泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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今も生き残るアカデミズム

 19世紀後半から20世紀前半にかけて西洋のアートワールド(芸術の権威)はその中心的規範(芸術と非芸術の境界を決定する言説)を大きく変えた。芸術アカデミーというブルジョワ国家の官僚的権威を中心に組織されていた古典主義的な「アカデミズム」から、前衛芸術を擁護する「モダニズム」へと急速に転換したのである。それは、西洋美術がそれまでの国家的(中央集権的、礼拝的)スペクタクルから、市場に流通する商品へと性格を変えて、消費のスペクタクルへと変貌していったことを背景としていた。モダニズム言説の特徴はいくつか挙げることができる(例えば、自己批判的、自己検証的な純粋性やメタ性、フォーマリズム、歴史発展主義など)が、モダニズムの消費のスペクタクルとしての性格を一番反映しているのは、「新しさ」という規範である。これは消費社会を流通する商品の価値を決める「モード」と何ら変わることないコードである。実際には、その他の規範を背負っていなければならない「モダニズム芸術」は、市場で売れればいいだけの単なる商品とは異なるのだが、この時期に芸術作品はよりあからさまに商品化したのは確かである。
 アカデミズムは古典主義というスタティックである意味わかりやすい規範であったが、モダニズムはダイナミック(動的)な規範であって、掴みどころがない。20世紀以降、つまりモダニズムが中心的規範となって以来、アーティストを志望する若者は誰でも「何を描いたらいいのか?」という問題に直面した経験を持つようになるのだが、これは19世紀以前にはあり得ない逡巡なのである。かつては芸術家になろうとする者が学び修練すべき目標ははっきりしていたのに、現在ではアーティストという戦士たちは、何が正解なのかわからない状態で今までなかった何かを創り出す必要に迫られるようになっているのだ。
 はっきりしているのは、固定的で形式的なアカデミズムの規範は、ダイナミックなモダニズムの規範とは本来相容れないものだということだ。形式的で古臭いアカデミズム芸術は、モダニズムにとっては過去のもの、キッチュとなって、芸術とは認められない「後衛」として、大衆文化や文化産業同様に非芸術として文化のメインストリームから排斥されてゆくべきものになったのだ。
 しかしアカデミズムの技術そのものは死んだわけではない。大衆文化や商業美術のなかではアカデミックな技術は、その価値を決する重要なファクターであるし、公募展(日本でいうと、日展とか二科展)のような周縁的な芸術の世界でも同様である。また、美術大学の入試では、いまだに石膏デッサンというアカデミックな技術の習得が選考の基準となっているわけで、アートワールドには相容れない規範が奇妙な形で同居しているのである。これでは美大に進んでアーティストになろうとしている若者は混乱するだけで、何か痛々しいのである。
 さらにここ数十年の間に、「ポストモダニズム」というモダニズムのアップデートバージョンが登場し、アートの世界はますます何が何だかわからなくなっている。モダニズムは、大衆文化(文化産業)の低俗さに対立することで自らの高級文化としての地位を確立させたために、独特の純粋性やストイックさを持つことになった。しかしその還元主義が臨界点に達するとともに、ストイックなプレモダニズムは放棄され、大衆文化と融合しながらポストモダニズムという新バージョンを形成した。しかしプレモダニズムもそれで消えてしまったわけではなく、ポストモダニズムと同居を続けているのである。

 アーティストになることを夢見る若者に言うとしたら、アカデミズムにしろモダニズムにしろポストモダニズムにしろ、こうした規範的言説はすべて芸術(高級文化)と非芸術(文化ならざる野蛮、稚拙、独り言)の境界を線引するものであり、対立させ、卓越することで「芸術」という高級文化が成り立っているということだ。つまり線引し、ジャッジする権威=権力が存在し、そうした他者が評価を下す基準となっている。だが私たちは、権威に認められなくとも、市場に認められなくとも(売れなくとも)、あるいは作品という商品の形をとることすらなくとも、面白いもの、熱い歓びの経験、というものを持っている。評価軸を自分たちの感性に取り戻すこと、すなわち自律することが何より肝心だし、そのときアートワールドの規範の混乱なんてものは、ナンセンスで壮大な権力の独り言に見えるだろう。目指すべきは、アーティストとして他者に卓越することだったり、卓越していることを承認されることではないのではないか。個人としての栄光みたいなものが目指すべきものなのかもう一度考えてみるべきではないか。

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ジャポニズムとプリミティヴィズムについてのメモ

 19世紀後半からのいわゆるアヴァンギャルド美術の領域における事件としてよく知られているのは、ジャポニズムとプリミティヴィズムである。ジャポニズム(おもに浮世絵)は、19世紀に印象派や象徴主義美術に絶大な影響を与えた。一方プリミティヴィズム(アフリカやオセアニアの仮面、彫像)の衝撃は、20世紀のキュビズムからダダ・シュルレアリスムの原動力の一つとなっていた。
 ジャポニズムとプリミティヴィズムの起源は、西洋外部の民衆文化だったと言えるが、注意しておきたいのは、この2つの西洋外の文化は大きく性格を異にしていることだ。ジャポニズム(浮世絵)は基本的に西洋美術と同様の「卓越の文化」だが、プリミティヴィズムは「生きられる文化」である。
 日本における浮世絵文化とその背景について詳しく知らないのだが、浮世絵は版画の技術によって都市部の庶民が手軽に買える作品=商品として、江戸時代の日本というローカルな市場に流通していたこと、人気のある専門家(天才=個人である)の絵師(北斎、歌麿、広重など)が存在したことなど、こうした特徴は、明治以前のブルジョワ的な個人こそ存在していない時代ではあったが、浮世絵文化は「卓越の文化」の中でも、今日の「大衆文化(ポップカルチャー)」に性格が近かったといっていいだろう。
 一方、アフリカやオセアニアの仮面や彫像は、専門的な表現者によって作品として創られたものではない。西洋人の視線によって無理矢理芸術作品という解釈をされたのであって、元来、部族の宗教的生活体系の一断片を切り取ったものに過ぎなかった。つまり作品(媒体)と生の関係や、社会と表現行為の関係が、典型的な「卓越の文化」である西洋芸術とは全く異なる文脈にある「生きられる文化」なのである。
 このように浮世絵は西洋美術と同じ「卓越の文化」であったため、通約可能なわかりやすい影響をアヴァンギャルドたちに与えた。それはもっぱらスタイルの面に限られていたと言っていいだろう。ルネッサンス以降の写実絵画の形式化(アカデミズム)に退屈していた若い画家たちに、平面的で装飾的な浮世絵のスタイルは、西洋絵画の伝統を越えてゆく方向性を示していた。つまり反アカデミズム的な文脈で浮世絵は画家たちに大きなインスピレーションを与えたといっていいだろう。
 それに対してアフリカやオセアニアの部族文化が西洋美術に与えた衝撃は、スタイル面ではなかった。確かにピカソの初期キュビズムの段階において一時的にアフリカ彫刻の意匠が取り入れられているが、それ以降アフリカ的なスタイルは消えてしまっている。ダダ・シュルレアリスムへのプリミティヴィズムの影響は、ツァラやブルトンの証言からも明らかだが、部族文化のスタイルを運動の中に特定することは困難である。つまり西洋芸術とプリミティヴの文化は通約不可能なものであり、一見わかりにくいが、より根源的なレベルで西洋美術(芸術)を揺さぶったのである。
 アフリカやオセアニアの部族文化は、芸術(卓越の文化)というシステムそのもの(例えば個人を基盤にした制作や卓越が価値となる文化のあり方など)が、疎外されたコミュニケーションであることを自覚させる衝撃力を有していた。その点で浮世絵の西洋美術との親和的な関係を大きく超えていたというわけである。ジャポニズムが反アカデミズム的な文脈で画家たちにインスピレーションを与えたとすれば、プリミティヴィズムは「反芸術」、すなわち「芸術」というサブシステムを含むブルジョワ体制へのアンチであり、「疎外からの自律」という問題を西洋に提起していたと言っていいだろう。
 ただしプリミティヴィズムの提起した問題をアヴァンギャルドたちはどこまで展開させることができたのかは疑問である。ピカソやマチスも、あるいはより疎外からの自律に肉薄していたはずのツァラやブルトンという人たちですらも、芸術(卓越の文化)から抜け出すことができなかったのである。

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卓越の文化と生きられる文化についてのメモ

「カー二ヴァルには演技者と観客の区別はない。カー二ヴァルには、たとえ未発達の形式においてですらフットライトなるものは存在しない。フットライトがあれば、カー二ヴァルはぶちこわしになろう(逆に、フットライトをなくせば、演劇的見世物はぶちこわしになろう)。カー二ヴァルは観るものではなく、そのなかで生きるものであって、すべてのひとが生きている。というのも、 カー二ヴァルはその理念からして、全民衆的なものだからである。カー二ヴァルがおこなわれているあいだは、誰にとってもカー二ヴァル以外の生活は存在しない。」



、、、というバフチンの言葉があるのだが、この演者と観客を二分する「フットライト」の比喩で問題にしているのは演劇論ではない。そうではなくて、一口に文化と言っても、このフットライトによる分離を前提とした文化(公式文化=芸術)と、すべてのひとによって生きられる文化(非公式文化=カーニヴァル)という2つの文化形態があることを、バフチンは図式的に示しているのである。
 
 この2つの文化形態という図式はすでに、ニーチェの『悲劇の誕生』における、「アポロン的文化とディオニュソス的文化」という、少々混乱した対立図式の中に現れていた。また時代は下るが、演者( acter )と観客( spectator )への分離を批判し、自分たちの活動が「生きる者( livers )」たらんとするものであることを主張するシチュアシオニストの「スペクタクルと状況の構築」という対立概念の中にも同様の図式を観ることができる。

つまり、

アポロン的文化=公式文化(芸術)=スペクタクル

という文化形態(これを私は「卓越(垂直性)の文化」と呼ぶ)と、

ディオニュソス的文化=非公式文化(カーニヴァル)=状況の構築

という文化形態(「生きられる(水平性の)文化」と呼ぼう)の二系列を図式的に区別しようというわけである。

まずは、この2つの文化形態がいかに異質なものであるかを説明しておきたい。

1,伝統的には、アポロン的文化=公式文化(芸術)=スペクタクルは、支配階級(王侯貴族、宗教的権力)に特有の文化を、ディオニュソス的文化=非公式文化(カーニヴァル)=状況の構築は、民衆(非支配階級)の文化を説明する図式として通用する。

2,アポロン的文化=公式文化(芸術)=スペクタクルは、「個人」を基本的な要素として成り立つ文化であり、逆にディオニュソス的文化=非公式文化(カーニヴァル)=状況の構築は、個の境界の消滅そのもののことである。

3,「個人」を基本的な要素として成り立つアポロン的文化=公式文化(芸術)=スペクタクルは、他者に対して「卓越、優越」すること(他人より上でありたい=オレってすげえ!)が価値となっている(垂直性)。「才能」が問題とされ、最も価値の高い卓越した個人は「天才」と呼ばれる。逆にディオニュソス的文化=非公式文化(カーニヴァル)=状況の構築にあるのは「笑い」や「遊び」や「陶酔」であり、卓越への努力や配慮、「天才」そのものが存在しない(水平性)。

4,「個人」を基本的な要素として成り立つアポロン的文化=公式文化(芸術)=スペクタクルはまた、演者と観客という二項への分離を前提とした文化である。ある個人が自分を演者(能動的な創造者)であると他者に認めさせることは、他者を(受動的な)観客と見做すことでもある(演者の観客に対する優越)。クリエイターとオーディエンスの非対称性と上下関係がこの文化の基礎である。逆にディオニュソス的文化=非公式文化(カーニヴァル)=状況の構築においては、そうしたフットライトによる、演者と観客の分離はなく、万人が根源的な意味で表現者であり創造者である。

5,「卓越、優越」することが価値となっているアポロン的文化=公式文化(芸術)=スペクタクルには、ある個人が卓越しているかどうかをジャッジする「他者=審級」の存在を前提とする。自分で自分の卓越を主張したとしても、それは独りよがりでしかない。その審級に認められなければ、その個人(作品)は非文化(無価値、野蛮)とみなされる。そうした「審級」は、一般に現行の支配的権力をバックボーンにした権威であり、その承認を受けるということは、権力(秩序)への隷属(疎外)を意味する。逆にディオニュソス的文化=非公式文化(カーニヴァル)=状況の構築とは、支配的権力の紡ぎ出す秩序の解体、無効化、転覆を生きることである。

6,要するに、アポロン的文化=公式文化(芸術)=スペクタクルとは、権力の、権力による、権力のための文化であり、ディオニュソス的文化=非公式文化(カーニヴァル)=状況の構築は、権力(疎外)からの自律のアナーキーな時空を意味するのである。

7,アポロン的文化=公式文化(芸術)=スペクタクルは、権力の威光と永続を示す目的のために、豪華絢爛さ、文化的洗練への配慮、(多くの芸術家や職人を動員できることで可能になる)作品の巨大さ、(石や金属などの堅牢な支持体による)作品の永続性、といった文化的特徴を持つ(作品=コンテンツ中心主義)。一方、ディオニュソス的文化=非公式文化(カーニヴァル)=状況の構築は、将来への配慮のない生の燃焼であり、作品のような文化的残存物を残すことに関心がない。

8,結果的に過去に遡るほど私たちの前に残され可視的になている文化はアポロン的文化=公式文化(芸術)=スペクタクルだけになり、ディオニュソス的文化=非公式文化(カーニヴァル)=状況の構築の広大で無形の遺産は目には見えない。

ところでニーチェはいみじくも「アポロンはディオニュソスなくしては生きえない」と言っている。つまり実は、文化の根源は目には見えない虚の厚みとでも言うべきディオニュソス的文化=非公式文化(カーニヴァル)=状況の構築にこそあるのであって、豪華絢爛にして洗練され、何千年という時間を生き延びてきたアポロン的文化=公式文化(芸術)=スペクタクルも、ディオニュソス的文化の支えなしには空虚なテクノロジーでしかない、ということである。ギリシャ悲劇のみならず、その後のヨーロッパ内外のアポロン的文化=公式文化(芸術)も、何らかの形でディオニュソス的なものが忍び込んでいるからこそ、生気あるものとなっているのだ。

というわけでディオニュソスこそ真の文化の神なのであるが、ニーチェの『悲劇の誕生』には、ディオニュソスを殺害するソクラテスという第3のプレーヤーが登場する。これは一体何者なのか。

ニーチェの描くソクラテスは啓蒙の象徴であり、その合理的、功利的、道具的な理性の手つきは非合理的な起源を持ったディオニュソス的な精神(=文化)をナンセンスなものとして解体してゆく。ギリシャ悲劇はその根源にあったディオニュソス精神がソクラテス的な理性主義によって殺害されることによって形式化され滅んでいった。

しかしこのソクラテス=啓蒙の精神が全面化しているのは何より私たちの近代である。啓蒙の精神は富の増殖と結びついて、いわゆる資本主義の精神となってブルジョワ社会を支配している。私たちの近代ブルジョワ社会とは、ソクラテス=啓蒙­­=資本主義の精神が、ディオニュソス的文化=非公式文化(カーニヴァル)を絶えず封じ込めようとしている社会である。実際にはディオニュソス的なものは放射性物質のごとくアンコントローラブルであり、常に隙間を見つけては漏出、噴出を繰り返しているのだが。

ソクラテス=啓蒙­­=資本主義の精神の拡大と浸透は、伝統的民衆文化(ディオニュソス的文化=非公式文化)を衰弱死させた。一方アポロン的文化=公式文化(芸術)は、ソクラテス=啓蒙­­=資本主義の精神と同化し乗っ取られることになった。アポロン的文化=公式文化(芸術)は、古代中世を通して権力に使える文化ではあったが、権力は文化そのものの敵ではなかった。ブルジョワ権力に至って史上初めて、アポロン的文化=公式文化(芸術)は文化の殺害者の手先になるというパラドキシカルな役割を背負ってしまったのだ。ディオニュソスは糧を失い衰弱死したが、アポロンは自殺を強要させられることになったのだ。実際にはアポロン的文化=公式文化(芸術)=スペクタクルは、私たちを疎外の中に眠らせておくためのテクノロジーへと純化しつつあるといっていいだろう。

 アヴァンギャルド(反芸術)の時代が19世紀後半から20世紀前半にかけてあったわけだが、あれこそまさに、文化の殺害者の手先とかしたアポロン的文化=公式文化(芸術)=スペクタクルの場に、知的階級の中の反体制的な精神(ディオニュソス的なもの)たちが侵入して乗っ取ったものである。つまりギリシャのポリス文化に野蛮なディオニュソス祭が侵入しギリシャ悲劇が誕生したように、この非常に痛快で実り多き100年をディオニュソス的なものが支えたのである。

 しかし今度は、モダニズム(モデルネ)系言説が現れて、本来ディオニュソス的文化=非公式文化(カーニヴァル)であったはずのアヴァンギャルド(反芸術)文化を、まるで文化の殺戮者の手先となったアポロン的文化=公式文化(芸術)の歴史の中から弁証法的に発展してきたかのような簒奪行為を働き、自分のお手柄にしてしまった、、、奪い返されてしまったといったほうが正確だろうか。

 シチュアシオニストはこの事態をよく見抜いていたので、アポロン的文化=公式文化(芸術)=スペクタクルの場から撤退して、生活全体を疎外からの自律の試みの地平にしようとした(状況の構築)。それは奇しくも(いや当然ながら)バフチン描くところのカーニヴァルのような広場の文化に回帰している。あまり気づいている人はいないようだが、20世紀後半以降の文化のメインストリームは、アポロン的文化=公式文化(芸術)=スペクタクルのいわゆるコンテンツ文化よりも、生活全体が文化である「生きられる文化」の形を取って動き出している。シチュアシオニストはその先駆けである。

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モダニズムは体制化された中産階級の秩序にとっては、危険で破壊的な要素をはらんでいた ←うそつけ

モダニズムが自由主義的な資本主義に次いで、だいたい資本主義の第二段階、帝国主義的段階(あるいは独占段階)に対応し、体制化された中産階級の秩序にとっては、危険で破壊的な要素をはらんでいたのに対して、ポストモダニズムの出現は、資本主義の第三段階、「消費資本主義」(consumer capitalism)あるいは「多国籍資本主義」(multinational capitalism)という新しい契機の出現と密接に結びついている。そして、ポストモダニズムの形式的特徴は、この独特の社会システムの「深層の論理」(ibid. p. 125/229頁)を反映し、強化さえしているとジェイムソンは見るのだ。この現行社会との親和的な関係は盛期モダニズムには想像すらできなかったものである。ポストモダンは社会のもっとも強力なシステムと親和的な関係にあるのだから、現代社会のあらゆる場面に浸透するのは当然である(ジェイムソンは現代の広告とポストモダニズムはほとんど同しものと見ている)。ポストモダニズムが、モダニズムの転覆的で批判的な側面を放棄していることはあきらかだが、ジェイムソンはポストモダニズムのなかに消費資本主義の論理に抵抗するような側面があるのかどうか自問し、今日にいたるまでその抵抗の論理を模索している。
『ポストモダンの到来(フレドリック・ジェイムソン)』 田辺秋守



 、、、抵抗の論理なんてポストモダニズムに中にあるわけねーだろ。ポストモダニズムが、モダニズムの抵抗的側面を失った反動である、という論調をよく聞くわけだが、実際にはモダニズムそのものが真っ黒クロスケであってそんな褒められたモノではないのである。ポストモダニズムとはそんな真っ黒なモダニズムのアップデートバージョンに過ぎない。
 文化面におけるモダンやポストモダンという概念は、「芸術」という資本主義社会の高級スペクタクルを司るアートワールドという権威によって形作られている主流言説(芸術と非芸術の境界を決定する言説)であり、スペクタクルとは支配階級(権力)が、その正統性と永続性を誇示し、自己を再生産するための文化装置のことである。市民革命以後、アンシャンレジームの「芸術(高級スペクタクル)」はその役割もそのままブルジョワジーによって引き継がれた。そもそもモダニズムがこうしたスペクタクルとしての性格を持っている以上、資本主義社会との親和性は当然のことであり、転覆的で批判的な側面など求めようもないのである。
 19世紀中盤から、それ以前の主流言説であったアカデミズム(古典主義)の形式化のもとで干からびてしまった「芸術」に危機感を抱いていたアートワールドは、それまで中産階級の秩序にとって危険で破壊的な要素をはらんでいたため、排除したり無視したりして「芸術」と認めていななかった「反芸術」運動(芸術外の文化)を芸術の内部から生まれてきたものであるかのように解釈し直し(横領し)、モダニズム言説を中心としたスペクタクルへと作り変えた。20世紀にはいる頃には、古典主義的なスタティックな美の規範は、「伝統の否定=新しさ」を重視するダイナミックな規範に取って変えられたのである。
 モダニズムに体制転覆的で批判的な側面があったと誤解される理由は、この芸術の外部に息づいていた「(被支配階級・非西洋の生活文化に特徴的だった)生きられる陶酔の文化」のアートワールドへの侵入という外的要因のためであり、「新しさ」というモダニズムの規範そのものは、むしろ生産技術や商品開発におけるイノベーションを常に求める資本主義のあり方と実に親和的である。
 ただモダニズムにはその規範の生成にかかわる独特な性格があり、それが資本主義の発展・変貌とともに行き詰まり、時代と合わないものになっていったことによってポストモダニズムの登場につながってゆくのである。
 高級スペクタクルである「芸術」は、自らが高級であるという優越性の演出のために、対立項として「低級」なものを必要とする。永いこと「芸術」は、民衆の生活文化とか未開文化などの「芸術」外部の「生きられる陶酔の文化」に対して優越することで成り立ってきた。しかしアートワールドは、干からびたアカデミズムをモダニズム言説によって刷新するため、対立項であったはずの「反芸術(生きられる陶酔の文化)」を、形を変えて「芸術」内部に取り込む必要が生じたこと、また近代化とともに民衆の生活文化自体が衰退したことなどのため、アートワールドは優越のための新たな対立を捏造することになった。
 つまりアートワールドは、「伝統の否定=新しさ」という規範に叶うものを「後衛(arrière-garde)」に対する「前衛(avant-garde)」として、この2つの間に境界線を引き、「前衛(avant-garde)」こそが真性の(高級な)文化であるいう物語をでっち上げたのだ。このとき変化のない伝統文化や複製による模倣文化(キッチュ、文化産業)は「後衛(arrière-garde)」の中に押し込められ低級なスペクタクルに貶められることになる。
 この前/後の境界によって生成するモダニズムの文化には、ストイックな性格がつきまとうことになった。まず「伝統の否定=新しさ」という規範は、自分の仕事が芸術の歴史、伝統に対して、どのように新しいものであるのかの検証を芸術家に求めるものであった。モダニズム芸術はグリーンバーグが言うようにメタ芸術、作品そのものが自己批判的な検証の場と化した。芸術家は求道者となって、自分の仕事の模倣や商業主義に対する独創性や潔癖さ、清貧さ、純粋性を常に証明しなければならず、また時代に先んじる「前衛」として大衆の理解から超絶した地点に生きる精神的なタフさをも必要とするのである。ゴッホの貧困と孤独を見よ、というわけである。
 ところでこうしたモダニズムの自己検証・還元作業は袋小路に突き当たる運命にあった。というのも芸術をその根源的な条件に還元してゆけば、表現行為×素材(媒体)というところに行き着かざるを得ない。人間のあらゆる行為は表現であるし、世界のすべてが表現の素材(媒体)でありうるとなれば、芸術の還元作業は、ピアノの前に座って何もしないジョン・ケージのように禅問答のごとき空虚なパフォーマンスに収斂してゆくしかないだろう。かつてアカデミズムが干からびたように1960年代にはモダニズムにも禁欲主義的退屈さとでもいう行き止まり感が広がり始め、資本主義のスペクタクルという役割が要請する「新しさ」がそこに感じられなくなってしまった。そうした状況に対抗するようにアメリカのネオ・ダダやポップアートのムーブメントなどに、ポストモダニズムの特徴を持った芸術が現れ始める。

 まず様式上の特徴としては、一見モダニズム以前の諸傾向に回帰しているという面が顕著である。絵画における具象性の復帰、文学における物語の伝統的な話法への回帰。音楽における調性の重視。また建築に見られるモダニズムの国際様式への反発、そこから生ずる地域性の重視、そしてなかんずく歴史的な諦様式の混淆。まさにポストモダン建築が典型的に示しているように、ポストモダニズムの最大の特徴とは、その「折衷主義」にある。原則的にすべての様式が共存可能であり、すべての様式、すべての時代、すべての地域が「差異への権利」(Ferry 1990 p.317/344頁)をもっているのである。そして最後に、ポストモダンのあらゆる分野で見られるのは、モダニズムが拠り所としていた高級文化と大衆文化との区別が完全に、解消されていることである。
『ポストモダンの到来(フレドリック・ジェイムソン)』 田辺秋守



 いわゆるポストモダニズムのこうした特徴とは、ようするに「前衛」がモダニズムの純粋性の高い規範を実現するために「後衛」というゴミ箱の中に捨てたモノからなっている。「新しさ」をストイックに追求するために排除した「不純なもの」を再発掘しているのである。ポップアートのように商業主義的と蔑まされた大衆文化のイメージをそのまま打ち出したり、低俗なオタク文化を伝統的日本画と折衷した村上隆、グロテスクというかインモラルなイメージを操るダミアン・ハーストなど。こうしたポストモダンアーティストのゴミ箱漁りが多少とも面白く感じられるのは、モダニズムが軽蔑したものを作品や生き方の中に、戦略的、露悪的に取り入れているからだろう。
 「新しさ」こそ価値だとしたダイナミックな規範であったモダニズムが、暗に排除していたモノが詰まったパンドラの箱を開けたポストモダニズムのお陰で、「芸術」の世界はとうとう「何でもあり」の世界になったと言えるのかもしれない。だがポストモダニズムの登場は、アートワールドの主流言説がアカデミズムからモダニズムへ移り変わったときのようなドラスティックな転回なのだろうか。ポストモダンの時代になっても「芸術」には何か「新しい」ものが求められていることに変わりはない。「前衛(avant-garde)」という言葉はすっかり時代にそぐわないものになってしまったが、ポストモダンアーティストも結局のところイノベーティブでなければ評価されないのではないだろうか。そこにモダニズムに対する決定的な何らかの規範の革新があったとも思えないのだ。その意味ではポストモダニズムはせいぜいモダニズムのマイナーチェンジ、すなわちモダニズム2.0でしかないのではないだろうか。
 であるとすれば、ポストモダニズムの中に抵抗の論理なんて探しても無駄であろう。最初に書いたように、モダニズムに体制転覆的で批判的な側面があったと勘違いしてしまう理由は、「芸術」の外部に息づいていた「生きられる陶酔の文化」のアートワールドへの侵入という外的要因のためである。

モンタージュやパスティシュのようなポストモダンに多用される手法は、実はすべてモダニズムのなかに存在していた。 しかしモダニズムにおいては二次的で周禄に位置したものが、ことごとく文化生産の中心となっているところに、ジェイムソンは時代の「新しさ」を見るのである。
『ポストモダンの到来(フレドリック・ジェイムソン)』 田辺秋守


 戦後のポストモダン芸術の手法は戦前までの「反芸術」運動の様々な手法の焼き直しである。ジェイムソンの間違いを正すなら、モンタージュなどパロディ的な手法はモダニズムではなくて「反芸術(生きられる陶酔の文化)」運動に特有の手法だというべきだろう。反芸術の王様は、ポストモダニズムアートの先駆であるネオ・ダダについて「私が〈レディ・メイド〉を発見したときに意図したのは、美的な大騒ぎに水をさすことだった。しかしネオ・ダダの場合は〈美的価値〉を発見するためにレディ・メイドを使っている! 私は瓶立てや便器を挑戦として連中の顔に投げつけたのに、いまやかれらはそういったものを美的に美しいものとして賞賛するのだ(マルセル・デュシャン)」と批判している。またペーター・ビュルガーは「ポスト・アヴァンギャルドの段階を特徴付けるのは、それが作品というカテゴリーを復活したという点、アヴァンギャルドによって反芸術の意図をもって創出された手続きが、芸術的目的に用いられるという点である」と述べている。
 つまりデュシャンが愚痴ってるのは、レディ・メイドというパロディの技法は、バフチン言うところのカーニヴァル(非公式文化)であったのだが、ネオ・ダダ(ポストモダンアート)において同じ技法が、「芸術(スペクタクル=公式文化)」として使われている、というところである。この簒奪的解釈を行ったのがモダニズム言説であり、そのアップデートバージョンであるポストモダニズムもそれをしっかり引き継ぎ、資本主義システムの正統性と永続性を誇示し、システムを再生産するために作動し続けているのである。
 というか、消費資本主義というのは、ようするにスペクタクルが全面化し、私たちの生がスペクタクルに包摂されつくした事態のことである。拡大するスペクタクルの背後で「生きられる陶酔の文化(非公式文化)」はその在り処や存在自体が不可視になってしまった。もはやアートワールドが無理してストイックなモダニズムの規範を布教したり演じたりしなくても、資本主義システムの正統性、永続性、そしてその再生産は鉄板だという段階まで来てしまったということなのかもしれない。そうしたシステムの余裕の表現が、開き直ったモダニズムであるポストモダニズムの正体なのではないだろうか。

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情けないことに「天才」という言葉のいかがわしさに気づいてからもう30年も経つというのに

、、、例えば他人に不当な扱いを受けたときなど、未だに「オレは天才なんだぞ、、、覚えとけよ!」と心でつぶやき自分を慰めたりすることがある。
 単純なことで、一人として同じ人間はいない以上、人の為すこと、為せることには当然違いがあり、差があるわけだが、「天才(才能)」という言葉は、その違いに優劣をつけているのである。つまり「天才」という言葉は、より価値のある人と価値のない人の序列を前提とした言葉なのだ。文化的な天才に限って言えば、、、芸術家(アーティスト)などの文化的生産者は天才に近づけば近づくほど、より卓越し、より価値のある文化的生産を為しうるし、才能がない人間は天才が創り出した文化的生産物を礼拝したり消費したりするだけの受動的な観客へと、文化的に疎外されるのである。こうした「天才」と「天才」によって生み出されたものにこそ価値があるとする文化のあり方を、私は「卓越の文化」と呼んでいる。
 「卓越の文化」は、その文化が「芸術」(高級文化)であろうと、「大衆文化」(文化産業)であろうと、あいつよりオレのほうが上手い、とか、あの人の作品のほうがこの人のより新しいとか洗練されている、深いなどなど。また、商業的な文化でも同様にどちらのほうが人気があり、売れているなどと常にその優劣の比較が問題にされ、より優れたものに文化的価値を置こうとするのである。
 今日私たちが思い浮かべる「文化」なるものは、ほとんどこの「卓越の文化」なのではないだろうか。若い人がクリエイター(文化的職業)なんてものになろうと考えたとき、まずぶつかるのが「オレには才能があるのだろうか」問題である。天才的な才能がなければ食えないだけでなく、その仕事に価値もないというのである。また友人やライバルと優劣を競い、嫉妬や優越感に翻弄され、すでに成功を収めたクリエイターと自分を見比べては絶望する。天賦の才に恵まれたものだけが栄光を掴み、才能ないオレはやはり天才の仕事を礼拝し消費する観客の側に回るしかないのか、、、さらに成功したクリエイターはといえば、自分の地位が新参者に奪われるのではないか、自分の仕事の価値が落ちてゆくのではないかと戦々恐々と闘い続けなければならない。遠い昔から続く文化シーンの本質とはこうした承認欲求の憂鬱な競争の場だったのだろうか。思うに文化と天才(才能)がセットで語られる背景には、文化とはすべからく「卓越の文化」であるという前提が自明なものになっているからに他ならない。
 ペーター・ビュルガーはアヴァンギャルドの中に、「天才」の概念と、文化的生産者(演者)と受容者(観客)の区別の否定を見出している。

 まず従来のブルジョワ芸術〔市民芸術〕の芸術作品の生産に対して、アヴァン ギャルドの「生産」は何か新しいのだろうか。自律的なブルジョワ芸術の生産は個人的なものである。生産の担い手である芸術家は個人として生産し、芸術家の「個性」は「ラディカルに特殊なもの」と把握される。つまり「天才」の概念である。 これに対してアヴァンギャルドは「個人の生産」というカテゴリー自体を否定する。 アヴァンギャルドの作品は天才をまったく期待せず、そもそも作品制作に才能を必要としないというメッセージを送っている。たとえば、デュシャンの有名な「泉」は、大量生産品である小使器に署名(偽名)をし、それを美術展に出品することによって、個人的生産ということを無効化する意図をもっていた。ビュルガーによれ ば、デュシャンの行為は作品の質ではなく署名の方が重きをなす芸術市場を挑発したことにとどまらない。個人を芸術作品の創造者であると考える原理が否定されているのである。
 また、アヴァンギャルドは作品の個人的な受容も否定する。ダダのイヴェントはイヴェントにおいて挑発され憤激した観衆がイヴェントの一部に巻き込まれることを 意図している。そもそもアヴァンギャルドは生産者と受容者の区別に異議を唱える。 これが明確に表れているのが、ダダ的な詩を書くためのツァラの教示や自動筆記によるテクストの構成法に関するアンドレ・ブルトンの手引きである。彼らの処方にしたがって人々が書き、実際に生産者になることをアヴァンギャルドは望んでいた。
モダニズムからアヴァンギャルドへ(ペーター・ビュルガー)』 田辺秋守


 これはつまり「卓越の文化」の否定であり、ビュルガーはそれとは別の文化形態である「生きられる文化」のあり方を指し示しているのだ。それはダダ、シュルレアリスムやロシア・アヴァンギャルドなどのプログラムから抽出された「芸術と生活実践が一体となり、実践が美的であり、芸術が実践的である」という彼の言葉通り、万人が「生きること」が即「文化」であるようなあり方である。
 「生きられる文化」がいかなるものなのかのイメージを掴むためには、バフチンのカーニヴァル論を参照するべきだろう。つまりデュシャンの小便器の面白さはカーニヴァルの面白さなのだ。カーニヴァルにおける民衆の興奮(生きる歓び)に「天才」は無縁である。誰が誰より上であるとか下であるとかいう序列(秩序)や序列を測る物差しが転倒し無効になっている状態がカーニヴァルの時空である。高貴なものが引きずり降ろされ、卑しいもの、淫らなものが持ち上げら、人々を縛っていた秩序は徹底的に「笑い」のめされる。こうした禁止(秩序)からの解放が反芸術(アヴァンギャルド)の本質である。反芸術活動はアートワールドをカーニヴァル化しようとしたのである。
 クリエイターに憧れ、クリエイターになろうと考えるとき、おそらく人はシステムが押し付けてきている文化的疎外から逃れようとしているのだ。観客ではなく演者の側に回る(天才へ上昇する)ことで自律した生を取り戻そうと思っているのだ。が、それはやはりシステムへの隷属なのであって、自律のためにほんとうに必要なことは秩序内部での上昇ではなく、「卓越の文化」と「卓越の文化」というスペクタクルによって自らを維持、再生産し続ける現行体制(秩序)とその疎外を否定すること、現行秩序のゲームの土俵から降りること、すなわち「生きられる文化(カーニヴァルの生)」への移行でなければならない。
 ダダやシュルレアリスムもそうした試みであったはずなのだが、敵もさるもので、小便器という既製品を美術展に展示することで個人を芸術作品の創造者であると考える原理を否定したはずのデュシャンを、今度はそうしたアクションのコンセプトを考え出した「天才」として祭り上げ、「生きられる文化」の実践であったものを「卓越の文化」のに引き戻してしまい、いつの間にか私たちの前には、天才デュシャンや天才ピカソという卓越した個人がいるだけである。ダダもシュルレアリスムもいまや「天才」たちの技にされてしまったのだ。つまり、ゲームを降りた人の実践をゲームのルールに従って行われたものとして解釈し直すこと、これが現行体制の文化的権威であるアートワールドの主流言説であるモダニズム系言説の行っている簒奪行為である。
 しかし「生きられる文化」は美術館とか劇場だけに限られるものではない。カーニヴァル化すべきは路上であり、生活全体であるべきだろう。自分たちの活動は「芸術=卓越の文化」ではないと主張していたシチュアシオニストの実践とは何であったのか。5月革命以来繰り返される路上占拠や小さな自律的空間の創造とは何なのか。それは反芸術活動と同じ「生きられる文化(カーニヴァルの生)」の実践なのではないだろうか。
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荒井賢 (Ken Arai)

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