泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 
1
2
3
4
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
03


毛ジラミ退治

 最近のチンチンかいかいの経験のおかげで、若い頃、タイで売春婦からもらった毛ジラミとの格闘を思い出した。股間にチクリチクリと痒みが走るのでおかしいなと思ってパンツを見ると、小さな血のシミがいっぱいついていた。まさかと思って調べてみると、陰毛の中に小さな卵らしきものがくっついている。あ、と思ってよく見ると、陰毛の根元の部分に毛ジラミがしがみついているではないか。というか、毛ジラミなんて見るのは初めてだったわけだが。
 こいつらがちょっとひっかいたり、風呂に入ったぐらいでは離れてくれないのだ。薬があるのだろうが、恥ずかしくて薬局でなど買えない(バルサンを股の下で焚くと効くという噂だが)。だが、陰毛ごと引っこ抜くと、毛根の部分に一緒にくっついてきてしまうことがわかり、文字通り虱潰しに毛ジラミのついた陰毛を引っこ抜き、鉛筆の後ろの平らな部分で潰していった。プチ、という感覚が手に伝わるのが、サディスティックな快感で、程なく殲滅。オレサマの血を吸おうなんて100万年早いぜ! もっと進化してから来るんだな、フフンと、暴君ぶりを発揮して、情けない経験は小さな武勇伝となり妙な満足感が残った。

 それにしてもこいつらスゲエよなあ。陰毛と陰毛がこすれ合ってるわずかな瞬間に行動を起こし、他のヤツの陰毛の中に乗り移って、根元にしがみついて血を吸うんだから。ユクスキュルの本に出てくるダニの話を思い出してしまう。いやあ、生命って偉大だ。

ソウルの安宿

 初めて私がバックパッカーという旅行の形態を知ったのはソウルのデーウォンという旅館でのことだった。プサンから韓国に上陸し、バスを乗り継ぎソウルにやってきて、この、世界中からバックパッカーが集まるとガイドブックに紹介されていた安宿に泊まった。中庭のある韓式の旅館で白人の旅行者が多かった。ギターを弾く者、洗濯をする者、みな思い思いに過ごしていた。まあはっきり言って、初めての海外旅行で韓国人のワイルドさに圧倒され続けていた私には宿の外での生々しい韓国体験のほうが印象深かった。しかしおかしなもので、この宿で見聞きした事柄は、数年後になって私の人生に影響を及ぼし始めるのだ。

 もちろん日本人も何人かこの宿に泊まっていて、2〜3人の旅の先輩から自慢とホラの混じった旅行体験を聞かされた。今までいくつくらいの国を旅行したんですか? という私の問いへの答えは驚きだった。韓国や台湾から始まって、東南アジアを経てアフガニスタンにまで及んでいて、両手で数えられる国の数をとっくに超えていた。しかも日本を出てから2年だか3年だか帰国もせずにアジアを放浪し続けたというのだ。私よりちょっと年上の見た目ごく普通の二十代後半の男だったが。。。そんなすごい旅にどんな大金がかかるのだろうと思ったが、アジアの物価は安いから大して金はかからないというのだ。
 円高という言葉は中学生のころから耳にしていた。それは海外旅行に大きな恩恵を与えるものらしいということも知ってはいた。しかし私の家は貧乏だったし、私自身の稼ぎも微々たるものだったので、長期間の海外旅行を私がしうるなどということは想像もできないことだった。しかし韓国に来てみて、日本から持ってきた10万円の価値に驚いていたところだ。食費、宿泊費、交通費、、、いくら使っても金が減ってゆかない。国と国の間の経済格差とはこういうものなのか、と私も実感しはじめていた。そのうえタイやインドへゆけば韓国以上に物価が安いというのだ。
 私にもアジア放浪が可能なのだ。。。いろいろな社会や文化をこの目で見たり、いろいろな国の人々と触れ合うこともできるのだ。一人で外国へ渡って自分の精神を鍛えることができる。また自分を普段軽く扱っている友人たちに対して、ひとり冒険に出かける自分を見せつけ、アッと言わせることだってできる。。。などなどさまざまな思惑が自分の中に渦巻き始めるのを感じた。ソウルの安宿で私の中に新しい欲望が生みつけられ、人生の新しいページが開かれてゆく予感にときめいた。

 夜、旅の先輩たちに飲み屋に行こうと誘われた。ソウルの裏路地にある飲み屋で、よりディープな旅行話を聞いた。印象に残っているのはタイで売春婦を自分のホテルに連れ込み、一緒に夜を過ごしたという話だった。その手の話は現在の私とってはどうってことないのだが(笑)、初心な当時の私には、海外で現地の女と戯れる様が妙にイカシたものに感じられた。連れ込んだ女が自分の腕枕でそのまま眠ってしまって、朝になったら腕がしびれていた、なんて話がなぜかうらやましかった。エイズという病気が広がり始めたころだったが、病気なんか気にしないよと、ナマでやってることを自慢げに語っていた。そのリスキーさがまたイカシてるように思えた。
 よし、このままイテウォンに女を買いに繰り出すか! という話になった。一瞬、身体の中に緊張が走った。結局その話は実現することなく終わり、私はホッとした。キーセン観光という言葉に日本人の不潔さのみを感じていた。まだまだ私は初心だったのだ。

仄暗い記憶の底から 13 会社を辞めるとき

 僕は仕事(職業)を中心に自分の人生を考えたことはない。僕の人生は若い頃に芸術の神に捧げてしまったからである。それ以降、僕にとって仕事は金のための、または職場の人間関係を楽しむためのものとなってしまった。だから仕事をホンチャンのものと考えたり、仕事を通じて自己を実現する、なんていう不気味な考え方からはオサラバしている。
 肉体労働や単純な労働ならともかく、僕らのような職人的な専門職の場合、このように仕事に対して特別な思い入れをしている人が多い。自らの成し遂げた仕事が評価され何らかの達成感があるとしたら、それはつらい労働であるよりも快楽ですらある。歌手、芸人、スポーツ選手なんかみんなそうじゃないだろうか。気持ちはよくわかる。しかし、だからこそそれは危険な罠なのだ。

 今の仕事(アニメーションの背景描き)をはじめたのは15年前だったが、当時就職していた会社の社長がまさにそのような考えの持ち主だった。なかなか上達しない僕の絵の腕前に社長は、やる気が感じられないと苛立ちを隠さなかった。もちろん給料をもらってる以上、努力して働いてはいた。しかしこの仕事にそれ以上の思い入れを込めろ、といわれてもそれはできない相談だった。やる気を出せといわれたところで、ない袖は振れないのだ。
 社長室に呼ばれよく説教を受けた。若い新人の社員がどんどん力をつけてきているのに、君はずいぶんのんびりしているな。………ハッパをかけようというわけだが、僕には今でもそうだが自分の絵の腕前に対するプライドがない。自分の仕事で自分を支えようなんて発想がないからだ。正直なところ、絵がうまくっても何が偉いのか、と思っている。だからそんな説教は聞き流していた。
 仕事は自己救済なんだ、とよく諭された。やはりこの社長は自分の職業によって、自らのアイディンティティを支えているのだ。だが一人の人間存在の価値が、職業に還元されてしまっていいものだろうか? 一つの仕事をやり抜くなんてのが美談だったりするし、職業を転々とするフリーターのような人は信用されない。結局のところ、ある人間の価値や信用を、職業という社会システム内の位置によってしか判断しようとしない。つまり安定的に作動する社会の部品であることが人間の価値であるという発想がそこにはあるのだ。
 僕だったら、職業で人間の価値を推し量るようなことはしない。その人がどんな生き方をしているか、自由な魂を持っているか、まずそういうことが気になるだろう。
 専門職………プロフェッショナルであること、そして誰もが賞賛する完璧なプロであることは、完璧なる社会の部品であることを意味するのではないだろうか。だからこそシステムは完璧なプロ(例えば、いい仕事をするスポーツ選手やデザイナーといった人たち)に対して高い報酬を授けるのではないだろうか。
 
 社長はいつまでたっても力をつけない僕を疎ましく思い始めていたようだ。ある日、会社で休憩時間に僕が哲学書を読んでいるのを見て社長は呆れ、怒り出した。休憩時間は何のためにあると思ってるんだ。頭を休めて、仕事に集中するためにあるんだ。そんなものを読んでどうするんだ。本を読むのならマンガでも読んでればいいんだ。どうせ君がそんなものを読んだって君の頭では理解できやしないんだ………。
 僕は血の気が引くのを感じた。失礼な言い方はともかく、休憩時間、余暇までもが、仕事のために、労働のためにあるという考えは、僕には到底受け入れられないものだった。週70時間も働いている、そのわずかな余暇すらも、働くために利用しろというのか。その頃ポツリポツリと読み始めていたマルクスのいうところの、労働力の再生産過程、という言葉を思い出した。つまり余暇のことなのだが、余暇を資本主義経済においては、労働力、つまり働く力をまた充電するための過程であると理解する、というわけだ。全ては労働のために、である。僕たちは働くために生きているのだ。
 俺は反体制だと豪語していたあの社長の思考は、まさに資本主義のシステムを体現していた。結局、僕は社長と口喧嘩して会社を辞めた。そのあと建設現場でアルバイトして椎間板ヘルニアを患いながら金を貯め、インドへ旅立った。

 僕らは働かなければ生きられない。システムとどこかで折り合いをつけずには生きていけないのだ。だから働くことを楽しむ努力をするべきだ。しかし、それは働くために生きてるということを意味しないだろう。プロフェッショナルである人は、その特権的な立場故に、ここのところを混同しがちだと思う。労働が生き甲斐だ、という発想、これはやはり倒錯ではないのか? 奴隷が主人によく働くとほめられて喜んでいるようなものではないか? そのとき僕らは完璧なる資本主義社会の部品になっているのじゃないかと思うのだ。

 はじめに僕は自分の人生を芸術の神に捧げた、と述べた。自分にとって、芸術は資本主義社会における唯一の「祭り」………労働と反対の原理である「祭り」であると思ったからだ。もっとも芸術という「祭り」の形は僕の中でたちまち終わってしまった。今現在の僕の考えを言えば、「祭り」は資本主義社会においては、システムへの反抗という形でしかあり得ない、ということになる。だからといって僕は社会を転覆しようなんて大それたことは考えていない。だが、反システム的な生き方は可能だと思うのだ。そういう生き方へ舵を取ることが僕のこの社会に対する責任であり、労働を越えて為すべき仕事なのだ。そして自分という存在に価値とプライドを感じるとすれば、それは「祭り」へ向かう生き方において………なのである。

仄暗い記憶の底から 12  赤坂憲雄『排除の現象学』を読んだ頃

 確か22才の頃だったと思う。本屋で立ち読みをしていた僕は、偶然、別冊宝島の「精神病を知る本」という本を手にした。パラパラと中身を読んで、面白そうなので買って帰った。表題から想像されるのとは違って、この本の内容は精神病の解説などではなく、僕たちが今現在生きている近代市民社会は、いわゆる「狂気」を病気と見なして社会から排除することによって成立している、という驚くべき論であった。近代以前の社会では、「狂気」ともっと親密な関わりを持ち、共同体の中に受け入れられていたが、その狂気を「病気」として精神病院の壁の中に閉じ込めることによって、今日の理性的な近代市民社会の空間が成り立っているというのだ。
 前衛芸術に興味を抱き、また登校拒否の経験者を友人に持ったために反制度的な問題意識を植え付けられていた僕は、近代社会への違和感を皮膚感覚として抱き始めていたこともあって、この近代社会の成立における狂気の排除、という現象に大きな関心を持った。

 この本の要になる書き手の名前は、赤坂憲雄という人だった。この名前を頭に入れて東京の大型書店を探していると、赤坂憲雄著『排除の現象学』という本が見つかった。さっそく買って読んでみると、これがまた驚くべき本であった。
 異人論の観点から僕たちの日常を読み解くというのがこの本のテーマだ。ある共同体の秩序の成立には、ある暴力的な排除が存在するという、いわゆる第三項排除論によって様々な社会問題………いじめ、浮浪者、新興宗教などをめぐる事件を分析している。
 文化人類学や民俗学、そして中世史などの研究から析出された分析装置を用いながら、鮮やかにそして繊細にかつするどく事件を斬ってゆく手並みには感心するばかりであった。

 「精神病を知る本」においてもそうであったが、明らかにここには近代社会に対する批判的な視線があった。
 ある共同体の秩序は、その共同体内部のある要素を排除するという根源的な暴力によって形成される。それは近代のみならず、古代や中世の、また未開の社会にも共通するメカニズムである。文化人類学に触れたことのある人なら、秩序/混沌、中心/周縁、日常/非日常、光/闇、意識/無意識、といった二項対立のキーワードを聞いたことがあるだろう。異人(ストレンジャー)とは、この二分された秩序と混沌の境界にあって、ある共同体の周縁に排除された要素のことなのである。そして異人は、共同体の秩序の形成のため常に再生産されているのだ。そのため異人は反秩序的な、忌避されるべき、闇のオーラをまとった不安や恐れを抱かせる存在になった。しかしそれら異人たちは時には神聖な存在でもあり、硬直した共同体の日常性を活性化する役割をも担うものでもあったのだ。たとえば中世の社会において、そのような異人的存在として、旅芸人、巡礼者、シャーマンなどがいた。不具者や、おそらく狂気も、かつては忌避され恐れられるとともに神聖な存在として共同体の中で独特な位置を占めていたのだ。
 しかし近代社会は、このような両義的な存在であった異人との関係性を失ってしまった。狂気も単なる病気として、精神病院の壁の中に閉じ込められ、僕らは非日常の闇と出会うチャンネルを失いつつある。無味無臭の均質的空間を志向する僕たちの近代社会の硬直した日常性の病理、赤坂憲雄は、それを『排除の現象学』で描き出そうとしていたのだ。

 だが、この本の出版の後の赤坂は、自身の言う「考古学」、すなわち民俗学や中世史の研究の方向へと向かった。特に民俗学者、柳田國男の『遠野物語』の研究のため遠野に通いつめ、現在では東北にある大学の先生になって「東北学」なるものを構想しているという話だ。
 人の進む道にとやかく言う権利はないかもしれない。が、「排除の現象学」を書いていた頃にあった近代性へのクリティカルな視線が、今現在の彼の仕事の中からすっかり鳴りを潜めてしまっているのは確かだ。間違いなく近代への秘めたる憤りが、赤坂にあれらの書物を書かせたに違いないのだ。もっともフィールドワークによって、近代化以前の民俗の生き生きとした世界観を拾い上げるだけでもそれは反近代的な行為であるかもしれない。しかしそれだけでは失われゆくものへのノスタルジーでしかないと思う。
 確かに赤坂憲雄の近代社会の分析は鋭く、そしてとてつもなく繊細だった。しかし彼の言葉の線の細さが気になってもいた。考えてみれば、分析に終始していた彼のディスクールの中には、赤坂自身の生き方を語った言葉はなかったように思う。結局のところ彼は観察者でしかなかったのだろうか。しかしながら世界を眺める視線はそれだけですでにその人の生き方に直結しているはずだ。したがって、これだけ深く近代社会を分析し、批判する眼を持っていた彼が語るべきだったのは、「私自身が、近代市民社会における異人(ストレンジャー)となり、硬直化した日常を活性化させなければならない。」という言葉ではなかったろうか。その言葉が発せられなかったということは、赤坂憲雄が研究者であり、学者であるということではあっても、一つの精神、一つの存在ではなかったということなのではないだろうか。

 いや、もちろん僕ははっきりわかっているのだ。それは僕自身のマニュフェストなのだということを。ようするに赤坂憲雄という人の書き上げた書物の中に、僕は僕自身の未来を読み込んでいた,ということだ。
 唐突ではあるが結論として言っておこう。硬直した僕らの近代空間(コスモス)に、闇の持つ混沌(カオス)としたエネルギーを導き入れ、日常生活を活性化すること。これが現代の異人たる「祭り」の精神の持ち主の仕事なのだ。つまり、僕が若い頃から掲げていた課題、アバンギャルド芸術の乗り越えとは、僕自身が現代社会の中での異人(ストレンジャー)でなければならない、ということの謂なのだ、ということである。赤坂憲雄の『排除の現象学』を読んで受けた衝撃は、あの本の中に自分自身の未来の姿を発見した驚きだったのだ、と今では思う。

仄暗い記憶の底から 11 蒸気船マークトウェイン号

 二十代前半、4年間にわたって僕は浦安の東京ディズニーランドで清掃(カストーディアル・クルーと言っていた)のアルバイトをしていた。十代の学生生活が惨憺たるものであった僕にとって、ディズニーランドで働いていた毎日はまさに青春と呼ぶべきものだった。同年代の女の子もいっぱい働いていた。僕も何人かの女の子に実らぬ恋心を抱いたりした。(残念ながら僕はさっぱりモテなかったのだ。)頻繁に催される飲み会、友人たちとのささやかな逸脱。一人暮らしをしていたけれど仕事場に出ていれば、夏休みも、クリスマスも、正月も寂しい思いをすることは全くなかった。毎日がお祭りのようであり、とにかく働くことを楽しんでしまおうというモティベーションに貫かれた毎日だった。
 僕が配属されていたのはウェスタンランドだった。みんな知ってるんだろうけど西部開拓時代のアメリカを舞台にしたテーマパークだ。だからこのエリアのことは隅々まで知り尽くしている。もっとも、このあいだ久しぶりに女房を連れてディズニーランドに遊びに行ったら、新しいアトラクションもできててすっかり様変わりしていたが……。無理もないよ、もう二十年も前のことだから。

 アメリカ河というところに蒸気船マークトウェイン号という大きな船が走っているのだが、僕らには最終便に乗って船の中のゴミを集めるという仕事があった。したがって僕は数えきれないほどあの船に乗っている。
 「あっ、開拓者の小屋が燃えています。」という録音のアナウンスを何回聞いただろうか。火事になった開拓者の小屋から煙が出ている横を船が走り抜けながら、「ならず者の仕業のようです……。未開の地で開拓者たちは多くの危険にさらされていたのですね。」と解説が入る。やがて対岸にインディアンの集落が見えてきて、住人たちが何か交易品を手にしてにこやかに僕らの乗った船に向けてそれを差し出している。蒸気船では「このように、中には友好的な部族もいたのですね。」と解説される。

 当時はそれほど気にはならなかったんだけど、こんな遊園地の中にもポリティクスが現れているのだ、と今では感じてしまう。ここではアメリカ人(白人)は未開の地を開拓する文明人であり、インディアンは彼らと非友好的かつ野蛮な原住民として描かれている。開拓なんていうけど、これが白人によるアメリカ原住民の土地への侵略であることは僕らにとっては常識である。しかし、侵略に対するレジスタンスの行為をディズニー(アメリカ人)は、開拓者に対する非友好的な(ならず者の)態度として理解する、というわけだ。
 あまりにも無邪気に正当化されたアメリカ的な視線に、僕らは呆然としてしまう。「中には、友好的な部族もいたのですね。」…………。そういう発言はむしろインディアンがしたかったのじゃないだろうか。「中には、友好的な白人もいたのですね。」と。

 個人にしろ、共同体にしろ、僕たちは世界を眺める独自のパースペクティヴ、体系を持っている。精神分析の岸田秀さんはそれを「幻想」という言い方で表現している。岸田氏の診断によると、アメリカ人は強迫神経症だ、ということになる。
 自由と民主主義の国アメリカの建国に際して、先住民族の暴力的な排除が行われたという経験をアメリカ人自身が隠蔽、抑圧してしまった。この経験の欺瞞が今日アメリカが国際社会の中でとらざるを得ない「自由」の押し売り的なスタンスの原因だというのである。
 詳しくは岸田氏の本を読んでもらうとして、とにかく軽金属のようにスマートなアメリカの「自由」と民主主義が僕らにとって何か押し付けがましく、狭隘な印象を拭えないのには、このようなアングロサクソン系の移民の偏狭な人間性、そして彼らの偏狭な世界を眺めるシステムに原因がありそうである。まさに今日アメリカは、強迫的に「自由」の幻想を世界に押し付けつづけている。
 日本人が特攻隊で攻撃しかけ、ベトナム人が国を挙げて抵抗し、今またイスラム原理主義者が激しいテロ行為をもってメッセージを発しなければならないわけは、アメリカの病的な「自由」の幻想の押し付けが、他民族のプライドを踏みつけにする一面を常に持っているからに違いないのだ。

 ディズニーランドの話に戻るが、イッツ・ア・スモールランドというアトラクションで
は、世界各国の民族衣装をつけたかわいらしい人形がクルクル踊りながら「世界は一つ、世界は同じ、小さな世界……」と歌っている。どうもあのアトラクションを見て僕が感じてしまうのは、博愛の精神なんかではなくて、アメリカの枠組みの中での多様性、アメリカ的枠組みの中でこそ世界は一つになるべきだという帝国主義的発想だった。

 だが、もう一つ考えを進めてみると、アメリカという国はある意味、近代資本主義の精神を露骨に体現している国だと見ることができるのではないだろうか。近代社会の非人間的な狭隘な一面がアメリカという国を通じて発現していると……。まあ長くなるのでこれについてはどこか別の機会に考えることにしよう。

 ついでに言えば、僕たち日本人もアメリカ的な視線をかなり共有しているのじゃないかと思う。太平洋戦争に敗戦して以来、日本はアメリカの子分になり、アメリカ文化のシャワーを浴びて生活してきた。僕らもインディアンを未開のならず者だと見なすことに何の抵抗も感じなくなりつつあるのじゃないだろうか。本来僕らは立場的にも、また人種的にもインディアンと同じ側にあるはずなんだけども。西部劇を見たって、登場するインディアンなんかより、きっと白人のカウボーイの方に感情移入しているはずだ。………間違いない。


目次

 前衛芸術研究室
 

 セザンヌ講義1@電子書籍

 セザンヌ講義@ニコニコ静画
 おすすめコラム集
 ギャラリー
 シチュアシオニスト文庫
 garage sale
 オンライン読書会
 After the last sky


カテゴリー 累計
全記事一覧
前衛芸術研究室 28
亡霊退治 63
アート・建築・デザイン 29
思想など 144
旅行・タイなど 60
ニュース・時事など 31
フンデルトワッサー 12
中西夏之 3
日記・その他 115
記憶の底から 15
音楽 6
Category: None 22
反芸術研究室 1
最新のコメント
Twitter
タグcloud
 
アクセスカウンター
   




 
 
プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
 連絡先 araiken#mac.com #を@に置き換えてください。


 

link rel=