泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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この曲がかかってたあたりが


一番情感があって好き。

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ついに買った!

バフチン

古本。3000円でした。

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引きこもりだった『セザンヌ』ってやばいぞ!!山田玲司のヤングサンデー#16から



セザンヌ絵画の解釈はともかく、こーゆーはっちゃけたのを漫画でやりたいんだ。

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芸術の終焉のあと 現代芸術と歴史の境界

というダントーの本が出たらしい。読みたい(批判的に)が金と時間がない。

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19世紀後半から20世紀前半にかけての100年間は、、、

、、、アートワールドにとって劇的な転換期であった。一言で言えば、アートワールドの主流言説(何が芸術に値するかを決定する言説)が、ルネサンスから綿々と続いてきた古典主義的(アカデミック)なそれから、モダニズムへと急速に移り変わった100年であったのだ。
 「芸術」はヨーロッパの支配階級の高級文化として、被支配階級(民衆)の生活文化への(規模や洗練による)優越によって自らを成り立たせていた。市民革命、産業革命を経てブルジョワの時代になり、ブルジョワ体制の自己賛美、自己肯定的なスペクタクルへと変化しても「芸術」のそうした身振りはそのまま引き継がれた。近代化とともに、資本主義の精神が民衆の世界に浸透し、民衆文化が衰退すると、植民地主義によってヨーロッパにもたらされたオリエントやプリミティヴな文化への優越が、「芸術」の指標のひとつに加わった。「芸術」がこのように何かに対する優越によって成り立つ「卓越の文化」である以上、優越の基準となる言説(価値の物差し)と、非芸術(野蛮な文化)が、「芸術」と表裏一体となって存在するのである。
 しかし19世紀も半ばになるとアカデミックな規範によって生産された「美」の形式化が誰の目にも明らかになってきた。そもそも吝嗇なブルジョワ精神は文化の破壊者である、というかブルジョワ精神は、文化の根源である過剰、浪費といった性格を否定することによって立ち上がるものだけに、「芸術」という文化の自壊は論理的な結末であった、というべきであろう。
 ブルジョワ芸術の形式化、いや、ブルジョワ社会の疎外(文化的不毛)に反発した一部の芸術家(後にアヴァンギャルドと呼ばれるようになる反芸術家たち)は、むしろヨーロッパが優越感を抱き、見下していたはずのオリエントや未開文化などにシンパシーを覚え、インスピレーションを受けつつ、アカデミックな規範を逸脱する作品を発表するようになる。アートワールドは当初、この反芸術というスキャンダラスな事態を嘲笑し、糾弾や無視をきめこんだりして、文字通り「野蛮」として「芸術」の外部に放逐した(フランス芸術アカデミーは当時、印象派の絵画をフランスの恥だとすら言っていたのだ)。
 が、一部の先進的な批評家や画商が、形式化し老衰したアカデミックな芸術より野蛮な「反芸術」に面白さを見出し始め、19世紀末には印象派、後期印象派が商業的にも成功を収め始めるに至って、アートワールド全体が大きく動揺し、芸術外へと放逐した「反芸術」を内部に取り込むためにその言説(規範)を再編成することになる。その結果主流言説に躍り出たのが「モダニズム」系の批評言説である。このとき「野蛮」扱いされた反芸術家たちは一転、「前衛(アヴァンギャルド)」というヒーローに変身させられた(狂人扱いされたまま死んでいったゴッホは、この主流言説の転回とともに前衛芸術家として名誉回復されてゆく)。
 また、この過程で同時に起こったことは、ヨーロッパ内外におけるかつての民衆文化(生きられる文化)の産物、痕跡が、モダニズムのフォーマリステックな解釈によって、それが生産された(民衆によって使用された)文脈を無視して、反芸術の産物と同様に「芸術」というブルジョワ社会の制度(スペクタクル装置)内部に取り込まれたことである。つまり、ヨーロッパ内外の人類学、民俗学的な野蛮で珍奇な収集物は、この再編成とともに芸術品(高級文化)へと「格上げ」されるのである。
 モダニズム言説(何が芸術に値するかを決定する言説)の特徴は、アカデミズムの古典主義のように形式的な約束事を重視したスタティックな規範ではなく、「伝統の否定=新しさ」というダイナミックな規範であるところにある。常に「芸術」とは何であるかを自問自答し検証するメタ的な性格を持っている。この言説によって死に体と化していた「芸術」は、フレッシュでグローバルなスペクタクルへと刷新されれることになる。が、注意しなければならないのは、モダニズム言説は、ブルジョワ社会の疎外からの自律を目指していた反芸術の実践(芸術でないもの=生きられる文化)を、「芸術」の近代的新展開として解釈しなおす(横領する)ことで、スペクタクルの刷新を成し遂げたことである。モダニズムというアートワールドの主流言説は、生きられる文化からの血塗られた簒奪(解釈の暴力)を起源としているというわけである。
 アカデミズムの古典主義というスタティックな「芸術」の規範は、民衆文化を「芸術」の「外部」へ排除することで自らを価値化(優越化)していたが、モダニズムでは、「後衛(アリエルギャルド)すなわち古臭いもの=古典、まがいもの=複製・商業主義芸術」に対する「前衛(アヴァンギャルド)」であることが「芸術」のメルクマールとされるようになった。つまり19世紀までの「内/外」の線引によって成り立っていたアカデミックな芸術観は、20世紀になるとモダニズムによる「前/後」の線引に取って代わられるのである。「前衛(アヴァンギャルド)」こそが「芸術」に値するという言説がアートワールドのメインストリームを形成する時代が訪れたのである。
 またこの時期、近代化によって衰退の一途をだどっていた伝統的な民衆文化(未開文化も含めて)は、ほぼ完全に見世物化し、商業的な大衆文化へと横滑りし、かつての「芸術外」の文化(生きられる文化)の領域は、「後衛」 の中に押しやられていった。さらに、モダニズムによる「前/後」の線引き(前衛と後衛の対立)が、文化シーンとして前景化されるとともに、「内/外」の線引によって野蛮人して厳しく「芸術」から排除され、それだけにアートワールドにとって不気味で混沌とした(それだけに生命力に満ちた)非芸術の領域、すなわち「生きられる(ディオニュソス的)文化」の存在感が不可視化し、私たちの眼前にあるのは「卓越の文化(スペクタクル)」だけになってしまった。 
 グリーンバーグやアドルノのようなモダニストは、「後衛(キッチュ、文化産業)」を厳しく批判することで、「前衛(アヴァンギャルド)」を称揚したわけだが、気をつけなければならないのはどちらも「卓越の文化」であり、権力の視線とヒエラルキーを前提とし、その秩序を肯定する文化、すなわちスペクタクルであるということである。つまり「前衛/後衛」の対立とは、実は高級スペクタクルと低級スペクタクルの対立に過ぎないのである。この偽の対立の茶番劇によって、体制秩序の外部を垣間見せていた生きられる文化の(亀裂や裂傷としての)ありかが撹乱され、すっかりわかりにくくなっているのだ。
 20世紀も後半にはいると、後衛に対する前衛の自己批判的純粋性を要求するモダニズム理論のストイックさとその行き詰まりに対する反発が、ネオダダイズムやポップアートというかたちで噴出する。とりわけポップアートは、モダニズムではご法度である大衆文化のイメージを大胆に芸術作品の中に導入し、アートワールド内に議論を巻き起こした。当然、アドルノやグリーンバーグ、ローゼンバーグのようなモダニストは、こうした新しいムーブメントに批判的であり、一様に苦い顔をしたものだが、このような前衛と後衛の境界の消滅は21世紀にかけて現在までとどまることなく進行してゆく。日本でも(高級な)芸術に(低俗な)オタク文化のイメージを導入した村上隆や会田誠が話題になっているが、要するにこれは一種のポップアートなのである。このような前衛と後衛の融合状況を、芸術や建築の領域では「ポストモダン」状況と呼ぶのであるが、前衛も後衛も、そもそもが同じ卓越の文化(スペクタクル)である以上、その境界線が溶融してゆくことにはなんの驚きもない。むしろポストモダン現象というのは、モダニズムの「前/後」の線引き(前衛と後衛の対立)による茶番劇に、さらに上塗りされた新たな茶番である。当然ながらポストモダンはモダニズムの乗り越えなどではなく、横領によって立ち上がったモダニズムを強化する役を果たすものである。モダニズムの茶番が、ポストモダン的反抗によって複雑に錯綜すればするほど、「卓越の文化」の外部の「生きられる文化」のあり方がますます不可視になってゆくというわけで、それはモダニズム芸術というブルジョワ社会のスペクタクルが見事に作動して、疎外の維持に一役買っていることを意味しているのである。
 見えにくくなっている「生きられる文化」は、むしろ資本主義の疎外に抗するアナーキーな生活的な実践の中にこそきらめいている。何かの歌ではないが、芸術やポピュラーカルチャーのなどの「卓越の文化」の領域を血眼になって探すのをやめたときにこそ、不可視であった文化は私たちのすぐそばにあっけなく見つかって手元に帰ってくるのである。

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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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