泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

Category: アート・建築・デザイン   Tags: 思想  芸術  岡本太郎  

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岡本太郎は芸術の終わりなき脱構築の実践者である その2

 岡本太郎はアンドレ・マルローとの対談の中でこんな発言をしている。

 「だけど、芸術家が、もし真に”自由”であるなら、なにも無理して絵を描く必要もないんじゃありませんか。」
 「それにしても、なぜ芸術家が商品をつくらなければならないのか。それが現代の一番の問題だとおもいますよ。」
 「芸術家にとっては、自分の死後、自分の作品が残るのこらないはどうでもいいことじゃありませんか。むしろ残さないという意志も芸術家にはあるのですよ。芸術が残っていてどういう意味があるのだろう。作者がそのとき、現時点においてつくったということが絶対の時間、瞬間なのであって、 作品が残る残らないは、作者が考えるべきことではないと思う。」


 芸術作品の価値を擁護するマルローに対して、岡本太郎は作品的に「無」であることの意義を執拗に主張し、噛み付いている。岡本太郎のイメージは、一般的にはストレートにポジティヴな芸術の礼賛者であり、非常に生産的な芸術家だと思われているのではないかと思うが、意外なことに作品的には「無」であることを意識的に選択したシチュアシオニストのような発言をしているのである。(とくに『曼荼羅頌』というエッセイでは、太郎の芸術に対する距離感がまざまざと表明されている)また逆に、そんなこというなら何で岡本太郎は絵や彫刻をせっせと作ってたわけ? という疑問も出てくるかもしれない。

 芸術家の両親を持ち、本場フランスで自分を磨こうとしていた岡本太郎にとって芸術は彼の全てであったはずであり、だからこそその意味についても悩んでいた。前衛芸術の仲間たちや知識人たちと交わり、触発され、前述のパリの暗い映画館での決意──安全な道と危険な道の岐路に立たされた場合、危険な道を選ぶ──に至るのだが、おそらくそのとき太郎は自分が「芸術」といかに関わるかについて一定の解を得たのではないかと思う。
 そのとき岡本太郎はスペクタクル化装置としての「芸術」──成功と失敗、作品につけられた値段の序列が織り成す、ブルジョワジー(資本)によってアレンジされ始めた価値の空間──の外部にはっきりと立ったのだ。危険な道を選ぶのであれば、成功や喝采は(ましてや金は)追求すべきものではないだろうし、あえて失敗することを望むかもしれない。それどころか「作品」を作らないことすら意志することもありうるだろう。この地点において太郎は「芸術」を自分から突き放すことに成功し、以降「芸術=作品」は、彼にとって自ら「危険な道」を歩むための手段としてのみ是認されるものになったのではないかと私は想像する。
 つまりこの危険な道を選ぶという岡本太郎の実践は、同時に「芸術」(のスペクタクル)の解体(=脱構築)の一面を持っているということだ。これはシチュアシオニストの「状況の構築」の実践が、同時に芸術の脱構築でもあることとまったく同じである。ということはシチュアシオニストにとって「状況の構築」に奉仕する作品は「転用」と呼ばれたように、岡本太郎の「芸術」は、実は「芸術」の「転用」──スペクタクル化した「芸術」の、「危険な道」を歩むための手段への「転用」なのである。こんなことは誰も言ったことがないかもしれないが、有名な太郎の絵画「森の掟」や「明日の神話」は「転用」絵画である。ドゥボールの映画が「転用」映画であるように、「太陽の塔」は「転用」モニュメントであって、「芸術」ではないのである。もちろん岡本太郎は「転用」という言葉を用いず、あくまでも「芸術」という言葉で自分の活動を表現しようとしていた。それで彼は「芸術」という言葉の定義のほうを変えて、「芸術ではない」芸術(太郎の言葉を借りれば「絵でない絵」)という言い方をしなければならなかったのだ。

 近頃、アンチ資本主義的な文化的アクティヴィズムのなかで岡本太郎が最評価されている。芸術の商品化が問題になったのは今に始まったことではない。が、金融資本主義のカネ余りの投資先としての「芸術(アート)」がクローズアップされているなんていう悲惨な時代において、芸術の無償性を主張し続けていた太郎を評価する理由は痛いほどよくわかる。
 繰り返すがそのような岡本太郎の理解は間違いではない。しかしそこから浮かび上がってくる太郎のイメージには、どうも気の抜けた炭酸飲料を飲まされているような甘ったるい物足りなさを感じてならないのだ。岡本太郎には一筋縄ではいかない、容易に舌が受け付けられぬ「苦さ」があって、そういう苦味がどこかに飛んでしまっているのだ。この飛んでしまった部分とは、「芸術」への斥力であり、「芸術」を「脱構築」しようとすればほとんど生理的に生じてくる「芸術」への距離感である。
 それはシチュアシオニストの理解に関しても言える。シチュアシオニストを反体制的パフォーマンス・アート集団であるかのようにみなして、例えばフルクサスなんかと並べて論じたりしているのを目にするのだが、これもまったく同様の取り違えに基づくものだ。シチュアシオニストが運動の内外に対して結構なビター風味だったのは御存知の通りで、「状況の構築=芸術の脱構築」という運動の方針を理解しない者には、内部からは除名という形で、外部に対しては類似の文化的アクティヴィズム(プロヴォやパンクなど)への批判という形で、厳しく対処していた。
 一般に反資本主義の文化的アクティヴィズムは「芸術」との関係ではオプティミカルであり、運動の手段として「芸術」をポジティヴに活用している。定式化すれば「運動+芸術(アート)」という形になるだろう。一方、岡本太郎やシチュアシオニストは「芸術」への絶望──「芸術」そのものがスペクタクル化の装置になってしまっていることへの絶望──からスタートしていて、「芸術」から距離を取ろうとするネガティヴな「脱構築」のベクトルに貫かれている。このような差異はたぶんスペクタクルという概念の理解の差異に関わっていると思われる。木下誠氏によると

「スペクタクル」とは、単に権力やマスメディアが大衆に与える政治的-社会的イヴェントとしての「見せ物(スペクタクル)」とか、スターや人気商品を情報や広告・宣伝を大量に用いてこの社会での生き方のモデルとして提示する「イメージの大量伝播技術」といった狭い意味に限られたものではない。「スペクタクル」とは、政治や経済、生産や消費から個人の生活や趣味、人間関係に至るまで、すべてのものを動かす仕組みとして、「表象」に支配された「近代」社会を根底的に支える本質的構成原理である。


 ……ということで、スペクタクルの原理は資本主義社会の上に「イメージの大量伝播技術」として覆い被さっているようなものではなく、想像以上に私たちの生活の奥深くまで食い込み、ほとんど資本主義そのものの謂となっているのである。そこから、岡本太郎やシチュアシオニストは「スペクタクル化装置となってしまった芸術はもはや資本主義批判に使えない」という絶望的な認識を引き出しているのである。つまり彼らにとっては「運動+芸術(アート)」という定式はナンセンスであり、「運動=芸術の脱構築」という定式にとって変えられねばならない。そしてもしこの定式の中に「作品」が入り込むとすれば、それは「転用」作品なのであり、「芸術」ではない。しかしその差を見抜けるのは、「スペクタクル」という概念の深い意味をを見抜ける、前述の「目利き」だけでなのだ。

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岡本太郎は芸術の終わりなき脱構築の実践者である その1

 岡本太郎が亡くなってもう20年近くになるだろうか。彼の活動はいろいろな面から検証されている。前衛芸術家としての、フランス仕込みの思想家、著述家としての、また人類学、民族学者としての、そして人間としての岡本太郎。どんな面においても、彼の活動から面白い問題を提起できるだろう。が、私はもうひとつ、シチュアシオニストとしての岡本太郎という一面を浮き彫りにしたいと思う。
 もちろん実際には岡本太郎とシチュアシオニストの間に接点はない。そのうえ一般に「芸術家」としてカテゴライズされ、生涯エネルギッシュに芸術作品を創り続けた太郎と、スペクタクル化した「芸術」を徹底的に批判し、「作品」の製作そのものを戒めていたシチュアシオニストとの間には、対立点こそあれ、共通点など見出すことができないようにも思える。
 が、岡本太郎の言明によ~く耳を傾ければ、彼が常にシチュアシオニスト同様の芸術の「脱構築」の実践者であったことがわかるはずだ。太郎を好意的に解釈する人でも、この点に注目した例は私の知るところほとんどいない。岡本太郎がたんなるエキセントリックな爆発親父として解釈されて終わりになってしまわないように、私は彼の突出した活動を今日のアクティヴィズムの平面に着地させたいとずっと思ってきた。この論考もまたその試みである。

 シチュアシオニストは左翼の社会運動であるが、その特徴を一口で言えば「スペクタクル社会の批判とその乗り越え」ということになるだろう。スペクタクル社会とは、社会において少数の特権的でアクティヴな情報の発信者と受動的な観客への分離が生じ、権力が大多数の大衆に(主として視覚的テクノロジーを駆使して)社会への不介入を刷り込み、生を剥奪するという支配の構造のことである。シチュアシオニストの活動のスキームはその前身であるシュルレアリスム同様、芸術と政治の統合にあったが、その運動は「芸術」の枠組みそのものが、生や運動をスペクタクル化する働きにフォーカスし、シュルレアリスムも根本からそうした「作品」中心主義的なスペクタクルの原理に汚されていることを厳しく批判するところから立ち上がってきている。そうしたシュルレアリスムの轍を踏まぬよう、シチュアシオニストのスペクタクル批判は、同時に「芸術」から距離をとる=「芸術の脱構築」の面を必然的に持っていた。そのため彼らは運動の内外に対して、自分たちの運動が「芸術」運動と混同されないように注意を払っていた。シチュアシオニストに狭量な印象を与えている「除名」の厳しさはこの点に由来している。
 が、実際にはシチュアシオニストのメンバーも多くの「作品」を作っている。ドゥボールの映画、ヨルンの絵画、ベルンシュタインの小説などがそうだが、それらはあくまで社会状況への介入に奉仕するための手段である限り認められる「転用」作品だった。つまりスペクタクル化装置となった「芸術」を「転用=最領有」するものとしてのみ「作品」は認められたのであり、あくまでもシチュアシオニストの活動の重心は「状況の構築」という介入の実践にあった。

 ところで岡本太郎であるが、ご存知「芸術は爆発だ!」など、常々「芸術」について語り、病に倒れる直前まで絵画や彫刻の「作品」を作り続けていたわけで、文字通り「芸術家」だったと言って差し支えないように見える。しかし太郎はパリで抽象絵画を描いていた頃から「芸術」と距離をとろうとするような発言や行動をしていることに注目したい。
 パリで岡本太郎が参加していた「アブストラクシオン・クレアシオン」という抽象絵画の国際グループの画集に若き日の太郎の言葉が載っている。私の記憶に間違いがなければそれは「……まさに形でない形、色でない色を求めるべきだ。」というものだ。他では「絵でない絵」という言い方をよくしているが、いずれにしろ少々謎めいた言葉だ。
 これは「絵(=売ることを目的とした商品としての絵)ではない絵」、つまり太郎もよく言っている「無償の」絵を描くべきだという、芸術の無償性についての言明だと一般的には捉えられているし、私もそう思ってきた。この理解自体間違いではないと思うが、もうひとつの重要な論点が潜んでいる、というか、色々な著作や発言を検討してみれば、これは「芸術の脱構築」についての言明ではないかと思うのだ。それはほとんどシチュアシオニスト的な問題意識と重なっているのだが、ここをしっかり見抜けるのはかなりの「目利き」だけだ、と言っておきたい。

 岡本太郎はパリ時代、絵を描くことの意味にずいぶん深く悩んでいだ。ソルボンヌで哲学や民族学に打ち込み、一時は絵を描くことをやめてしまった、とも言っている。人に好かれるような(売り物としての)絵を描くなんて卑しい、しかし、では何を描くべきなのか? 岡本太郎は、戦後より明確になってくる前衛芸術の商品としての回収に、戦前の段階ですでに敏感に反応し嫌悪を抱いていたのだ。
 描くことの意味はシュルレアリストやバタイユのグループとの付き合いの中で追求されていった。そうした追求の結果であろう、自伝の中で岡本太郎はパリでのこんなエピソードを書いている。「ある日、真っ暗な映画館の中で自問自答していた。自分の目の前には2つの道があり、一方は安全な道、もう一方は危険な道である。人間は瞬間瞬間にこの2つの道の岐路に立たされている。暗闇の中で私は決意した。そうした岐路に立たされたとき、必ず危険な道を選択することを……。」
 このとき以来太郎はこの決意を貫き通しているという。これは芸術上の信念ということではなく、日常の生活のあらゆる面で、恋愛とか、45歳になってから始めたスキーの中にも貫かれている決意だと語っている。あまりにシンプルな言葉で表現された「思想」であるが、ここからはいろいろな問題が展開できる。

 「危険」を選択するという思想が意味することは、まず、「安全」な道という「維持」「獲得」「蓄積」などのタームに親和性を持つ自己保存の原理に対して、自分の存在を実験に供する「贈与」の意味を持っている。究極の「贈与」は自己の死ということになってしまうので、「可能な限り」という但し書きがつくはずであるが。また、「獲得」を放棄するということは「力(権力・権威・経済力など)」を求めず、むしろ「無力」であることをすら求めるという意志がこの選択の中には含まれている。太郎は「人生は積み重ねではなく、積み減らしだ」と言っているが、この意味で理解すべきだろう。もちろん、生とはそもそも「力」であり、究極の「無力」は自己の死を意味する以上、実際には、太郎の決意は「無力」を意志する「力」でありたい、ということにほかならない。
 また他者論の観点からも見ることもできる。岡本太郎自身は「他者」という言葉は使っていないが、よく「運命」という言い方をしている。生まれた時からわれわれに襲いかかってくる「運命」とはすなわち「自己」にあらざる「他者」以外の何物ではない。この「運命」を「愛する人を迎え入れるように」受け止めると太郎は言っている。いわゆる「歓待」の哲学であるが、「必ず危険な道を選択する」という彼の決意からは歓待などという生易しいものではなく、徹底的に他者によって自己を踏みつけ、蹂躙させることによってしか自己を維持できない、と言っているような印象すら受ける。
 このような極端な受動性の哲学はすでにシュルレアリスムの中に現れ始めていた(オートマティスムは受動性を極限化する方法である)が、それをより純化して極限的な哲学に作り替えている、という意味では岡本太郎とシチュアシオニストは共通している。例えばシチュアシオニストの「状況の構築」はメンバーたちの実験的、贈与的(シチュアシオニストの前身のレトリスト・インターナショナルの機関紙の名前は『ポトラッチ』だった)な都市空間への介入という方法をとっているが、それは介入することでつくり出した状況に自分自身が巻き込まれるという受動性に付きまとわれてもいるのだ。
 シチュアシオニストの「状況の構築」は、権力や権力に同調する建築家が、神の如き俯瞰的地点から都市を改良しようとする垂直的、戦略的(ド・セルトー)な「都市計画」と真っ向から対立するものであった。逆に「状況の構築」における介入は、「無力=受動的」であり、水平的かつ他者と対面的であることを方法的に選択している。ド・セルトーは「戦術」という言葉を「民衆(弱者・無力な者)のもののやり方」であると定義したが、シチュアシオニストの活動は明らかに「戦術」的である。これは岡本太郎の活動にもそのまま当てはまるだろう。
 両者の活動がシュルレアリスムの批判的乗り越えという面を共有するなら、こうした類似は合点の行くことである。そして当然ながら岡本太郎とシチュアシオニストの「芸術」に対するスタンスも、(一見共通点などないように見えて)実によく似ているのである。(つづく)

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人間全体のために



▼「人間全体のために / PRAY FOR ALL HUMAN BEING」
[語り] 岡本太郎
[音楽] Ketil Bjornstad & David Darling
[編集] イルコモンズ

確定申告や免許更新のため大地震の直後に帰国。ガキのために色々買い物をして、放射能を不安に思いつつ、母親をひとり残して、まもなくタイへ戻る。

それにしても数年前のバンダアチェの恐怖を日本人が味わうことになるとは思わかった。しかも放射能のおまけ付きで。ただのおまけで終わればいいけど。

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前衛の道

 日本の近代美術が一番盛り上がったのは、戦後の50〜60年代だと思う。学校の美術の教科書にはたいてい、黒田清輝とか青木繁あたりから始まって、輸入されたフォビズムやキュビズムの大家たち(梅原某とか東郷某などの)のカビ臭い、ブルジョワチックな絵画が日本の近代美術の系譜を形作っているように書いてあったものだ。最近の教科書は知らないが、多分まったく紹介されていないであろう、「読売アンデパンダン展」の若き前衛たちの時代、「ネオダダイズムオルガナイザーズ」、「ハイレッドセンター」などの活躍した時代こそ日本の近代美術の絶頂期だったと思うのだ。もう戦前からのカビ臭い流れとは断絶した、地に足の着いた若いエネルギーの爆発、、、としか言いようのないガチャガチャした雰囲気が私は大好きだ。私はあの時代に青春を送るべきではなかったのか、とよく思う。現在のようにポストモダンチックで、威圧的なほど清潔なビルが立ち並び、ディズニーランドのようにあらゆるものの表面を何かで塗りこめられたような都市空間で芸術することは不幸なのではないか? あの時代の痛快極まりない記録を見たり読んだりすると、そんなことを思ってしまう。、、、もちろん冷え冷えとした現在のポストモダン空間を人間臭い彩りの舞台へと変えてしまうことだってできるはずだ。いやそうすべきなのだ。おそらく前衛芸術とはまた断絶した形で、、、
 ところでこの時代、後に出世してゆく、いろいろ面白い人たちも出ている。荒川修作、赤瀬川源平、中西夏之、などなど。で、私は今、会社の休み時間なんかを利用して、こんなものをボチボチ読んだりしている。
 岡本太郎もかっているというこの篠原有司男という人は、まさにこのガチャガチャとした時代の象徴のような存在なのだろうと思う。ああ、私にもこんなハチャメチャさがあったなら、、、といつも思うのだ。今では70過ぎの老人のはずだがこの若々しさは驚異だろう。だが、キャラクターの面白さにもかかわらず、私はこの人の作品を一度も面白いと思ったことがない。いつまでも前衛芸術していることは退屈じゃないのだろうか。もういいかげん芸術にこだわらなくていいのじゃないか、、、単純にそう思う。

 (篠原の初めての個展での岡本太郎とのやりとりがほほえましい。それにしても岡本太郎が、当時の若い前衛たちの面倒をまめまめしく見ていたというのは意外でもあり、ちょっと心に沁みるものがある。ハイレッドセンターの展覧会にも一番に駆けつけテープカットを行っているし、荒川修作は母親のように気遣ってくれたというエピソードを紹介している。日本の前衛はみな太郎の子供たちなのだ。)

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TAROの訣別

 岡本太郎はパリに遊学中のある日、シュルレアリストのマックス・エルンストにある集会に誘われた。第二次世界大戦前夜、1936年のことである。
 ファシズム、スターリニズムなどの全体主義がヨーロッパに広がったこの頃、全体主義の非人間性に対抗するために『コントル・アタック(反撃)』という組織が企てられ、シュルレアリストとジョルジュ・バタイユのグループが長年の対立を解いて手を結ぼうとしていた。太郎が誘われたのはこの『コントル・アタック』という集会だった。そこで彼は初めてジョルジュ・バタイユを知り、この集会がその後の交流のきっかけになった。
 太郎はバタイユやロジェ・カイヨワたちが中心になって進めていた『神聖社会学研究会』のオブザーバーとして名を連ね、ニーチェ読解や悲劇の研究を彼らとともに行った。(日本人である太郎に彼らは、日本の悲劇についての報告を求め、「能」の悲劇について太郎は研究会で発表している。)
 また『社会学研究会』は裏の顔として秘密結社『無頭人(アセファル)』を持ち、夜の森の中で宗教的な(動物の殺害=生け贄の)儀式を執り行っていたという。
 しかし研究会の活動にのめり込んでいた岡本太郎は、やがてメンバーたちの考えと大きなズレを抱くようになる。太郎は自伝でこう語っている。

 『……だがやがて私は何ともいえぬ矛盾を感じはじめた。純粋で精神的なこれらの運動にしても、結局のところそれは「権力の意志」だ。しかし、ひたすら権力意志をつらぬこうとする彼らのあり方に、私はどうしても調整できないズレを感じるのだ。もっと人間的な存在のスジがあるのではないか。
 自分の意志を他に押しつけ、実現させようと挑む。と同時に、同じ強烈さで、認めさせたくないという意志が、私には働くのだ。これは幼い頃からいつでも心の奥に感じていたことだったが、いまはっきりと自覚された。理解され、承認されるということは他の中に解消してしまうことであり、つまり私、本来の存在がなくなってしまうことだからだ。
 認めさせたい、と同時に認めさせたくない、させないという意志。それが本当の人間存在の弁証法ではないのか。
 私はその疑問を率直に手紙に書いて、バタイユにぶつけ、運動への訣別を告げたのだ。この手紙はバタイユを逆に感動させ、その後も互いの友情は続いた。』(『自伝抄』)


 僕は10代の頃この文章を読んで、岡本太郎がすごい人だというのはよくわかったが、このとき太郎が何にズレを感じてバタイユらの運動に訣別を告げなければならなかったのかは、いまのいままでピンとこなかった。
 バタイユ研究の酒井健氏は、そのあたりの事情をこう解釈している。

 『ニーチェの「権力への意志」説はナチスがそのヨーロッパ制覇の政治理念に利用していただけに、バタイユはことのほかこれを憎悪していた。だが彼の批判意識はいまだ甘かったと言える。<無頭人>の頭領などあってはならぬ矛盾なのだ。彼は頭領として自分の宗教観を、様々な禁止事項、制度、プログラムを通して、同志たちに課していた。バタイユが宗教の原基として見ていた聖なるものは、根本的に、このような個体の支配欲とは背馳する非個体的な何ものかのことである。バタイユはそのことを知っていたはずだ。「通約不可能なもの」「まったく他なるもの」と言って、聖なるものの非個体性を強調していたのだから。岡本の批判、そして岡本をはじめ次々と続いた同志たちの離反は、バタイユに聖なるものの原点へ、あの深夜の夜の森の神秘性そのものへ、帰るように促したと言える。』(『夜の遺言』)


 ようするに岡本太郎がここで拒否しているのは、上ー下の権力関係ということになるだろう。<無頭人>は、頓挫した「コントル・アタック」の課題を引き継ぐかたちで、全体主義への人間の統合/隷属に対抗する、人間の「聖性(祝祭性)」を追求する実践であったはずだが、それがファシズムやスターリニズムなどと同様の位階的権力による支配/服従、上からの管理、操作を受ける、または自らが上に立って自分の意志を下に押しつける、という上ー下の関係によって追求されるのはおかしいのではないか………太郎が感じたのはこの矛盾であるように思える。
 つまり、「認めさせたい、と同時に認めさせたくない、させないという意志」とは、権力関係……他者を支配したり、支配されたりする関係の拒否だろう。したがってその意志は権力という意味では徹底的に無力であるとともに、上ー下のではなく、横の関係……すなわち「交流」を要請するはずだ。
 実際、太郎が日本に帰国後、花田清輝や安部公房らと組織した芸術運動「夜の会」において追求されたのは、そのような横の「交流」関係であった。

『われわれアバンギャルド芸術家は、相互の無慈悲な対立と闘争によってクリエートする。集団の力に頼る甘い考えは毛頭ない。相互の絶対非妥協性こそわれわれの推進力となるものである。』(『夜の会』)


 「夜の会」結成のいいだしっぺは、岡本太郎と花田清輝であったし、彼らがツートップとなって運動をもり立てていたようだが、「夜の会」は岡本の会でも花田の会でもなかった。シュルレアリスムにおけるアンドレ・ブルトンのような、また<無頭人>におけるバタイユのような頭領はなく、位階組織ではまったくなかった。
 「交流」とは、このような横の関係において徹底的に対立し、それぞれが自己主張しながら共存するということでなければならない。……弁証法の教えが、対立こそが事態を前進させるというものであるのなら。おそらく太郎がバタイユに訣別を告げたとき決意したのは、権力としては限りなく無力に、そして「交流」は限りなく激しくあるべきだ、ということだったのではないか。そしてこれが岡本太郎の「爆発」の正体だったのではないだろうか。
 そして対立は、お互いの存在を認めないということを意味しない。太郎とバタイユの友情はその後も続いた、と本人も語っている通りである。多様性を認めるということは、このような横の「交流」関係を築くことなのである。そもそも上ー下の関係をとることは、単一の価値(権力)によって貫かれることに他ならないからだ。
 余談だが、<無頭人>は、第二次世界大戦の勃発とともにバラバラに寸断された。ドイツ軍がパリに入る数日前には、元のメンバーはバタイユと太郎の二人しか残っていなかった。太郎は日本への帰国を決意し、別れを告げにパリの国立図書館へバタイユを訪ねた。

 
『………最後の一人である私が帰国することをつげると、かれはグッと両手を握りしめ、前につき出し、天井の一角をにらみつけた。
 「こんなことで、決して挫折させられはしない。いまに見給え。再びわれわれの意志は結集され、情熱のボイラーは爆発するだろう。」
 孤独な彼の両眼は血の色をしていた。』(『わが友……ジョルジュ・バタイユ』)


 ………両手を握りしめ、前につき出し、天井をにらみつける図書館の司書の姿はちょっとコミカルですらあるが、バタイユはこういう熱い人だったようだ。

 ところで、杉村昌昭という人が、ガタリの社会論にひっかけて「分裂共生」という言葉を出しているのを本で読んだ。おそらく個々が自己の欲望を解放し多方向に特異性を追求しつつ、共存しようということだと思うが、たぶん岡本太郎が考えていたことも、それとは遠くないと思う。僕たちが多様な人間のあり方を肯定するなら、きっとこのような横の「交流」関係においてなされるはずだし、たぶんそのような「交流」の中からしか新しい社会のかたちや制度も構想し得ないのではないかと、僕はいまぼんやりと考えている。

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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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