泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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スラム/戦術/ブリコラージュ、そして平滑空間

 廃墟の建設者たちへの意見。都市計画家たちの跡を継ぐのは、スラム街とバラックに住む最後の穴居人たちだろう。ベッドタウンの特権者たちは、壊すことしかできないのに対して、彼らは建築するすべを知っている。そのような出会いに多くを期待しなければならない。そのような出会いが革命を規定するのだから。

ラウル・ヴァネーゲム『都市計画に反対する論評』



 折りたたみ自転車でガキを学校に送り迎えしていた頃のことだ。学校を出てちょっと行ったところにある雑貨屋で、タイといえばでおなじみの氷入りのビニール袋に入れたペプシコーラを買って飲むのがガキの日課になっていた。ある日、毎日大通りを走ってくる私たちに、雑貨屋の親父が「日本人学校ならここから行けるんだよ」と小さな運河に掛かった鉄製の橋を指差した。かろうじてバイクが渡れるかというほどの小さな橋だった。翌日の朝、ガキがその橋を渡って学校に行きたいというので、コースを変えてみた。橋を渡ると家と家の間をコンクリートで舗装した細い道が右に曲がり左に曲がり、ときには住民の生活空間の中を横切り、まるで迷路のように続いていた。犬の糞が落ちていたり、少々かび臭い生活臭がそこここに漂っている。いつ学校にたどりつけるのかと思い始めた頃、スクールバスの出入りする学校の裏手のソイに出ることができた。

 たぶんここはかつてスラムだったんだろう。バンコクの場合、スラムは縦横に走る河川や運河沿いの人気のない遊休地である湿地帯にできることが多い。有名なクロントゥーイ・スラムもチャオプラヤー川の港近くの湿地に生まれたものだ。もっとも経済の発展著しいバンコクのこと、絵に描いたようなスラム街は現在どれだけあるんだろう? フィリピンの関係者がクロントゥーイを訪れて、その豊かさに「ここはスラムじゃない!」と語ったという名誉な話を何かで読んだのは、もう20年近く前のことだ。トタンやベニヤ板を貼付けただけの住居、湿地の上に杭を打った渡り板の通路が粗末に伸び、ゴミや食いカスがあちこち散らばった最悪の生活環境、、、伝染病や薬物中毒、犯罪の温床などといわれたかつてのスラムの光景は徐々に影を潜め、社会運動や政府の貧困対策の成果でもあるのだろうが、現在ずいぶん浄化されてきている。バラックはちゃんとした家に建て替えられ、通路や地面はコンクリートで舗装された(もちろん貧困や格差そのものが消滅したわけではない)。ガキと通った迷路のような道は、無計画に増殖してきたスラムの生活環境の名残だろうと思う。薄暗い迷路感覚が面白いのか、その後何度かガキに運河沿いの道を行くことをせがまれた。

 いつの頃からだろう。私はスラムの写真を見るのが好きで、粗末な住居の姿に妙なときめきを感じてきた(例えば)。私自身はどちらかと言えば貧しい家に生まれたが、日本という成功した先進国で育ったからなのか、貧困にエキゾチックな魅惑を感じていた面はある(最近はもっぱら貧困の恐ろしい一面に震え上がっているが)。すべてを剥奪された素っ裸の生活。迂闊によそ者が入り込めないようなアングラで濃密な人間関係の予感、、、モノこそ溢れかえっているが、リベラルと背中合わせの無関心ゆえコミュニティが希薄化し、どこか寒々とした日本の生活にはない何かがある。
 しかしよく考えてみるともう一つ、粗末なスラムの住居が持っている造形的な面白さも、スラムに惹かれる理由として無視できない。ジャンクアート、というかダダやキュビズムなど戦前のアヴァンギャルド時代のアート、、、パピエ・コレとか、シュビッタースの絵画の表情を彷彿とさせるものがある。いや、むしろ標本の昆虫のように、美術館に収納されてしまったアートなんかより、スラムの建築物の表情は遥かに生々しく感動的だ。現在、私たちの周りはほぼすべて近代建築によって埋め尽くされた。無機的、抽象的、機能的な形態によって構成された建築物、、、さらにその上に退廃的なポストモダンの意匠が成金趣味の腐臭を放ちながら覆い被さっている。そんな中に(現実のあるいは幻像としての)スラムの住居だけが独特の妖しい存在感を発しているのだ。




以上は、バンコクじゃなくてマニラの写真(こちらからお借りしました)

 いや、誤解なきよう言っておくが、私自身がこういうスラムの住居のような造形物や建築を作りたいとか、スラムに住みたいとか(正直ちょっと住みたいのだが)、新しい建築はかくあるべきだとか言いたいわけではない。ただ、この粗末な住居の生々しい表情が、私の身体の中の何かと共振しているのだ。その共振が何であるのか、私はずっと心の片隅で考え続けてきたのだが、以下の小田亮氏の文章を読んでちょっと視界が開けたような気がした。

 、、、ド・セルトーは、民衆文化というものをエリート文化とは画然と区分されたものとして実体化・固定化するとらえかたを批判して、民衆の実践による文化を「日常的なふつうのやりかた」ととらえ、その独自性は、支配的な秩序・体制が生産したものを日常のなかで用いる際の、「独特のやりかた」に求めている。そして、その独特のやりかたを、支配的な秩序における「戦略」と区別して、「戦術」とよんでいる。ド・セルトーが「戦術」と区別している「戦略」とは、意志と権力の主体が周囲の環境から身をひきはなしてはじめて可能となるような力関係の計算や操作のことで、そこに前提されるのは、目標の相手に対するさまざまな関係を管理できるように境界づけられた「固有の場所」である。自分に固有の場を与える「空間の分割は、ある一定の場所からの一望監視という実践を可能にし、そこから投げかける視線は、自分と異質な諸力を観察し、測定し、コントロールし、したがって自分の視界のなかに『おさめ』うる対象に変えることができる」[ド・セルトー 1987:100]。つまり、この「固有の場所」とは、対話や身体的相互性による自己再帰的な諸関係から切り離されたアルキメデスの点であり、科学知を可能にすると同時に、他者との関係に左右されない自律性をもつ近代の啓蒙主義的な主体がよってたつ仮構の場所にほかならない。それに対して、「戦術」とは、全体を見通すことのできるような境界づけられた自分の固有の場所があるわけでもないのに、なんとか計算をはかることである。それは、「自分にとって疎遠な力が決定した法によって編成された土地、他から押しつけられた土地でなんとかやっていかざるをえない」[ド・セルトー 1987:102]。この「戦術」という概念は、「所有者の権力の監視のもとにおかれながら、なにかの情況が隙をあたえてくれたら、ここぞとばかり、すかさず利用する」という、固有の場所をもたないがゆえに融通の利く、臨機応変の実践を指している。

 ド・セルトーのいう、日常的なもののやりかたとしての「戦術」は、普通の人びとがすでに支配的な秩序に包摂され、ことばもモノも自分たちではなく他者が生産したものを使用するしかない状況で「なんとかやっていく」ために日常的に実践している「わざ」を指していた。ド・セルトーは、その「わざ」を「ブリコラージュ」というレヴィ=ストロースの用語でもいいかえている。レヴィ=ストロースのいうブリコラージュは、人類の長い歴史のなかの普遍的な思考=知のありかたとしての「野生の思考」による「もののやりかた」を指していた。「ブリコラージュ」とは、限られた持ち合わせの雑多な材料と道具を間に合わせで使って、目下の状況で必要なものを作ることを意味する。それらの材料や道具は、設計図にしたがって計画的に作られたものではなく、たいていは以前の仕事の残りものとか、そのうち何かの役にたつかもしれないと思って取って置いたものや、偶然に与えられたものなど、本来の目的や用途とは無関係に集められたものであるため、ブリコルール(ブリコラージュする人)は、それらの形や素材などのさまざまなレヴェルでの細かい差異を利用して、本来の目的や用途とは別の目的や用途のために流用することになる。

 レヴィ=ストロースは、このようなブリコラージュにおいてはたらいている思考を近代以前からあった具体の科学としての「野生の思考」と呼び、それを「栽培された思考」としての近代の思考と対比している。すなわち、「野生の思考」をブリコルールの仕事にたとえる一方で、近代科学(正確には西洋近代に特殊な思考)をエンジニア(技師)の仕事にたとえてながら、つぎのように言っている。

 ブリコルールは多種多様な仕事をやることができる。しかしながらエンジニアとはちがって、仕事の一つ一つについてその計画に即して考案され購入された材料や器具がなければ手が下せぬというようなことはない。彼の使う資材の世界は閉じている。そして「もちあわせ」、すなわちそのときそのとき限られた道具と材料の集合で何とかするというのがゲームの規則である。しかも、もちあわせの道具や材料は雑多でまとまりがない。なぜなら、「もちあわせ」の内容構成は、目下の計画にも、またいかなる特定の計画にも無関係で、偶然の結果できたものだからである。すなわち、いろいろな機会にストックが更新され増加し、また前にものを作ったり壊したりしたときの残りもので維持されているのである。したがってブリコルールの使うものの集合は、ある一つの計画によって定義されるものではない。……ブリコルール自身の言い方を借りて言い換えるならば、「まだなにかの役に立つ」という原則によって集められ、保存された要素でできている。

 つまり、エンジニアが、全体的な計画としての設計図に即して考案された、機能や用途が一義的に決められている「部品」を用いるのに対して、ブリコルールは、もとの計画から引き剥がされて一義的に決められた機能を失い、「まだなにかの役に立つ」という原則によって集められた「断片」を、そのときどきの状況にあわせて臨機応変に用いるというわけである。(小田亮 「日常的抵抗論」 序章より)



 スラムの住居というのは、専門家ではない貧しい人々が、設計図もなく、(商品化した建築物の建設過程で出てきた)廃材や断片を利用(転用)して、高度な建設機械など一切使用せず、目下の(偶然的な)状況において持ち合わせている力のみを用いて作られたものである。その意味でまさにスラムの住居は「ブリコラージュ」的な産物なのである。つまりそれは、のっぴきならない(住むという)必要が貧しい人々に要請しているものだとはいえ、商品化した建築とはまったく異なった原理で作られているということだ。
 商品建築や国や自治体による都市計画は、俯瞰的な「固有の場所」から、細部まで綿密に練り上げられたプランに従い、機能やコストを考慮に入れた材料を選び、最新の建設機械を使って建設される、明確な目的性を持った、支配的文化による近代的なプロジェクトである。その目的実現の過程において障害になる要因はもっぱら強制的に排除される。こうしたフォーマルな近代建築にとって理想的な建築環境は、のっぺりとした更地であろう。
 一方、スラムは極めて無秩序に作られ、増殖してゆく。その増殖のしかたは、地勢や環境、手に入る材料、近隣のスラムの住人との関係などローカルで偶然の条件に大きく左右される。住人はそうした条件を受け入れ、転用し、臨機応変に住むという目的を実現させてゆく。それが結果的にスラムの迷路のような路地の構成や、パピエ・コレのような建物の外観に結実しているというわけだ。

 いや、もちろん本来スラムなんてものは存在すべきではない。住人だって事情が許せば広くて清潔で空調の効いた快適な住居に住みたいと思っているはずだ。スラムの造形的な美しさなんぞに酔っている場合ではないのである。だからはっきりさせておくと、私が共振を感じているのはスラムそのものではなくて、スラムの形成において行使されている「ブリコラージュ」的な「戦術」への共感であり、近代的な商品建築において行使されている、ド・セルトー言うところの「戦略」への違和感や反発だった、ということになるだろう。宮内康という建築家がこんなことを書いている。

 われわれは、心の中では今日の工業化され、こぎれいにされた住宅や都市空間に対していつもなにか反発とい うか違和感を持っているのではないか。
 アーバニティという言葉がある。都市らしさといった意味の語だが、60年代、CIAMらの 提案にはじまる整然としてこぎれいな近代都市計画や住宅地計画に対して、いわばゴチャゴチャとしてこみいった都市の提案のコンセプトとして生まれたもので ある。スラムやバラック街は、まさにこの反・こぎれいなものそのものである。そこでは都市や建築の構造が物体として文字通り透けて見える。 そのことがわれわれを安心させるのだ。それに対して工業化された都市の中では、都市の構造も建築の構造もその滑らかな装いの中で隠されている。隠されているもの………見えないもの………に対するわれわれの不安がそこでの反発や違和感を生み出してると言えないか。



 この人が感じていたのも、「戦略」への反発であろう。おそらくこの隠されているものというのは、俯瞰的な「戦略」的権力(具体的には資本の権力)の姿ではないかと思う。宮内氏は、こぎれいで無機的な都市空間の表情の中に、「固有の場所」から観察し、測定し、対象化する権力の存在を嗅ぎとっていて、さらには権力に内在している排除や暴力の行使にも気づいていたであろう。整然とした滑らかさの中には、例えば効率性の追求であったり、ある種の規範の押し付け、逸脱行為の忌避のようなもの(すなわち管理)が言外に含まれていて、そうした権力の規範にそぐわぬ人間に居心地の悪さをすら与えている。

 小田亮氏も言っているように「戦略」は大きな「力」をふるえる支配的文化の権力特有の「やりかた」である。逆に「戦術」は無力な者の、「自分にとって疎遠な力が決定した法によって編成された土地、他から押しつけられた土地でなんとかやっていかざるをえない」者の、したがって抵抗する者の「やりかた」だということになるだろう。
 興味深いのは、スラムの住人の実践が、それが経済力のなさや、生きるための必要、住むことへの切実な欲求にドライヴされたもの(つまり選択の余地はないの)だとはいえ、パティキュラーな「顔」の見える関係から出発し、環境条件や近隣の住人と対話的であり、偶然の条件を受け入れていることである。そこには宮内氏が嗅ぎとっていたであろう「戦略」的な建築に見られる暴力性が、「こぎれい」で「滑らかな」表情の中に潜む冷たい権力の表情が希薄である。むしろそこにあるのは偶然性(他性)に対する親和性とでもいったものではなかろうか。
 そう考えると、スラムの建造物が前衛芸術のような相貌を帯びるのは、ダダイズムなどが偶然性を作品に取り込もうと試みていたことを考えると、まあ至極当然のことなのかもしれない。

 しかしスラムのバラック建築の表情ににシンパシーを感じるとはいっても、スラムの住人は必要に迫られてそうした住居を作った(「戦術」を行使した)のであって、例えば民衆による反権力を標榜する社会運動、反資本主義の抵抗運動などの場合、スラムの住人の「やりかた」、すなわちパティキュラーな「顔」の見える関係から出発し、対話的に他者を受け入れてゆくという「やりかた」は、意識的に追求すべきものとなるだろう。
 私自身も反権力の立場にある。だからこそ増殖するスラムに自分の志向する「やりかた」を見て取り、自分の体内に同質的な共振を感じていたということだと思う。

 ところで、小田亮氏は上の文章のあと、下のように続けている。

 ド・セルトーの「戦略」と「戦術」、レヴィ=ストロースの「栽培された思考」と「野生の思考」は、ドゥルーズとガタリのいう、「条里空間」(区画化された空間)における普遍的思考(王道科学)と、「平滑空間」(なめらかな空間)におけるノマド的思考(マイナー科学)という対比と重ね合わせることができる。ドゥルーズとガタリは、二元論的な図式と批判されることを怖れずに、さまざまな対比によってその区別をしている。支配するための秩序である条里空間では、閉鎖空間を区分してそこに直線的かつ固体的事物を配分するのに対して、平滑空間は流体としての事物が開放空間のなかに配分されるモデルである。ドゥルーズとガタリは、平滑空間について、つぎのように述べる。

 平滑空間の等質性は無限に接近する点同士の間にしか存在しないのであり、近傍同士の接合は特定の道筋とは無関係に行なわれる。それはユークリッド的条里空間のように視覚的な空間であるよりも、むしろ触覚的な、つまり手による接触の空間、微細な接触行為の空間なのだ。平滑空間は運河も水路ももたない一つの場、非等質な空間であって、非常に特殊な型の多様体、すなわち非計量的で中心をもたないリゾーム的多様体、空間を「数える」ことなく空間を占める多様体、それを「探険する」には「その上を進んでいく以外にはない」ような多様体に一致するのである。この型の多様体は外部の一点から観察されうるという視覚的条件を満たしていない。

 ドゥルーズとガタリは、条里空間ではある一点から他の一点への道筋が計量されうるとされているが、平滑空間にはそのような点と点を結ぶ道筋を測定することのできる外部の一点(超越的な高みの足場)はないという。条里空間を一望可能で計量可能なものにしているこの外部の一点がド・セルトーのいう「固有の場所」であることは理解しやすいだろう。そして、ドゥルーズとガタリは、このような条里空間と平滑空間の対比を、さらに思考の形式の対比および人との関係性のありかたの対比と重ね合わせて特徴づける。すなわち、条里空間は、王道科学ないし帝国科学を代表とする「普遍的思考」という形式によってとらえられるものであり、平滑空間は、マイナー科学のような種族的でノマド的な思考の形式によってとらえうるものとする。そして、関係性の形式、すなわち人と人とのつながりのありかたでは、条里空間における関係性の配分はツリー状のモデルにしたがう組織であり、平滑空間において配分されるのはリゾーム的な多様体であるという。

 ドゥルーズとガタリのいう条里空間が、ド・セルトーのいう支配的文化の「戦略」に特徴的な「固有の場所からの一望監視を可能にする空間の分割」によってできる空間であることは理解しやすいだろう。そして、ド・セルトーのいう民衆(ふつうの人びと)による「戦術」は、条里空間に閉じ込められた人びとが自分たちの日常生活の空間を部分的に平滑空間へと変容させる実践、つまり平滑空間を身近な空間にひそかに導入する実践ととらえられるだろう。そのようなことが可能なのは、条里空間に閉じ込められながらも、日常的実践において人びとは、平滑空間に対応する思考の形式や人との関係性のつくりかたを保持しているからである。



 な~るほど、面白い。だがこの辺のことは、ド・セルトー、レヴィ=ストロース、ドゥルーズ/ガタリなんかを読んでから何か書けるんじゃないかと思う。ここでは一点だけ過去の反権力的な文化運動について考えて終りにしようと思う。

 シュルレアリスム―シチュアシオニストという文化運動のラインがある。シュルレアリスムは意識的にド・セルトー言うところの「戦術」を追求したパイオニアである。そもそも芸術作品の制作は、小規模ながら「アーティスト」という全体を俯瞰する位置に立つ「権力者」が、素材に対して暴力的に介入するすぐれて「戦略」的行為であるとも解釈できる。メンバーたちがどこまで自覚的であったかはともかく、オートマティスムという方法は、偶然性(他性)に自らを開き、そうすることで作品制作に内在する権力を自殺的に脱臼させようという革新的な「戦術」だった(この方法は「漂流」や「転用」という形でシチュアシオニストにも引き継がれている)。この方法とともに、シュルレアリストの関心が西洋近代の美学を超えて、古代や中世、未開の文化、あるいは深層心理学的な、西洋近代にとっての他者のイメージ向けられていったのは必然であった。
 しかしおそらくシュルレアリストの限界は、権力の脱臼を結局、作品に結晶化したその「痙攣的な美」を制作するための方便(権力の再建)にとどめてしまったところにある。

 シチュアシオニストの活動は、シュルレアリスムの課題を引き継ぎながら、日常生活批判、都市計画批判という形をとった。シチュアシオニストの標的は日常生活の中に侵入している資本主義の権力の批判、すなわち現体制の(「戦略」的な)権力作用を絶対的に肯定するとともに、民衆の(「戦術」的な)創造性を撹乱的に回収しようとするスペクタクルに抗することである。シチュアシオニストの反権力の姿勢がシュルレアリスム以上に徹底していた事実は、シチュアシオニストが個人的な作品を制作することを厳しく戒めていたところに現れている。シュルレアリスムの曖昧さ、すなわちシュルレアリスム(あるいはそれ以降の前衛芸術)の作品がエキセントリックでスペクタキュリーな商品として資本主義を潤すにモノに成り下がってしまっていること、またその過程で芸術商品を生産するタレント=「個人」が、成功者としてクローズアップされている事態を批判するのである。そこでシチュアシオニストは、芸術における「個人」と「作品」の両方のモメントを脱臼させるため、集団的で匿名のアクションによる、無形の「状況」の構築という活動に向かった。それによって、芸術作品制作に内在する(「戦略」的)権力の行使から距離をとるとともに、先の「漂流」「転用」などの方法で、パティキュラーな、お互いの「顔」の見える日常性の中に介入してゆくわけである。その介入はアートを枠づける「アーティスト/観客」の二分法を解体させようとするものだという意味で、対話や身体的相互性による自己再帰的な諸関係を極めて重視するものだといえる。
 したがってシチュアシオニストの活動は、まさしくド・セルトーのいう「日常的なふつうのやりかた」、すなわち「戦術」であり、条里空間に閉じ込められた人びとが自分たちの日常生活の空間を部分的に平滑空間へと変容させる実践、つまり平滑空間を身近な空間にひそかに導入する実践ととらえられるだろう。

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ポストモダン建築のいやらしさ

 私はいわゆるポストモダン建築が嫌いだ。ずいぶん前からそうだった。私はそれを長いこと(ポストモダン建築を含めたところの)モダニズム建築の美観そのものへの反発感なのだと自分で考えてきた。だが、ここ数年でその感覚の中にある断層に気がつき始めた。つまりモダニズム建築とポストモダン建築、それぞれへの私自身の感じ方が違うのである。
 私は建築に関しては、興味があるもののシロウトである。それでもあえて自分の感覚を分析してみたい。私は、モダニズム建築は評価するが、ポストモダン建築は何か許しがたいものに感じる。とりあえずいまは、ポストモダン建築はモダン建築が堕落し、デカダン化したものだと私は見ている。ちょうどルネサンス美術がマニエリスム美術へと移り変わってゆくのを見ているときのようにいや〜な感じがするのである。、、、まあ、それを堕落や頽廃とだけは言い切れない面もあるわけだろうが。
 ポストモダン建築の定義は」建築界でもはっきりしないようだが、一般的にはここに書かれているように、モダン建築の徹底した機能性、合理性の退屈さに対する批判から生まれたと考えられている。つまりは建築における装飾性の復活ということになるようだ。最近作られた新しい(おもにモニュメンタルな)建築物は、ほとんどこのポストモダン様式で作られている。私の住むバンコクでもポストモダン様式の巨大建造物が目につく。会社のすぐ隣にはヨーロッパの宮廷建築の装飾を随所に取り入れた高級ホテルが建っているし、その隣は屋上にロケットのような円錐形の屋根を頂くSFチックな高層ビルが聳え立っている。バンコク中心部は立派なポストモダン都市である。ポストモダニストによると、世界中のあらゆる時代の建築デザインが装飾として引用すべきものとしてカタログ化されうるものらしい。おしゃれだと思われているのか、よく見かけるのは、ヨーロッパの古典様式を取り入れた建築だったりするのだが、これらすべて私にはどうにもこうにも俗悪に感じられてならない。成金趣味という言葉を思い出してしまう。

 モダ二ズムの機能性、合理性が退屈で味気ないという批判は当然だと思う(だからこそ私もこんな反近代的美学に惹かれる)。しかしそれに対して装飾により多様化を図るという考えはあまりにもイージーではないだろうか。そのようなポストモダン建築に何かモダニズムを超える新しい理念を感じられるだろうか。。。

 モダニズムには明確な理念があった。伝統建築とは断絶した、徹底して合理的、機能的、効率的なデザインは、近代的な生産に見合ったものとして根本から作り直されたものである。また、建築家やデザイナーはそのデザインや都市計画の中に近代の新しい人間の、、、伝統社会の重さを断ち切った明朗さ、身分制度を脱却した平等な近代的人間、、、のあり方を描きこんでいた。そういう意味でモダニズム建築はきわめて革命的だったといえる。ロシアアバンギャルドやコルビジェたちの仕事の中に清々しさを感じるのは、このような前代未聞のプロジェクトに挑戦する意志を感じるからだろう(今日そのデザインの非人間性もあきらかになっている。機能性や効率性を重視した均質なデザインは、人間を生産の道具とみなしているかのようである)。、、、が、そのような理念の革新性は、ポストモダン建築の中にこれっぽちも感じられない。少なくとも私はまったく感じないのである。
 モダニズム建築の理念は勝利した。それは、あたりを見回せばすぐわかることだ。モダニズム建築が街を埋め尽くした今、もはやモダニズムの理念を広める必要性が建築家たちから消え去り、彼らの手元に残ったのは職業としての建築と、商品としての建築物でしかなかった。つまりモダニズム建築家が持っていた革新性、アバンギャルド性が薄れるにつれ、その建築様式の商品としての味気なさだけが浮かび上がってきてしまったのだ。モダニストであることは建築家としても退屈であり、商品としても価値のないものだ、と。そこでその退屈さを埋めるために装飾性が復活し、装飾性によって他の建築物との差異化をはかり、建築商品に付加価値を与えるようになっていったのだろう。ようするにモダニスト建築家は革新的な理念を失う(堕落する)とともにポストモダニストになってゆくのだ。
 そもそも効率性や機能性を原理とし、均質な建築空間を作ってきたモダニズム建築は、アバンギャルド的な革新性とともに、資本主義的な生産の要請に応える一面を持っていた。その傾向は資本主義が高度化するにつれて建築の多様化という形へ、つまり消費される商品としての建築という方向で資本主義の要請に応え続けることになったと考えていいだろう。
 丹下健三というモダニズム建築の巨匠は、ポストモダン建築をして、あんなものは意匠に過ぎないと喝破したそうだ。ごもっともである。しかしその丹下も晩年、東京都庁舎の設計においてポストモダン様式を採用し、周囲から変節ではないかと取沙汰されたとのことだ。しかし丹下をかばうわけではないが、現在ではもうモダニズムとポストモダニズムの間に、はっきり境界線を引くことはできないと私は思う。
 なぜならポストモダン建築は気(革新的な理念性)の抜けたモダニズムに過ぎず、その屋台骨はモダニズム以外の何者でもない。逆にモダニズムはポストモダニズム建築にとってすでに引用されるべき過去の様式のひとつになってしまっている。したがって丹下の「変節」は、変節というより、現在建築家であることは、モダン=ポストモダンという分離しがたい様式の中で仕事をせざるを得ない、ということの実例を示しているに過ぎない。
 
 おそらく、モダニズム建築の孕む負の問題を乗り越えるという課題は随分以前から叫ばれ、議論もされていたはずだ。建築関係者がたんに職業として建築を考えるのではく、アバンギャルドとしての革新性を少しでも持ち合わせているのなら、現在の建築の状況がいかに空しい袋小路にはまり込んでいるかを感じていないはずがない。どう見たって、ポストモダン建築はモダニズムの乗り越えを標榜しながら、結局それを回避しているに過ぎないのだ。建築も美術などと同様、大きな曲がり角に差し掛かっている。それはたんに様式云々の問題ではなく、近代という時代の根本的の表層的な多様性(装飾)の方向へ問題をすりかえてしまったところに私はポストモダンの建築家たちの無神経さを感じるのだ。結果的に出来上がったポストモダン建築はいやらしい働きをする。

格差社会を象徴するものとしてよく引き合いに出される風景、、、真新しい高層建築の足元にあるスラム、テーマパークのように清潔なビル街を徘徊するホームレス。しかし格差が貧者だけの問題ではないように、この社会に生きるすべての人がポストモダンな風景に場違いな疎外感を感じうるものではないだろうか。少なくとも私はずっと反発を感じてきた。
 建築には金がかかる。モニュメンタルな巨大建築ならなおさらだ。したがって建築物は制作のために出資した者の富と力の誇示でもある。過去の権力者たち、王権や宗教の建築はそのようなものとして周囲に威圧感を与えてきた。そして今でもモダン=ポストモダン建築が資本の権力をまざまざと私たちに見せ付けている。
 コンピューターによって設計され、最新の建築素材を駆使し、寸分の狂いもなく作られた、清潔でおしゃれな建築物が私たちをひきつけるとともに値踏みするのだ。お前はこのポストモダン空間になじむ資格のある人間であるか、と。この空間に参入するためには資本の規範と秩序を受け入れなければならない、暗にそう語りかけられているようにも思える。そして受け入れぬものに対しては、この建築は排他的で冷たい、無言の疎外感を放つのである。モダン=ポストモダン建築は(住むという本来の機能のほかに)このような堅固で持続的かつ圧倒的なスペクタクル装置として機能している。
 おかしな話じゃないか、モダニズムの理念は当初、身分制度を脱却した平等の理念に裏打ちされたものではなかったのか? ロシアアバンギャルドはさかんに労働者のための住居や施設、モニュメントなどを作ろうと試みてきたはずなのだ。それはまさしくわれわれの建築であったはずなのに、わらわれが住んだりくつろいだりできる場所であったはずなのに、何ゆえ私たちを値踏みし、疎外感を植えつけるものになってしまったのだろう。

 この建築をめぐる絶望感を乗り越える道はあるのだろうか? 建築のシロウトである私なりの想像をしてみる。そうする権利はあると思う。なぜなら、専門的な建築家が、一方向的に何らかの新しい建築様式を生み出すという形では、モダニズム=ポストモダン建築の乗り越えはないだろうと思うからだ。
 間違いなく近代建築の問題も資本主義という社会体制と深い関わりにあり、それを支える人間関係や労働や余暇のあり方と切り離すことはできない。もし都市の姿が劇的に変貌することがあるとするなら、そのときはおそらく、(だれだれという建築家が、ではなく)すべての人の「住むこと」や「建てること」、すなわち人と環境の関わりかたの実践とでもいうべきものが、人間関係や労働のあり方などとともに問い直され、刷新されるときだろう。そうなってはじめて専門家によって作られる商品としてのスペクタクル建築でおおわれた都市の排他的で息苦しいポストモダン空間が崩れ去るのではないだろうか。もはや建築は建築家だけの問題ではない。そのような分業という前提がまず打ち壊されなければならない。だがそれはまあ、未だ夢の風景だ。でも、その端緒となる小さな実験的な空間を、現在の排他的なポストモダン空間の中に出現させることぐらいはできるだろう。それは現在のアバンギャルドの仕事なのだ。

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フンデルトワッサー宣言集


『ギリシア人の最後』


 近くの大学図書館にフンデルトワッサーの画集やインタビューの掲載された本がおいてあったので、いくつか面白い宣言をピックアップしておきたい。

 『建築における合理主義に対する壊敗化宣言』(1958)

 『ロースからの脱出 個別建築改造法案 または 建築ボイコット宣言』(1968)

 『子供のためのデイセンター
 フランクフルト・へッデルンハイムのためのフンデルトヴァッサー建築プロジェクト』(1987)


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フンデルトワッサーの建築

『建築の医者』

われわれの家は、ながらく、おかしな考えを吹き込まれた都市計画ブランナーや凡庸な建築家によって建てられていた。家は病気になることはなかったが、病んだ家と見なされ、この世に生まれてきた。
われわれは、これらの何干もの家に我慢して暮らしていた。これらの多くの家は、無感覚で、情緒がなく、尊大で、無慈悲で、攻撃的で、神が不在で、のっぺりとしていて、不毛で、飾り気がなく、冷たく、ロマンティックではなく、個性がなく、ぽっかりと穴が開いているように空虚である。
それらは機能性の幻想でできている。そうしたことが、これらの建物の抑圧的な本質であり、その住人は通行人までをも病気にしてしまうのである。
次のようなことを考えてみよう。100人が住んでいる建物の前を、毎日10000人が歩いて、また車で通りすぎる。これらの通行人は住人と同じく………実際にはそれほどでもないかもしれないが………これらの、無慈悲な家のファサードの抑圧的な影響をうけているのだ。病院そのものも病んでいるのだ。
強制収容所やバラックのようなスタイルのビルディングが、若者が社会にもたらすはずのもっとも価値あるもの………自発的で個性的な劇造性………を破壊し、凡庸なものにしてしまった。
もし建築家がこの病気や病気のもとである建物を治せるのだとしたら、はじめからそんな建物は建ててはいなかっただろう。
だからこそ新しい専門家が必要とされているのだ。すなわちそれが建築の医者である。
建築の医者の唯一の仕事は、人間の尊厳を取り戻し、自然と人間の創造の調和を取り戻すことである。その仕事は、すべてをひきずり下ろすのではなく、ただ戦略的な観点にたって対象を変えることであり、大きな労力や責用がかかることもない。この仕事には、川筋を変えられた河川をもとに戻したりすること、あじけない平板なスカイラインに変化をもたらせること、でこぼこの起伏のある土地を改造することも含まれる。また、壁のひびと継ぎ目のあいだで芽吹いた植物の自発的な成長に手を貸すことも、建築の医者の仕事である。なぜならそうした植物は、誰の邪魔にもならない限り、窓に変化を与え角や緑に丸みを与えてくれるからである。
建築の医者はまた、より決定的な外科的手術の責任も負う。したがって壁を切り離したり、塔や柱を立てたりといった仕事もする。
われわれが必要としているのは、単に、窓に関する権利、草や樹木を屋根に植えること、木の間借り人を育て植え付けることを認めてもらうことだけなのである。
もし、さまざまな様式で窓が躍動するようにデザインすることが許されれば、ファサードやインテリアをできるかぎり不規則な要素で飾ることが許されたなら、家は蘇ってくるだろう。家は生命をもち始めるだろう。どんなに醜悪で病んでいようとも、あらゆる家は治療ができるのだ。

フンデルトヴァッサー



『フンデルトワッサーハウス』


『フンデルトワサー美術館』


『イン・デン・ヴィーゼンの中庭』


『ブルーマウ温泉保養村』


『ダルムシュットのウッドスパイラル(模型)』



 「装飾は悪である。」と語ったのはオーストリアの建築家・デザイナーであったアドルフ・ロースであったが、フンデルトワッサーは真っ向からロースに代表される近代建築の理念に反対する。したがって、フンデルトワッサーの建築は徹底的に装飾的なのである。一見無意味で、イレギュラーな形態によって彼の建築は成り立っている。
 直線的、機能的、画一的なモダンの美学へのアンチテーゼとしてのフンデルトワッサーの建築。アールヌーボーというかガウディ風の造形は、それはそれで面白い、とは思う。が、僕が気になるのはむしろ、植物と建築との絡み方だ。
 エコロジー的な発想がそこにあるのは間違いない。植物(生命)はコンクリートやレンガ、タイル、石などの硬い素材でできた建築物にからみつき、覆いかぶさってゆく。放っておけば植物は無方向かつ無秩序に繁茂し、人間の予想もしない形で成長し、堅固な建築物を飲み込んでゆくのだ。建築物と植物、一体どっちが主人なんだろう? 
 フンデルトワッサーは「壁のひびと継ぎ目のあいだで芽吹いた植物の自発的な成長に手を貸すことも、建築の医者の仕事である。なぜならそうした植物は、誰の邪魔にもならない限り、窓に変化を与え角や緑に丸みを与えてくれるからである。」と主張する。ほとんど手放しで植物的な生命のオートマティズムに従おうとする意志を感じる。きっと、生長した植物が、建築物を浸食し、破壊することになってもフンデルトワッサーは植物の側に立って、建築や住環境を再構成することを考えるのではないだろうか。
 このような一種独特なエコロジカルな理念が、モダンの美学に対してフンデルトワッサーが提出する回答であるように思う。それはシュルレアリスムが用いるのとは違った意味での「オートマティズム」、人間精神のというより、生命(自然)の「オートマティズム」とでもいうようなものなのかもしれない。

Category: アート・建築・デザイン   Tags:  スラム  思想  芸術  建築  

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スラム

 実は秘かに建築に興味を持っている。近代建築にも興味があってル・コルビジェとかミース、グロピウスなんて名前は頭に入っている。もちろん彼らの建築の意義は認めざるを得ない。伝統的、装飾的な建築を否定する形で近代建築は姿を現した。機能的で、国際的なじつにスッキリとした美観。そこには近代がどのようなものであるべきか、という思想が込められていた。近代のプロジェクトの壮大な実験であったのだ。が、時間の経過とともに当然ながら近代建築の様式に対して批判が提出される。が、それでも彼らの歴史的な意義は揺らぐことはないのである。
 ところでその後、建築様式のメインストリームとなって現れてきた、ポスト・モダニズム建築であるが、これがどうもいただけない。一言でいってつまらないのである。ちょっと見てほしいのだが………。


 僕のうちの近くにあるゴミ処理施設なんだけど、典型的なポスト・モダン建築で、田んぼの真ん中にこんなのが建っているんだ。


 よく見るとギリシアとかヨーロッパの宮廷みたいな建築様式が装飾的に使われている。


 設計した人には悪いんだけど、こういう小細工は面白くないし、よくあるラブホテルみたいな悪趣味さがある。こんな設計を任せた市もどうかしてるんじゃないかと思ってしまう。しかもこの施設は巨大なので妙な威圧感があるのだ。
 この感覚、何かに似てると思ってたんだけど、戦後のモダンアートの作品と同じだと気がついた。アンフォルメルとか抽象表現主義とかポップアートとかいろいろ流派があるけど、結局、あれらはすべて商品じゃないか、って僕は思ってしまう。ああやってアート作品同士の間でなんとかイズムとかいって、差異を競って、商品としての価値をひねり出そうという労働………それが戦後のモダンアートだと思うんだけど、ポスト・モダン建築もまったく同じなんだ。それは退屈なものなんだけど、新しい建築物はこぎれいで巨大なもんだから、こちらを力で圧倒してくる。なんていうか、資本主義社会の権力をこれ見よがしに見せつけられているようなそんな気になってくるのだ。システムには逆らえないよ、という無言の圧力を感じてしまう。
 たとえばなんだけど、同じゴミ処理場にしても、どうせデザインするならこのくらいやって欲しい、っていうのがこれ。建築というものでいかに自由な表現ができるか、日本の建築家も学んで欲しいものだ。

 一方、ポストモダン建築とは対極的なものではあるが、非常に面白い問題を提議している「建築」がある。
 『現代建築 ポストモダニズムを超えて』という本にスラムについての記述がある。ずっと前から気になっていた記述だ。ちょっと書き出してみよう。

『アジアやラテンアメリカにおいて大都市人口の半ばを占めるという、一都市数十万から数百万人が居住する現実のスラム、あるいはわれわれの幻像としてのスラムには、コミュニティがある。そこでは皆がいわば肩を寄せ合って暮らしており、ある一区画における生活の共同性は顕著である。それに対してたとえば我が国の今日の一般的な住宅地には、そういったコミュニティイの存在は希薄である。コミュニティの再生、それは近代建築、あるいは近代都市計画の誕生以来今日まで続く基本的テーマである。失われたコミュニティをわれわれはスラムに見いだし、ある感銘を受けるのであろう。そこには少なくとも人間がいる。生き生きした子供たちがいる。』

 そのあとに「同潤会アパート」についての記述が続く。随分古い鉄筋コンクリートのアパートなのだが、住民たちがそれぞれ勝手に部屋を広げるためや利便性を高めるために増築を繰り返した跡が見いだせるのだ。

『………既存のものは使いものにならなくなったのだろう。あとから取り付けられた給排水管が、こういった増室の隙間をはうように縦横に走っている。その光景は一瞬どきりとさせるほどのものだが、同時にある感動をわれわれに与えた。その感動はおそらく、生きること、住むことへの切実な欲求が建物に露に現れていることから来るのであろうし、また、建物がまさに生きている(増殖している)ことを目の当たりにしたことによるに違いない。』

 そして最後にこう締められる。

『われわれは、心の中では今日の工業化され、こぎれいにされた住宅や都市空間に対していつもなにか反発というか違和感を持っているのではないか。
 アーバニティという言葉がある。都市らしさといった意味の語だが、60年代、CIAMらの提案にはじまる整然としてこぎれいな近代都市計画や住宅地計画に対して、いわばゴチャゴチャとしてこみいった都市の提案のコンセプトとして生まれたものである。スラムやバラック街は、まさにこの反・こぎれいなものそのものである。そこでは都市や建築の構造が物体として文字通り透けて見える。そのことがわれわれを安心させるのだ。それに対して工業化された都市の中では、都市の構造も建築の構造もその滑らかな装いの中で隠されている。隠されているもの………見えないもの………に対するわれわれの不安がそこでの反発や違和感を生み出してると言えないか。
 アジアのスラムにおける建物やさきのバラックは、その大半が廃材によって造られているのだが、そのことが投げかける意味も大きい。廃材のコラージュとしてのそれらの建築が、かつてシュルレアリスムやダダがわれわれに与えた衝撃にも似た何かをおぼえさせるのだ。そこでは廃材………かつて生きられたもの………が、プロの職人ではなく素人による新しい組み合わせの中で新しい意味をもってわれわれの前に現出する。と同時に次のこともわれわれに気づかせる。使い捨てられ見捨てられたもの、それらはまだ生きている、生き続けようとしていることを。
 廃材や身近なもの(材料)で物を組み立てること、それはわれわれの幼児・少年体験として身体記憶に残るものである。このこともアジアのスラムやバラックにもつわれわれのある言いようもない親近感の説明から切り離すことはできないだろう。』


 これだ!と思ってしまう。商品として企画され設計された建築なんかより、生活の必要から出てきたカタチのほうがずっとおもしろい。これはアートにもそのまま言えることだと思う。作品そのものを目的につくられたものはおもしろくない。常にそれ以前の生活というか生き方のようなものがまず問題なのだ。スラムは面白い問題を提議している。
 さらにスラムにおけるコミュニティについての記述も僕にはひっかかる。「コミュニティの再生、それは近代建築、あるいは近代都市計画の誕生以来今日まで続く基本的テーマである。」と書いてある。現実にはむしろ、商品としての住居や建築、そして都市計画そのものが、コミュニティを分断しているように僕には感じられる。確かシチュアシオニストは都市計画を批判していたが………。
 どうもすぐ結論を出せそうにない。だが、面白そうなのでこれからも建築について考えていこうと思う。

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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

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