FC2ブログ

泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

Category: 亡霊退治   Tags: ---

Response: Comment: 0  Trackback: 0  

個体化の原理 (Das Prinzip der Individualität)

 ニーチェの『悲劇の誕生』における「アポロン的なもの/ディオニュソス的なもの」という対立図式は、ショーペンハウアーの「意志と表象」の学説から引き出されたものであるのは間違いないが、よくよく読み込んでみるとそれは2つの異なる図式が重ねあわされたものであることがわかってくる。「アポロン的なもの/ディオニュソス的なもの」はまず「夢と陶酔」というメタファーでそれぞれ「造形芸術と音楽」の本質を表すものだと説明される。と、同時にアポロン的なものには、節度、平静、英知、落ち着き、威厳などの秩序を意味する性格が付与され、一方のディオニュソス的なものには、ギリシャ外部の異民族の祝祭が引き合いに出され、混沌・反秩序的な性格を与えられる。

 しかしエジプトやギリシャ、ルネサンスあたり造形芸術には確かに秩序を感じるが、無秩序な造形芸術などいくらでもありそうなものだし、そもそも夢って支離滅裂なものじゃないかと思う。また、音楽が秩序のない混沌とした音の並びでないことは明らかである。つまり「夢と陶酔」図式と「秩序/混沌」図式は素直には重ならない異質な問題系なのだ。結論から言ってしまえば、ニーチェが付け加えた「秩序/混沌」図式は、芸術作品の造形的なイメージにおける秩序/混沌のことではなく、社会的な秩序/社会的な混沌、無(反)秩序のことなのである。

 一体どのようにこの異質な2つの図式がショーペンハウアーの芸術論から引き出され、ニーチェの論考の中で混ぜこぜになっているのかについてのヒントが、谷本愼介氏の『悲劇の誕生の世界観』という論考の中に書かれている。要はバッハオーフェンという人との交流を通じて、ショーペンハウアーの形而上学的芸術論が、「個体化の原理」という概念をバネにしつつ、社会学的な図式に読み替えられることになったのである。

 ニーチェはショーペンハウアーに倣って、夢の形象に例えられた表象の模像(いわゆるミメーシス)である造形芸術と、意志そのものの模像であり人を熱狂、陶酔させ意志と一体化させる音楽とを、それぞれアポロン的芸術、ディオニュソス的芸術とした。この「夢と陶酔」図式は平板で表層的な対立図式で、ショーペンハウアー芸術論を実在的なジャンル論へと横滑りさせてしまった。

 一方、バッハオーフェンに学んだのは、「個体化の原理」のユニークな解釈をバネにしたショーペンハウアー芸術論の社会学的解釈だった。

 国家や市民という観点が至るところで民族や個人を隔てる垣根を築き上げ、個体化の原理(Das Prinzip der Individualität) を極限的なエゴイズムにまで押し進めるのに対して、ディオニュソスはすべてを一体化し、すべてを平和と原初の生への愛に回帰させる。奴隷も自由人も平等にディオニュソスの秘儀に与ることができた。......ディオニュソスはいっさいの差別を廃棄し、動物どうしの争いさえも終わらせ、被造物の世界に再びあの平和、歓喜、普遍的平等をもたらす。この普遍的平等は、近代人にとって原初の黄金時代のことであり、サトゥルヌス祭や、......サカイア人の祭りにおいて一時的にせよ現出した。葡萄酒と人間に及ぼす酒の力は、ディオニュソスの本性のこのような側面が如実に表れた。(バッハオーフェン『古代人の墓碑象徴に関する試論』)



 「個体化の原理」とは、森羅万象、一切の現象世界(表象)を可能にしているカント的な原理であるが、造形芸術が「個体化の原理」作動後の表象の模倣(ミメーシス)であるのに対して、音楽は「個体化の原理」以前の不可知な意志(イデア)の直接的な模倣である、というのがショーペンハウアーの説である。バッハオーフェンの独特な解釈は、人間の個人的な自我も当然「個体化の原理」作動後に生じていて、国家のような社会秩序もそうした個人的自我をベースに作られているという認識、そしてディオニュソス的祝祭のような「個体化の原理」以前の、前個人的シチュエーションの中で社会秩序が消失し、ユートピア的な平和、歓喜、普遍的平等が束の間姿を現すという観点である。
 ニーチェの「夢と陶酔」図式に重ねられた「秩序/混沌」図式は、このバッハオーフェンを経由したショーペンハウアー芸術論の社会学的解釈だったのだ。

 「人間に疎外され、人間と敵対していた自然、息子に踏みつけられていた母なる自然が、人間という放蕩息子と和解の宴をひらくのだ。大地がすすんで供物をささげ、岩山や荒野の猛獣たちがおとなしく歩みよってくる。ディオニュソスの山車(だし)には野草や花輪がふりそそぎ 、その山車を豹と虎とがひいてゆく。ベートーヴェンの『歓喜の歌』を一幅の絵画にしてみるといい。そして、もろびとがおののき、ひれ伏すときも、ひるむことなく想像力をはたらかせてみよ。するとディオニュソス的な世界がみえてくるだろう。そこには、もう奴隷はいない。その時々の気まぐれな事情や「おしつけがましい慣行」で人間同士を引きはなしてきた、あの厳しく憎悪にみちた境界線はいまや完全に消滅する。ついに世界調和の福音がおとずれ、だれもが隣人とむすばれ、和解し、溶けあったと感じるだけでなく、文字通り<ひとつ>になったと感じるのだ。<個体化の原理>としての<目眩ましのヴェール>は切りきざまれ、神秘にみちた宇宙の本体である<根源的一者>のまわりを漂っているにすぎない。人間は歌い踊ることによって、自分がより高度な共同体の一員であることを表現しているのだ。彼は歩くことや話すことを忘れ、踊ることによってさらなる高みへ舞い上がろうとする。その身振りには魔法の力がみてとれる。いまや動物たちが口をきき、大地が乳と蜜をだすように、人間からも超自然的なものがひびいてくる。彼はみずからを神と感じ、夢でみた神々の歩みさながらに、いまや彼自身が高められ陶然と歩をすすめる。人間はもはや芸術家ではなく、芸術作品そのものとなっている。すなわち、この<陶酔>のわななきのうちに、自然全体の芸術的な力があらわとなり、真の実在である<根源的一者>は無上の歓喜を味わうことになる。もっとも高貴な粘土がここでこねられ、もっとも高 価な大理石がここで刻まれる。その作品が人間なのだ。このディオニュソス的な宇宙芸術家の鑿(のみ)の音にあわせて、祝祭の町エレウシウスの秘儀の叫びがきこえてくる。(ニーチェ『悲劇の誕生』)」



 ショーペンハウアーの芸術論の仮面をかぶっているが、この『悲劇の誕生』におけるニーチェのディオニュソス的祝祭の記述も、社会学、人類学的な味わいが濃厚である。権力を中心に組織された階級や身分のような社会秩序の桎梏、労働へと組織された日常を作り上げている諸禁止、生産のための道具となった自然との関係性、などといった日常の秩序の疎外感からの解放の歓びの記述にしか見えないのである。

 おそらく『悲劇の誕生』を読んだときに感じる居心地の悪さはの原因のひとつは、社会秩序とその解体=混沌についてのダイナミックな社会学的記述である「秩序/混沌」図式を、平板な芸術のジャンル論に横滑りした「夢と陶酔」図式にリンクさせて論じている不自然さにある。総合芸術であるギリシャ悲劇とワーグナーの楽劇との関連から「夢と陶酔」図式が有効になっているのだろうが、むしろ「秩序/混沌」図式を軸に「アポロン的なもの/ディオニュソス的なもの」という文化図式を組み換えなおした方がいいだろう。「アポロン的なもの」とされた秩序化への衝動は、視覚的、表象的な芸術とイコールではないし、「ディオニュソス的なもの」である破壊、混沌への衝動も音楽と必ずしもイコールではない。なるほどギリシャ美術は19世紀にいたるまでヨーロッパ美術の秩序の規範であったが、明朗で均整の取れたリアリスティックな美のイメージやスタイルが「アポロン的」なのではない。そうではなくて、「アポロン的文化」とは、社会秩序の形成、維持、自己肯定の局面における文化のあり方であり、「ディオニュソス的文化」は社会秩序の破壊、解体、反転など否定的局面における文化のあり方だと考えるべきだろう。

 少しだけ具体的に述べておくと、「アポロン的文化」とはギリシャ都市国家の権力の、権力による、権力のための文化である。それは異民族の(ディオニュソス的とされた)祝祭文化のように全民衆(非個人)によって生きられた文化ではなく、都市国家の支配的権威によって認められた熟練した個人(天才)によって創られた文化である。この文化は一握りの天才(演者)と受動的な観客への分離を前提とし、天才(演者)たちの仕事は、権力に求められる作品を制作するという意味では、労働の要素が強い。都市国家はこのような天才たちによって創られた洗練された文化で自らの力と絶対感とを内外に示す、、、こうした局面の文化が「アポロン的」の意味である。(もっとも、ニーチェの論考では、アポロンとディオニュソスの融合した「ギリシャ悲劇」と「ソクラテス」という啓蒙的知性による悲劇文化の形式化の問題の問題が続くのだが、それはまた後ほど検討したい。)

 奇しくもこれはミハイル・バフチンの「公式文化/非公式文化(カーニヴァル)」の対立図式や、シチュアシオニストの「スペクタクル/状況の構築」の対立図式と被り、よく響きあう図式である。私はニーチェの「アポロン的なもの/ディオニュソス的なもの」という対立図式を、バフチンやシチュアシオニストの言説と照応させ鍛えなおし、今日のポストモダンなどと言われる文化の袋小路を打破する道を探りたいと思っている。(つづく

Category: 亡霊退治   Tags: ---

Response: Comment: 0  Trackback: 0  

まあ、こんなものを

jaimson.jpg

、、、読んでいるわけだ。面白いんだけど、ジェイムスンって人はモダニズムという物語が実在していたと思っちゃってんだ。私は、いわゆるモダニズムの理論が私たちを疎外の中にとどめおくための権力によるおとぎ話だと暴き、ワクワクするようなもっと真実らしい物語を紡ぎたいと思ってる。

いや、冗談でなく、マジで。。。

Category: 亡霊退治   Tags: ---

Response: Comment: 0  Trackback: 0  

ご存知のように『悲劇の誕生』は

、、、ニーチェによって20代に書かれた青春の書で、古典ギリシアの文化史的考察を装ってはいるが、史実を元にした考察というよりは、ギリシア文化史にかこつけてニーチェ流の芸術生成の物語を繰り広げた生気あふれるラプソディである。興味深い考察が散りばめられてはいるが、その内容について学問的な厳密さはあまり期待しないほうがいいだろう。
 何度か述べてきたが、ニーチェの『悲劇の誕生』におけるアポロン的なものとディオニュソス的なものという対立図式にしてからが、一方で「表象(夢=造形芸術)/意志(陶酔=音楽)」というショーペンハウアーの芸術形而上学由来の対立概念と、もう一方でそれと似て非なる「コスモス(秩序)/カオス(混沌)」という社会学的な対立概念が、ズレたまま重ね合わされた混乱した図式である。
 ギリシア都市国家のホメロス叙事詩やギリシア彫刻のような表象=造形(アポロン的)文化と、周辺異民族の農神祭の陶酔=音楽(ディオニュソス的)文化の結婚によって生まれたのがギリシア悲劇であった、というのがニーチェの描く悲劇の誕生のストーリーである。この物語を皮相に受け取るなら、スタティックな視覚的芸術と、ダイナミックな音楽芸術が結合された総合芸術としての(明らかにワーグナーの楽劇とリンクした)悲劇の誕生が描かれているようにも見える。が、ニーチェはそれ以上のことを、もう一つ別のストーリーを語ろうともしている。ただ、その物語を展開するには、ショーペンハウアー流の芸術形而上学では少々役不足なのだ。
 私は、アポロン的なものとディオニュソス的なものを、ショーペンハウアー由来の、現象界とそれに先行するはずの意志(物自体)という形而上学的対立としてではなく、秩序化への衝動としてのアポロンと、秩序や構造の解体、破壊の衝動としてのディオニュソス――という社会学的対立として読むべきだと考えている。ニーチェ研究者の中にはこうした議論をしている人がいそうなものだが、不思議といままでお目にかかったことがないので、自分でそのアナザーストーリーを抽出してみようと思う。

 ニーチェはアポロン的文化とディオニュソス的文化について「夢と陶酔」というショーペンハウアー流の比喩で語ってしれっと満足しているが、もっとその下部構造を探ると興味深い事実が見えてきたはずだ。アポロン的文化特有の、イメージを形象化する作業は、忘我の状態にあるディオニュソス的陶酔と異なり、明晰な知性と自己を律した粘り強い努力なしには成り立たない。つまりアポロン的な秩序の追求には労働の側面が色濃く現れている。殊にモニュメンタルな彫刻や建築物の制作となれば、多数の職人や労働力の動員が必要だろう。となるとアポロン文化の背後には秩序を求め、秩序の形成や維持のための技術や労働力を組織することのできる権力の存在が予想されるのである。
 つまりアポロン的文化として語られたギリシア都市国家の文化の特質はニーチェが強調する「夢=表象」という点にあるというよりも、むしろ都市国家の支配階級(権力)によって組織された文化だという点に、その卓越と永続性を内外に示すために、規模が大きく洗練され秩序を極めた表現が、高い技術を持つ芸術家や職人たち、数多くの労働力を動員して追求された、という点に見出すべきだろう。ギリシア神話を造形化した驚くべき夢の世界は、卓越への志向と力や技術がなければ実現されなかったであろう。この卓越し、他者の上に立とうとする権力特有のヒエラルキッシュな上昇の志向、垂直的な文化のあり方こそがアポロン的文化の特質なのである。
 秩序化とは真面目さ、厳粛さの追求であり、欲求を満足させる快楽を禁止すること=労働によって達成される状態である。一方、ディオニュソス的文化は、権力の醸し出す厳粛さに象徴される堅苦しい日常的秩序からの解放の局面である。それは労働が作り上げたものを非生産的に消費することである。真面目で厳粛なものを笑い、瞬間を愉しむこと。陶酔において私たちがわれを忘れるほど夢中になれる面白さは、こうした秩序の破壊の局面にしかないであろう。

ディオニュソス的なものは、<陶酔>にたとえてみるのがわかりやすい。どの未開民族の賛歌にも歌われているあの麻薬の作用によって、あるいは自然全体を歓喜でみたす春の力強いおとずれによって、ディオニュソス的な衝動がめざめ、その高まりとともに、個人的、主観的なものは完全な自己忘却へと消滅してゆく。、、祭りにみられるディオニュソス的なものの魔力によって、人間と人間との絆が復活するだけではない。人間に疎外され、人間と敵対していた自然、息子に踏みつけられていた母なる自然が、人間という放蕩息子と和解の宴をひらくのだ。そこには、もう奴隷はいない。その時々の気まぐれな事情や「おしつけがましい慣行」で人間同士を引きはなしてきた、あの厳しく憎悪にみちた境界線はいまや完全に消滅する。ついに世界調和の福音がおとずれ、だれもが隣人とむすばれ、和解し、溶けあったと感じるだけでなく、文字通り<ひとつ>になったと感じるのだ。<個体化原理>としての<目眩ましのヴェール>は切りきざまれ、神秘にみちた宇宙の本体である<根源的一者>のまわりを漂っているにすぎない。人間は歌い踊ることによって、自分がより高度な共同体の一員であることを表現しているのだ。彼は歩くことや話すことを忘れ、踊ることによってさらなる高みへ舞い上がろうとする。その身振りには魔法の力がみてとれる。いまや動物たちが口をきき、大地が乳と蜜をだすように、人間からも超自然的なものがひびいてくる。彼はみずからを神と感じ、夢でみた神々の歩みさながらに、いまや彼自身が高められ陶然と歩をすすめる。人間はもはや芸術家ではなく、芸術作品そのものとなっている。(『悲劇の誕生』)
「、、、本来はアポロンだけがギリシアの芸術神であって、アジアから押し寄せてきたディオニュソスを和らげて、自分とのきわめて美しい同盟を結ばせえたのはアポロンの威力によることである。ここでわれわれはもっとも容易にギリシア精神の信じがたい理想主義を把握するのである。アジア人のもとでは下級な衝動のきわめて粗野な解放を意味し特定の期間内でのあらゆる社会的束縛を破棄する乱婚的な動物生活を意味していた一つの自然祭祀から、ギリシア人のもとでは一種の世界救済の祭り、浄化の祭が生じたのである。ギリシア人の本質のあらゆる高尚な衝動がこのオルギアスモスの理想化のなかに顕現したのである。(『ディオニュソス的世界観』)」



 このような<個体化原理>とか<根源的一者>というショーペンハウアーの芸術形而上学の用語でユートピア的に語られている事態、、、日常的な秩序、身分や役割などは束の間反古にされ、人間同士の水平的な関係が広がってゆく様子、、、は、どう見ても民衆文化=祝祭(自然祭祀)に関する社会学的記述――労働とともに生じた諸々の禁止からの解放の歓喜であり陶酔の記述であろう。
 このようにアポロン的文化とディオニュソス的文化という対立は、支配階層のハイ・カルチャーと民衆のロウ・カルチャーという非対称的な下部構造を持つ2つの文化形態(バフチンなら公式文化と非公式文化と呼ぶであろう)の違いを表現した、ある意味政治性を持った対立図式であると考えたほうがいいだろう。

 アポロン的な芸術としては、音楽もすでに知られていたようだが、それは正確にいうと波の音のようなリズムのことにすぎない。リズムには造形的な力があるので、アポロン的な状態を表現するのに、リズムの造形力が使われたまでのことである。アポロンの音楽は、いわば音によるドーリス式建築であり、その音はキターラに特有の暗示的なものにすぎなかった。(『悲劇の誕生』)



 ニーチェによればアポロン的文化とディオニュソス的文化はそれぞれ造形芸術と音楽に置き換えられるもののはずであるが、一方でアポロンの音楽なんて言葉を使っていたりもする。これはつまり音楽は必ずしもすべてディオニュソス的なものとは言えないということで――ホメロスの叙事詩とアルキロコス抒情詩の対立に関しても同様であるが――芸術のジャンルとアポロン/ディオニュソスの境界線は一致していないのである。むしろニーチェがアポロンの音楽という言葉で言いたかったのは、秩序を追求した音、厳粛で形式化した音についてであり、それとは別にわれわれを秩序の放棄と陶酔へと誘うディオニュソス的な音楽というものがある、ということだったであろう。
 本来であればニーチェもこのように「コスモス(秩序)/カオス(混沌)」のラインでギリシア文化をスッキリ語れたであろうが、おそらくは総合芸術としてのギリシア悲劇=ワーグナーの楽劇を持ち上げるという公然たる意図が「表象(夢=造形芸術)/意志(陶酔=音楽)」というショーペンハウアーの芸術形而上学由来の対立概念が混入して、アポロン的なものとディオニュソス的なものという対立図式を、ややわかりにくいものにしてしまっているのである(つづく)。

Category: 亡霊退治   Tags: ---

Response: Comment: 0  Trackback: 0  

モンタージュとモダニズム

 アドルノやペーター・ビュルガーが言っている反芸術(アヴァンギャルド芸術)作品の根本原理であるところの「モンタージュ」という技法は、「芸術」(公式文化)の原理ではなくて、カーニヴァルのような民衆文化(非公式文化)において多用されたパロディの技法である。例えばキュビズムの「パピエ・コレ」が、「モンタージュ」の近代美術における先駆的な例だとされるが、この技法はキュビストが発明したわけではないし、ダダイストやシュルレアリストの専売特許でもない。遠い過去から人類の文化に綿々と受け継がれてきたやり方なのである。20世紀芸術に「モンタージュ」技法を用いた作品が数多く現れるようになったということは、支配階級の高級文化である「芸術」の領域に、「芸術」とは異質な民衆文化の原理が入り込んでいるということを意味する。

 「芸術」という支配階級の文化は、自らの権力の正統性や永遠性を誇示するという、民衆(被支配階級)に対する「卓越」への志向によって突き動かされている。そのため、ある一貫した秩序ある宇宙観を象徴する、高度に洗練され完成度の高い形式の美が、熟練した芸術家や職人たちを囲い込むことによって追求された。「芸術」はその華麗さ、厳粛さで民衆を観客として跪かせるとともに支配階級を中心としたシステムに統合させる装置(スペクタクル)として働いている。
 一方、祝祭(カーニバル)に代表される民衆文化(非公式文化)は、そうした上下の階層秩序(ヒエラルキー)を前提とした「卓越」への志向とは無縁である。むしろヒエラルキーの解体そのものであり、疎外と禁止の体系である支配的秩序からの開放を生き、愉しむことだと考えるべきだろう。そこでは上下の階層秩序は象徴的に反転され、「あべこべの世界」が束の間現出した。たとえば中世の祭りの期間中、王や領主、宗教的権力者は見世物的にその座を引きずり降ろされ、その位置に身分の低い者、道化、子供、驢馬などが据え付けられた。また普段差別され、アウトカースト的な存在であった旅芸人、乞食のような人々が、聖なるものとして祭りの空間の中心に祭り上げられたという。つまり「あべこべの世界」とは、支配的な階層秩序(制度)のパロディであり、パロディの生み出したちぐはぐ感が、自明化していた秩序に亀裂を作り、民衆はその虚構性の崩壊を奇跡的な驚異の感覚とともに生き、笑い、愉しむものだったのである。
 そのとき民衆文化が駆使しているのが、洗練の極みを志向する卓越の文化である「芸術」の専門化した技術とは全く性格を異にする「モンタージュ」の技法である。「芸術」の技術は階層秩序の上方を象徴するフォーマルなイメージ(公式的な美)をひたすら純化するものである。が、それに対して「モンタージュ」の技法は、「上方」を象徴する厳粛、真面目でフォーマルな事象と「下方」を象徴するインフォーマル(非公式的)な事象を、ちぐはぐなまま無造作に組み合わせ、糊付け(コラージュ)することにある。インフォーマルなものとは、権力によってフォーマルな美が彫琢されると同時に下方の領域に排除され放逐されたグロテスクなもの、取るに足りないもの、醜いもの、破廉恥なもの、おぞましいもの、といった事象である。つまり「モンタージュ」技法とは、価値の高いとされる厳粛なイメージを流用し、価値の低いとされるイメージと、非対称なままに併置したり、一方をもう一方の中に無造作に挿入したりと、価値的に落差のあるとされる事象をあたかも同等のものであるかのように同じ土俵に並べてしまうことだといっていいだろう。「モンタージュ」技法に本質的なのはそれが「流用」という、熟練を必要としないで誰でもが行使できる非専門的な技法、いや、技法というのもおこがましいほど生活の中でわれわれが経験し、生きることそのものであるのだ。

 ところが、この「あべこべの世界」を作り出す「モンタージュ」技法が19世紀後半から20世紀初頭の「芸術(公式文化)」の世界に、「反芸術」運動として入り込んできたのである。アドルノやビュルガーのような芸術批評をする人たちは「芸術」だけが語るに値する文化だと考えているらしく、非公式な文化が視野に入っていない。そのため「モンタージュ」をヨーロッパ芸術(ヨーロッパ支配階級の文化)の自律(自己批判・自己検証)の運動の中から生まれてきたという物語(いわゆるモデルネ=モダニズム論)を作り上げてしまうのだが、「モンタージュ」はそもそも人類の圧倒的マジョリティである被支配階級の文化において広汎に用いられてきた技法なのである。しかも肝心なことは、「芸術」が現行の秩序を厳粛に肯定し、文化を観客として礼拝的に受け取るものであるのに対して、カーニヴァル的な文化(非公式文化)は秩序の転覆、崩壊をすべての人が自ら生きることだという根本的な相違である。
 反芸術を「芸術」に侵入した非公式文化(カーニヴァル)であるという視点から捉え直すなら、今日モダニズム系理論によって常識とされてしまった「反芸術」に関する解釈を見直すことも容易になるだろう。

 キュビズムのパピエ・コレのように、洗練された統一的な仮象(アドルノの言う有機的作品)と、現実の断片という異質なものの併置は、「モンタージュ」の好例であるのは確かである。だが、仮象と現実の断片の接合が問題なのではなく、価値の高いとされるもの(統一的な仮象)と低いとされるもの(現実の断片)という、落差(ちぐはぐ感)の激しいものの非対称な結合こそが衝撃の源泉であり、「モンタージュ」技法のミソである、ということをまず押さえておかねばならない。
 そう考えるとキュビズムから遡ること半世紀前のマネの絵画においてすでに「モンタージュ」技法の先駆的な例を見ることができる。通常マネはモデルニテ(現在性)の画家、つまり反アカデミズムの画家、古典的、伝統的な規範を様々な面で打ち破ったイノベーターということになっている。その事自体間違いではないだろうが、マネの最も革命的なところは、彼の最も油の乗っていた時期の作品が古典のパロディであり、「モンタージュ」技法を駆使している点である。
 もともとマネの絵は対象に思い入れの乏しい写真的な眼で作られている上に、人物をコピペして貼り合わせたようなちぐはぐ感を特徴としているが、「草上の昼食」や「オランピア」では古典絵画の構図をそのまま流用しており、本来ヴィーナスが横たわっているべき場所に現代の娼婦を描きこむという大胆なパロディを、絵筆を使いながら行っている。この「あべこべ絵画」は19世紀芸術における最高のモンタージュ的実践であり反芸術の出発点となった。
 しかし私は、マネの「オランピア」やパピエ・コレやシュルレアリスム作品のように、作品上で行使される「モンタージュ」よりも、もっと大きな制度的背景、例えばサロン、美術館、ディーラー=批評界などからなるいわゆる「アート・ワールド」的な制度全体を流用した「モンタージュ」の実践にこそ、反芸術の本質が現れていると思っている。
 デュシャンのレディメイドは普通「モンタージュ」作品とは言わないだろうが、美術館という公式文化の厳粛な(価値の高いとされる)空間に、既成品(小便器)という価値の低いとされる現実の断片を挿入するという、制度全体をパロディ化する「モンタージュ」行為である。実は反芸術においては、この2つの(作品上のモンタージュと、制度空間のパロディを演出するモンタージュの)位相の「モンタージュ」技法が絡まり合いながら行使されているのだが、後者のモンタージュのほうがより根本的な「モンタージュ」の実践であろう。
 前者の「モンタージュ」技法を多用するダダ・シュルレアリスムの作品に対して、構成主義的なセザンヌから抽象絵画、抽象表現主義への流れは通常、古典、遠近法絵画からの離脱­=平面への還元という「モダニズム」流の歴史的解釈の中でその意義を認められてきた。だが、後者の「モンタージュ」技法の文脈に置き直すなら抽象絵画も全く異なる相貌を見せることになる。
  タッチの集積である未完成の絵画(セザンヌ)は、遠近法的仮象よりも画布を前にした画家の緊張感あふれる身振り(生)を突出的に表現しているが、彼は自らの生の断片的な痕跡をアカデミックな価値の支配する厳粛な制度空間(サロン)に挿入したいと希求し続けていた。また子供でも描けるであろう単純な幾何学的形態を並べただけの絵画(カンディンスキー、モンドリアン)や、絵の具のシミでしかない絵画(アンフォルメル、抽象表現主義)を美術館に並べることは、未だアカデミズムの影響を払拭していなかった20世紀初頭の芸術の制度に対する道化的なパロディの実践でなくてなんであろう。

 このように19世紀後半から20世紀前半にかけてのアヴァンギャルド(私は反芸術という言葉を使うべきだと思っているが)の時代は、「モンタージュ」という非公式文化特有の文化技法が、芸術の領域(ブルジョワ権力に組織された公式文化の領域)に侵入しアカデミズムを急速に駆逐していった時期だったわけだが、問題は近代化とともに過去のものとなってしまったカーニヴァル的な文化技法が、何故に20世紀芸術の領域において花開くことになったのか? である。だが、このことを説明すると長くなるので端折らせてもらうと、19世紀末の芸術が硬直化し退屈なものであったこと、それ以上に芸術家たちの生きるブルジョワ社会が退屈で非人間的であったこと、それゆえ彼らはブルジョワ体制の虚構性を暴き、異議を申し立て、システムに亀裂を入れその疎外からの自律を志向したのだろうと、その動機を想像することができるだろう。そのときシステムの厳粛さをパロディ化し秩序を解体させた民衆文化のやり方を駆使するに至ったのは偶然ではなかったということだ。
 当初、彼らの「モンタージュ」によるカーニヴァル的実践は、嘲笑され、ヒステリックに糾弾され、無視されたりと、けんもほろろにあしらわれたが、マンネリ化したアカデミックな絵画に比べてその面白さに惹かれ始めるブルジョワジーも現れ始め、広がり始めた美術市場で成功を収め始めるようになってゆく。もっとも芸術家たちには自分がカーニヴァル的な実践を行っているというはっきりした自覚がなかったため、芸術家としての個人的な「卓越(観客に対する演者となり上位のヒエラルキーを志向すること)」とブルジョワ社会での成功へと逆流してゆく可能性に付き纏われてもいた。
 また一方、「芸術」(公式文化)の権威を形作っていた一部の目敏い批評家や画商たちは時代の変化を感じ取り、それまでの西洋芸術の美的規範となっていた「アカデミズム」に代わって「モダニズム」という規範(物語)を組織し、反芸術のカーニヴァル(非公式文化)的実践を公式化し「芸術」の中への取り込み始める。「モダニズム」は、古典主義的な主題、秩序、写実主義というスタティックな「アカデミズム」の規範を排し、「新しさ」という掴みどころのないダイナミックな規範を掲げた。この「新しさ」という規範によって、反芸術を擁護し、アカデミックな伝統芸術を「古いもの」「固定化したもの」だとして引導を渡し、硬直化したアート・ワールドは刷新されることになる。但し「新しさ」はブルジョワ体制のもと広がり始めた消費社会をドライブさせる「流行(モード)」の大事な要素でもあり、工業の発展が可能にした複製技術による商品の流行(大衆文化)との差別化が「モダニズム」言説の課題であった。だが「モダニズム」には当初から「自己批判、自己検証」性というストイックなもうひとつの重要な一面があり、その一面が芸術作品を低級なまがい物(キッチュ)である流行商品とは異なる高級文化としてのアイデンティティを担うようになる。
 つまりモダニズムは、形骸化した伝統文化と複製技術による産業化した文化という2面の「後衛(リアギャルド)」に対する「前衛(アヴァンギャルド)」を価値あるものとして支持する規範として成立したわけである(したがって「アヴァンギャルド(前衛)」という用語自体がモダニズムとともに成立したものである)。もっとも現在では、「モダニズム」の「自己批判」的なストイックな面は(ポップアートなどによって「自己批判」され)やや弱まり、芸術と大衆文化の境界線は曖昧化され、「ポストモダニズム」が「芸術=大衆文化」というブルジョワ社会のスペクタクルのあり方となっている。
 何れにせよ、この「モダニズム」言説によって、反芸術の民衆文化的なカーニヴァル的本質は隠蔽され、「芸術」という支配階級のスペクタクルのイノベーションの物語、すなわち「アヴァンギャルド(前衛)芸術」の物語へ書き換えられることになった。このときブルジョワジーの嘲笑と憤激を買っていた反芸術の担い手(秩序を覆す道化)たちは一転、高級文化(芸術)のイノベーターとして称賛され、卓越した「演者」としてブルジョワ文化に君臨することになるのである。
 「モダニズム」は、カントの時代に始まる芸術の「自律」の物語であり、芸術の「還元」やら「止揚」やら「終焉」を目指すとか、いやそれは未だに「未完」のプロジェクトであるとかいう歴史的物語をでっち上げる。エミール・ゾラは批判にさらされるマネを擁護したが、ゾラは「オランピア」のモンタージュ技法には全く関心を示さず、むしろマネの絵画の主題は、色面構成の意図に沿って選ばれているというフォーマリスティックな解釈をしている。このゾラによるマネ解釈は、絵画の平面への「還元」というモダニズムの物語への書き換えの典型的なやり方である。マネの実践に含まれたカーニヴァル的な、秩序の解体を生きようとする試みは、芸術の自己検証の実践として、芸術のための芸術(メタ絵画)としてゾンビのように生まれ変わるのである。セザンヌも、キュビズムも、抽象絵画も、「芸術」の自律の歴史に奉仕するイノベーションとなったし、カーニヴァル的な本質をダイレクトに志向していたはずの、ダダやシュルレアリスムも芸術の制度や創作行為そのものを自己検証する「メタ芸術」へと収斂していってしまった。さらに抽象表現主義の画家たちは「モダニズム」のイデオローグであるグリーンバーグと密接な関係の中で作業し、積極的に「芸術」の自律に奉仕する道を取った。
 結局、反芸術家たちは自分たちの仕事は、自らがカーニヴァル的な実践を行っているというはっきりした自覚がなかったため、「モダニズム」言説によって刷新されたブルジョア社会のスペクタクル(近代芸術)の新たな厳粛さに奉仕する運命を引き寄せてしまった。その結果、芸術批評や美学のような領域では「モダニズム」流の理論がまかり通り、それ以外の解釈を探すのは難しいほどだ。なるほど、事態は「芸術」の自律の運動、自己批判、自己検証の努力が、ヨーロッパを中心とした「近代芸術」の領域を新鮮に活気づかせ、新たな人類の文化の地平を開拓でもしているにかのように見える。しかし実際に反芸術家たちが望んでいたのはそのようなものだったのだろうか。「近代芸術」の卓越した演者になるなることだったのか。そうではなくてブルジョア社会の秩序の解体を生きることではなかったのだろうか。自律すべきは「芸術」というブルジョワ権力のスペクタクルなどではなく、私たち一人ひとりの「生」だったはずなのだから。

Category: 亡霊退治   Tags: ---

Response: Comment: 0  Trackback: 0  

バフチンのカーニヴァル論と聞くと何をいまさらと思うかもしれないが

、、、これは面白い本だぞ、、、まださわりしか読んでないんだけど(笑)。かつて山口昌男らによって日本に紹介されたというから、祝祭論とか中心と周縁とかの人類学、社会学的な文脈で当時は読まれたんだろうが、今日、スペクタクル社会からの自律への道標として読まれるべきだと思う。バフチンによる「公式文化/非公式文化(カーニヴァル)」という腑分けは、そのまま「スペクタクル(文化の疎外、疎外の文化)/自律した生」の対立へと読み替えることができる。シチュアシオニストがスペクタクルの観客であることを乗り越えるものとして出してきた「生きる者」による「状況を構築」のイメージをつかむには、バフチンの「カーニヴァル」の描写を読めばよい。「転用」の戦略のなんたるかを知るためには「カーニヴァル」において多彩に用いられた「パロディ」を思い浮かべるべきだ。
 またシチュアシオニストの活動をして「アヴァンギャルド芸術と政治の統合」だと軽々しく言う人がいるが、これは間違いだとは言えないが、誤解を招く言い方である。アヴァンギャルド芸術とは、芸術という公式文化の領域をカーニヴァル化する実践であったが、シチュアシオニストの「状況を構築」はより広範に生活全体をカーニヴァル化する試みだったわけで、本質的には全く同じ「カーニヴァル」なのである。よく誤解されているようにシチュアシオニストは、前衛芸術の手法を使って政治に介入したから「芸術と政治」の統合だったのではなく、「カーニヴァル」空間そのものが、体制や秩序を反転させて成り立っているものだからこそ、それは高度に政治性を持っているのである。似たような例で言えば、ブランショは68年5月について「路上に降りたポエム」だ、という評価をしたというが、これも「政治×芸術」という意味に解釈しないで、5月革命は「カーニヴァル」だった、と一言でいったほうがよろしい。
 ドゥボールがシチュアシオニスト内部のいわゆる「芸術派」を厳しくパージしたことも、運動の偏狭さだとしてよく批判される。これもシチュアシオニストの活動がカーニヴァル(非公式文化)であり、芸術(公式文化)ではないことの論理的帰結だったと考えるほうがスッキリする。
 アヴァンギャルドにしろシチュアシオニストにしろ、目新しいものでも珍奇な変わり者によるものではなく、民衆は人類の歴史の古からから状況を構築して面白がってきたし、カーニヴァルは近代化とともに消えてしまったのではなく、運動の中に現在も生きているということを、バフチンの本は教えてくれる。
04 2020 « »
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
目次

カテゴリー 累計
全記事一覧
前衛芸術研究室 28
亡霊退治 75
アート・建築・デザイン 29
思想など 144
旅行・タイなど 62
ニュース・時事など 31
フンデルトワッサー 12
中西夏之 3
日記・その他 127
記憶の底から 15
音楽 6
Category: None 34
反芸術研究室 6
最新のコメント
Twitter
タグcloud
アクセスカウンター
   




プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
 連絡先 araiken#mac.com #を@に置き換えてください。



Archive

RSS