクタクルの本質である「非ー介入」の原理(専門的な表現者(acter)と受動的な観客への大衆の分離)を解体(脱構築)する実践のことをパフォーマンスという言葉で表現しているわけだ。そしてこのシチュアシオニスト的な実践が、戦前のアヴァンギャルド芸術(未来派、ダダ、シュルレアリスム)において戦略的に追求されていたことをその炯眼をもって明らかにしている。
 私はこの前、シチュアシオニストの活動(芸術の脱構築)をパフォーマンスアートのようなものと混同すべきだはない、ということを書いたわけだが、パフォーマンスという概念を粉川氏に従って定義するなら、シチュアシオニストのアクションをパフォーマンスという言葉で表現して差し支え無いだろう。それどころかシチュアシオニストはラディカルで純粋なパフォーマーである、と考えるべきだと私は思う。とにかく粉川氏の論考を読んでもらえば、戦前のアヴァンギャルドの潮流と戦後のシチュアシオニストの活動の間に本質的な連続性があることがよくわかると思う。例えば次のような言葉はシチュアシオニストの機関紙からの引用だと言っても通用しそうである。

「 重要なことは、俳優だけが変わるのでも、また観客だけが変えられるのでもなく、その場にいあわせる者がすべて能動的な自己変革者になるような場をつくり出すことである。」

「演技者はもはや観客を操作し、支配する者であることをやめ、また観客は演技者によってだまされ、扇動させられることをやめる。いまや、”演技者”の”役柄”や身ぶりは、”観客”にパラノイアや幻想を起こさせる装置ではなくて、”観客”がたとえつかのまであれ自分を変えるための媒介となるのであり、”演技者”の方も、”観客”の予想をはずれた反応によって自分を変えざるをえなくなるわけである。」



 フォーマルな芸術(アート)という制度は基本的に、スペクタキュリーな一方向的な情報の流れを原則としている。それゆえ美術館や劇場という芸術をめぐる大掛かりな表現の舞台装置も、粉川氏の指摘にあるように、そうした一方向的な「 ”演技者”と”観客”との持続した関係を予測して(すなわち非ー介入のスペクタクル的関係の再生産を意図して)構想され」ているわけである。厳密に考えれば観客から表現者へのフィードバックは不可能でないにしろ、情報の流れ方は非対称的である。
  ところがパフォーマティヴな実践が目指しているのは逆に、フィードバックそのものなのである。

 「まず何よりも ダダイストたちが初めに理解したことは、観客が劇場に入ることで芝居が始まるのではなく、観客の中に芝居をとらえに行かねばならないということであった。」

 

 ここには専門的表現者から観客への一方向的な情報の発信ー消費という芸術に特有の構造に楔を打ち込み、解体しようとする志向、すなわち「舞台と観客との間の新しい関係をつくることを求め、また俳優から観客への思想と行動の往復運動の可能性(=コミュニケーション)」を追求する姿勢が見て取れる。言い換えれば、芸術的な表現行為そのものは、自己(「同」)の拡張であるが、パフォーマティヴな実践が目指しているのは、それを越えた「他」との対面である、ともいえるだろう。

 ただ、アヴァンギャルドの潮流とシチュアシオニストの活動の間に本質的な連続性があるにしても、その間には大きな違いが横たわっていることも事実だ。

 まず、シチュアシオニストの活動の舞台は、都市空間であり、日常生活の中であって、はなから美術館や画廊、劇場というスペクタクル装置とはあまり縁がなかったし、むしろ(とくに初期には)演技者と観客への分離の解体を誘発するような舞台そのものを構築することに関心を持ち、逆に「非ー介入」の関係を強化、再生産する体制側の都市計画については厳しく批判し続けていた。

 そして(こちらの方が重要だが)シチュアシオニストにとってはあくまでも無形である(演者と観客への分離が解消した)「状況」の構築が最大の関心事であり、「作品」の制作を目的としていなかった。もっともアヴァンギャルドたちが「作品」を目的に活動していたのかどうかは綿密な検討を要するが、結果的には彼らの試みたパフォーマティヴな実践の可能性は、作品=商品(美術市場)の中に回収されてしまったことは確かだ。
 パフォーマンスが惹起する異化効果は、激しい感情的反応を引き起こし、システムを根本的に問い直す力を秘めている(粉川氏によると「人間と物とを疎外からつかのま解放する」)ために、体制にとっていかがわしいものであり危険でもあったが、それは結局、作品ないしは前衛アーティストとしての名前に特別なバリュー(差異)を付加する一エピソードとして解釈しなおされ、気を抜かれていったわけである。
 基本的に戦後の前衛芸術は、体制によるこうした懐柔=回収の平面の上を推移し、現在に至っている。パイオニアの称号を戦前の大家に持って行かれてしまったシュルレアリスム以降のアーティストたちは、「ピカソやデュシャンにもうすべてやり尽くされてしまった」とボヤきながら、シケモクを探して灰皿をかき回す人のように、あるいは血眼で川底を漁る砂金採りのように、自分の作品に付加価値を加味する「差異」を必死に探すのである。アーティストは自分の生まれ育った条件、嗜好や経験などあらゆるものから特異な価値を搾り出すとともに、パフォーマティヴな実践に活路を求める。それによって掴みとった「偶然性」や「他性」がアーティストの作品を差異化し商品価値を高めてくれるからだ。しかし、こうなってくるとパフォーマンスは、企業の企画会議におけるブレインストーミングと全く同じ意義を持つものとなり、戦前のアヴァンギャルドが意図した疎外=スペクタクルの解体(脱構築)という課題から大きく脱線し、差異化によってドライブする資本主義の点火プラグのようなものに成り下がってしまうのだ。

 ま、てなことはともかく、シチュアシオニストが「作品」をではなく、「状況」の構築を指向していたということは、(演者と観客への分離が解消した)パフォーマティヴな瞬間そのものを作り出すこと、すなわち「他」と対面すること自体が目的であり、前衛芸術のように手段としてそれを求めていたわけではないということである。アンドレ・ブルトンはかつて芸術(シュルレアリスム)について「芸術においては、生命の危険を冒さずには、いかなる偉大な探検も企てえない、また芸術家は誰しも、たった一人で金羊毛を探しに再び出かけねばならない」と語っていた。確かにその通りだと思うが、ブルトンの言う探検は、やはりどこか金羊毛を捕えて危険な旅から戻ってくることを前提にしている(探検は手段である)ようなニュアンスを感じてしまう。
 レヴィナスは弁証法の「正ー反ー合」の論理を批判していた。すなわち「反」という「他」との対面の契機が、弁証法においては、「正」が展開し「合」に至りつくためのエピソード(手段)に貶められ、したがってヘーゲル弁証法は「同」による「他」の回収、「同」の貫徹=権力の哲学である、ということだった(と思う)。
 いずれにしろ、前衛芸術はパフォーマティヴなものを手段化してしまい、戦前のアヴァンギャルドが意図していた疎外の批判、脱構築という契機を衰滅させてしまった。それに対してシチュアシオニストたちは、よりラディカルに「非ー介入」の原理の脱構築の方向に運動を推し進め、パフォーマンスの持っているポテンシャルを、回収装置と化してゆく前衛芸術の潮流から救いだす転轍機の役割を果たしたのである。「作品」を作ることを自らに禁じ、無形の「状況」の構築のみを指向するシチュアシオニストは、粉川氏の定義に従えば、むしろ純粋な「パフォーマー」以外の何者でもない。
 きっとこのパフォーマーは、企てた探検の中で対面した「他」の影響により、引き続き新たな探検が開始されるので、探検からもどることもなく、したがって何も持ち帰ることなく、ひたすら「他」に出会うことを求め続ける秘境の旅の中に生きることになるだろう。それゆえシチュアシオニストの解する弁証法は、レヴィナスに批判された通俗的なそれとは異なる容貌を見せているだろう。弁証法とは「他」との対面における「驚き」であり、またその(予想を裏切られたことによる)敗北の「苦さ」を味わいながらもう一度立ち上がり歩き始めることだ、ということになるだろう。

 ただ粉川哲夫氏の論考を読んでて気になるのは、その素晴らしい炯眼にもかかわらず、あくまでもパフォーマンスを芸術の枠の中でしか考えていないように見えることだ。粉川氏はギルバート&ジョージやトム・マリオーニといった戦後のパフォーマンス・アーティストを紹介しながら、パフォーマンス が、現代のオーラル文化であり、フォーマルな芸術文化に素材や活力を提供する下部構造的な役割を持つことを指摘したり、人間と物とを疎外からつかのま解放する力をパフォーマンスの中に見いだしたりしているわけだが、それらは結局パフォーマンスが大文字の芸術の手段として役にたったり、芸術という枠の中で効果を発揮しているという実例の紹介でしかない。
 たしか粉川氏は、いち早くイタリアのアウトノミスタの運動を日本に紹介した人だ。アウトノミア運動の特徴の一つは旧来の政治形態に特有の、専門的な政治家、運動家(acters)と受動的な公衆への分離の解消(=自律)にあったはずで、これは紛う方なく疎外の克服を意図したパフォーマティヴな実践だったはずである。なのになぜそちらへの繋がりについては語られず、パフォーマンス・アートなんだろう? パフォーマンスの可能性は、もはや「シケモク・出がらし」でしかないアートの命脈を保たせるためのカンフル剤の役目に縮減されてはならない。すでにシチュアシオニストによって転轍されたレールの延長線上に、68年5月の爆発やアウトノミアなどのパフォーマティヴな民衆の運動が盛り上がっていたはずなのに。。。それともこれは時代の限界だと考えるべきだろうか?(『メディアの牢獄』の出版は1982年、、、30年前!)
 実は僕はパフォーマンス・アートにほとんど親しんでなくて、ギルバート&ジョージもトム・マリオーニも知らないのだが、それが正当なパフォーマンスであったとしてもアートである以上(パフォーマンス・アートにおいてはミニマムに縮減されているとはいえ)、表現者と観客(粉川氏はパフォーマーと立会人と言い替えているが)との分離のスタンス(=芸術の舞台装置)をスタート地点に据えなければならない。その事自体がいけないわけではないだろうが、解体するためにもう一度芸術の手続きを巻き戻して使うような不毛な反復がはたして必要なのだろうか? パフォーマンスの意義を鮮明に描き出している粉川氏が、何でいちいちアートの受動的な観客に立ち戻らなければならないんだろう? 疎外の克服のために芸術の手続き(=舞台装置)が必要ないことは、アウトノミスタのより生活的な抵抗の実践を見れば一目瞭然だと思う。どうも私たちには「観客」になる態度が染み付いてしまっているのか、知識人の中には口ほどにもなく芸術の「観客」になってしまっている人が多いように思うのだ。
 資本主義社会における疎外=スペクタクルの解体(脱構築)を実践するということは、自ら「生きる者(livers)」(=すべての人がみな行なう人)であろうとすることを意味する。「生きる者(livers)」であろうとすることが、シチュアシオニストに専門的な表現者(=芸術家、acter)であることを放棄させ、距離をとらせている。しかし当然だがそれは同時に自ら受動的な「観客」であることをも拒否させるはずである。まあ、実際には私たちは疎外=スペクタクルにどっぷり浸かって生きているわけだから、拒否しきれるはずもないし、面白い芸術に出会う可能性もないわけじゃないだろうが、芸術を鑑賞することに一抹の不快感や憤りという斥力を感じずにはいられない、というのが「生きる者(livers)」の生理だと私は思っている。
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