泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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大衆文化の批判と擁護

 アドルノの軽音楽批判というのがあって、これが「啓蒙の弁証法」あたりに共感を寄せる左系の人々にも評判が悪い。資本憎しのアドルノにとって資本の息のかかった軽音楽(大衆文化)は、彼が深窓の乙女のごとく持ち上げるモデルネの自律芸術と較べると、まるで汚れた売女のような扱いだ。

音の氾濫、反乱の音 ── 大衆音楽の両義性 小倉利丸

曰く、そうした軽音楽は、大衆に「無軌道な熱狂状態」と「規格化」をもたらすものだと頭ごなしに批判されるし、そのときアドルノの頭に浮かんでいるだろう大衆像はそうした文化装置に操作されるだけの愚民の集まりになってしまっている。
 小倉利丸氏はロックがお好きなようだが、左翼の知識人の中にもジャズやヒップホップ、あるいは文化産業の花形である映画のファンはいっぱいいて、こうしたアドルノの鼻持ちならない上から目線ってどうよ、という話になるわけだ。
 私個人の話をすれば、どういうわけかロックにも映画にもあまり興味を持たずに生きてきた。私が若い頃愛してきたのは、漫画、アニメ、SF、ロリコン、、、いわゆるオタク文化だった。ひょっとするとロックや映画を擁護する知識人たちも、オタク文化の幼児的なフェティシズムやメディアへの(無軌道な)没入に対しては顔をしかめるのではないだろうか。が、間違いなく私自身、オタク文化という大衆文化以上に汚れた売女たちの世話になって自己形成してきたのだ。

 それではアドルノの文化産業論は全くの誤りなのかというと、そういうわけではなくて、いわゆる消費社会批判の先駆けとして揺るぎない真実を描き出しているのである。ただそれは抽象的な理論図式として真実であるにしても、具体的な現実をアドルノが観ているかといえばそうは思えないのである。
 こうした理論図式の意義は、自明化した現実への没入状態にある私達を揺さぶり、現実から一歩引いた地点に立つことを可能にしてくれるところにある。当たり前に受け入れ楽しんでいるものが、私達を疎外の中に留め置くための仕掛けになっているのではないかと、鋭利で挑発的な理論の切先が覚醒を促してくれるのだ。
 しかしアドルノは、自分の理論図式を現実に押し当て、資本の息のかかった売女(大衆文化)は、結局システムを再生産するために働くしかないのだから、そこに抵抗や闘争を見出すことなどできるわけがないと決めつけているようにみえる。まず図式ありきで、売女が客の私に示してくれた優しい気遣いや微笑み、触れた唇の柔らかさなどに思いを巡らしてみることなど端から放棄されている。所詮金目当ての手練手管なんだろフフン、というわけである。

 アドルノの理論図式の誤りを指摘するのは多分難しくないだろう。彼の持ち上げる芸術(高級文化)も、軽蔑する大衆文化(低級文化)も、本質的にはどちらも権力に奉仕するスペクタクル(卓越の文化)であるという意味では大差はないのだが、彼は反芸術運動(モデルネ芸術)を観て芸術の領域に希望を持ってしまった。自律芸術という、瀟洒な洋館の窓辺に佇む乙女だけが暗い彼の心を救う天使になったのだ。本来、反芸術は文字通り芸術(卓越の文化)に反する、芸術ではない文化(生きられる文化)なのだが、その点を取り違えてドイツ人が発明した芸術というサブシステムの(メインシステム=権力からの)自律という物語に乗っかって、ブルジョワ権力(資本)の魔の手から乙女の純潔(芸術=高級文化の領域)を守らなければならないと勘違いしてしまったのだと、私は邪推している。
 だが自律すべきは芸術という領域ではなくて、私達一人ひとりの生であろう。反芸術運動とは、たまたま19世紀後半からの100年のあいだ、芸術(卓越の文化)の領域を、疎外からの生の自律の試み(生きられる文化)が流用し、乗っ取ったものであって、そうした乗っ取りは社会システムのあらゆる領域で展開可能なものである。かつては祝祭やカーニヴァルのような形で、生きられる文化は大規模に組織されていたが、近代化とともにすでにそれは散り散りになってゲリラ的に生き延びることになり、19世紀中頃から芸術の領域にも侵入してきたのである。
 アドルノが資本の手に掛かった売女と見なしているであろう大衆文化の中にも当然、疎外からの生の自律の試み(生きられる文化)は侵入している。厳しい制約の下、意識的無意識的に試みは続けられ、時には制約を突破して祝祭らしきものが噴出することもあるだろう。アドルノならそれを「無軌道な熱狂状態」と罵るかもしれないが、そもそも生きられる文化特有のエモーションの侵入がなかったなら、人は大衆文化において熱狂状態に陥ることもないのではないか。大衆文化であろうと、ナチのプロパガンダ芸術であろうと、社会主義リアリズムであろうと、単なる大衆操作ではなく、疎外を越えようとする試みが何らかの形で侵入しているからこそ、人を惹きつけることができると考えるべきではないだろうか。金で買ったはずの売女が単にアバズレ女ではなく、どこにでもいる普通の女なんだと気がついて、心を震わせながらまた娼館に上がる男は、商品化した性の消費に取り憑かれた愚かな大衆でしかないと言い切れるものだろうか。
 つまりアドルノが大衆操作を見ている局面で実際に起きているのは、大衆の自律の試みと、権力との間の闘争なのである。なるほど資本主義の精神は制度やモノの中に物象化し、もはやシステムとその疎外は確実に再生産されびくとも動かぬ鉄板なものに思えるが、逆に物象化させる人間の意識の支えがなかったらシステム全体が浮いたものになり、簡単に崩壊しうるものでもある。だからこそ資本の側も必死に関係性全体を正統化する闘いを絶えず強いられているし、大衆(プロレタリア、マルチチュードと言ってもいいが)も資本と絶えざる自律への駆け引きをおこなっているのだが、アドルノの抽象的で透明な理論図式からは、こうしたダイナミズムへの視線は感じられない。むしろ操作されるだけの大衆への苛立ちや軽蔑がちらついているようにすら見える。アドルノのペシミスティックな論調というのは知的良心から出てきたものではなく、おそらくこういった偏見に基づいていているのではないだろうか。

 もちろん私はアドルノ同様に大衆文化というフレームを厳しく批判する立場にある。ただしアドルノと違うのは(モデルネ)芸術をも同時に批判するというところだ。というのもどちらも卓越の文化(権力に奉仕するスペクタクル)という疎外された関係性の文化だからである。客となって薄暗い娼館の一室のベッドに腰掛け、手を取り寄り添いながら束の間の会話を楽しむだけが、彼女との関係の全てではないように、卓越の文化の演者/観客の関係性とは異なる、生きられる文化の関係性を実現させたいと思うからだ。が、それはアドルノが結果的に陥ってしまっている偏見、彼がお気に入りの新ウィーン楽派(芸術)を持ち上げ、高度に商品化している軽音楽(大衆文化)を蔑むという偏見、深窓の純潔なる乙女を崇拝し、売女を軽蔑することとは全く別のことである。

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疎外論における演劇のメタファー

「カー二ヴァルには演技者と観客の区別はない。カー二ヴァルには、たとえ未発達の形式においてですらフットライトなるものは存在しない。フットライトがあれば、カー二ヴァルはぶちこわしになろう(逆に、フットライトをなくせば、演劇的見世物はぶちこわしになろう)。カー二ヴァルは観るものではなく、そのなかで生きるものであって、すべてのひとが生きている。というのも、 カー二ヴァルはその理念からして、全民衆的なものだからである。カー二ヴァルがおこなわれているあいだは、誰にとってもカー二ヴァル以外の生活は存在しない。」


 、、、というバフチンの言葉を何度か紹介しているが、この演者と観客を二分する「フットライト」の比喩で問題にしているのは演劇(芸術)論ではない。演劇(芸術)のメタファーで語られた疎外論である。
 もうひとつ、ドゥボールのスペクタクル批判も受動的な「観客」という言い回しを使っているが、これも演劇(芸術)論ではなくて疎外論である。シチュアシオニストの活動が、ダダ・シュルレアリスムなどの前衛芸術運動を先鋭化/換骨奪胎したものであることや、都市空間をデコール(舞台)と見なし状況への介入を企てるという演劇のメタファーを使ったマニフェストをそのまま演劇論として受け取るなら、(多くの知識人が勘違いしているように)シチュアシオニストを政治的な問題意識を持ったフルクサス的な前衛芸術(パフォーマンス、ハプニング)集団と誤解してしまうのもわからないでもない。

『解放された観客』 ジャック・ランシエール

 今のところランシエールの書いたものはこれぐらいしか読んでいないのだが、共感半分、疑問半分という印象を抱いている。この文章は、今日話題の参加型アートのような、演者と観客の間の距離を消し去り、観客を創造・表現活動に巻き込む演劇/芸術の批判をするのだが、ランシエールの著書『無知な教師』で展開した公教育の教師を批判するスキームで、芸術家(演者)のパフォーマンスの意味を暴露するものである。ランシエールの公教育批判は、教師が生徒を無知なものであることを捏造(愚鈍化)することで、システムの中で生徒より卓越した教師としての地位を得るという詐術と、その捏造がシステムとその中での地位(ヒエラルキー)を再生産するカラクリを喝破し、知性の平等とは何かを示すことにある。
 つまりこれは教育の疎外のメカニズムの暴露なのである。このスキームを用いてランシエールは演者と観客の間の距離を消し去る形の芸術パフォーマンス(例えばブリオーの「関係性の美学」とか)を批判するわけである。このスキームを芸術の領域にそのまま当てはめれば、芸術家(演者)は、そのパフォーマンスに触れる者を観客化(受動的な)することで、(はじめて)芸術のシステムの中である卓越した演者(能動的な表現者)という地位を得る(芸術家になる)、というカラクリが浮かび上がってくるだろう。
 ランシエールのスキームは、文化の疎外を暴露し、文化の平等(自律)とは何かということを示してくれるはずである。が、どうもすっきりしないのは、ランシエールのこのテクストにはドゥボールのスペクタクル批判の断章が、演者と観客の間の距離を消し去るタイプの演劇(ここではアルトーの残酷劇が話題に登っている)の本質を裏書きするものとして引用されていることである。
 すなわちスペクタクルに見入る(受動的な)観客というドゥボールの(演劇のメタファーで語られた)疎外論が、(能動的な)演者と(受動的な)観客の間の距離を消し去る形の芸術の本質(=演劇論)とアレゴリカルに重ね合わされているのである。ランシエールは演劇(芸術)論と、(演劇のメタファーを用いた)疎外論を混同し同一視するという誤りを犯しているのだ。
 はっきりとは言及されていないもののこの理屈によると、スペクタクル批判と表裏一体のシチュアシオニストの実践は、一種の前衛演劇(芸術)だという理解に落とし込まれてしまうだろう。シチュアシオニストは自分たちの活動が「芸術」ではないと主張し続けていたにもかかわらずだ。
 演劇(芸術)論における能動性は、フットライトで仕切られたステージ上の「演者」に付与されているが、(演劇のメタファーで語られた)疎外論において「演者(=芸術家)」は、スペクタクルに見入る(=支配的システムのヒエラルキーのなかで地位を得ようとしている)ものであり、その限りでむしろ(疎外された)受動的な存在、である。つまり「演者(=芸術家)」そのものがまず「観客」なのだ。
 演劇(芸術)論における能動的な「演者」は、(受動的な)「観客」との距離を消去し、すべての人間が能動的でクリエイティブな「演者」になるべきだ(万人が芸術家であれ!)と言うだろうが、疎外論における能動性は、演者/観客という疎外された(上下関係)二項への分離そのものの消去を、演者(=芸術家)でも観客でもない何かになることを要請するだろう。
 参加型アート、、、例えば古くはヨゼフ・ボイス(この人はよく、万人が芸術家であれ!と言っていた)、最近ではブリオーの持ち上げているリクリット・ティラバーニャ(インド系の名前かと思ってたら、なんとタイ人アーティスト! 正確にはฤกษ์ฤทธิ์ ตีระวนิช­=リクリッ・ティーラワニッ だな。)、熊倉敬聡が紹介している「アートレス」だとか「ワークショップ」などは明らかに演劇論的な受動性の消去を目指す試みである。ここで創造に参加することになる人々は、一時的にプチ演者(プチアーティスト)になる(される)が、そのことは疎外からの自律、文化の平等につながっているとは思えない。むしろ「観客」との距離を消去する実践がヨゼフ・ボイスやリクリット・ティラバーニャという個人のアーティストの芸術の世界(アートワールド)における地位を高めるほうに働いてしまっている。結果的にそれは非常に巧妙なスペクタクルになってしまっているのだ。
 それに対してシチュアシオニストのスペクタクル批判とは、演者として卓越することではない。

非一介入というスペクタクルの原理そのものが、古い世界の疎外といかに深く結び付いているかは容易に見てとれる。それとは逆に、文化における革命的探求のなかで最も価値あるものが、スペクタクルの観客のヒーローへの心理的同一化を破壊し、自分の生を一変させる能力を引き出すことによって、その観客を積極的な行動に引きずり込むようにどれほど努めてきたかもよく知られている。状況とは、したがって、それを構築する者たちによって生きられるために作られるものである。そこでは、受動的とは言わないまでも少なくとも単に端役的なだけの「公衆(=観客)」役割は、常に減少することになる一方で、もはや演者ではなく、言葉の新しい意味において「生きる者」と呼ばれる者の関与するところが増大する。


 観客でも演者でもないもの、、、「生きる者」になるのである。万人によって生きられる文化、それをバフチンは「カーニヴァル」と言っていた。たぶんランシエールは良心的で頭のいい思想家なんだろうが、平等のイメージがどこか貧困なのではないだろうか。文化の平等、疎外からの自律のイメージはバフチンの描く「カーニヴァル」を参照すべきなのだ。バフチンのような豊かなイメージを持っていれば、上のドゥボールの言葉を演劇論と勘違いしたりはしないだろう。私には、シチュアシオニストたちがまさに「無知な教師」に思えてならないのだが、どうなのだろう。


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バフチン 中世の公式な祭日

中世の公式な祭日── 教会の祭りも封建国家の祭りも── は現存する世界秩序から外へは導かず、いささかも第二の生活を創り出すことはなかった。反対に、現存する機構を聖なるものとして裁可し、機構を強化したのである。〈時〉とのつながりも形式的なものとなり、交替や危機は過去へ運び去られてしまった。公式の祝祭は実際は後ろの過去のみを見ており、この過去を使って、現に存在する機構を神聖なものとしたのである。公式の祝祭は、時には祝祭自身のイデーに反して、すべての現存する世界秩序── 現在の階層秩序(ヒエラルヒー)、現存の宗教的・政治的・道徳的規範、禁止(タブー)── の安定性、不変性、永遠性を確認することさえあった。祝祭は、永遠で不変の、論議の余地なきものとして立ち現われた、既成の支配的な真理の勝利であった。そのため、公式の祝祭のトーンは一枚の岩からできているような厳粛でしかなかった。笑いの原理はその本性には異質のものなのであった。正にこのために、公式の祝祭は、人間の祝祭性の真の本性に背きそれをゆがめたのである。しかし、この正真正銘の祝祭性は根絶やしにはできなかった。それゆえに真の祝祭性は容認され、祝祭の公式な面以外の場所では部分的に合法とされ、この真の祝祭に民衆の広場が譲り渡されることとなった。
ミハイル・バフチン 『フランソワ・ラブレーの作品と中世ルネサンスの民衆文化』



バフチンによる公式文化についての記述は、スペクタクルの特徴の解説になっている。今日の公式文化である「芸術」においてもこの厳粛さという特徴は揺いでいない。19世紀中盤から現れた「反芸術」運動は、非公式的な笑いの原理をその本質としていたのだが、権力による解釈(モダニズム)はそれをストイックで厳粛なものとして描き直した。現代芸術評論の難解な言い回しは芸術の営みがとにかく求道者の修行のように真面目で真剣なものであることを示そうとしている。芸術家自身も難しい顔をしながら自分の仕事を、権力由来の概念で理論武装することに余念がない。カンディンスキーやモンドリアンやマレービチの丸や四角だけを描いた幾何学的抽象なんて本来、芸術の厳粛さを文字通り笑いのめし踏みつける所業なのだが、その理論的背景を難しい言葉で長々と語るのだ。いまや髭をつけたモナリザすらモダニズム流解釈を施され、現に存在する機構を神聖なものにするために働かされ、モダニズムのストイックさに反抗して現れたポストモダニズムは、モダニズムが排した大衆文化や伝統文化やインモラルなイメージを大胆に取り入れたが、結局どこまで行っても厳粛なものにとどまっている。というのもそれらは卓越の文化であるからで、卓越、優越という事態そのものが階層秩序(ヒエラルヒー)と直結し、権力の視線を受け入れているからである。

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今も生き残るアカデミズム

 19世紀後半から20世紀前半にかけて西洋のアートワールド(芸術の権威)はその中心的規範(芸術と非芸術の境界を決定する言説)を大きく変えた。芸術アカデミーというブルジョワ国家の官僚的権威を中心に組織されていた古典主義的な「アカデミズム」から、前衛芸術を擁護する「モダニズム」へと急速に転換したのである。それは、西洋美術がそれまでの国家的(中央集権的、礼拝的)スペクタクルから、市場に流通する商品へと性格を変えて、消費のスペクタクルへと変貌していったことを背景としていた。モダニズム言説の特徴はいくつか挙げることができる(例えば、自己批判的、自己検証的な純粋性やメタ性、フォーマリズム、歴史発展主義など)が、モダニズムの消費のスペクタクルとしての性格を一番反映しているのは、「新しさ」という規範である。これは消費社会を流通する商品の価値を決める「モード」と何ら変わることないコードである。実際には、その他の規範を背負っていなければならない「モダニズム芸術」は、市場で売れればいいだけの単なる商品とは異なるのだが、この時期に芸術作品はよりあからさまに商品化したのは確かである。
 アカデミズムは古典主義というスタティックである意味わかりやすい規範であったが、モダニズムはダイナミック(動的)な規範であって、掴みどころがない。20世紀以降、つまりモダニズムが中心的規範となって以来、アーティストを志望する若者は誰でも「何を描いたらいいのか?」という問題に直面した経験を持つようになるのだが、これは19世紀以前にはあり得ない逡巡なのである。かつては芸術家になろうとする者が学び修練すべき目標ははっきりしていたのに、現在ではアーティストという戦士たちは、何が正解なのかわからない状態で今までなかった何かを創り出す必要に迫られるようになっているのだ。
 はっきりしているのは、固定的で形式的なアカデミズムの規範は、ダイナミックなモダニズムの規範とは本来相容れないものだということだ。形式的で古臭いアカデミズム芸術は、モダニズムにとっては過去のもの、キッチュとなって、芸術とは認められない「後衛」として、大衆文化や文化産業同様に非芸術として文化のメインストリームから排斥されてゆくべきものになったのだ。
 しかしアカデミズムの技術そのものは死んだわけではない。大衆文化や商業美術のなかではアカデミックな技術は、その価値を決する重要なファクターであるし、公募展(日本でいうと、日展とか二科展)のような周縁的な芸術の世界でも同様である。また、美術大学の入試では、いまだに石膏デッサンというアカデミックな技術の習得が選考の基準となっているわけで、アートワールドには相容れない規範が奇妙な形で同居しているのである。これでは美大に進んでアーティストになろうとしている若者は混乱するだけで、何か痛々しいのである。
 さらにここ数十年の間に、「ポストモダニズム」というモダニズムのアップデートバージョンが登場し、アートの世界はますます何が何だかわからなくなっている。モダニズムは、大衆文化(文化産業)の低俗さに対立することで自らの高級文化としての地位を確立させたために、独特の純粋性やストイックさを持つことになった。しかしその還元主義が臨界点に達するとともに、ストイックなプレモダニズムは放棄され、大衆文化と融合しながらポストモダニズムという新バージョンを形成した。しかしプレモダニズムもそれで消えてしまったわけではなく、ポストモダニズムと同居を続けているのである。

 アーティストになることを夢見る若者に言うとしたら、アカデミズムにしろモダニズムにしろポストモダニズムにしろ、こうした規範的言説はすべて芸術(高級文化)と非芸術(文化ならざる野蛮、稚拙、独り言)の境界を線引するものであり、対立させ、卓越することで「芸術」という高級文化が成り立っているということだ。つまり線引し、ジャッジする権威=権力が存在し、そうした他者が評価を下す基準となっている。だが私たちは、権威に認められなくとも、市場に認められなくとも(売れなくとも)、あるいは作品という商品の形をとることすらなくとも、面白いもの、熱い歓びの経験、というものを持っている。評価軸を自分たちの感性に取り戻すこと、すなわち自律することが何より肝心だし、そのときアートワールドの規範の混乱なんてものは、ナンセンスで壮大な権力の独り言に見えるだろう。目指すべきは、アーティストとして他者に卓越することだったり、卓越していることを承認されることではないのではないか。個人としての栄光みたいなものが目指すべきものなのかもう一度考えてみるべきではないか。

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ジャポニズムとプリミティヴィズムについてのメモ

 19世紀後半からのいわゆるアヴァンギャルド美術の領域における事件としてよく知られているのは、ジャポニズムとプリミティヴィズムの流行である。ジャポニズム(おもに浮世絵)は、19世紀に印象派や象徴主義美術に絶大な影響を与えた。一方プリミティヴィズム(アフリカやオセアニアの仮面、彫像)の衝撃は、20世紀のキュビズムからダダ・シュルレアリスムの原動力の一つとなっていた。
 ジャポニズムとプリミティヴィズムの起源は、西洋外部の民衆文化だったと言えるが、注意しておきたいのは、この2つの西洋外の文化は大きく性格を異にしていることだ。ジャポニズム(浮世絵)は基本的に西洋美術と同様の「卓越の文化」だが、プリミティヴィズムは「生きられる文化」である。
 日本における浮世絵文化とその背景について詳しく知らないのだが、浮世絵は版画の技術によって都市部の庶民が手軽に買える作品=商品として、江戸時代の日本というローカルな市場に流通していたこと、人気のある専門家(天才=個人である)の絵師(北斎、歌麿、広重など)が存在したことなど、こうした特徴は、明治以前のブルジョワ的な個人こそ存在していない時代ではあったが、浮世絵文化は「卓越の文化」の中でも、今日の「大衆文化(ポップカルチャー)」に性格が近かったといっていいだろう。
 一方、アフリカやオセアニアの仮面や彫像は、専門的な表現者によって作品として創られたものではない。西洋人の視線によって無理矢理芸術作品という解釈をされたのであって、元来、部族の宗教的生活体系の一断片を切り取ったものに過ぎなかった。つまり作品(媒体)と生の関係や、社会と表現行為の関係が、典型的な「卓越の文化」である西洋芸術とは全く異なる文脈にある「生きられる文化」なのである。
 このように浮世絵は西洋美術と同じ「卓越の文化」であったため、通約可能なわかりやすい影響をアヴァンギャルドたちに与えた。それはもっぱらスタイルの面に限られていたと言っていいだろう。ルネッサンス以降の写実絵画の形式化(アカデミズム)に退屈していた若い画家たちに、平面的で装飾的な浮世絵のスタイルは、西洋絵画の伝統を越えてゆく方向性を示していた。つまり反アカデミズム的な文脈で浮世絵は画家たちに大きなインスピレーションを与えたといっていいだろう。
 それに対してアフリカやオセアニアの部族文化が西洋美術に与えた衝撃は、スタイル面ではなかった。確かにピカソの初期キュビズムの段階において一時的にアフリカ彫刻の意匠が取り入れられているが、それ以降アフリカ的なスタイルは消えてしまっている。ダダ・シュルレアリスムへのプリミティヴィズムの影響は、ツァラやブルトンの証言からも明らかだが、部族文化のスタイルを運動の中に特定することは困難である。つまり西洋芸術とプリミティヴの文化は通約不可能なものであり、一見わかりにくいが、より根源的なレベルで西洋美術(芸術)を揺さぶったのである。
 アフリカやオセアニアの部族文化は、芸術(卓越の文化)というシステムそのもの(例えば個人を基盤にした制作や卓越が価値となる文化のあり方など)が、疎外されたコミュニケーションであることを自覚させる衝撃力を有していた。その点で浮世絵の西洋美術との親和的な関係を大きく超えていたというわけである。ジャポニズムが反アカデミズム的な文脈で画家たちにインスピレーションを与えたとすれば、プリミティヴィズムは「反芸術」、すなわち「芸術」というサブシステムを含むブルジョワ体制へのアンチであり、「疎外からの自律」という問題を西洋に提起していたと言っていいだろう。
 ただしプリミティヴィズムの提起した問題をアヴァンギャルドたちはどこまで展開させることができたのかは疑問である。ピカソやマチスも、あるいはより疎外からの自律に肉薄していたはずのツァラやブルトンという人たちですらも、芸術(卓越の文化)から抜け出すことができなかったのである。

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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
 連絡先 araiken#mac.com #を@に置き換えてください。



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