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泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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モンタージュとモダニズム

 アドルノやペーター・ビュルガーが言っている反芸術(アヴァンギャルド芸術)作品の根本原理であるところの「モンタージュ」という技法は、「芸術」(公式文化)の原理ではなくて、カーニヴァルのような民衆文化(非公式文化)において多用されたパロディの技法である。例えばキュビズムの「パピエ・コレ」が、「モンタージュ」の近代美術における先駆的な例だとされるが、この技法はキュビストが発明したわけではないし、ダダイストやシュルレアリストの専売特許でもない。遠い過去から人類の文化に綿々と受け継がれてきたやり方なのである。20世紀芸術に「モンタージュ」技法を用いた作品が数多く現れるようになったということは、支配階級の高級文化である「芸術」の領域に、「芸術」とは異質な民衆文化の原理が入り込んでいるということを意味する。

 「芸術」という支配階級の文化は、自らの権力の正統性や永遠性を誇示するという、民衆(被支配階級)に対する「卓越」への志向によって突き動かされている。そのため、ある一貫した秩序ある宇宙観を象徴する、高度に洗練され完成度の高い形式の美が、熟練した芸術家や職人たちを囲い込むことによって追求された。「芸術」はその華麗さ、厳粛さで民衆を観客として跪かせるとともに支配階級を中心としたシステムに統合させる装置(スペクタクル)として働いている。
 一方、祝祭(カーニバル)に代表される民衆文化(非公式文化)は、そうした上下の階層秩序(ヒエラルキー)を前提とした「卓越」への志向とは無縁である。むしろヒエラルキーの解体そのものであり、疎外と禁止の体系である支配的秩序からの開放を生き、愉しむことだと考えるべきだろう。そこでは上下の階層秩序は象徴的に反転され、「あべこべの世界」が束の間現出した。たとえば中世の祭りの期間中、王や領主、宗教的権力者は見世物的にその座を引きずり降ろされ、その位置に身分の低い者、道化、子供、驢馬などが据え付けられた。また普段差別され、アウトカースト的な存在であった旅芸人、乞食のような人々が、聖なるものとして祭りの空間の中心に祭り上げられたという。つまり「あべこべの世界」とは、支配的な階層秩序(制度)のパロディであり、パロディの生み出したちぐはぐ感が、自明化していた秩序に亀裂を作り、民衆はその虚構性の崩壊を奇跡的な驚異の感覚とともに生き、笑い、愉しむものだったのである。
 そのとき民衆文化が駆使しているのが、洗練の極みを志向する卓越の文化である「芸術」の専門化した技術とは全く性格を異にする「モンタージュ」の技法である。「芸術」の技術は階層秩序の上方を象徴するフォーマルなイメージ(公式的な美)をひたすら純化するものである。が、それに対して「モンタージュ」の技法は、「上方」を象徴する厳粛、真面目でフォーマルな事象と「下方」を象徴するインフォーマル(非公式的)な事象を、ちぐはぐなまま無造作に組み合わせ、糊付け(コラージュ)することにある。インフォーマルなものとは、権力によってフォーマルな美が彫琢されると同時に下方の領域に排除され放逐されたグロテスクなもの、取るに足りないもの、醜いもの、破廉恥なもの、おぞましいもの、といった事象である。つまり「モンタージュ」技法とは、価値の高いとされる厳粛なイメージを流用し、価値の低いとされるイメージと、非対称なままに併置したり、一方をもう一方の中に無造作に挿入したりと、価値的に落差のあるとされる事象をあたかも同等のものであるかのように同じ土俵に並べてしまうことだといっていいだろう。「モンタージュ」技法に本質的なのはそれが「流用」という、熟練を必要としないで誰でもが行使できる非専門的な技法、いや、技法というのもおこがましいほど生活の中でわれわれが経験し、生きることそのものであるのだ。

 ところが、この「あべこべの世界」を作り出す「モンタージュ」技法が19世紀後半から20世紀初頭の「芸術(公式文化)」の世界に、「反芸術」運動として入り込んできたのである。アドルノやビュルガーのような芸術批評をする人たちは「芸術」だけが語るに値する文化だと考えているらしく、非公式な文化が視野に入っていない。そのため「モンタージュ」をヨーロッパ芸術(ヨーロッパ支配階級の文化)の自律(自己批判・自己検証)の運動の中から生まれてきたという物語(いわゆるモデルネ=モダニズム論)を作り上げてしまうのだが、「モンタージュ」はそもそも人類の圧倒的マジョリティである被支配階級の文化において広汎に用いられてきた技法なのである。しかも肝心なことは、「芸術」が現行の秩序を厳粛に肯定し、文化を観客として礼拝的に受け取るものであるのに対して、カーニヴァル的な文化(非公式文化)は秩序の転覆、崩壊をすべての人が自ら生きることだという根本的な相違である。
 反芸術を「芸術」に侵入した非公式文化(カーニヴァル)であるという視点から捉え直すなら、今日モダニズム系理論によって常識とされてしまった「反芸術」に関する解釈を見直すことも容易になるだろう。

 キュビズムのパピエ・コレのように、洗練された統一的な仮象(アドルノの言う有機的作品)と、現実の断片という異質なものの併置は、「モンタージュ」の好例であるのは確かである。だが、仮象と現実の断片の接合が問題なのではなく、価値の高いとされるもの(統一的な仮象)と低いとされるもの(現実の断片)という、落差(ちぐはぐ感)の激しいものの非対称な結合こそが衝撃の源泉であり、「モンタージュ」技法のミソである、ということをまず押さえておかねばならない。
 そう考えるとキュビズムから遡ること半世紀前のマネの絵画においてすでに「モンタージュ」技法の先駆的な例を見ることができる。通常マネはモデルニテ(現在性)の画家、つまり反アカデミズムの画家、古典的、伝統的な規範を様々な面で打ち破ったイノベーターということになっている。その事自体間違いではないだろうが、マネの最も革命的なところは、彼の最も油の乗っていた時期の作品が古典のパロディであり、「モンタージュ」技法を駆使している点である。
 もともとマネの絵は対象に思い入れの乏しい写真的な眼で作られている上に、人物をコピペして貼り合わせたようなちぐはぐ感を特徴としているが、「草上の昼食」や「オランピア」では古典絵画の構図をそのまま流用しており、本来ヴィーナスが横たわっているべき場所に現代の娼婦を描きこむという大胆なパロディを、絵筆を使いながら行っている。この「あべこべ絵画」は19世紀芸術における最高のモンタージュ的実践であり反芸術の出発点となった。
 しかし私は、マネの「オランピア」やパピエ・コレやシュルレアリスム作品のように、作品上で行使される「モンタージュ」よりも、もっと大きな制度的背景、例えばサロン、美術館、ディーラー=批評界などからなるいわゆる「アート・ワールド」的な制度全体を流用した「モンタージュ」の実践にこそ、反芸術の本質が現れていると思っている。
 デュシャンのレディメイドは普通「モンタージュ」作品とは言わないだろうが、美術館という公式文化の厳粛な(価値の高いとされる)空間に、既成品(小便器)という価値の低いとされる現実の断片を挿入するという、制度全体をパロディ化する「モンタージュ」行為である。実は反芸術においては、この2つの(作品上のモンタージュと、制度空間のパロディを演出するモンタージュの)位相の「モンタージュ」技法が絡まり合いながら行使されているのだが、後者のモンタージュのほうがより根本的な「モンタージュ」の実践であろう。
 前者の「モンタージュ」技法を多用するダダ・シュルレアリスムの作品に対して、構成主義的なセザンヌから抽象絵画、抽象表現主義への流れは通常、古典、遠近法絵画からの離脱­=平面への還元という「モダニズム」流の歴史的解釈の中でその意義を認められてきた。だが、後者の「モンタージュ」技法の文脈に置き直すなら抽象絵画も全く異なる相貌を見せることになる。
  タッチの集積である未完成の絵画(セザンヌ)は、遠近法的仮象よりも画布を前にした画家の緊張感あふれる身振り(生)を突出的に表現しているが、彼は自らの生の断片的な痕跡をアカデミックな価値の支配する厳粛な制度空間(サロン)に挿入したいと希求し続けていた。また子供でも描けるであろう単純な幾何学的形態を並べただけの絵画(カンディンスキー、モンドリアン)や、絵の具のシミでしかない絵画(アンフォルメル、抽象表現主義)を美術館に並べることは、未だアカデミズムの影響を払拭していなかった20世紀初頭の芸術の制度に対する道化的なパロディの実践でなくてなんであろう。

 このように19世紀後半から20世紀前半にかけてのアヴァンギャルド(私は反芸術という言葉を使うべきだと思っているが)の時代は、「モンタージュ」という非公式文化特有の文化技法が、芸術の領域(ブルジョワ権力に組織された公式文化の領域)に侵入しアカデミズムを急速に駆逐していった時期だったわけだが、問題は近代化とともに過去のものとなってしまったカーニヴァル的な文化技法が、何故に20世紀芸術の領域において花開くことになったのか? である。だが、このことを説明すると長くなるので端折らせてもらうと、19世紀末の芸術が硬直化し退屈なものであったこと、それ以上に芸術家たちの生きるブルジョワ社会が退屈で非人間的であったこと、それゆえ彼らはブルジョワ体制の虚構性を暴き、異議を申し立て、システムに亀裂を入れその疎外からの自律を志向したのだろうと、その動機を想像することができるだろう。そのときシステムの厳粛さをパロディ化し秩序を解体させた民衆文化のやり方を駆使するに至ったのは偶然ではなかったということだ。
 当初、彼らの「モンタージュ」によるカーニヴァル的実践は、嘲笑され、ヒステリックに糾弾され、無視されたりと、けんもほろろにあしらわれたが、マンネリ化したアカデミックな絵画に比べてその面白さに惹かれ始めるブルジョワジーも現れ始め、広がり始めた美術市場で成功を収め始めるようになってゆく。もっとも芸術家たちには自分がカーニヴァル的な実践を行っているというはっきりした自覚がなかったため、芸術家としての個人的な「卓越(観客に対する演者となり上位のヒエラルキーを志向すること)」とブルジョワ社会での成功へと逆流してゆく可能性に付き纏われてもいた。
 また一方、「芸術」(公式文化)の権威を形作っていた一部の目敏い批評家や画商たちは時代の変化を感じ取り、それまでの西洋芸術の美的規範となっていた「アカデミズム」に代わって「モダニズム」という規範(物語)を組織し、反芸術のカーニヴァル(非公式文化)的実践を公式化し「芸術」の中への取り込み始める。「モダニズム」は、古典主義的な主題、秩序、写実主義というスタティックな「アカデミズム」の規範を排し、「新しさ」という掴みどころのないダイナミックな規範を掲げた。この「新しさ」という規範によって、反芸術を擁護し、アカデミックな伝統芸術を「古いもの」「固定化したもの」だとして引導を渡し、硬直化したアート・ワールドは刷新されることになる。但し「新しさ」はブルジョワ体制のもと広がり始めた消費社会をドライブさせる「流行(モード)」の大事な要素でもあり、工業の発展が可能にした複製技術による商品の流行(大衆文化)との差別化が「モダニズム」言説の課題であった。だが「モダニズム」には当初から「自己批判、自己検証」性というストイックなもうひとつの重要な一面があり、その一面が芸術作品を低級なまがい物(キッチュ)である流行商品とは異なる高級文化としてのアイデンティティを担うようになる。
 つまりモダニズムは、形骸化した伝統文化と複製技術による産業化した文化という2面の「後衛(リアギャルド)」に対する「前衛(アヴァンギャルド)」を価値あるものとして支持する規範として成立したわけである(したがって「アヴァンギャルド(前衛)」という用語自体がモダニズムとともに成立したものである)。もっとも現在では、「モダニズム」の「自己批判」的なストイックな面は(ポップアートなどによって「自己批判」され)やや弱まり、芸術と大衆文化の境界線は曖昧化され、「ポストモダニズム」が「芸術=大衆文化」というブルジョワ社会のスペクタクルのあり方となっている。
 何れにせよ、この「モダニズム」言説によって、反芸術の民衆文化的なカーニヴァル的本質は隠蔽され、「芸術」という支配階級のスペクタクルのイノベーションの物語、すなわち「アヴァンギャルド(前衛)芸術」の物語へ書き換えられることになった。このときブルジョワジーの嘲笑と憤激を買っていた反芸術の担い手(秩序を覆す道化)たちは一転、高級文化(芸術)のイノベーターとして称賛され、卓越した「演者」としてブルジョワ文化に君臨することになるのである。
 「モダニズム」は、カントの時代に始まる芸術の「自律」の物語であり、芸術の「還元」やら「止揚」やら「終焉」を目指すとか、いやそれは未だに「未完」のプロジェクトであるとかいう歴史的物語をでっち上げる。エミール・ゾラは批判にさらされるマネを擁護したが、ゾラは「オランピア」のモンタージュ技法には全く関心を示さず、むしろマネの絵画の主題は、色面構成の意図に沿って選ばれているというフォーマリスティックな解釈をしている。このゾラによるマネ解釈は、絵画の平面への「還元」というモダニズムの物語への書き換えの典型的なやり方である。マネの実践に含まれたカーニヴァル的な、秩序の解体を生きようとする試みは、芸術の自己検証の実践として、芸術のための芸術(メタ絵画)としてゾンビのように生まれ変わるのである。セザンヌも、キュビズムも、抽象絵画も、「芸術」の自律の歴史に奉仕するイノベーションとなったし、カーニヴァル的な本質をダイレクトに志向していたはずの、ダダやシュルレアリスムも芸術の制度や創作行為そのものを自己検証する「メタ芸術」へと収斂していってしまった。さらに抽象表現主義の画家たちは「モダニズム」のイデオローグであるグリーンバーグと密接な関係の中で作業し、積極的に「芸術」の自律に奉仕する道を取った。
 結局、反芸術家たちは自分たちの仕事は、自らがカーニヴァル的な実践を行っているというはっきりした自覚がなかったため、「モダニズム」言説によって刷新されたブルジョア社会のスペクタクル(近代芸術)の新たな厳粛さに奉仕する運命を引き寄せてしまった。その結果、芸術批評や美学のような領域では「モダニズム」流の理論がまかり通り、それ以外の解釈を探すのは難しいほどだ。なるほど、事態は「芸術」の自律の運動、自己批判、自己検証の努力が、ヨーロッパを中心とした「近代芸術」の領域を新鮮に活気づかせ、新たな人類の文化の地平を開拓でもしているにかのように見える。しかし実際に反芸術家たちが望んでいたのはそのようなものだったのだろうか。「近代芸術」の卓越した演者になるなることだったのか。そうではなくてブルジョア社会の秩序の解体を生きることではなかったのだろうか。自律すべきは「芸術」というブルジョワ権力のスペクタクルなどではなく、私たち一人ひとりの「生」だったはずなのだから。

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バフチンのカーニヴァル論と聞くと何をいまさらと思うかもしれないが

、、、これは面白い本だぞ、、、まださわりしか読んでないんだけど(笑)。かつて山口昌男らによって日本に紹介されたというから、祝祭論とか中心と周縁とかの人類学、社会学的な文脈で当時は読まれたんだろうが、今日、スペクタクル社会からの自律への道標として読まれるべきだと思う。バフチンによる「公式文化/非公式文化(カーニヴァル)」という腑分けは、そのまま「スペクタクル(文化の疎外、疎外の文化)/自律した生」の対立へと読み替えることができる。シチュアシオニストがスペクタクルの観客であることを乗り越えるものとして出してきた「生きる者」による「状況を構築」のイメージをつかむには、バフチンの「カーニヴァル」の描写を読めばよい。「転用」の戦略のなんたるかを知るためには「カーニヴァル」において多彩に用いられた「パロディ」を思い浮かべるべきだ。
 またシチュアシオニストの活動をして「アヴァンギャルド芸術と政治の統合」だと軽々しく言う人がいるが、これは間違いだとは言えないが、誤解を招く言い方である。アヴァンギャルド芸術とは、芸術という公式文化の領域をカーニヴァル化する実践であったが、シチュアシオニストの「状況を構築」はより広範に生活全体をカーニヴァル化する試みだったわけで、本質的には全く同じ「カーニヴァル」なのである。よく誤解されているようにシチュアシオニストは、前衛芸術の手法を使って政治に介入したから「芸術と政治」の統合だったのではなく、「カーニヴァル」空間そのものが、体制や秩序を反転させて成り立っているものだからこそ、それは高度に政治性を持っているのである。似たような例で言えば、ブランショは68年5月について「路上に降りたポエム」だ、という評価をしたというが、これも「政治×芸術」という意味に解釈しないで、5月革命は「カーニヴァル」だった、と一言でいったほうがよろしい。
 ドゥボールがシチュアシオニスト内部のいわゆる「芸術派」を厳しくパージしたことも、運動の偏狭さだとしてよく批判される。これもシチュアシオニストの活動がカーニヴァル(非公式文化)であり、芸術(公式文化)ではないことの論理的帰結だったと考えるほうがスッキリする。
 アヴァンギャルドにしろシチュアシオニストにしろ、目新しいものでも珍奇な変わり者によるものではなく、民衆は人類の歴史の古からから状況を構築して面白がってきたし、カーニヴァルは近代化とともに消えてしまったのではなく、運動の中に現在も生きているということを、バフチンの本は教えてくれる。

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大衆文化の批判と擁護

 アドルノの軽音楽批判というのがあって、これが「啓蒙の弁証法」あたりに共感を寄せる左系の人々にも評判が悪い。資本憎しのアドルノにとって資本の息のかかった軽音楽(大衆文化)は、彼が深窓の乙女のごとく持ち上げるモデルネの自律芸術と較べると、まるで汚れた売女のような扱いだ。

音の氾濫、反乱の音 ── 大衆音楽の両義性 小倉利丸

曰く、そうした軽音楽は、大衆に「無軌道な熱狂状態」と「規格化」をもたらすものだと頭ごなしに批判されるし、そのときアドルノの頭に浮かんでいるだろう大衆像はそうした文化装置に操作されるだけの愚民の集まりになってしまっている。
 小倉利丸氏はロックがお好きなようだが、左翼の知識人の中にもジャズやヒップホップ、あるいは文化産業の花形である映画のファンはいっぱいいて、こうしたアドルノの鼻持ちならない上から目線ってどうよ、という話になるわけだ。
 私個人の話をすれば、どういうわけかロックにも映画にもあまり興味を持たずに生きてきた。私が若い頃愛してきたのは、漫画、アニメ、SF、ロリコン、、、いわゆるオタク文化だった。ひょっとするとロックや映画を擁護する知識人たちも、オタク文化の幼児的なフェティシズムやメディアへの(無軌道な)没入に対しては顔をしかめるのではないだろうか。が、間違いなく私自身、オタク文化という大衆文化以上に汚れた売女たちの世話になって自己形成してきたのだ。

 それではアドルノの文化産業論は全くの誤りなのかというと、そういうわけではなくて、いわゆる消費社会批判の先駆けとして揺るぎない真実を描き出しているのである。ただそれは抽象的な理論図式として真実であるにしても、具体的な現実をアドルノが観ているかといえばそうは思えないのである。
 こうした理論図式の意義は、自明化した現実への没入状態にある私達を揺さぶり、現実から一歩引いた地点に立つことを可能にしてくれるところにある。当たり前に受け入れ楽しんでいるものが、私達を疎外の中に留め置くための仕掛けになっているのではないかと、鋭利で挑発的な理論の切先が覚醒を促してくれるのだ。
 しかしアドルノは、自分の理論図式を現実に押し当て、資本の息のかかった売女(大衆文化)は、結局システムを再生産するために働くしかないのだから、そこに抵抗や闘争を見出すことなどできるわけがないと決めつけているようにみえる。まず図式ありきで、売女が客の私に示してくれた優しい気遣いや微笑み、触れた唇の柔らかさなどに思いを巡らしてみることなど端から放棄されている。所詮金目当ての手練手管なんだろフフン、というわけである。

 アドルノの理論図式の誤りを指摘するのは多分難しくないだろう。彼の持ち上げる芸術(高級文化)も、軽蔑する大衆文化(低級文化)も、本質的にはどちらも権力に奉仕するスペクタクル(卓越の文化)であるという意味では大差はないのだが、彼は反芸術運動(モデルネ芸術)を観て芸術の領域に希望を持ってしまった。自律芸術という、瀟洒な洋館の窓辺に佇む乙女だけが暗い彼の心を救う天使になったのだ。本来、反芸術は文字通り芸術(卓越の文化)に反する、芸術ではない文化(生きられる文化)なのだが、その点を取り違えてドイツ人が発明した芸術というサブシステムの(メインシステム=権力からの)自律という物語に乗っかって、ブルジョワ権力(資本)の魔の手から乙女の純潔(芸術=高級文化の領域)を守らなければならないと勘違いしてしまったのだと、私は邪推している。
 だが自律すべきは芸術という領域ではなくて、私達一人ひとりの生であろう。反芸術運動とは、たまたま19世紀後半からの100年のあいだ、芸術(卓越の文化)の領域を、疎外からの生の自律の試み(生きられる文化)が流用し、乗っ取ったものであって、そうした乗っ取りは社会システムのあらゆる領域で展開可能なものである。かつては祝祭やカーニヴァルのような形で、生きられる文化は大規模に組織されていたが、近代化とともにすでにそれは散り散りになってゲリラ的に生き延びることになり、19世紀中頃から芸術の領域にも侵入してきたのである。
 アドルノが資本の手に掛かった売女と見なしているであろう大衆文化の中にも当然、疎外からの生の自律の試み(生きられる文化)は侵入している。厳しい制約の下、意識的無意識的に試みは続けられ、時には制約を突破して祝祭らしきものが噴出することもあるだろう。アドルノならそれを「無軌道な熱狂状態」と罵るかもしれないが、そもそも生きられる文化特有のエモーションの侵入がなかったなら、人は大衆文化において熱狂状態に陥ることもないのではないか。大衆文化であろうと、ナチのプロパガンダ芸術であろうと、社会主義リアリズムであろうと、単なる大衆操作ではなく、疎外を越えようとする試みが何らかの形で侵入しているからこそ、人を惹きつけることができると考えるべきではないだろうか。金で買ったはずの売女が単にアバズレ女ではなく、どこにでもいる普通の女なんだと気がついて、心を震わせながらまた娼館に上がる男は、商品化した性の消費に取り憑かれた愚かな大衆でしかないと言い切れるものだろうか。
 つまりアドルノが大衆操作を見ている局面で実際に起きているのは、大衆の自律の試みと、権力との間の闘争なのである。なるほど資本主義の精神は制度やモノの中に物象化し、もはやシステムとその疎外は確実に再生産されびくとも動かぬ鉄板なものに思えるが、逆に物象化させる人間の意識の支えがなかったらシステム全体が浮いたものになり、簡単に崩壊しうるものでもある。だからこそ資本の側も必死に関係性全体を正統化する闘いを絶えず強いられているし、大衆(プロレタリア、マルチチュードと言ってもいいが)も資本と絶えざる自律への駆け引きをおこなっているのだが、アドルノの抽象的で透明な理論図式からは、こうしたダイナミズムへの視線は感じられない。むしろ操作されるだけの大衆への苛立ちや軽蔑がちらついているようにすら見える。アドルノのペシミスティックな論調というのは知的良心から出てきたものではなく、おそらくこういった偏見に基づいていているのではないだろうか。

 もちろん私はアドルノ同様に大衆文化というフレームを厳しく批判する立場にある。ただしアドルノと違うのは(モデルネ)芸術をも同時に批判するというところだ。というのもどちらも卓越の文化(権力に奉仕するスペクタクル)という疎外された関係性の文化だからである。客となって薄暗い娼館の一室のベッドに腰掛け、手を取り寄り添いながら束の間の会話を楽しむだけが、彼女との関係の全てではないように、卓越の文化の演者/観客の関係性とは異なる、生きられる文化の関係性を実現させたいと思うからだ。が、それはアドルノが結果的に陥ってしまっている偏見、彼がお気に入りの新ウィーン楽派(芸術)を持ち上げ、高度に商品化している軽音楽(大衆文化)を蔑むという偏見、深窓の純潔なる乙女を崇拝し、売女を軽蔑することとは全く別のことである。

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疎外論における演劇のメタファー

「カー二ヴァルには演技者と観客の区別はない。カー二ヴァルには、たとえ未発達の形式においてですらフットライトなるものは存在しない。フットライトがあれば、カー二ヴァルはぶちこわしになろう(逆に、フットライトをなくせば、演劇的見世物はぶちこわしになろう)。カー二ヴァルは観るものではなく、そのなかで生きるものであって、すべてのひとが生きている。というのも、 カー二ヴァルはその理念からして、全民衆的なものだからである。カー二ヴァルがおこなわれているあいだは、誰にとってもカー二ヴァル以外の生活は存在しない。」


 、、、というバフチンの言葉を何度か紹介しているが、この演者と観客を二分する「フットライト」の比喩で問題にしているのは演劇(芸術)論ではない。演劇(芸術)のメタファーで語られた疎外論である。
 もうひとつ、ドゥボールのスペクタクル批判も受動的な「観客」という言い回しを使っているが、これも演劇(芸術)論ではなくて疎外論である。シチュアシオニストの活動が、ダダ・シュルレアリスムなどの前衛芸術運動を先鋭化/換骨奪胎したものであることや、都市空間をデコール(舞台)と見なし状況への介入を企てるという演劇のメタファーを使ったマニフェストをそのまま演劇論として受け取るなら、(多くの知識人が勘違いしているように)シチュアシオニストを政治的な問題意識を持ったフルクサス的な前衛芸術(パフォーマンス、ハプニング)集団と誤解してしまうのもわからないでもない。

『解放された観客』 ジャック・ランシエール

 今のところランシエールの書いたものはこれぐらいしか読んでいないのだが、共感半分、疑問半分という印象を抱いている。この文章は、今日話題の参加型アートのような、演者と観客の間の距離を消し去り、観客を創造・表現活動に巻き込む演劇/芸術の批判をするのだが、ランシエールの著書『無知な教師』で展開した公教育の教師を批判するスキームで、芸術家(演者)のパフォーマンスの意味を暴露するものである。ランシエールの公教育批判は、教師が生徒を無知なものであることを捏造(愚鈍化)することで、システムの中で生徒より卓越した教師としての地位を得るという詐術と、その捏造がシステムとその中での地位(ヒエラルキー)を再生産するカラクリを喝破し、知性の平等とは何かを示すことにある。
 つまりこれは教育の疎外のメカニズムの暴露なのである。このスキームを用いてランシエールは演者と観客の間の距離を消し去る形の芸術パフォーマンス(例えばブリオーの「関係性の美学」とか)を批判するわけである。このスキームを芸術の領域にそのまま当てはめれば、芸術家(演者)は、そのパフォーマンスに触れる者を観客化(受動的な)することで、(はじめて)芸術のシステムの中である卓越した演者(能動的な表現者)という地位を得る(芸術家になる)、というカラクリが浮かび上がってくるだろう。
 ランシエールのスキームは、文化の疎外を暴露し、文化の平等(自律)とは何かということを示してくれるはずである。が、どうもすっきりしないのは、ランシエールのこのテクストにはドゥボールのスペクタクル批判の断章が、演者と観客の間の距離を消し去るタイプの演劇(ここではアルトーの残酷劇が話題に登っている)の本質を裏書きするものとして引用されていることである。
 すなわちスペクタクルに見入る(受動的な)観客というドゥボールの(演劇のメタファーで語られた)疎外論が、(能動的な)演者と(受動的な)観客の間の距離を消し去る形の芸術の本質(=演劇論)とアレゴリカルに重ね合わされているのである。ランシエールは演劇(芸術)論と、(演劇のメタファーを用いた)疎外論を混同し同一視するという誤りを犯しているのだ。
 はっきりとは言及されていないもののこの理屈によると、スペクタクル批判と表裏一体のシチュアシオニストの実践は、一種の前衛演劇(芸術)だという理解に落とし込まれてしまうだろう。シチュアシオニストは自分たちの活動が「芸術」ではないと主張し続けていたにもかかわらずだ。
 演劇(芸術)論における能動性は、フットライトで仕切られたステージ上の「演者」に付与されているが、(演劇のメタファーで語られた)疎外論において「演者(=芸術家)」は、スペクタクルに見入る(=支配的システムのヒエラルキーのなかで地位を得ようとしている)ものであり、その限りでむしろ(疎外された)受動的な存在、である。つまり「演者(=芸術家)」そのものがまず「観客」なのだ。
 演劇(芸術)論における能動的な「演者」は、(受動的な)「観客」との距離を消去し、すべての人間が能動的でクリエイティブな「演者」になるべきだ(万人が芸術家であれ!)と言うだろうが、疎外論における能動性は、演者/観客という疎外された(上下関係)二項への分離そのものの消去を、演者(=芸術家)でも観客でもない何かになることを要請するだろう。
 参加型アート、、、例えば古くはヨゼフ・ボイス(この人はよく、万人が芸術家であれ!と言っていた)、最近ではブリオーの持ち上げているリクリット・ティラバーニャ(インド系の名前かと思ってたら、なんとタイ人アーティスト! 正確にはฤกษ์ฤทธิ์ ตีระวนิช­=リクリッ・ティーラワニッ だな。)、熊倉敬聡が紹介している「アートレス」だとか「ワークショップ」などは明らかに演劇論的な受動性の消去を目指す試みである。ここで創造に参加することになる人々は、一時的にプチ演者(プチアーティスト)になる(される)が、そのことは疎外からの自律、文化の平等につながっているとは思えない。むしろ「観客」との距離を消去する実践がヨゼフ・ボイスやリクリット・ティラバーニャという個人のアーティストの芸術の世界(アートワールド)における地位を高めるほうに働いてしまっている。結果的にそれは非常に巧妙なスペクタクルになってしまっているのだ。
 それに対してシチュアシオニストのスペクタクル批判とは、演者として卓越することではない。

非一介入というスペクタクルの原理そのものが、古い世界の疎外といかに深く結び付いているかは容易に見てとれる。それとは逆に、文化における革命的探求のなかで最も価値あるものが、スペクタクルの観客のヒーローへの心理的同一化を破壊し、自分の生を一変させる能力を引き出すことによって、その観客を積極的な行動に引きずり込むようにどれほど努めてきたかもよく知られている。状況とは、したがって、それを構築する者たちによって生きられるために作られるものである。そこでは、受動的とは言わないまでも少なくとも単に端役的なだけの「公衆(=観客)」役割は、常に減少することになる一方で、もはや演者ではなく、言葉の新しい意味において「生きる者」と呼ばれる者の関与するところが増大する。


 観客でも演者でもないもの、、、「生きる者」になるのである。万人によって生きられる文化、それをバフチンは「カーニヴァル」と言っていた。たぶんランシエールは良心的で頭のいい思想家なんだろうが、平等のイメージがどこか貧困なのではないだろうか。文化の平等、疎外からの自律のイメージはバフチンの描く「カーニヴァル」を参照すべきなのだ。バフチンのような豊かなイメージを持っていれば、上のドゥボールの言葉を演劇論と勘違いしたりはしないだろう。私には、シチュアシオニストたちがまさに「無知な教師」に思えてならないのだが、どうなのだろう。


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バフチン 中世の公式な祭日

中世の公式な祭日── 教会の祭りも封建国家の祭りも── は現存する世界秩序から外へは導かず、いささかも第二の生活を創り出すことはなかった。反対に、現存する機構を聖なるものとして裁可し、機構を強化したのである。〈時〉とのつながりも形式的なものとなり、交替や危機は過去へ運び去られてしまった。公式の祝祭は実際は後ろの過去のみを見ており、この過去を使って、現に存在する機構を神聖なものとしたのである。公式の祝祭は、時には祝祭自身のイデーに反して、すべての現存する世界秩序── 現在の階層秩序(ヒエラルヒー)、現存の宗教的・政治的・道徳的規範、禁止(タブー)── の安定性、不変性、永遠性を確認することさえあった。祝祭は、永遠で不変の、論議の余地なきものとして立ち現われた、既成の支配的な真理の勝利であった。そのため、公式の祝祭のトーンは一枚の岩からできているような厳粛でしかなかった。笑いの原理はその本性には異質のものなのであった。正にこのために、公式の祝祭は、人間の祝祭性の真の本性に背きそれをゆがめたのである。しかし、この正真正銘の祝祭性は根絶やしにはできなかった。それゆえに真の祝祭性は容認され、祝祭の公式な面以外の場所では部分的に合法とされ、この真の祝祭に民衆の広場が譲り渡されることとなった。
ミハイル・バフチン 『フランソワ・ラブレーの作品と中世ルネサンスの民衆文化』



バフチンによる公式文化についての記述は、スペクタクルの特徴の解説になっている。今日の公式文化である「芸術」においてもこの厳粛さという特徴は揺いでいない。19世紀中盤から現れた「反芸術」運動は、非公式的な笑いの原理をその本質としていたのだが、権力による解釈(モダニズム)はそれをストイックで厳粛なものとして描き直した。現代芸術評論の難解な言い回しは芸術の営みがとにかく求道者の修行のように真面目で真剣なものであることを示そうとしている。芸術家自身も難しい顔をしながら自分の仕事を、権力由来の概念で理論武装することに余念がない。カンディンスキーやモンドリアンやマレービチの丸や四角だけを描いた幾何学的抽象なんて本来、芸術の厳粛さを文字通り笑いのめし踏みつける所業なのだが、その理論的背景を難しい言葉で長々と語るのだ。いまや髭をつけたモナリザすらモダニズム流解釈を施され、現に存在する機構を神聖なものにするために働かされ、モダニズムのストイックさに反抗して現れたポストモダニズムは、モダニズムが排した大衆文化や伝統文化やインモラルなイメージを大胆に取り入れたが、結局どこまで行っても厳粛なものにとどまっている。というのもそれらは卓越の文化であるからで、卓越、優越という事態そのものが階層秩序(ヒエラルヒー)と直結し、権力の視線を受け入れているからである。
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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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