泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

Category: 旅行・タイなど   Tags: タイ  家族  

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さなぎ

 タイを訪れたとき食べているのは基本的にタイ料理だ。僕の女房はイサーンの出身なので、田舎の食い物をよく口にする。苦手なものもあるが、僕は何でも食べてみる。イサーンはけっこうゲテモノを食うことで有名なんだが、食ってみると意外にうまかったりするんだ。
 カエル、コオロギ、オケラ、タガメ、アリの卵、ヘビ、生きたままの小エビ……などなど。それに、僕は食べたことはないが、ヤモリやトカゲもよく市場で売られている。
 でも、どうも僕の体に合わない食い物が一つだけあった。
   さなぎ、である。
 何のさなぎなんだろう? 蛾? カイコ? 詳しくはわからないのだが、女房の兄弟がバンコク郊外で屋台を出していて、油で揚げて、調味料をふったさなぎを売っていた。「おいしいから食べてみな。」と言われて口に入れると、これがうまいのだ。ビールのおつまみにピッタリって感じ。まさにやめられない、とまらないで僕はさなぎを食べ続けた。
 1時間もたっただろうか。体に悪寒が走って、僕はカゼでもひいたかといぶかった。なんだか急にだるくなったような、おかしな感じがした。
 寝ようと思ったものの、なんだか気分が悪い。腹の調子がおかしい。僕はトイレに飛び込み、肛門からすべてを噴出した。
 もうだいじょうぶだろうと、ホッとして寝ようとしたが、まだ気分が悪い。胃がムカムカするのだ。ヤバイ……。僕はまたトイレに飛び込み、今度は口からすべてを吐き出した。
 どうしたんだろう。さっきのさなぎのせいだろうか……。まあ、しかしすべてを吐き出してやっとスッキリして、そのまま僕は眠ってしまった。

 次の日、また僕の目の前に例のさなぎがあった。昨日は食べ合わせが悪かったのかもしれない。結局、またやめられない、とまらない状態になって、気がつくとかなりの量のさなぎを食べてしまっていた。案の定しばらくするとトイレにダッシュするはめになってしまったのだ。

 
おいしいんだけど、あのさなぎだけは僕の体に毒なのだ、というお話でした。

Category: 思想など   Tags: Thought  

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stさんのコメントへの答えです。

 個性、創造性、という言葉はいろんな意味で使われうるものです。日本の教育は、横並びの、平均的な人材を育成するだけで、独創的な、クリエイティヴな人材を生み出すことができない。これからの時代、例えば経営者の中に、誰もやらないことにあえて挑戦するような、独創的な人間がいなければ日本経済の国際競争力の低下を招く。……といった言い方で日本の教育システムが批判されているのをよく耳にします。
 このような意味でも、学校教育のシステムが機能していないのではないかとstさんはおっしゃっているように思われます。ですが、学校の機能というのは、それより根源的なレベルで資本主義的なシステムの維持のために正確に機能し続けていると思います。つまり子供を産業社会のシステムに適合、馴化するという機能を発揮し続けているのです。
 経済成長のために、社会が効率的に生産するためには、生産システムのリズムに合うような人間を作り出さねばなりません。規律正しく、命令を理解し遂行することができ、勤勉であること……。このような心性を持った人材を育成しなければ、生産のシステムは効率的に動くことができないでしょう。自分勝手で、気まぐれ、怠惰な人間があふれているようでは、生産は効率的に行われず、結果的に経済成長は達成されないことになります。
 つまり僕が問題にしたいのはこのようなより根源的な学校教育の機能についてなのです。僕らが受けてきた学校教育は、その意味で間違いなく経済成長という資本主義的な価値の実現のために機能していると思うのです。自分でも気付かないほど深く、十年以上の長きにわたる学校教育によって僕らは、資本主義的な価値観を身体に埋め込まれています。それはもう働いていないでぶらぶらしていようものなら不安になるほど、さらに自分の国の経済が落ち込むと、まるで自分の存在意義まで失われてしまったかのように感じ、日本社会のためにがんばろうなんて自分から思ってしまうほどです。しかし一体、経済成長のみが僕らにとって大切なことなのか、という問題があります。

 例えば、学校教育のシステムがうまく機能してない第三世界のようなところでは、働かない、時間にルーズだ、といった人が多くて、生産システムの効率的運用のためにはよろしくない条件がそろっています。その結果はGDPなどの経済指標に明確にあらわれています。
 しかし、実際に第三世界を訪れて人々の生活を見てみれば、経済的に豊かであるはずの日本人よりむしろ楽しげで、生き生きと暮らしていることに気づくのは僕だけではないでしょう。確かにモノはないかもしれない。(日本のように家の中に家電製品やら何やらがあふれかえっているような国は世界中どこのもないでしょう。)しかし人間的な豊かさという意味では、どちらが上なのだろう。われわれ日本人は、経済成長と引き換えに、大切なものを失っているのではないか、資本主義的な心性を持ち、生産中心の社会に適合したばっかりに、人間らしさを失ってしまっているのではないだろうか、そんなことを考えさせられるのです。

 僕が登校拒否という現象の中に見いだそうとしたものは、そのような経済成長中心に組織されたシステムへの拒絶反応でした。そしてそれは、人間的な豊かさを無意識的に求めての、やむにやまれぬ行動だったのではないか、ということだったのです。登校拒否を病として捉えることをせず、むしろそれを人間的な反応として、反システム的な行動の文脈の中におき直し、肯定してゆく。それが『ニューフェイズ』のなそうとしていた役割であったと思うし、そうすることで登校拒否児も自分のとった行動の意味を了解し、自らのよって立つべき新しいスタンスと、何より自分の存在に自信を持てるのではないか、と考えていたわけです。
 したがって、stさんのおっしゃっている、「経済成長を促す人材を育成するという意味に限定した場合でも、結局学校は今日まで機能してきていないのではないか」という意見に対しては、間違いなく学校教育は機能し続けているのだと、答えざるを得ないでしょう。また学校教育が社会に出てから役に立たないとか、あるいはよく言うところの、クリエイティヴな人材の輩出に役立っていないとかいう言い方は、資本主義システムの体制内的言説でしかないのかな、と思います。

 しかしまあ、マクロな視点において登校拒否がどのような意味を持ちうるかはともかく、実際には登校拒否児も家庭や、学校内のミクロな人間関係の中で、何らかの葛藤を経験して、学校に行かなくなったり、部屋に引きこもったりしてしまったわけでしょう。それに、まさかそのような事態を解決するのに、社会のシステムを転覆させるわけにもいきませんし、そんなことは不可能であるばかりでなく無意味でしょう。
 したがって、登校拒否児のみにかかわらず、システムの持つこのような非人間的な側面を自覚した者たちの闘いの場は、まず身近なミクロな人間関係、例えば家族などの中での闘いとなってゆくでしょう。というか登校拒否や、引きこもりもそのような闘いの一つの形態、やむにやまれずにとった一つの闘争の形態だったのだと思うのです。
 その意味ではstさんのおっしゃっている、「システムというものも、単にその外から、それありきの視点からのみ見て批判なりをするものではなく、自分自身も須く社会の構成員の一員なのであり、自分自身の自由なり権利なり表現なりを獲得して(人生を自分自身のものとして獲得して生きたいと望むのであれば)自分が社会の構成員の一人として果たすべき責任がどこにあるのかを知りそれを果たそうとする葛藤を一人一人が一人一人のテーマとして抱えていく必然が生まれるのではないかという気もしますし、それを具体的に行うということは何か社会的なテーマなりにやみくもに組みして云々というよりも、もっと生活に根ざした、あるいはもともと自分が生きてきたなかで関わってきた人との関係性(基本は親や家族との関係から始まるもののように思います)に自分なりの答えを出しながら一歩一歩よりナチュラルに歩んでいこうとすることではないか。」という意見は、全くその通りだと思います。

 長くなりましたが、答えになったでしょうか?

Category: 記憶の底から   Tags: 思想  思い出  

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仄暗い記憶の底から 9  東京コーヒー

 二十歳の頃、バイト先の友達に誘われ、『ニューフェイズ』という名の「登校拒否を考える会」に参加していたことがある。登校拒否の経験者が作った会合で、登校拒否をしていて苦しんでいる児童に居場所を作るという目的でスタートしたらしい。もっとも実際にはそのようには機能してはいなかった。会員は四人しかいなかったし、会報を作ったり、一緒に遊びに行ったりしているだけだった。とは言えそこでの経験は面白く、貴重なものだった。
 登校拒否は病である、と一般に考えられているが、この会の主張は、むしろ学校というのは経済成長のために役立つ人間を社会に送り出すための非人間的な装置であり、登校拒否とはそのような学校教育に対する拒絶反応なのだ、というものだった。つまり登校拒否を無意識的なシステムへの反抗として、ポジティヴなものとして捉えようというものだった。
 もちろん僕は登校拒否などしたことはない。しかし新しい芸術のあり方を模索していた僕は、直感的に彼らの小さな闘いにシンパシーを感じた。本当に人間的に、クリエイティヴに生きようとすれば、どうしても社会のシステムと衝突し、齟齬を来さざるを得ないのではないか? 僕らの現に生きているこの社会は、僕らが人間らしく生きるためにつくられているわけではないのだ、といった反システム的な闘争への方向性の中に芸術の新しい形態、新しいあり方を感じ取ったからだ。
 一人一人が創造的な生き方、生の新しい価値を打ち出して生きるべきだ、と僕は主張し、会のメンバーも共感してくれていた。『ニューフェイズ』という会も、創造的な新しい生の形を創出する会であるべきだ、と僕は考え、実際、会もそういう方向へ動き出したかに見えた。だが、やがてこの会は空中分解というか、自然消滅してしまった。問題は、会の目的と会の形態にズレが生じてしまうということだったと思う。
 一人一人が創造的に生きるための会であるのに、会によって組織されてしまうのはおかしいのではないか? 個性を強調していながら、組織のヒエラルキーに従属しなければならないというのは……、矛盾なのではないか。
 
 難しい問題だと思う。おこがましく聞こえるかもしれないが、この問題は、例えば芸術運動、シュルレアリスム、シチュアシオニスト、あるいはバタイユの組織したアセファルという秘密結社なども同じようにぶち当たった問題だったのではないだろうか? どうも二十歳の頃のあのときの僕らの経験、今思えば青臭さ満点の幼い闘いの経験は、それらヨーロッパの文化運動と同じ問題をはらんでいたのではないかと思うのだが、どうだろうか。

 もうあらから二十年も過ぎてしまった。あのときの仲間は今どうしてるだろう? 元気でやってるだろうか?

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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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