泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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仄暗い記憶の底から 12  赤坂憲雄『排除の現象学』を読んだ頃

 確か22才の頃だったと思う。本屋で立ち読みをしていた僕は、偶然、別冊宝島の「精神病を知る本」という本を手にした。パラパラと中身を読んで、面白そうなので買って帰った。表題から想像されるのとは違って、この本の内容は精神病の解説などではなく、僕たちが今現在生きている近代市民社会は、いわゆる「狂気」を病気と見なして社会から排除することによって成立している、という驚くべき論であった。近代以前の社会では、「狂気」ともっと親密な関わりを持ち、共同体の中に受け入れられていたが、その狂気を「病気」として精神病院の壁の中に閉じ込めることによって、今日の理性的な近代市民社会の空間が成り立っているというのだ。
 前衛芸術に興味を抱き、また登校拒否の経験者を友人に持ったために反制度的な問題意識を植え付けられていた僕は、近代社会への違和感を皮膚感覚として抱き始めていたこともあって、この近代社会の成立における狂気の排除、という現象に大きな関心を持った。

 この本の要になる書き手の名前は、赤坂憲雄という人だった。この名前を頭に入れて東京の大型書店を探していると、赤坂憲雄著『排除の現象学』という本が見つかった。さっそく買って読んでみると、これがまた驚くべき本であった。
 異人論の観点から僕たちの日常を読み解くというのがこの本のテーマだ。ある共同体の秩序の成立には、ある暴力的な排除が存在するという、いわゆる第三項排除論によって様々な社会問題………いじめ、浮浪者、新興宗教などをめぐる事件を分析している。
 文化人類学や民俗学、そして中世史などの研究から析出された分析装置を用いながら、鮮やかにそして繊細にかつするどく事件を斬ってゆく手並みには感心するばかりであった。

 「精神病を知る本」においてもそうであったが、明らかにここには近代社会に対する批判的な視線があった。
 ある共同体の秩序は、その共同体内部のある要素を排除するという根源的な暴力によって形成される。それは近代のみならず、古代や中世の、また未開の社会にも共通するメカニズムである。文化人類学に触れたことのある人なら、秩序/混沌、中心/周縁、日常/非日常、光/闇、意識/無意識、といった二項対立のキーワードを聞いたことがあるだろう。異人(ストレンジャー)とは、この二分された秩序と混沌の境界にあって、ある共同体の周縁に排除された要素のことなのである。そして異人は、共同体の秩序の形成のため常に再生産されているのだ。そのため異人は反秩序的な、忌避されるべき、闇のオーラをまとった不安や恐れを抱かせる存在になった。しかしそれら異人たちは時には神聖な存在でもあり、硬直した共同体の日常性を活性化する役割をも担うものでもあったのだ。たとえば中世の社会において、そのような異人的存在として、旅芸人、巡礼者、シャーマンなどがいた。不具者や、おそらく狂気も、かつては忌避され恐れられるとともに神聖な存在として共同体の中で独特な位置を占めていたのだ。
 しかし近代社会は、このような両義的な存在であった異人との関係性を失ってしまった。狂気も単なる病気として、精神病院の壁の中に閉じ込められ、僕らは非日常の闇と出会うチャンネルを失いつつある。無味無臭の均質的空間を志向する僕たちの近代社会の硬直した日常性の病理、赤坂憲雄は、それを『排除の現象学』で描き出そうとしていたのだ。

 だが、この本の出版の後の赤坂は、自身の言う「考古学」、すなわち民俗学や中世史の研究の方向へと向かった。特に民俗学者、柳田國男の『遠野物語』の研究のため遠野に通いつめ、現在では東北にある大学の先生になって「東北学」なるものを構想しているという話だ。
 人の進む道にとやかく言う権利はないかもしれない。が、「排除の現象学」を書いていた頃にあった近代性へのクリティカルな視線が、今現在の彼の仕事の中からすっかり鳴りを潜めてしまっているのは確かだ。間違いなく近代への秘めたる憤りが、赤坂にあれらの書物を書かせたに違いないのだ。もっともフィールドワークによって、近代化以前の民俗の生き生きとした世界観を拾い上げるだけでもそれは反近代的な行為であるかもしれない。しかしそれだけでは失われゆくものへのノスタルジーでしかないと思う。
 確かに赤坂憲雄の近代社会の分析は鋭く、そしてとてつもなく繊細だった。しかし彼の言葉の線の細さが気になってもいた。考えてみれば、分析に終始していた彼のディスクールの中には、赤坂自身の生き方を語った言葉はなかったように思う。結局のところ彼は観察者でしかなかったのだろうか。しかしながら世界を眺める視線はそれだけですでにその人の生き方に直結しているはずだ。したがって、これだけ深く近代社会を分析し、批判する眼を持っていた彼が語るべきだったのは、「私自身が、近代市民社会における異人(ストレンジャー)となり、硬直化した日常を活性化させなければならない。」という言葉ではなかったろうか。その言葉が発せられなかったということは、赤坂憲雄が研究者であり、学者であるということではあっても、一つの精神、一つの存在ではなかったということなのではないだろうか。

 いや、もちろん僕ははっきりわかっているのだ。それは僕自身のマニュフェストなのだということを。ようするに赤坂憲雄という人の書き上げた書物の中に、僕は僕自身の未来を読み込んでいた,ということだ。
 唐突ではあるが結論として言っておこう。硬直した僕らの近代空間(コスモス)に、闇の持つ混沌(カオス)としたエネルギーを導き入れ、日常生活を活性化すること。これが現代の異人たる「祭り」の精神の持ち主の仕事なのだ。つまり、僕が若い頃から掲げていた課題、アバンギャルド芸術の乗り越えとは、僕自身が現代社会の中での異人(ストレンジャー)でなければならない、ということの謂なのだ、ということである。赤坂憲雄の『排除の現象学』を読んで受けた衝撃は、あの本の中に自分自身の未来の姿を発見した驚きだったのだ、と今では思う。

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米国人の殺害ビデオ公開

米国人の殺害ビデオ公開

 イタリア人が殺されたときもそうだったけど、こういう残酷なニュースを聞くと胸が締め付けられるような気持ちになる。
 怒りとも悲しみともつかないやるせない気持ちはどこへぶつければいいというのだろうか。テロリストへか、はたまた戦争を始めたアメリカへなのか。それとも他のどこかへなんだろうか?

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仄暗い記憶の底から 11 蒸気船マークトウェイン号

 二十代前半、4年間にわたって僕は浦安の東京ディズニーランドで清掃(カストーディアル・クルーと言っていた)のアルバイトをしていた。十代の学生生活が惨憺たるものであった僕にとって、ディズニーランドで働いていた毎日はまさに青春と呼ぶべきものだった。同年代の女の子もいっぱい働いていた。僕も何人かの女の子に実らぬ恋心を抱いたりした。(残念ながら僕はさっぱりモテなかったのだ。)頻繁に催される飲み会、友人たちとのささやかな逸脱。一人暮らしをしていたけれど仕事場に出ていれば、夏休みも、クリスマスも、正月も寂しい思いをすることは全くなかった。毎日がお祭りのようであり、とにかく働くことを楽しんでしまおうというモティベーションに貫かれた毎日だった。
 僕が配属されていたのはウェスタンランドだった。みんな知ってるんだろうけど西部開拓時代のアメリカを舞台にしたテーマパークだ。だからこのエリアのことは隅々まで知り尽くしている。もっとも、このあいだ久しぶりに女房を連れてディズニーランドに遊びに行ったら、新しいアトラクションもできててすっかり様変わりしていたが……。無理もないよ、もう二十年も前のことだから。

 アメリカ河というところに蒸気船マークトウェイン号という大きな船が走っているのだが、僕らには最終便に乗って船の中のゴミを集めるという仕事があった。したがって僕は数えきれないほどあの船に乗っている。
 「あっ、開拓者の小屋が燃えています。」という録音のアナウンスを何回聞いただろうか。火事になった開拓者の小屋から煙が出ている横を船が走り抜けながら、「ならず者の仕業のようです……。未開の地で開拓者たちは多くの危険にさらされていたのですね。」と解説が入る。やがて対岸にインディアンの集落が見えてきて、住人たちが何か交易品を手にしてにこやかに僕らの乗った船に向けてそれを差し出している。蒸気船では「このように、中には友好的な部族もいたのですね。」と解説される。

 当時はそれほど気にはならなかったんだけど、こんな遊園地の中にもポリティクスが現れているのだ、と今では感じてしまう。ここではアメリカ人(白人)は未開の地を開拓する文明人であり、インディアンは彼らと非友好的かつ野蛮な原住民として描かれている。開拓なんていうけど、これが白人によるアメリカ原住民の土地への侵略であることは僕らにとっては常識である。しかし、侵略に対するレジスタンスの行為をディズニー(アメリカ人)は、開拓者に対する非友好的な(ならず者の)態度として理解する、というわけだ。
 あまりにも無邪気に正当化されたアメリカ的な視線に、僕らは呆然としてしまう。「中には、友好的な部族もいたのですね。」…………。そういう発言はむしろインディアンがしたかったのじゃないだろうか。「中には、友好的な白人もいたのですね。」と。

 個人にしろ、共同体にしろ、僕たちは世界を眺める独自のパースペクティヴ、体系を持っている。精神分析の岸田秀さんはそれを「幻想」という言い方で表現している。岸田氏の診断によると、アメリカ人は強迫神経症だ、ということになる。
 自由と民主主義の国アメリカの建国に際して、先住民族の暴力的な排除が行われたという経験をアメリカ人自身が隠蔽、抑圧してしまった。この経験の欺瞞が今日アメリカが国際社会の中でとらざるを得ない「自由」の押し売り的なスタンスの原因だというのである。
 詳しくは岸田氏の本を読んでもらうとして、とにかく軽金属のようにスマートなアメリカの「自由」と民主主義が僕らにとって何か押し付けがましく、狭隘な印象を拭えないのには、このようなアングロサクソン系の移民の偏狭な人間性、そして彼らの偏狭な世界を眺めるシステムに原因がありそうである。まさに今日アメリカは、強迫的に「自由」の幻想を世界に押し付けつづけている。
 日本人が特攻隊で攻撃しかけ、ベトナム人が国を挙げて抵抗し、今またイスラム原理主義者が激しいテロ行為をもってメッセージを発しなければならないわけは、アメリカの病的な「自由」の幻想の押し付けが、他民族のプライドを踏みつけにする一面を常に持っているからに違いないのだ。

 ディズニーランドの話に戻るが、イッツ・ア・スモールランドというアトラクションで
は、世界各国の民族衣装をつけたかわいらしい人形がクルクル踊りながら「世界は一つ、世界は同じ、小さな世界……」と歌っている。どうもあのアトラクションを見て僕が感じてしまうのは、博愛の精神なんかではなくて、アメリカの枠組みの中での多様性、アメリカ的枠組みの中でこそ世界は一つになるべきだという帝国主義的発想だった。

 だが、もう一つ考えを進めてみると、アメリカという国はある意味、近代資本主義の精神を露骨に体現している国だと見ることができるのではないだろうか。近代社会の非人間的な狭隘な一面がアメリカという国を通じて発現していると……。まあ長くなるのでこれについてはどこか別の機会に考えることにしよう。

 ついでに言えば、僕たち日本人もアメリカ的な視線をかなり共有しているのじゃないかと思う。太平洋戦争に敗戦して以来、日本はアメリカの子分になり、アメリカ文化のシャワーを浴びて生活してきた。僕らもインディアンを未開のならず者だと見なすことに何の抵抗も感じなくなりつつあるのじゃないだろうか。本来僕らは立場的にも、また人種的にもインディアンと同じ側にあるはずなんだけども。西部劇を見たって、登場するインディアンなんかより、きっと白人のカウボーイの方に感情移入しているはずだ。………間違いない。

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タコ部屋の青春2

第2節   祭りの精神の奪回


 人間的でありたい……。人間としてこの世に生まれた以上、誰もがそう願っているに違いない……何をもって人間的とするかはともかくとして……。そしてその願いは実現されなければ単なる夢に終わってしまう。生きるということは、そのような夢の実現のための闘いである。私たちは自らの人間性を、人間的でありたいという基本的な欲求を、闘うことで証さなければならない。
 本能にのみ導かれる動物の生を、人間は労働することで乗り越えた。労働することができるということは、将来に獲得するであろうある結果のために、現在の瞬間の様々な欲望を(動物であれば、本能に従って何のてらいもなく満足させてしまうであろう欲望を)断念することができる、ということである。将来のある目的のために現在の瞬間を手段としてとらえ、その目的に従属させることができるという能力、それが労働を可能にするのだ。労働し、蓄積することにより人間は、偶然によって翻弄される運命をコントロールし、危険、死といった生存を脅かす要素から距離を置くことができた。このように計算し、配慮するという理性的な態度を持つことで、人間は自らの生存を確保し、動物にはない新しい世界を切り開くことができたのだ。
 このように、労働し獲得した富およびエネルギーは、まず生存のため、生き延びのために消費される。だが人間は生存のために必要なエネルギー以上のものを労働によって獲得し、それを単なる生存以上の目的で消費してきた。生存という目的をこえた、ときには生存をすら脅かすにいたる消費をおこなってきたのだ。
 確かに人間は労働によって動物の生から抜け出すことができた。しかしもし生きることの目的が少しでも永く生き延びることであるというのなら、人間の生は労働と蓄積にのみ行き着かざるを得ないだろう。死の危険を避けるためには偶然な要素に対する万全の対策を講じておかなければならないからだ。しかしながら、どれだけ富を貯え、万が一に備えておいたところで完璧に安全な生などあり得ないだろう。あらゆる予測や期待を平然と裏切ってくれるのが自然という暴君の本性なのだから。
 だから、私たちにとって危険を避けようとする試みはそもそも無意味であるし、そのような労働と蓄積のみの、すなわち欲望の断念のみの灰色の生を人間的であると考えるわけにはいかないのだ。人間性について考えるとき、労働というファクターに加えて、富やエネルギーを生存という目的をこえた仕方で消費し享受するという側面についても考えなければならないのである。

 問題なのは、生存という目的をこえた富の消費ということだ。(バタイユはこれを「呪われた部分」と呼んでいる。)
 私たちは生に彩りを求める。血湧き肉踊るドラマを求めるのだ。灰色の労働のみの生、生き延びているだけの退屈な生など御免なのだ。人間的でありたいと願うとき、私たちが欲しているのは生と世界の彩りなのだ。このあざやかな彩り、この強烈な陰影を持ったドラマこそ、単なる生き延びをこえた人間性を形作るのだ。
 人間的でありたいという基本的な欲求を満たしたいと望むのであれば、私たちは生き延びるための配慮を、労働によって蓄えられた富を消費するというかたちで、裏切らなければならないだろう。とにかく、美しくかつ激しく、また華麗に生と世界を彩ろうとすれば、莫大なエネルギーを消費することなくそれを実行するのは不可能なのである。
 したがって、生き延びへの配慮という点から見れば、生を彩ろうという人間的な欲求は、あってはならない危険な願望なのである。それは蓄えられた富の浪費であり、極端な話、生存を危険にさらす暴挙だということになるであろう。
 それにもかかわらず、私たちは人間的であることを、私たち自身の生が彩りのあることを望むであろう。生き延びるためにアリのようにコツコツと働き、冬に備えて蓄えるだけの生を、私たちは小心者の生き方だとしてあざ笑い、何事もなくすべてを、丸くおさめてしまおうという大人の分別を、心の底から軽蔑するのだ。
 人間らしくありたいと願うなら、危険を顧みず生きる勇気が必要である。ひょっとすると自らの人間性を証しするために、死を選択しなければならないこともあるかもしれない。ニーチェがいったように、生きるということは、試みであり、賭けなのだ。そして、そのように生きることこそ人間の情熱であり、プライドなのだ。彩りのある生を求める願いこそ、人間の真の欲望であると結論しておきたい。

 生と世界を彩るもの、それを私は「祭り」という概念で表現したいと思う。
 「祭り」とはエネルギーの非生産的な消費、労働し蓄積する生産活動とは反対の原理である。いわゆる祝祭の他にも、王権や貴族の豪華な消費、宗教、全てを破壊し尽くす戦争、身を滅ぼすまでに激しい恋愛、巨大な建築や装飾などの芸術表現……、これらは基本的には生産という目的のない純粋な消尽であり、その意味で祝祭的な要素を含んでいる。
 近代以前の社会において、すなわち、古代、中世の社会、あるいは未開の社会などにおいては、このような「祭り」の原理は、中心的な価値であった。つまり、生産労働によって獲得した富の、生存の維持以外の用途にもちいられる余剰部分の費やされかたが、近代以前の社会と、私たちの近代資本主義社会とでは、大きく異なるのである。
 かつての社会において人々は「祭り」のために労働していた、といっていいだろう。今でも年に一度巡ってくる祭りのために、それまで一年間働き、貯えてきた富を一気に消尽してしまう、といった話を聞くことができる。労働に捧げられた息苦しい日常……、祭りの時間は人々を灰色の日常性から解放するのだ。非日常的な祭りの日々があってこそ、人々は自らの存在に意味を見いだすことができたのである。祭りはまさに世界を彩るためのアクセントとなっていたのだ。
 かつての社会は身分制度に基づいた不平等な社会であり、民衆は搾取され、生産された富の剰余は一部の特権階級が独占的に享受していたことは間違いない。しかしながら人々は王や貴族の豪奢な生活の中に祝祭的な消費を見ていた。また王権にまつわる要素、宗教、モニュメンタルな建築や芸術、そして戦争などのドラマチックな要素の中に人々は世界を彩る「祭り」を見ていたのだ。人間個人の主体性から全てを考える近代的思考にとって、このような不公平な社会は理解しがたい誤りであったということになるだろう。が、とにもかくにも近代以前の社会においては、「祭り」の至高な原理が、非生産的な消費が、中心的な価値として組織されていたのだ。
 それに対して私たちの社会では、富の余剰は基本的に投資にまわされる。生産によって得た富の余剰は、より生産の規模を拡大するために用いられる。たえざる利潤の追求……それが資本の本性である。したがって資本主義社会においては、利潤の追求に反する行い、「祭り」的な行いは単なる無駄な浪費として価値をはく奪されるであろう。またそこで生きる私たちにとっても、生産労働が中心的な価値となり、勤勉、倹約という労働倫理が支配的になって、怠惰、無為、浪費的な遊びなどは、厳しく断罪されるのである。
 要するに私たちの近代資本主義社会では「祭り」の原理が、生と世界を彩る非生産的な消費の原理が衰退してしまったのである。歴史上、生産の原理が、生き延びの原理がこれほどまでに突出した社会はなかった。

 かつての社会においては、民衆の作り出した余剰の富は特権階級によって、大部分吸い上げられていた。したがって人間性の表現に不可欠であるところの非生産的消費は特権階級のみによって行われ、民衆は余剰の富の享受にあずかる機会はあまりなかった。つまり、労働によって動物性を乗り越えたものの、ほとんどの民衆は人間的というより、ある意味、奴隷的な立場におかれていたといえるだろう。そのような身分社会は、ヨーロッパの市民革命によって、決定的に乗り越えられることになった。人間の平等が高らかに謳われ、近代社会が誕生したのだ。
 
 近代資本主義社会は、資本家階級(ブルジョワジー)と労働者階級(プロレタリアート)の二つに階級分化しているとマルクスは語った。だがそれは、それ以前の身分社会とは趣のことなる階級分化であったのではないだろうか。というのも、ブルジョワジーはかつての特権階級のように富の非生産的消費=享受をするわけではないからだ。ブルジョワジーは富の余剰を将来における利潤の拡大のため投資にまわすのみである。またそれゆえに労働者階級の方も富の享受にはあずかれないだろう。なぜなら、より大きな利潤を生むために何らかの事業に投資された富は、その利潤が回収されてさらに大きな富となったとしても、またさらにそれ以上の利潤を求めて、新たな事業に投資されるだけであり、このサイクルが永遠に続く限り、労働者はもとよりブルジョワ自身も余剰の富を享受することはできないのだ。
 こうしてみると資本主義社会は、確かにある意味で平等な社会なのである。ブルジョワにしろ、労働者にしろ、余剰の富の享受にはあずかれないと言う意味では。要するに資本主義社会においては富の余剰はひたすら「生産」へと方向づけられていて、「祭り」的な非生産的な消費には向かわないのである。その意味では私たちも、近代以前の社会における民衆同様、余剰の富の享受にあずかることのできない奴隷的な立場にあるという事実にはなんら変化がないままなのである。

 私はここまで人間性と言うものを「労働」と、消費=享受すなわち「祭り」という二つの面において語ってきた。単なる動物的生命をこえて、私たちが人間的であることを証明するには、その二つの面、「労働」と「祭り」が私たちの生の中で実現されていなければならない。であるのに私たちは、近代社会においても、人間性を意味する「祭り」の原理から疎外されたままなのである。そう、私たちはひたすら労働するために生きているだけの家畜的状況にあるのであり、前節の結論を繰り返すことになるが、私たちはこの資本主義社会と言うタコ部屋の中で生まれ、死んでゆくのだ。

 「祭り」の精神の奪回……。
 これこそが、タコ部屋に生きる私たちが人間的であるために取り組まねばならない課題なのである。私たちが人間的であろうとするなら、「祭り」を私たちの生の中に取り戻さなければならない。だがしかし、それを実践しようとすれば、生産の社会、私たちの生きるこの近代資本主義社会とは、絶望的に対立せざるを得ないだろう。なぜなら「祭り」は生産労働とは正反対の原理だからである。

   


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イラク日本人人質事件を語る!

 5月某日、まだ肌寒い風が吹いているというのに、テレンス・アライ氏はランニングシャツ一枚で約束の場所に現れた。彼はソファーに深く腰を下ろし、タバコに火をつけた。大きく息を吸い込みタバコの煙を吐き出すとテレンス氏は、少し話が長くなりそうだ、と断りを入れたうえで、熱く語り始めた。


 『イラクで人質になった人たちを迷惑者呼ばわりする日本の世論が気になり続けています。これはひじょ〜に由々しき問題です。私は、この問題は人質になった5人だけ問題ではなくて、日本人全体の経験として考えるべきだ、ということをあらためて強調したいと思います。
 
 欧米系のメディアは、人質帰国後の日本人、日本政府の反応に首をかしげています。無思慮な行動によって国民に「迷惑」をかけた、はね上がり者だとして彼らは迎えられたと。
 彼らのせいで日本中が大騒ぎになり、救出のために多くの人が不眠不休で奔走し、そのために多額の税金が使われた、ということが「迷惑」の内容ということでした。前にも言ったので繰り返しませんが、私個人の考えでは、政府関係者が人質の救出に奔走するのは当然の対応だと思うし、何億だかの出費が無駄なものだったと思っていません。だがとにかく日本人の多くが、今回の騒動において人質になってしまった5人の行動は、無思慮なものだったために国民に迷惑を与えるものだった、というマイナスのイメージで理解した、ということは確かなようです。私はこのような事態の受容の仕方に憤りすら感じてきましたが、海外のメディアの反応が示しているのは、このような私たち日本人の事件の受容の仕方が、日本人独特のものらしいということです。

 私たち日本人は,何らかの行動をするときに、それが他人の迷惑になるかどうか、ということを過剰に気にしていないでしょうか? もちろんある人の行動が他者を困惑させ、精神的に追いつめ、しまいには生命の危険にさらすようなことは許されない。あたりまえのことです。しかし迷惑ということを突き詰めてゆくと、私たちは何もできないことになってしまう。だって私たちはまわりの人間を巻き込まずに生き、行動することは不可能なのですから。
 考えてもみていただきたい。もし他人に迷惑をかけないということを最優先に考えるなら、お互いに遠慮し合って、行き着く先はといえば、誰もが一人一人自分の部屋、自分の世界へ引きこもって生きていく、という状態ではないでしょうか。他人に出会わなければ誰にも迷惑をかけることも、迷惑をかけられることもないからです。しかしそれではあまりにも寂しい非人間的な世界になってしまいます。そんな世界が耐えがたいと感じるのは、生きるということはコミュニケーションである、という理由からです。
 私たちは誰もが生きる権利を持っています。これは近代市民社会の自明の原則です。しかし、厳密にいうと、「生きること(コミュニケーション)」と、「生き延びること(生存)」とは分けて考えないといけない。
 というのも、本当に生きようとすれば、自らの生命(生存)を危険にさらさなければならないといったような状況にしばしば出会うからです。人間的な筋を通そうとすれば、自分の生命(生物学的な、あるいは社会的なそれ)を危険に陥れることになることがある。死んでしまってはおしまいだ。それはわかっています。だから生き延びることだけを考えれば、私たちはあらゆる危険を避けて生きるべきなのかもしれません。しかし逆に考えれば、そのような安全に生き延びるだけの生はずいぶん貧しいものだとも言えます。私たちは生まれた以上、人間として他者に対して何らかの存在感を示したいと思っているはずなのです。そのためには状況に対してチャレンジすることが必要でしょう。そしてチャレンジには当然ながらリスクが伴うのです。失敗は悲劇です。命を失うことがなかったとしても、何らかの痛手や負担が自分や周囲のものに降りかかってくることになります。それでも私たちはチャレンジすることをやめないでしょう。それがコミュニケーションであるからであり、そのような生き方こそが人間的だからです。

 これも前に言ったことだけど、私たち日本人は、国際紛争や災害などに対して、日本人はカネは出すけど人は出さないとか、難民を受け入れないなどと、外国から批判を受けてきたという経緯もあって、国際社会の中で何らかの役割を果たし、経済的のみならず、人道的、政治的にも存在感を示したいと思っていました。自衛隊の派遣にしろ、非政府組織の活動にしろ、そのような私たち自身の内的な要請に基づいたものだといえるでしょう。それは政府によるものか、民間によるものかはともかくとして、日本人のチャレンジ、国際社会とコミュニケートしようという意志の現れと考えていいと思います。そして、そのチャレンジには当然ながら失敗する可能性、というリスクが伴っているのです。したがって、私たち日本人はそのリスクを引き受ける覚悟を、失敗したときに被る負担を受け入れる覚悟を持っていなければならない。私たちが本当に世界の中で日本人の存在感を示したいと思っているのならそう考えなければならないと思うのです。

 ですが、5人の人質の行動に対して批判が起こったということは、彼らのチャレンジは日本国民の望んだものではなかった、という意見が数多くあったことを意味するということでしょう。私たちが選んだ政府が決断した自衛隊の派遣に関して私たち自身が負担を強いられるのは理解だできる。しかし、政府の勧告を無視して危険地帯に乗り込んでいった人たちの救出の費用を負担しなければならないのはなぜだろう。私たちは彼らにそんな無謀な行動を頼んだわけじゃない…… と、こんなふうに考える人が多かったのだと思います。
 しかし、忘れてはならないのは、今回の人質事件は自衛隊の派遣とセットで起こった事件だということです。5人が危険地帯に足を踏み入れなければ、事件は起こらなかったのは確かです。しかし犯行グループの要求は自衛隊の撤退なわけですから、そもそも自衛隊の派遣がなければ、(5人が戦闘に巻き込まれ命を落とすという可能性はあっても)人質事件にはならなかったのも確かでしょう。
 したがって政府の政策が民意の反映であるのなら、私たち日本人すべてにとって人質事件は他人事ではなく、まさに私たち自身が引き起こした事件であるわけで、彼らの救出にかかった費用はわれわれすべてで負担してしかるべきなのではないでしょうか。

 考えてみれば、自衛隊の派遣という日本政府のとった政策、チャレンジはそもそもこのような事件を引き起こす可能性のあるリスキーなものだったのです。復興支援が自衛隊の派遣の目的だということになってはいますが、少なくともいわゆるテロリストたちはそう理解していない。確か自衛隊の派遣に先立って、日本国内でのテロをほのめかす脅迫があったように記憶しているが(そのようなことが現実に起こるとは思いたくはないが……)、もしそのような事態が起こる可能性があるとするなら、私たち日本人すべてが人質となっているということと同じなのではないでしょうか。自衛隊の派遣はそれだけリスクのあるチャレンジなのです。今回は5人の民間人をスケープゴートに仕立て上げることで、政府は、あるいは日本人全体が、自衛隊の派遣という政策の持つ危険性を隠蔽してしまった。そしてその結果、人質になった人たちの自己責任という面がクローズアップされ、政府や政府の政策を承認した私たち日本国民の自己責任は、はぐらかされてしまったような感は否めません。

 リスキーなチャレンジをするべきではないと言っているのではありません。アメリカのパウエル国務長官も言っていたように、リスクを進んで引き受けるものがいなければ、世界は前に進まない……。国際化、国際貢献といった日本人の課題の実現したいと思うのなら、私たちも当然リスクを負わなければならないのです。そうです、小泉首相が、人質になった人たちに「もっと自覚を持って欲しい。」と憮然とした表情で語っていたことや、彼らの帰国に際して「税金泥棒」呼ばわりをしたり、あげくの果てには「反日的分子」なんてこと言い出す人たちを見ていて私が腹立たしく思うのは、そのような自分自身の責任を不問にしている態度の中に、日本人自身のチャレンジに対するリスクを引き受けるだけの覚悟、というものを感じられないからなのです。
 
 一体、日本人は国際社会において何らかの貢献を果たそうという意志が本当にあるのでしょうか? 国際社会へ身を乗り出してゆくことで背負うリスクをはっきり見据える覚悟がないのなら、自衛隊の派遣などやめた方がいい。国民が安全に、平穏に暮らしてゆくことが優先されるなら、みんな日本列島の中でじっとしていた方がいいのです。人質になった人たちを迷惑者呼ばわりしているのを見ていると、私はそんなふうにさえ思ってしまいます。

 日本と、欧米の社会との相違はこのあたりにあるのです。そもそも、民主主義、人権、といった観念は欧米人によって封建社会から闘いとられたものです。そのために彼らは危険を顧みず自らの命を投げ出したのです。数えきれぬほどの人たちのチャレンジと犠牲の上に市民社会は成り立っていることを彼らは忘れていません。したがって彼らの社会にはチャレンジの価値と、チャレンジによって引き受けなければならないリスクに対する覚悟の面において、私たち日本の社会よりも遥かにしっかりした合意があるのです。だからあるチャレンジが失敗に終わったとしても、そのチャレンジを尊重し、その結果、社会が何らかの負担を担うことになってもそれはそれとして肯定的に受け入れることができるのです。
 それに対して、人に迷惑をかけない、ということが強調されている日本の社会は、世の中に波風が立つことを嫌い、安全、平穏であることに価値をおいている。つまり、生き延び(生存)が、リスクを伴うチャレンジの生(コミュニケーション)よりも優先されているのです。そんなわけで、この社会の中ではチャレンジというものは常にお騒がせな、忌避されるものとしてマイナスのイメージをまといやすいのではないでしょうか。
 また、欧米のそれと違って日本の民主主義や人権は、輸入されたものでしっかり日本に根を下ろしたものではありません。それは闘いとられたものではないからです。私たちの中からは未だ明治以前の封建体制が抜けきっていない。だからこそ、国民は政府のいうことをおとなしく聞くべきだという発想が政府の中からも抜けきれず、個人で政府の勧告を無視してイラクに出かけた人たちを迷惑者と見なしたり、あげくの果てには「反日的分子」なんてものに仕立て上げたりできるわけなのです。おそらく欧米人の目には、このような日本社会が理解しがたいものに映っているに違いないのです。

 私は誰もが危険に飛び込むべきだ、などと言いたいのではありません。人を無理矢理危険の中に引きずり込む権利など誰も持っていません。私自身子供の頃から人に迷惑をかけるようなことは絶対するな、と言われて育ってきた記憶があります。しかし、迷惑、迷惑と過剰に言い過ぎると本当に私たちは自分自身の行動の自由さえ自粛せざるを得なくなってしまうでしょう。
 例えば、以前、韓国人の書いた日本人論を読んだことがあるのですが、韓国人は自己主張が激しい人たちで、彼らから見ると私たち日本人は互いに遠慮しあって、まるで生きてることが申しわけないみたいに見える、と書いていました。「生まれてすいません。」なんて書き出しの小説がありましたが、迷惑をかけないことのみが行動の原理になるとすると、行き着くのはこのように人間存在の価値が消失したニヒルな世界でしかなくなってしまうでしょう。
 私たちはもっとお互いに迷惑を掛け合っていいのじゃないでしょうか。そしてもっと社会の中に波風を立てるべきなんじゃないでしょうか。凪のように真っ平らな生などより、嵐のように次々とトラブルが襲いかかってくるほうが、逆にそんなトラブルを栄養にして逞しくなってゆけるような生き方のほうがよっぽど魅力的だと私には思えます。それがチャレンジに積極的な意義を与えている社会の姿というものでしょう。そのような社会では、あえてリスクを背負い、国民の意思である国際貢献を身をもって実行しようとした人を迷惑者扱いすることは論理的に言ってあり得ないことだと思います。

 日本人は国際社会に首を突っ込んでゆくべきなのか……? はっきり言って、国際化はさけることのできない課題です。だってもう鎖国して私たちが生きてゆくことなど不可能じゃないですか。
 だからこそ、私たちは覚悟し、また理解しておく必要があるのです。国際社会の中で日本の存在感をアピールしたいと思うのなら、それ相応のリスクも背負わなければならないことを。さらに、日本人全体の生き方が人間的に貧しいものになってしまわないためにも、世界とコミュニケートして生きてゆくことが必要だし、そのためには、チャレンジというものにもっと意義を見いだしてゆくべきだということを。

 私個人としては、自衛隊に派遣にも、危険地帯でのボランティア活動にも、いろいろと疑問を抱いています。もっとほかの日本人にしかできないような国際貢献のアプローチがあってもいい。アメリカ追従の復興支援や、欧米人流のボランティア活動だけが唯一の方法ではないでしょう。
 したがって、日本の国際貢献の方法については、いろいろと議論されてもいいし、議論されるべきだと思います。しかしそのような議論を引き出すためにも、今回の人質になった人たちのチャレンジは必要だったと見るべきです。失敗を含めて、すべては日本人全体の経験なんです。みんな無事解放されたというこの幸運を活かすためにも、私たち日本人は、人質になった人たちの経験を、またへっぴり腰な自衛隊の活動をもふくめて、自分自身の経験として捉え直す必要があると思うのです。』


 こう語り終えるとテレンス氏は、次のアポイントメントの時間が迫っていると言って席を立った。それにしても、と彼は私を振り返り、「人質事件の被害者の方達には、これからも堂々と新しいチャレンジへ向かっていってもらいたい。確かに慎重になる必要はあるだろう。だが、私が言うのもなんだけど100%の危機管理なんてそもそも不可能なんだ。生きるってことは瞬間瞬間新しい状況と対面することだろう。そこで出会う危険の可能性なんかスーパーコンピューターにだって予測不可能だよ。ようするに人生そのものが冒険みたいなもんじゃないか。私としては何か事件が起きて私たちの税金が無駄に使われたなんてことよりも、日本人がコミュニケーションやチャレンジを忘れ、自分たちだけの安逸の中に生きることだけで満足してしまうことの方がよっぽど恐ろしいね。」とつけくわえ、片手をヒョイッと上げてまだ肌寒い風の吹く5月の街の中へと消えていった。

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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
 連絡先 araiken#mac.com #を@に置き換えてください。



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