泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

Category: アート・建築・デザイン   Tags: 思想  芸術  岡本太郎  

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岡本太郎は芸術の終わりなき脱構築の実践者である その2

 岡本太郎はアンドレ・マルローとの対談の中でこんな発言をしている。

 「だけど、芸術家が、もし真に”自由”であるなら、なにも無理して絵を描く必要もないんじゃありませんか。」
 「それにしても、なぜ芸術家が商品をつくらなければならないのか。それが現代の一番の問題だとおもいますよ。」
 「芸術家にとっては、自分の死後、自分の作品が残るのこらないはどうでもいいことじゃありませんか。むしろ残さないという意志も芸術家にはあるのですよ。芸術が残っていてどういう意味があるのだろう。作者がそのとき、現時点においてつくったということが絶対の時間、瞬間なのであって、 作品が残る残らないは、作者が考えるべきことではないと思う。」


 芸術作品の価値を擁護するマルローに対して、岡本太郎は作品的に「無」であることの意義を執拗に主張し、噛み付いている。岡本太郎のイメージは、一般的にはストレートにポジティヴな芸術の礼賛者であり、非常に生産的な芸術家だと思われているのではないかと思うが、意外なことに作品的には「無」であることを意識的に選択したシチュアシオニストのような発言をしているのである。(とくに『曼荼羅頌』というエッセイでは、太郎の芸術に対する距離感がまざまざと表明されている)また逆に、そんなこというなら何で岡本太郎は絵や彫刻をせっせと作ってたわけ? という疑問も出てくるかもしれない。

 芸術家の両親を持ち、本場フランスで自分を磨こうとしていた岡本太郎にとって芸術は彼の全てであったはずであり、だからこそその意味についても悩んでいた。前衛芸術の仲間たちや知識人たちと交わり、触発され、前述のパリの暗い映画館での決意──安全な道と危険な道の岐路に立たされた場合、危険な道を選ぶ──に至るのだが、おそらくそのとき太郎は自分が「芸術」といかに関わるかについて一定の解を得たのではないかと思う。
 そのとき岡本太郎はスペクタクル化装置としての「芸術」──成功と失敗、作品につけられた値段の序列が織り成す、ブルジョワジー(資本)によってアレンジされ始めた価値の空間──の外部にはっきりと立ったのだ。危険な道を選ぶのであれば、成功や喝采は(ましてや金は)追求すべきものではないだろうし、あえて失敗することを望むかもしれない。それどころか「作品」を作らないことすら意志することもありうるだろう。この地点において太郎は「芸術」を自分から突き放すことに成功し、以降「芸術=作品」は、彼にとって自ら「危険な道」を歩むための手段としてのみ是認されるものになったのではないかと私は想像する。
 つまりこの危険な道を選ぶという岡本太郎の実践は、同時に「芸術」(のスペクタクル)の解体(=脱構築)の一面を持っているということだ。これはシチュアシオニストの「状況の構築」の実践が、同時に芸術の脱構築でもあることとまったく同じである。ということはシチュアシオニストにとって「状況の構築」に奉仕する作品は「転用」と呼ばれたように、岡本太郎の「芸術」は、実は「芸術」の「転用」──スペクタクル化した「芸術」の、「危険な道」を歩むための手段への「転用」なのである。こんなことは誰も言ったことがないかもしれないが、有名な太郎の絵画「森の掟」や「明日の神話」は「転用」絵画である。ドゥボールの映画が「転用」映画であるように、「太陽の塔」は「転用」モニュメントであって、「芸術」ではないのである。もちろん岡本太郎は「転用」という言葉を用いず、あくまでも「芸術」という言葉で自分の活動を表現しようとしていた。それで彼は「芸術」という言葉の定義のほうを変えて、「芸術ではない」芸術(太郎の言葉を借りれば「絵でない絵」)という言い方をしなければならなかったのだ。

 近頃、アンチ資本主義的な文化的アクティヴィズムのなかで岡本太郎が最評価されている。芸術の商品化が問題になったのは今に始まったことではない。が、金融資本主義のカネ余りの投資先としての「芸術(アート)」がクローズアップされているなんていう悲惨な時代において、芸術の無償性を主張し続けていた太郎を評価する理由は痛いほどよくわかる。
 繰り返すがそのような岡本太郎の理解は間違いではない。しかしそこから浮かび上がってくる太郎のイメージには、どうも気の抜けた炭酸飲料を飲まされているような甘ったるい物足りなさを感じてならないのだ。岡本太郎には一筋縄ではいかない、容易に舌が受け付けられぬ「苦さ」があって、そういう苦味がどこかに飛んでしまっているのだ。この飛んでしまった部分とは、「芸術」への斥力であり、「芸術」を「脱構築」しようとすればほとんど生理的に生じてくる「芸術」への距離感である。
 それはシチュアシオニストの理解に関しても言える。シチュアシオニストを反体制的パフォーマンス・アート集団であるかのようにみなして、例えばフルクサスなんかと並べて論じたりしているのを目にするのだが、これもまったく同様の取り違えに基づくものだ。シチュアシオニストが運動の内外に対して結構なビター風味だったのは御存知の通りで、「状況の構築=芸術の脱構築」という運動の方針を理解しない者には、内部からは除名という形で、外部に対しては類似の文化的アクティヴィズム(プロヴォやパンクなど)への批判という形で、厳しく対処していた。
 一般に反資本主義の文化的アクティヴィズムは「芸術」との関係ではオプティミカルであり、運動の手段として「芸術」をポジティヴに活用している。定式化すれば「運動+芸術(アート)」という形になるだろう。一方、岡本太郎やシチュアシオニストは「芸術」への絶望──「芸術」そのものがスペクタクル化の装置になってしまっていることへの絶望──からスタートしていて、「芸術」から距離を取ろうとするネガティヴな「脱構築」のベクトルに貫かれている。このような差異はたぶんスペクタクルという概念の理解の差異に関わっていると思われる。木下誠氏によると

「スペクタクル」とは、単に権力やマスメディアが大衆に与える政治的-社会的イヴェントとしての「見せ物(スペクタクル)」とか、スターや人気商品を情報や広告・宣伝を大量に用いてこの社会での生き方のモデルとして提示する「イメージの大量伝播技術」といった狭い意味に限られたものではない。「スペクタクル」とは、政治や経済、生産や消費から個人の生活や趣味、人間関係に至るまで、すべてのものを動かす仕組みとして、「表象」に支配された「近代」社会を根底的に支える本質的構成原理である。


 ……ということで、スペクタクルの原理は資本主義社会の上に「イメージの大量伝播技術」として覆い被さっているようなものではなく、想像以上に私たちの生活の奥深くまで食い込み、ほとんど資本主義そのものの謂となっているのである。そこから、岡本太郎やシチュアシオニストは「スペクタクル化装置となってしまった芸術はもはや資本主義批判に使えない」という絶望的な認識を引き出しているのである。つまり彼らにとっては「運動+芸術(アート)」という定式はナンセンスであり、「運動=芸術の脱構築」という定式にとって変えられねばならない。そしてもしこの定式の中に「作品」が入り込むとすれば、それは「転用」作品なのであり、「芸術」ではない。しかしその差を見抜けるのは、「スペクタクル」という概念の深い意味をを見抜ける、前述の「目利き」だけでなのだ。

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僕の chim↑pom が、、、怒ってます!

 東京・JR渋谷駅構内に展示されている画家、故岡本太郎氏の壁画「明日の神話」に、アート集団「Chim↑Pom」(チンポム)が、東京電力福島第1原発事故を思わせるベニヤ板張りの絵を張り付けたことを明らかにした問題で、警視庁渋谷署は19日、軽犯罪法違反容疑などでメンバーから事情を聴く方針を固めた。

壁画落書き アート集団聴取へ



怒ってます!



 岡本太郎の壁画に福島第一の原子炉建屋の落書きがされて話題になっていたことは知ってるね。僕も画像を見て思わずニヤッとしてしまったよ。あれは chim↑pom というアーティスト集団の手になるものだった。chim↑pom については僕はそれほど評価する気はないのだが、軽犯罪法違反容疑なんてことになってくると擁護しないわけにはいかないだろう。
 まずもって岡本太郎の絵はすべて悪質な落書きみたいなものだし、彼の存在そのものがほとんど犯罪的だったんだ。天才だか狂人だかわからないような芸術家やその作品も、本人が亡くなってその瘴気も半減期とともに薄れてくると、もう守るべき文化財ということになってしまうらしいね。みんなも知ってるかもしれないけど、岡本太郎にとっては作品を作っている時の情熱が全てであって、作り終わったものに関してはどーでもよかったんだよ。太陽の塔に反体制の学生が登って大騒ぎになったことがあったけど、太郎はそれを逆に面白がって自らカメラに収めていたんだ。だからこの程度の落書きに過剰に反応する必要は全くないよ。第一、メンバーから事情を聞く方針って、何を聞くって言うんだい? あの原子炉建屋がすべて語ってくれている。野暮な話じゃないか。
 それ以上に気になるのは警察のゼロ・トレランスな捜査のほうだ。以前にもこんな事件があったけど、本当に社会空間に開かれた裂け目、いわゆる「割れ窓」を取り締まることには異常なほどご熱心だ。まるで戦時中の憲兵みたいだよ。こうした管理が作り出している、何とも古臭くて偏狭な道徳によって締め上げられた社会というものに果たして健全さなんてものがあるのかな? 警察の方々もそんなつまらない捜査なんかやめて、世界的に環境を汚染している非常に迷惑千万な発電所を国民をだまくらかして作ったり運転したりしてきた悪人や、福島の子供たちを安全デマで危険に追いやっている犯罪者たちを取り締まったほうがいいと思うのだが、どうだろう?

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岡本太郎は芸術の終わりなき脱構築の実践者である その1

 岡本太郎が亡くなってもう20年近くになるだろうか。彼の活動はいろいろな面から検証されている。前衛芸術家としての、フランス仕込みの思想家、著述家としての、また人類学、民族学者としての、そして人間としての岡本太郎。どんな面においても、彼の活動から面白い問題を提起できるだろう。が、私はもうひとつ、シチュアシオニストとしての岡本太郎という一面を浮き彫りにしたいと思う。
 もちろん実際には岡本太郎とシチュアシオニストの間に接点はない。そのうえ一般に「芸術家」としてカテゴライズされ、生涯エネルギッシュに芸術作品を創り続けた太郎と、スペクタクル化した「芸術」を徹底的に批判し、「作品」の製作そのものを戒めていたシチュアシオニストとの間には、対立点こそあれ、共通点など見出すことができないようにも思える。
 が、岡本太郎の言明によ~く耳を傾ければ、彼が常にシチュアシオニスト同様の芸術の「脱構築」の実践者であったことがわかるはずだ。太郎を好意的に解釈する人でも、この点に注目した例は私の知るところほとんどいない。岡本太郎がたんなるエキセントリックな爆発親父として解釈されて終わりになってしまわないように、私は彼の突出した活動を今日のアクティヴィズムの平面に着地させたいとずっと思ってきた。この論考もまたその試みである。

 シチュアシオニストは左翼の社会運動であるが、その特徴を一口で言えば「スペクタクル社会の批判とその乗り越え」ということになるだろう。スペクタクル社会とは、社会において少数の特権的でアクティヴな情報の発信者と受動的な観客への分離が生じ、権力が大多数の大衆に(主として視覚的テクノロジーを駆使して)社会への不介入を刷り込み、生を剥奪するという支配の構造のことである。シチュアシオニストの活動のスキームはその前身であるシュルレアリスム同様、芸術と政治の統合にあったが、その運動は「芸術」の枠組みそのものが、生や運動をスペクタクル化する働きにフォーカスし、シュルレアリスムも根本からそうした「作品」中心主義的なスペクタクルの原理に汚されていることを厳しく批判するところから立ち上がってきている。そうしたシュルレアリスムの轍を踏まぬよう、シチュアシオニストのスペクタクル批判は、同時に「芸術」から距離をとる=「芸術の脱構築」の面を必然的に持っていた。そのため彼らは運動の内外に対して、自分たちの運動が「芸術」運動と混同されないように注意を払っていた。シチュアシオニストに狭量な印象を与えている「除名」の厳しさはこの点に由来している。
 が、実際にはシチュアシオニストのメンバーも多くの「作品」を作っている。ドゥボールの映画、ヨルンの絵画、ベルンシュタインの小説などがそうだが、それらはあくまで社会状況への介入に奉仕するための手段である限り認められる「転用」作品だった。つまりスペクタクル化装置となった「芸術」を「転用=最領有」するものとしてのみ「作品」は認められたのであり、あくまでもシチュアシオニストの活動の重心は「状況の構築」という介入の実践にあった。

 ところで岡本太郎であるが、ご存知「芸術は爆発だ!」など、常々「芸術」について語り、病に倒れる直前まで絵画や彫刻の「作品」を作り続けていたわけで、文字通り「芸術家」だったと言って差し支えないように見える。しかし太郎はパリで抽象絵画を描いていた頃から「芸術」と距離をとろうとするような発言や行動をしていることに注目したい。
 パリで岡本太郎が参加していた「アブストラクシオン・クレアシオン」という抽象絵画の国際グループの画集に若き日の太郎の言葉が載っている。私の記憶に間違いがなければそれは「……まさに形でない形、色でない色を求めるべきだ。」というものだ。他では「絵でない絵」という言い方をよくしているが、いずれにしろ少々謎めいた言葉だ。
 これは「絵(=売ることを目的とした商品としての絵)ではない絵」、つまり太郎もよく言っている「無償の」絵を描くべきだという、芸術の無償性についての言明だと一般的には捉えられているし、私もそう思ってきた。この理解自体間違いではないと思うが、もうひとつの重要な論点が潜んでいる、というか、色々な著作や発言を検討してみれば、これは「芸術の脱構築」についての言明ではないかと思うのだ。それはほとんどシチュアシオニスト的な問題意識と重なっているのだが、ここをしっかり見抜けるのはかなりの「目利き」だけだ、と言っておきたい。

 岡本太郎はパリ時代、絵を描くことの意味にずいぶん深く悩んでいだ。ソルボンヌで哲学や民族学に打ち込み、一時は絵を描くことをやめてしまった、とも言っている。人に好かれるような(売り物としての)絵を描くなんて卑しい、しかし、では何を描くべきなのか? 岡本太郎は、戦後より明確になってくる前衛芸術の商品としての回収に、戦前の段階ですでに敏感に反応し嫌悪を抱いていたのだ。
 描くことの意味はシュルレアリストやバタイユのグループとの付き合いの中で追求されていった。そうした追求の結果であろう、自伝の中で岡本太郎はパリでのこんなエピソードを書いている。「ある日、真っ暗な映画館の中で自問自答していた。自分の目の前には2つの道があり、一方は安全な道、もう一方は危険な道である。人間は瞬間瞬間にこの2つの道の岐路に立たされている。暗闇の中で私は決意した。そうした岐路に立たされたとき、必ず危険な道を選択することを……。」
 このとき以来太郎はこの決意を貫き通しているという。これは芸術上の信念ということではなく、日常の生活のあらゆる面で、恋愛とか、45歳になってから始めたスキーの中にも貫かれている決意だと語っている。あまりにシンプルな言葉で表現された「思想」であるが、ここからはいろいろな問題が展開できる。

 「危険」を選択するという思想が意味することは、まず、「安全」な道という「維持」「獲得」「蓄積」などのタームに親和性を持つ自己保存の原理に対して、自分の存在を実験に供する「贈与」の意味を持っている。究極の「贈与」は自己の死ということになってしまうので、「可能な限り」という但し書きがつくはずであるが。また、「獲得」を放棄するということは「力(権力・権威・経済力など)」を求めず、むしろ「無力」であることをすら求めるという意志がこの選択の中には含まれている。太郎は「人生は積み重ねではなく、積み減らしだ」と言っているが、この意味で理解すべきだろう。もちろん、生とはそもそも「力」であり、究極の「無力」は自己の死を意味する以上、実際には、太郎の決意は「無力」を意志する「力」でありたい、ということにほかならない。
 また他者論の観点からも見ることもできる。岡本太郎自身は「他者」という言葉は使っていないが、よく「運命」という言い方をしている。生まれた時からわれわれに襲いかかってくる「運命」とはすなわち「自己」にあらざる「他者」以外の何物ではない。この「運命」を「愛する人を迎え入れるように」受け止めると太郎は言っている。いわゆる「歓待」の哲学であるが、「必ず危険な道を選択する」という彼の決意からは歓待などという生易しいものではなく、徹底的に他者によって自己を踏みつけ、蹂躙させることによってしか自己を維持できない、と言っているような印象すら受ける。
 このような極端な受動性の哲学はすでにシュルレアリスムの中に現れ始めていた(オートマティスムは受動性を極限化する方法である)が、それをより純化して極限的な哲学に作り替えている、という意味では岡本太郎とシチュアシオニストは共通している。例えばシチュアシオニストの「状況の構築」はメンバーたちの実験的、贈与的(シチュアシオニストの前身のレトリスト・インターナショナルの機関紙の名前は『ポトラッチ』だった)な都市空間への介入という方法をとっているが、それは介入することでつくり出した状況に自分自身が巻き込まれるという受動性に付きまとわれてもいるのだ。
 シチュアシオニストの「状況の構築」は、権力や権力に同調する建築家が、神の如き俯瞰的地点から都市を改良しようとする垂直的、戦略的(ド・セルトー)な「都市計画」と真っ向から対立するものであった。逆に「状況の構築」における介入は、「無力=受動的」であり、水平的かつ他者と対面的であることを方法的に選択している。ド・セルトーは「戦術」という言葉を「民衆(弱者・無力な者)のもののやり方」であると定義したが、シチュアシオニストの活動は明らかに「戦術」的である。これは岡本太郎の活動にもそのまま当てはまるだろう。
 両者の活動がシュルレアリスムの批判的乗り越えという面を共有するなら、こうした類似は合点の行くことである。そして当然ながら岡本太郎とシチュアシオニストの「芸術」に対するスタンスも、(一見共通点などないように見えて)実によく似ているのである。(つづく)

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ダンボール絵画についての覚書


 新宿のダンボール絵画を知ったのはいつだっただろう。90年代、新宿を歩く機会は少なくなかったはずだが、なぜか実物を見る機会はなく、雑誌に載せられた写真ではじめてお目にかかった。武氏の描いたものだと思うが、正直「俗っぽい絵だな」と思った。しかし、その俗悪な感じのダンボール上のペインティングに、いわゆる「芸術(アート)」のカテゴリーに通約できない何かを感じて、WEB上のダンボール絵画の画像をその後もときどき眺めたりした。徐々にその「俗っぽさ」を面白く感じ始め、いつのまにか機能主義的な都市の地下道に少々毒々しい彼らの絵が描かれたダンボールの住居が溢れてゆくイメージに鬼気迫るものすら感じるようになった。村上隆の作品をポストモダンだ、とか、クールジャパンだとか、小難しく論じてる奴らを横目で見ながら、すでに行政によって撤去され処分されたしまったであろうダンボール絵画のほうがよっぽどクールじゃん、と思った。多くの人が感じるようだが、私も「それにしてもこれは一体何なんだろう?」と思い、納得のいく解釈を欲した。
 当然ながら一般に、このダンボール絵画も「芸術(アート)」としてカテゴライズされ解釈されているだろう。なるほど野宿者の廃材による住居を作品の支持体に選んでいるところに武氏らの活動の政治性が際立っているにしろ、絵の具を使ったペインティングをアートとして理解するのは不思議ではないし、間違いでもないだろう。しかし私はこのダンボール絵画を、情動的空間の構成(状況の構築)の実践として解釈すべきだと思う。
 そしてそうである以上それは「芸術(アート)」とは、はっきり区別されなければならい。シチュアシオニストに従えば「状況の構築」に奉仕する作品活動は、芸術の「転用」であって、いまだ大手を振って流通している「芸術(アート)」とは似て非なるものである。ほとんどの左翼系論者もこうした空間を構成する政治的な表現をわりと無神経に「芸術(アート)」という言葉で言い表しているが、それによって表現=アクションは個人主義的な方向へ、たとえばダンボール絵画を武氏や山根、吉崎氏らの芸術的才能の発現としてスペクタクル化する解釈へと道を開いてしまう(でなければ、岡本太郎のように「絵でない絵」「芸術でない芸術」と、謎めいた言い方をするしかないだろう)。シチュアシオニストは、「芸術(アート)」というカテゴリーが叛乱的アクションを回収する装置になっていることを強く意識していた。それゆえ彼らの「状況の構築」の実践は、「芸術の脱構築」(=芸術から距離をとること)と常に背中合わせだった。ダンボール絵画の場合も「芸術(アート)」ではなく「芸術(アート)の転用」と解釈することで、スペクタクル的関係から逃れ、都市空間を万人によって生きられる場にすることにつながる理解も可能になってくるののではないかと思う。
 武盾一郎氏がそのような個人主義的な意識でダンボール絵画を創作していたのではないことは、本人の口からも語られている。

──かつての街頭の芸術的・政治的な動きというのは、寺山修司でも赤瀬川原平でもいいんだけど、寺山なら寺山というビッグネームとして残っている。でもまた90年代中盤に新宿駅西口で武さんの活動というものが始まったわけだけど、かつてと違うのは、特に武さんという固有名が脚光を浴びているわけではなくて、あれっ、また絵が増えたね、そういうリアクションだと思うんだよね。だから絵を描いている武さん自身も、さっきの文脈でいうと匿名化していると思うんです。武さんは「予感」という言葉を良く使うんだけど、受け取る側もその絵が描かれた理由やそれが何を意味しているのかではなくて、何となくその場の雰囲気でその絵を享受しているように思うんだけど。

 そうだね。週末があけて月曜日通ってみたら、あれっ、また絵が増えている、という感じ。でもその時は、僕はいなくてもいい、僕は、何ていうかその空間の中に溶け込んでいればいいわけですよ。(『路上画家(ダンボールハウスペインター)武盾一郎氏に聞く』)



 路上でのハプニングというと60年代の「ネオダダ」や「ハイレッドセンター」が思い出される。ヨーロッパから遅れること30年、日本に移植され根付いた前衛芸術が空前の盛り上がりを見せた時期で、その自体非常に面白いものだが、ダンボール絵画と同列に論じられないのは、前者があくまでも「芸術(アート)」のカテゴリーに収まるものであるのに対して、後者がそうではないことだ。まず、ダンボールを支持体とした絵画が作品としての永続やその商品化にはまったく無関心なものであるのは、言うまでもない。ダンボール絵画の作者たちは作品そのものには価値を置いていないし、あくまでもこの実践がテンポラルなものであることを意識していただろう。また「芸術(アート)」には注目を集めるヒーロー(ビッグネーム)がいて、一般大衆とは差別化されたタレントが専門的に表現行為をする、というスペクタクルの図式が基本的に成り立っている。その点、ダンボール絵画において武氏という個人は、匿名化することをすら目指している。武氏の語るところを聞く限り、その関心は空間を情動化することで都市空間に介入することにあり、芸術作品の創作には重心を置いていない。

 あの空間で描いた絵がどんどん増えていくこととは、そのストリートの空気や匂い全体を変えることで、自分を誉めるようだけど、それで空間が豊かになっていく、そういうふうな僕の目論見がある。(同上



このような「状況の構築」に奉仕する非個人主義的な作品活動をシチュアシオニストは芸術の「転用」として捉え、すでに資本によって領有され、叛乱の懐柔=回収装置として働いている「芸術(アート)」を再領有する試みと考えた。ダンボール絵画とはまさに芸術の「転用=再領有」の実践であって、60年代の路上の前衛芸術のアクションとはずいぶん意味合いが違うのである(もっとも前衛芸術自体、ブルジョワ芸術の制度を「転用」したものなわけだが)。
 それにしてもなぜあのような毒々しく俗悪な感じの絵が発想されたのかは知る由もないが、ダンボールに描かれた作品群は、機能主義的で高級化(ジェントリフィケート)した都市の地下道に対して独特な不協和音を響かせているのは確かだ。武氏は混沌とした人間生活の多様性に寛容な空間に惹かれるものを持っていた。野宿者たちの新宿地下道のダンボールハウス村にも多様で異質なものが混在する空間を見ていたようだ。

 そう、僕は、渋谷とか六本木じゃなくて、この新宿という街が好きなんです。何で好きかというと、新宿では、ピンクサロンの隣に八百屋があったりとかして、そういった風景が日常的なこととして受け止められる。それらはもしかしたらアジアっぼさということなのかも知れない。一見するとカオスっぼいんだけど、それなりの秩序が成立しているアジアのストリートでは、牛と自動車とオートバイとが一緒になってガーッと走っていたりする。(笑) 僕はそういった在り方に居心地の良さを感じるんです。そして、その新宿のストリートの風景の中でも特にあそこ(ダンボールハウス村)にひきつけられてしまったということなんです。(同上



 それは裏をかえせば、資本や行政による非寛容な都市空間の管理=同質化への憤りでもある。行政は公共空間というものを、人や物が効率的かつ潤滑に移動するための通路としてのみ、すなわち資本の論理においてのみ認め、それ以外の、資本の論理からこぼれ落ちた人々──(自助努力の不足や怠惰の結果だというのだが)プライベートな生活空間を確保する資金を持つことができないため公共の空間で生活するしかない人々(=臭い異物)が、そこに滞在することを疎ましいことと見ている。行政権力は野宿者に対して、強制排除やアーキテクチャによる遠まわしな排除を続けていた。民主主義社会における「公共空間」とは本来、すべての人に無条件に開かれた抗争/討議の場であるはずだが、実際には、資本が上から押し付けてきている差別的な「公共性」というものが、行政や警察の権力を後ろ盾に幅を効かせているのだ。むしろ公共空間は支配階級によって「私有化」しているといった方が適切である(こうした公共性をめぐる行政と民衆の対立は、いまも渋谷の宮下公園の運動などにおいて露出している)。

──そこで、やはり都市空間に対する認識の違いというものが、露骨に出てるんだろうね。要するに、通路は、歩くものであって、それ以外の機能を一切認めないという。

 それで、思い出したのが、大撤去の前、地下道構内アンウンスで、「この通路を本来の道に戻すために、それを邪魔している物体をどかします」というような内容のことが聞こえてきたんだけど。でも、道って本来、道草を食うためにあったり、いろんな人がすれ違ったり、出会ったり、立ち話もするところなわけでしょう。僕は、東京都当局の使う日本語は、おかしいと思うんだよね。(同上



 このような権力の統治の中に現れた異物は行政にとって、犯罪学で言うところの「割れ窓」であり、統治された空間に生じた裂け目である。日常化した支配的空間にポッカリと開いた異空間──それゆえ権力や、権力の統治のもとに生きる人達にとって不気味で不安や恐怖をもたらすのである。武氏自身もダンボールハウス村に「精霊」のようなものがいる、というようなことを言っているが、機能的な都市の真ん中に異空間が開いていたことを感じてのことだろう。

 そう、あそこに独特の気があるから、僕は、ダンボールに絵を描くことが多分出来るんだろうと思うんです。絵の描き方として、今まで1回も始めからこう描こうとか思ったことはなくて、それでも、もう200件近く描いているということは、やはりそこには、何かが「いる」ということなんだろうと思う。僕も、もしかしたら、シャーマン的なことをしているのかも知れない。(笑)だから、僕は、別に僕自身の世界を出そうとしているわけじゃないんですよ。あそこの気が僕の身体を通過して、この腕から絵が出て来る、と。あそこの中では、自分というのは、意志の無い存在であったりするんです。(同上



 武氏は支配的空間に開かれた裂け目(=割れ窓)に吸い寄せられるようにしてダンボールハウス村にたどり着き、そこで絵を描き始めた。そこでの武氏らの実践はその裂け目(=割れ窓)を──「芸術(アート)」の転用によって情動化することで──さらに別方向に引き裂き押し広げることだった。
 しかし、こうした統治する権力にとっての「割れ窓」を創り出すアクションこそ実は、真正な意味での「公共性」の創出だといえるだろう。ロザリン・ドイッチはこう書いている。

この私有(=支配階級にとって私有化された)空間を公共のものに変えるひとつの方法は、それ固有の意味を剥ぎ取り、その空間が意図していたものとは異なる諸目的のためにそれを配置することである、ということになる。この枠組みの中から見ると、公共空間は使用者のために造られた、あらかじめ構成された実体なのではない。それはむしろ使用者による日々の営為を通じて浮かび上がってくるものなのだ。(『民主主義の空隙』 ロザリン・ドイッチ)



 ダンボール絵画の面白さの源泉はここにあり、海外でよく見られるグラフィティと同じ機能を持っている。

……1970年代と1980年代のニューヨークのグラフィティは、公共空間の意味をめぐる論争において何が問題になっていたかを明らかにする。ウィルソンとケリングに代表される都市言説は、公共空間を脅かすものとしてグラフィティを扱う──つまりは割れ窓として。ド・セルトーにとって、グラフィティは、都市空間に押しつけられた固有の意味が置き換わりうる方法を提示するものである。すなわち、グラフィティは「都市のいくつかの部分を消去し、他の部分を拡大[誇張]する」。ド・セルトーの説を敷衍するなら、グラフィティは公共空間に入り込むのではなく、公共空間を造るといってよい。都市における排除が、社会調和という夢のなかで消失するのではなく、民主的異議申し立ての活動地域に入りうる領域を意味する限りにおいてではあるが。窓が光を通すように、グラフィティは、官による都市開発が外部に追放し、揉み消そうとする、まさにその都市の一角を可視化する。このような変形する力のある空間的実践は、社会空間に内在する不確実性に依拠し、またそれを曝け出す。それは空間を活気づけ、表向きの固定性から空間を自由にすることを可能にする不確実性である。パブリック・アートとして持て囃されている大方のものとは対照的に、公共空間を造る芸術は、事物が所与のものであり不可避であるかのように推移することを妨げる、中断する活動である。空間を公共のものにすることは、場所に隷属しない効果のパフォーマンスに依拠した公共空間の概念を扱う方法をもたらしてくれる。(同上



 落書き(グラフィティ)は68年5月のパリでも意識的に使われた、「状況の構築」のための空間的実践である。私たちは普段、通行人として権力によって一義的に押し付けられた「公共空間」を受動的に受け入れてしまっている。しかしダンボール絵画(グラフィティ)は、その空間に楔を穿ち、通行人の意識に揺さぶりをかけ触発し、民衆の空間を能動的に創りあげる可能性へと開くのだ。権力の末端の行使者の言葉は興味深い。

 ……それで、何日かたって、一番印象的だったのが「なあ、武よ、あんなところに絵があると、人々の勤労意欲がうせるんだよ」と。僕は、その言葉が、刑事個人の感想なのか、職務の一貫として出てきた言葉なのかわからないんだけど、一体何語なのかさっぱりわからなかった。(笑)。(『路上画家(ダンボールハウスペインター)武盾一郎氏に聞く』)



 言葉の問題だと言ってしまえばそれまでだが、こうした空間的な実践を「芸術(アート)」という言葉を使ってカテゴライズせざるをえない私たちのボキャブラリーの狭さに不毛さを感じ続けている。グラフィティにしろヒップホップ文化にしろ、そのブリコラージュ的な「転用」の実践は非常に痛快でエキサイティングだ。またそれらの「転用」作品に値がついて売れること自体、悪いことだとも思わない。が、こうした実践によって切り開かれた裂け目から垣間見えた異空間の残像を、スペクタクル化する通路(スター・システム)だけが私たちの前に明るく照らされている現実が、どうにもこうにも苛立たしいのである。
 グラフィティでいえば、キース・ヘリングやバスキアといった人たちは、もともと権力の統治空間を切り裂く犯罪的な「転用」の実践者だったはずだが、マーケットにすくい上げられ成功したアーティストになった。アンダーグラウンドで行われているこのような諸実践は、マーケットからは新奇なスペクタクルの生まれ来る苗床としてリサーチの対象になっている一方、実践者たちの活動も(経済的な問題もあるだろうが)アーティストとしての成功がドライヴするようにと横滑りしてゆく。
 このように資本主義体制のもと個人主義的な成功(上昇)への圧力は弱まる気配すらない。それにたいして私たちは(専門化したアクター/受動的なオーディエンス)というスペクタクル的関係の退屈さを人々に思い知らせることが出来るような、面白い実践──シチュアシオニストによれば「生きること」──を日常生活の空間の中に溢れさせていかなければならないだろう。

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garage sale

▼イルコモンズ「〈帝国〉のアートと新たな反資本主義の表現者たち」(※全文掲載)
http://d.hatena.ne.jp/araiken/20100603/1275529772
(※提供:ブログ「ガレージセール」 全文掲載されてるのでコピー&ペーストし放題です)



 小田マサノリさんのブログのエントリーにチロッと紹介してもらったこれ。上のリンク先にaraikenという文字が入っていることからわかるとおり、犯人はオレです。もともと雑誌掲載の文章で、法的にはアレなんだろうけど、さすが、というか、「コピー&ペーストし放題です」と、著者としてはさりげに了承してくれてます。
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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
 連絡先 araiken#mac.com #を@に置き換えてください。



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