泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

Category: アート・建築・デザイン   Tags: 芸術  思想  

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祭りのあと:資料

ギャラリーオーナーへの手紙


 ここに掲載するテクストは、1987年に開いた私の作品展のあと、ギャラリーのオーナーに送った手紙です。今読み返すとつたない、問題の多い文章ですが、ここには、シチュアシオニスト的な問題意識の目覚めといったものを見ることをできます。私の前に開けた新しい境地をなんとか理解してもらいたいと書き上げた文章でしたが、正直なところ暗闇に弾丸を打ち込んでいるような虚しさがありました。しかしシチュアシオニストの存在を知る今では、自分の方向性が間違っていなかったとひそかなプライドを抱いています。当時、日本ではまだシチュアシオニストの存在は紹介されていなかったはずだし、私自身マルクスの思想も知らない23歳の若輩者でしたが、同じような思想的結論に辿り着いたことは、興味深いことだと思います。芸術の新しい地平への道しるべとして、なにかの役に立てれば幸いです。



 期間中はいろいろとお世話になりました。
 僕は人と話すのがヘタクソなので、うまく自分の考えをしゃべって説明することができません。だからあとになってああ言えばよかったとか、こう言えばわかってもらえたかもしれないとかとよく思います。バイトを続けながら個展のときにいろいろいわれた意見や批評を思い出していると、それにたいする新しい説明が次々に浮かんできます。そうするうちに個展を開いてみて気が付いた一番重要なポイントはどこなのかわかってきました。

 個展のときよく「なんで文章もいっしょに展示したのか」という質問を受けましたが、絵を展示するのが目的ではなくて、僕の活動を呈示したかったからです。なぜ僕が絵を描き、それがどうして描かないという考えにいたったのか、その全体の流れ、活動そのものを示したかったのです。
 生きる手ごたえをつかむという芸術活動の目的からすれば、それら描かれた絵は全て結果であって、今の僕にはどうでもいいことです。だから構図がどうだとか、色がどうのだとかいう批評を受け入れて、より「いい絵」を描こうなどという気持ちはありません。(例えばピカソがそのような批評を受け入れて作品を作ったなんてことが想像できるでしょうか?)
 しかし、それらの活動を呈示することで説得力をもたせねばならない僕の主張、ーーーつまりこれからは「描かない」ということーーーここが一番重要なポイントであり、僕の芸術についての考え方があらわれているところだと思うのです。
 けれどこの絵を「描かない」という点は理解されなかったようです。たとえばTさんのように僕の絵を好意的にとってくれた人でも、この点についてはわかってもらえませんでした。それは結局僕の活動の意味をわかってもらえなかったということです。

 個展のときは、自分の内面の経緯から「描かない」という結論にいたったという面を強調しましたが、同時にそれは現代美術の歴史的状況にたいする僕の戦略でもあったと思うのです。そこで、美術史的な観点から僕の「描かない」という立場をとらえ直し、説明したいと思います。

 結論からいってしまえば、絵を描くこと、あるいは作品を造るという営み自体が真の自己表現とはいえなくなってしまう時代がすでにおとずれているということです。もちろん今までだって絵を描くことが何でもかんでも真の自己表現、真の創造活動だったわけではありません。ピカソやデュシャンなどの新しい芸術が問題になっている時代に、アカデミックな絵を描き続けて、歴史に消えていった人も星の数ほどいるはずです。それは真の創造、真の自己表現ではなかったからです。しかしピカソはもちろん絵を描いてましたし、デュシャンも作品を作り既製品を展覧会場に持ち込むという行動をしました。そのような美術の営みをすることが創造活動であり、自己表現であったのです。
 ところが僕の言いたいのは、そのような芸術の営み、作品を造る営み自体が、もう真の自己表現とは言えない、むしろ自己表現の邪魔になる時代がきているのではないか、ということなのです。そこで僕のとった戦略が、絵を「描かない」、作品を造らない、美術の営みを断つという逆説的なかたちで美術にかかわるという方法なのです。

 現代美術の歴史は、反芸術の歴史である。ーーーこれが僕の根本的な美術史観です。現代美術は反芸術活動としてのみ存在意義をもっている。さきほど絵を描くことが、何でもかんでも真の創造活動だったわけではないと書きましたが、美術史上に残った、意味のある現代美術の作品は全て反芸術的作品であると言っていいと思います。

 ルネッサンス以来の写実的なタブロー絵画の伝統や芸術意識にたいする全面的な反逆、それがダダイズムに帰結するところの現代美術の歴史なのだと僕は考えます。
 セザンヌから抽象絵画へ至る過程は、絵画の自律的価値を求める、つまり絵画とは外の物体を写生するためのものである以前に、様々な色彩、形で構成された1つの平面であるという面から絵画を解釈しようとする試みでした。またダダイズムでは作品を造るという営みを行為という側面から、生きることとの関わりにおいて根底的にとらえなおそうとしたように思います。
 そして反芸術を看板にかかげた(それゆえ現代美術の根本的な存在意義を意識化した)ダダの登場によって、現代美術の歴史は終結したと僕は考えます。現代美術という反芸術の物語は、造形活動を生の中に行為として解消したダダをもって終わったのです。

 ダダ以降の様々な美術運動ーーー、シュルレアリスム、アンフォルメル、抽象表現主義、ポップアートetc. 様々な運動がおこっては消えてゆきましたが、それらの運動は、
   1. ダダイズムのチューリヒ以外での展開であるか、
   2. ダダ的な問題意識の焼き直し
であるかのどちらかであると考えることができます。
 もちろん前者には意味があります。例えばシュルレアリスムは、新しい形の運動というよりも、チューリヒでおこったダダイズムのパリでの展開と考えられます。またそのようなダダの地方的展開は、日本でも読売アンデパンダン展の熱気、ネオダダグループ、ハイレッドセンターなどの一連の活動の中に見ることができます。 しかし第二次世界大戦後のアンフォルメルなどは、ダダによって提起された問題意識の焼き直しでしかないのではないかと思うのです。デビュッフェも、フォートリエも結局「画家」であるに過ぎません。印象派からダダまでの現代美術の意味を理解した上で造られた作品には見えないのです。もし、現代美術を反芸術の歴史であると理解できる精神の持ち主であれば、何か別の戦略を取れたはずではないでしょうか?

 ところで何のために現代美術の作家たちはそのような反芸術的活動をしたのでしょうか?この点に関していろいろなことがいわれていますが、結局自由を追求するためであるといっていいと思います。それも芸術家たちがはじめから反芸術的な意図をもって活動したのではなく、(それはあとからの説明で、)生きる手ごたえを(つまり自由を)求める過程で必然的にそうなっていったのだと思います。つまり芸術家という一人の人間が自由を追求するために絵画という形式を手段として利用したのです。

 しかしそのように芸術の形式を利用することができるためには、それが制度として社会に認められていることが前提とされています。反芸術的な試みはそれら制度への反抗という形をとって行われました。ですが様々な反芸術的な試みが、美術史の1ページとして公認されると同時に、(つまり制度化されると同時に)それらの活動を続けることは意味をなくしてしまいます。抵抗のないところには自由の生まれる余地もまたないからです。
 しかもダダ(それまでフォビズム、キュビズムなど様々なイズムの影に隠されていた現代美術の反芸術性を看板としてかかげた、したがって現代美術という反芸術活動の帰結であるところのダダ)が、美術史の1ページとして認められた現在では、反芸術活動そのものが型になってしまうのです。上で書いた「2」のダダの焼き直しというのはこれにあたります。反芸術としてのみ存在意義のあった現代美術、それが美術史として公認されることで、現代美術の意義は失われるのです。
 この現象を人は現代美術の無力化といっていますが、はたしてこのような状況を前にして、美術活動を(つまり反芸術活動を、ということだが)続けてゆく意味があるのでしょうか?

 反芸術的活動そのものが型になってしまうという状況を前にして美術活動を続けることは、結局その人が美術家であるということしか示しません。自分に自分で美術家というレッテルをはるのです。
 ところが現代美術の作家たちが行ってきた反芸術活動はそれとは反対のことを目指してます。つまり自分に従来の美術家のレッテルをはることを拒否し、自分の独自性を主張するために美術活動を行ってきたのです。それまでの常識的な画家のあり方を踏襲することは、その人に画家のアイディンティティを与えますが、現代美術の作家たちはそのようなアイディンティティを拒否するために美術活動(つまり反芸術活動)を行ったのです。それが作家を社会から孤立させましたが、生きる手ごたえをつかむこともできたのです。

 しかし繰り返しますが、現在、反芸術活動を行うことは型になってしまいます。ダダによって芸術活動は行為にまで解体された結果、美術の枠の中では、(どのようなことを行おうとそれは一つの行為であるのだから)なにをやっても許されてしまいます。パフォーマンスや、ハプニングが芸術として認められるのはそのためですが、何をやっても許される状況の中で何かをするのでは自由はつかめません。抵抗のある中で自分のスジを貫いてゆくことが生きる手ごたえをつかむ道であり、本当の創造精神であるはずです。
 ではどうしたらよいのでしょうか?
 簡単です。美術の枠をとっぱらってしまえばよいのです。

 僕が問題にしたいのはこの「美術の枠」、言い換えれば「描く」という方法、あるいは芸術の「虚構性」です。
 この虚構性は美術に限らず、文学、演劇、など全ての全ての芸術がもっている構造です。芸術は現実に働きかける手段でしたが、作品という形で働きかけるため、作品を構成するための特殊な時間をもつことになります。この、作品の構成を通じていきる手ごたえをつかむというのが従来の芸術のあり方でした。それは、自然主義にはもちろん、抽象絵画やダダのハプニング、パフォーマンスなどの反芸術活動にも共通の形式です。従来の芸術家はそのような虚構を構成する「描く」という活動をとうして自由を実現していったのでした。
 しかし何度も言っているように、そのような芸術(反芸術)活動の意義は失われています。自由であるためにはワザワザそのような芸術活動に関わる必要はない。そのまま現実である日常生活の中で自由に(というのは自己を主張して)生きてゆけばよいのです。
 それは例えば、ハプニングやパフォーマンスが日常性の中に創造活動を持ち込んだような顔をしているのにたいして、(確かにハプニングは行為であり、物体としての作品を残さないが、演劇と同じでハプニングを演じている時間にたいして、演じる以前、以降という日常性を持っているのであり、やはりハプニングという作品を描いているわけです。そのような芸術の枠内で行われていた創造活動を日常生活の中に解消してしまうことです。それは、現実に働きかけるのにわざわざ作品を造るなどという回りくどい方法を使わず、直接行動し、発言して生きてゆくことです。日常生活の中で、身近な人間関係の中で、様々な問題や抵抗を乗り越え、生きる手ごたえをつかんでゆくことこそ必要なのではないかと僕は思うのです。

 もちろん作品を造るべきではないなどといっているのではありません僕が描かない、作品を造らないという戦略をとるのは、画家のポーズを求めるために絵を描く人、芸術家という社会的アイデンティティのみを求めるために作品を造る人を告発するのに有効な方法であると思うからです。芸術(反芸術)活動が意義を失った現在、作品を造りつづけることはその人に「芸術家」のアイデンティティを与えることしかしません。現代美術の巨匠といわれる人たちが芸術活動の目的を、作品から生きることへとずらすために従来の芸術家のアイデンティティを拒否したことからすると、それはまったく無意味なことです。ではなぜそんな無意味なことをするのでしょうか?

 そうせざるをえない作家たちの鈍さ、弱さに原因があると僕は想像しています。もし芸術活動をやめてしまったら、そのような作家たちは自分が何なのかわからなくなってしまう。自ら軽蔑しているであろう浮浪者や、底辺の労働者以下の無意味な社会的存在になってしまうことはの不安から、造形活動を行い自分に「芸術家」というレッテルを貼るのです。ちょうど大企業の社員であるという肩書きをほしがるのと同じ、社会的なアイデンティティという幻想を求める心理です。
 そのような幻想を破壊することが、真の芸術家の役割であったわけで、そのような創造的な精神のスジからすれば、芸術活動を断つことによって、「芸術家」「美術家」などという社会的なアイデンティティを完全に捨て去ってしまうほうがどれだけスッキリするでしょうか。
 そして、現代美術の歴史の意義がどこにあったのかを示すためにも、僕は芸術活動を断ち、「芸術家」というアイディンティティをもたない「ただの」人間であるという日常的な現実の中で、問題を展開してゆきたいのです。それが一番スリリングで、自由をつかむための手っ取り早い方法だからです。

 このような意味で僕は「描かない」ということを、現代美術のの歴史的状況への戦略と考えているのです。安易な思いつきや、ポーズから「描かない」と言ったのではなく、現代美術の歴史をいまにいかすとすればこのようなやり方もあるはずだと思うのです。Hさんは「こういう絵が美術史に残ってゆくとは思えない」と言うような意味のことをいっていましたが、僕は逆に、今後芸術と言うものを考えるとき、「描かない」という僕のとった姿勢は重要になってくると信じます。

 最後に、こうして文章に自分の考えを展開しながら思い付いたことをいくつか。

 まず、「描かない」ことを主張しながらこのような文章を「描いて」しまったこと。

 もちろん無駄なことは書いてないのですが、文章を構成する時間というのは僕の今現在の日常性とは切り離されたいます。「描く」ことの解消などはたして可能なのか?生きるということは結局「描く」ことではないのか?などと思ったりしています。

 また、僕は文章を書きたいのではないかということ。

 個展のときパンフレットを造ったり文章を展示したりしましたが、文章を構成するときに絵を描くのと同質の手ごたえを感じています。実は僕は文章を書きたくて、その機会を作るために個展を開いたということもできるのではないか?

 先日、Oさんから案内状をいただきましたし、Rさんの個展の際にも行くといっておきながらすっぽかしてしまいました。行きたいような気もするのですが、無理に接触を保ちたいとも思いません。僕の個展だけを見ていただいて、僕は他の人の作品を見ないというのも何か自分勝手なようですが、見に行けば何か言わなければなりませんし、それは僕にとって苦痛であり、今、僕の関わっている現実以上に関わる世界を広げようという気もないので、そちらに伺うこともないと思っています。

 それではみなさんによろしくお伝え下さい。        1987年 6月 23日

Category: 思想など   Tags: 芸術  思想  

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芸術を日常生活に解消する

 1987年に私は銀座でささやかな作品展を開いた。あれから15年が過ぎようとしている。世の中は随分と様変わりした。しかし私の芸術に関する考え方は基本的に変わっていない。「芸術を日常生活のなかに解消する。」ひとことで言えばこれが作品展以降の私の課題であった。15年を経てその課題は何らかの成果を結んだのだろうか?
 私は、アニメーションの背景描きを生業として10年以上を過ごした。長時間労働に苦しめられながらも、時間を作ってアジアを放浪したりもした。だが、過激なマニュフェストをかかげたわりにはパッとしない毎日を送ってきたと言えるかもしれない。人が私の生活を見てどのように感じるのか考えるのはやめにしたいと思う。絶望するだけだから………。しかし私のなかに新しい方向性が生まれつつあると言ったら大げさだろうか?15年たった今、当時より一皮むけたことを語れるような気がするのだ。

 「芸術を日常生活のなかに解消する」ための方法として、まず私は作品を作らないという戦術をとった。(このことについては 第1部「祭りのあと」で説明する)。しかし絵を描いていた頃から私のなかに「反近代」という別のテーマがあった。例えば、当時私は身近に溢れるスマートなモダンデザインなどよりも、古代の美術などの根源的なイメージに引かれていた。(キュビズムや、シュルレアリスムの作家たちも古代や未開の芸術への指向を持っていたことを考えれば、あたりまえのことかもしれないが。)しかしそれは(作品を作る上での)美学上の問題に過ぎなかったように思う。ところが、先ほどの課題をたずさえて日々を送るうちに、「反近代」は生き方そのものの問題になってきたのだ。 
 サラリーマンとして労働に身をすり減らす毎日……、生活が芸術になるどころか、そんな毎日が私の現実であった。カスのようにたまっていくストレス、また自らが生きる高度消費社会のうすっぺらさにたいする疑問と怒り、あるいは、アジアの発展途上国を旅して味わった開放感。そのような様々な体験が私のなかに自分たちの社会ー資本主義社会/近代社会ーにたいする違和感をひそかに増大させていった。この社会のなかで自由であること、つまりここで芸術の課題を提議するためには、反資本主義、反近代的な生を実現してゆかなければならない。「芸術を日常生活のなかに解消する」ということは、反近代的に生きるということなのだと考えるようになっていった。
 反近代的に生きる?………近代社会において反近代的であるということ………、それはすなわちある深い意味で「反体制」であることなのではないだろうか?
 私のなかに生れた新しい方向性、それは「反体制」の意識、近代資本主義社会にたいする反発、憤りといったものだった。

 「反体制」といって思い出すのは、マルクス主義だろう。マルクス? 共産主義、革命、労働運動??? 私にはまるで無縁な言葉だった。社会変革のために組織的に行動すること、政治的であること、そして闘争の結果、不本意ながら生まれた監獄じみた社会主義国家………。芸術という言葉に憧れる者なら、そのような政治的な行動からは身を引き離したいと感じるのではないだろうか?そのような行動に従うということは、自分の思い描く自由とは異質なものだと感じるのではないか?たとえどんなに目指す理想がすばらしいとしても………。私もそうであった。いや、今でもそうだ。
 とはいえそもそもマルクスの思想とは、自由を求める人間解放の思想であったはずだ。資本主義社会に違和感を感じていた私は、直感に導かれるままポツリポツリとマルクス関係の本などを読みかじりはじめた。その結果わかったのは、シチュアシオニストや、アウトノミアなどの左翼の運動が、私が抱いていたようなステロタイプ的な社会変革のイメージをくつがえす社会運動のかたちを提出していた、ということだった。その運動は私の考える芸術のあり方と矛盾しない………というか、それは芸術そのものなのではないかと思われるのだ。シチュアシオニストについては他で詳しく語るとして(彼らの存在は驚きだった。作品を作らない前衛芸術集団がいるとは。私は意識せざるシチュアシオニストであった。)、まず下の引用文を読んでもらいたい。

 『いずれにせよ、<運動>において徐々に中心をしめるようになった、きわめて特異でありガタリたちを注目させた側面は、他者に変化を要求すること………敵とぶつかること………を第一目標としない、という「今日まで歴史を揺るがせた革命とはまったく異なる」(ガタリ)異例の運動のかたちであった。たとえ<運動>が他者と正面から衝突するとしても、それは副次的な問題である。まずもって<運動>は「自足」的であった。閉鎖的という意味ではなく、それは<運動>自体が目的、すなわち「生の形式」(の実験)となるという意味である。つまり手段と目的が分たれないスピノザ的な「構成的実践」である。われわれの生がどのようなものでありうるのか、われわれの身体が何をなしうるのか、その可能性の自由な展開の試みが<運動>である。』(酒井隆史『<運動>以降』)

 

ここで語られているのは、アウトノミアと呼ばれるイタリアの マルクス主義の社会運動についてである。だが私には、この文章が芸術について語られたものに思えてならない。最後の文をこんなふうに書きかえたくなる。 「われわれの生がどのようなものでありうるのか、われわれの身体が何をなしうるのか、その可能性の自由な展開の試みが芸術である。」
 これはまさに私が「芸術を日常生活のなかに解消する」というときに考えていたことなのだ。この<運動>の主人公たちが具体的にどのような活動をしたのか、おおざっぱなことしか知らない。(もちろんすべての左翼の運動がそうであるように、この運動も資本主義社会のくびきから人間性を解放することをを目指していた。)労働の拒否、スクウォッティング(空家の不法占拠)、自発的値引き(万引きのことらしい)、山猫スト etc. 興味深いが、過激で、犯罪的な運動だったようだ。きっと旧左翼側からは、ならず者の運動と映ったことだろう。(この運動の意味をよく吟味しなければならないと思う。)だがもしそれが上の引用文のような内容だったのであれば、それは労働運動や社会運動というより、文化運動、いや、もっとはっきり「芸術」といったほうがふさわしい。
 アントニオ・ネグリというアウトノミア運動の中心人物の書いたものを読むと、「共産主義」という概念は確かに問題になっているのがわかる。だがこの 「<運動>自体が目的」の、「今日まで歴史を揺るがせた革命とはまったく異なる異例の運動」 にとって「共産主義」という言葉は、もはや単なる口実になってしまっているかのようだ。祝祭的な<運動>の瞬間の高揚こそが目的であって、共産主義とは遠い未来のある時点にユートピアを実現させることなどではなく、そのような運動の瞬間に顕現するものだということだろうか。(ネグリも 「共産主義とは個人的かつ集団的な特異/固有性を解放する試みである。」と言っている。つまり問題になっているのは現在のこの瞬間だということだ。)だとすれば、ここで語られている共産主義は従来の常識的な共産主義の概念とは大きくずれたものになっているのだ。
 だがこの共産主義らしからぬ共産主義の概念、そしてそのアウトノミアの運動は図らずも私の考える芸術のあり方(芸術らしからぬ芸術のあり方。なにしろ作品を作らないことが、私の芸術上の戦略なのだから。)を体現するものだったのだ。この運動の主体たち、(もちろんどんな人たちなのか、会ったこともないので知らないわけだが)かれらこそがアーティストなのだ。混沌とした運動、闘争、異議申し立て、そういったアクションそのものが、ダダイストばりに自らの身体を使った表現でありアートだったのだ。しかもそれは作品なんて言う枠にとらわれない、日常生活の中から沸きあがった直接的な表現だったのだ。私はずっと探し続けていた、芸術のあるところを、そしてその新しいかたちを。そしてそのかたちをこれらの運動の中に見る思いがするのだ。芸術は美術館や画廊の中などにはない。美術館が芸術の墓場となって久しい。闘争のあるところに芸術がある。抑圧的な社会から、人間性を奪回するための闘争を通じて、世界に緊張と高揚を、そしてドラマもたらすこと、これが<運動>の課題だったに違いない。そしてそれは、まさに芸術の課題でもあるのだ。

 私は今までアバンギャルドの反芸術の歴史は、ダダ、シュルレアリスムにおいて唐突に終わったものと思ってきた。自らの活動も芸術の地下活動だと思ったこともある。しかしシチュアシオニストやアウトノミアの運動の中にアバンギャルドの精神は、左翼の運動の形をかりて脈々と受け継がれていたのだ。いわゆる戦後の美術として紹介されているアンフォルメル、抽象表現主義、ポップアートなどは、私も以前から考えていたとおり実は戦後の美術の焼き直しであって、むしろシチュアシオニスト……68年パリ5月革命……アウトノミアへとつづく反体制運動の流れこそがアバンギャルド運動のメインストリームであったのだ。
 私は自分自身に「芸術を日常生活の中に解消する」というテーマを課すとともに上にも書いたことだが、ダダ、シュルレアリスム以降、どこに芸術が生きているのだろうと探し続けてきた。それは私にとって意外なところ、左翼の反体制運動の中にあった。しかし意外に思えたのは私の無知に原因があったのかもしれない。アンドレ・ブルトンは70年も前にこう言っている。『「世界を変革する」とマルクスは言った。「人生を変える」とランボーは言った。これらふたつのスローガンはわれわれにとってひとつのものになる。』と。敏感な人はとっくにわかっていたのだ。自己の変革も世界の変革も、人間性………、人間的な生を求める闘争だったのだ。

 作品展を開き、「芸術を日常生活の中に解消する」というマニュフェストをかかげて15年が過ぎて到達した地点は、マルクスとアバンギャルド芸術が融合する地点であった。したがって私の芸術上の課題は、シチュアシオニストやアウトノミアの運動の課題と重なる。まずは彼らの活動の歴史を知り、自分の過去の芸術活動を彼らの(マルクスの)言葉でとらえかえし、また、彼らの問題意識、社会認識などを自分の身に引き受けてゆくことからはじめたいと思う。それによって私自身の新たな課題もおのずから明らかになり、その課題の実現の闘いの中にいるとき、「芸術を日常生活の中に解消する」という課題は、既に実現されているはずである。

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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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