泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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混血

 考えてみれば僕の子供は混血児である。タイ人と日本人の間に人種的な差はあまりないので、将来子供が日本で生きていくとした場合、身体的な特徴で差別を受けることはあまりないとは思う。が、差別への不安は僕の心の片隅に引っかかっている。
 はっきり言って日本人は異人種との共存には非寛容である。島国という条件、300年にわたる鎖国の経験のせいもあるだろうが、外部に対してきわめて閉鎖的であり、内部的にはきわめて均質的である。「異質なもの」に対する拒否感は世界でもまれなほど強いのではないだろうか。詳しく分析する気は今はないが、明らかにこれは我が民族の積極性の欠如である。たてまえではなんといおうと、日本人は外国人を、難民であれ、労働者であれ、日本に受け入れたくないのである。

 サッカーの話題が続いたのでそれにひっかけてみよう。日本代表チームの監督ジーコさんはもちろんブラジル人である。ジーコは白いペレと言われてたというが、ポルトガル系移民の子孫だろう。それに対して左サイドをやってる三都主には明らかに黒人の血が流れている。またオリンピック代表の闘莉王のお父さんは日系人だが、お母さんはイタリア系の移民である。ほとんどメチャクチャだが、見た目はともかくみんなブラジル人なのだ。
 人種のるつぼというが、ブラジルには白人、黒人、インディオ、各国からの移民など、さまざまな人種が混在している。人種的な差別がまったくない、というわけではないだろうがほとんど問題になっていない。むしろ混血は民族のエネルギーの根源だという意識がブラジル人には強いという。
 多民族の混在という意味ではアメリカも同じはずだが、白人と黒人、そして先住民の間には一線が引かれている。南アフリカのアパルトヘイトについては言うまでもないだろう。多民族国家と混血の国家は似て非なるものである。
 まあ、以前この辺の事情は分析したことがあるので深入りはしないが、僕は平気で混血してゆくラテンな感性が好きだ。ブラジル、メキシコ、キューバなどなど国によって事情は様々だろうが、つまらない差異を気にしていないところが懐深くて人間的だと思う。

 いずれにしろこれから先国境を越えて人は移動しつづけるだろうから、人種は混じりあい、人種差別は消滅してゆくはずだ(差別そのものはなくならないだろうが)。日本人もつまらない自分たちだけの秩序を維持することに一生懸命になっていないで、世界に向かって心の扉を開いてゆかねばならない。いつまでもドメスティックな価値観にとらわれて生きてたってしょうがないじゃないか。

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新・異人論序説 3

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 コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』という本がある。アウトサイダー………外部者。もちろん空間的な外部ではない。ここでいう外部とは、ある共同体の秩序の外部という意味である。つまり、近代社会のコード(規範)を逸脱するもの………、コリン・ウィルソンが問題にしているのはまさに近代社会における異人(ストレンジャー)である。ドストエフスキーやサルトル、カミュといった人たちの創り出した文学上の人物とともに、画家のゴッホ、そして哲学者のキルケゴールやニーチェなど実在の人物像がこの本で話題にのぼっている。しかしながら彼らはかつての<異人>とは明らかに違う………異民族やマイノリティではないし、乞食やジプシーのような非差別的な民でもない。おそらくはブルジョワジーに属する知識人である。つまり知識人や芸術家のうちある種のタイプの人間を、近代社会における「アウトサイダー」すなわち新しい<異人>としてとらえようとコリン・ウィルソンがしているのは間違いない。
 (『アウトサイダー』というタイトルには惹かれるが、この本の内容は私が進めようとしている論点からすると正直言って失望させるものだ。実はざっと本に目を通しただけでこんな批判をしていることを白状しておかねばならないが、コリン・ウィルソン自身はあくまでインサイドにどっかり腰を落ちつけながら、アウトサイダーについて語っているように思われる。アウトサイダーを理解し分析する権利は、自らアウトサイドに位置していなければ持ちえないと思うのだが、どうもコリン・ウィルソンの言葉にはインサイダーのモノローグのにおいがまとわりついている。もちろんアウトサイダーへのなんらかの共感なしにこのような本は書かれようもなかっただろうが、少なくとも私とコリン・ウィルソンのアウトサイダーに対する視線は、まったく別のものだ、ということは言っておかねばならない。)
 では、どんなタイプの人間がアウトサイダーとして問題にされているのだろうか。せっかくなので私はここでコリン・ウィルソンの本の中から気になった言葉をその文脈をある程度無視しつつ引用しながら、アウトサイダーつまり新しい<異人>がどのような存在であるかを考察するとしよう。もちろん私が問題にしたいのはフィクションではなく実在の「アウトサイダー」である。

 ゴッホの生は救いのないあがきの連続のように思える。若い頃ゴッホはキリスト教の伝道師として貧しい民衆の中で生きたいと願っていた。過剰に献身的な活動ゆえに伝道師への道に挫折してしまい、彼は絵画にすべてを託すようになる。印象派や象徴派の画家たちと交流をもち、日本の浮世絵に大きな影響を受けたゴッホの絵画は、何事も徹底的に突き詰めてゆく性格の持ち主ゆえか、前例のない独特な激しい表現をもつにいたった。
 しかし、そんなゴッホの絵を認めるものはいなかった。その頃の絵画はあくまでも色彩と形態のハーモニーを重んじた構成的なものであるという限界を超えることはなく、のちのフォービズムや表現主義の絵画を先取りするようなゴッホの、情念をダイレクトにカンバスにぬり込めたような原色の絵は、当時の前衛であった印象派にとっても掟破りな絵であったのだ。(色彩とタッチがのたくり回るゴッホの絵画はセザンヌにすら「狂人」の絵だと評されたという。)
 そのようなブルジョワ的な美のコード(規範)の枠の中にあった19世紀末は、ゴッホを理解せず、黙殺した。時代はゴッホのコード破りの芸術をを許さなかったのだ。もちろん彼の絵は売れず、弟の援助にたよりながら心の中に負債を抱えて細々と仕事を続けていた。度重なる失恋、新しい芸術のための試みとしてはじめたゴーガンとの共同生活の失敗………。ある日ゴッホは自分の耳を切り落とし、ある女性に送りつけるという血なまぐさい事件を引き起こし、精神病院へ入ることになり、その2年後、37歳で自分の胸にピストルの弾丸を撃ち込み、孤独の中で死んでいった。
 世の中のためにと為したこと、新しい美と芸術のための試み、全てが彼を裏切り、時代は彼をアウトサイダーの絶望と孤独の中に追い込んでいったのだ。死後になって、時代はゴッホの生み出した美や彼の生の意味に気づきはじめた。生前1枚しか売れなかったというゴッホの絵は、いまやご存知のように高額で取引される至宝である。
 
 おそらくゴッホは、自分の活動の意味合いを自分でもわからないまま、傷ましいことに絶望と孤独のうちに自ら命を絶ってしまった。時代や社会と自らの実存の間に横たわるズレ、そしてそのズレのために陥ってゆかざるを得なかった孤独な闇、これこそが「アウトサイダー」という現代の<異人>の歩む道なのである。
 もちろんキルケゴールやニーチェも同じような孤独な闇に生きたのである。しかし彼らは自らの立場と使命をよりはっきり意識していた。反時代的であろうとすれば、社会から孤立し、「アウトサイダー」になってゆかざるを得ないという運命を自覚し、あえて闇の中に進路をとり、自ら<異人>たろうとする新しい使命をはっきり見据えていたのだ。
 誠実な思想家であれば、真理を愛し自らつかんだその真理に殉ずることができなければならない。自らの教説とその生き方の間に矛盾があってはならないのだ。実存哲学の先駆者といわれるキルケゴールとニーチェは、徹底した近代社会の批判者であった。彼らはヘーゲル流の近代主義と、その帰結である人間の大衆化、画一化といった現象に我慢ならなかった。人間性の回復という課題、それは結局、彼らの生きる時代と対立してゆくことにつながった。彼らは自らの思想を深めてゆく過程で絶望的な孤独の中に陥ってゆくのだ。時代に迎合することのない仮借なき真実の言葉は過酷な運命をともなって自分自身に還ってくる。友人たちは彼らの研ぎすまされた思想を恐れ、またその仮借なき生き方を理解することができずにひとりまたひとりと彼らのもとを去ったゆく。もはや時代は彼らを理解することができない。彼らは奇怪な警句を吐きつづける変人………「アウトサイダー」として、すなわち<異人>として理解されざるを得ないのである。反時代的であることは、彼らが生きる社会の秩序を否定することであり、共同体が共有するコード(規範)を破ろうとすることにほかならないからだ。
 先ほど私は、彼ら「アウトサイダー」はもともとブルジョワジーに属する知識人であり、伝統的な<異人>とは違うと述べたが、実際には「狂人」と同様の扱いを時代から受けたと言っていいだろう。近代社会という共同体のコード(規範)を逸脱する彼らの言動は、規範を共有する民衆にとってはきわめて狂気に近いものとして理解されざるを得ない。実際、ニーチェやゴッホは「狂気」への道を突き進んでしまった。『彼は、欲望の充足に失敗した神経病患者であるがゆえに「アウトサイダー」なのであろうか? それとも、彼を孤独に押しやるある深い本能ゆえに神経病の兆候を呈するのか?』(コリン・ウィルソン『アウトサイダー』)

 しかし、自らを絶望的な孤独や狂気の淵にまで追い込んでまで彼らが為さねばならなかったこととは何であろうか。
 『………それはただ世間の見栄を思いきり侮蔑してやりたいという気持からだけではなく、どんな犠牲を払っても真理を述べなければならぬ、そうする以外に究極的な秩序の回復は望みえない、というぬきさしならぬ気持から発しているのだ。たとえ前途に望みをかける余地がまったくないとしても、真理は述べられねばならない。………』
 『………少なくとも幾人かの少数者が新しい意識を芽ばえさせ、自分にどんな変化が起きているか理解せずとも、その新しい意識を徐々に、骨身惜しまず、本能的に成長させることが必要となっている。このような人こそ、完全な「アウトサイダー」といえるのではあるまいか。人はみな眠っている。…………なんとしても、早急に目覚めねばならぬことを人間に痛感させる必要があるのだ。』
(同上)
 つまり彼らはそのような使命をもっていた少数者であったのであり、そのような生を選択せざるを得なかったのだ。
 『キルケゴールもニーチェもともに修練を積んだ思想家であり、しかも、自分は「アウトサイダー」であると明言することをいわば誇りとしていた人である。』(同上)
 さらに、そこに私たちはある積極的なチャレンジの姿勢を見抜かなければならない。近代資本主義のシステムが急速に広まり、世界を覆い尽くそうとしていた19世紀末という時代に、その時代の非人間性を少数の者は意識的、無意識的に感じ取っていた………。

 近代がいかなる時代であるかは前節で述べてきたとおりであるが、「祭り」すなわち「非生産的消費」の喪失ということがその近代社会の大きな特徴である。近代資本主義社会の日常は徹頭徹尾、生産的な労働の規範に貫かれている。労働の中で私たち人間は生産のための道具となっており、そのために気まぐれで暴力的でさえある自らの欲望を抑圧しているのだ。私たちは危うい生存を確かなものにするために労働するのであるが、それはなんらかの欲望を満足させることで得られる快楽を犠牲にしてなされている。逆に、欲望の開放は労働ではなく富の浪費、すなわち非生産的な消費において行われるのだ。
 近代以前の社会においてはさまざまな局面で非生産的な消費が行われてきた。季節ごとに巡りくる「祭り」は、まさに非生産的消費であり、生命の絶頂期の様相を呈する欲望の解放の瞬間であった。
 が、「祭り」は同時に生命の危機でもある。生存への配慮を踏みにじることでしか行われえない非生産的消費は、極限的には人間の生命すら惜しみなく浪費し焼き尽くしてしまうのだ。「祭り」に死はつきものであり、歓喜と危険の両面を持ち合わせた「祭り」とは「聖なるもの」のあり方を体現していると言っていいだろう。

 しかし近代社会は「祭り」を喪失した。近代以前の社会がそれを中心に組織されていたところの「聖なるもの」へのチャンネル(通路)を私たちは失ってしまったのである。その結果、私たちのもとにあるのは生産へ向けて組織された灰色の日常………キルケゴールやニーチェが告発していた画一化した大衆社会であり、赤坂憲雄も語っていた均質的でのっぺりとした近代の空間なのである。
 19世紀末に現れた彼ら少数の「アウトサイダー」たちが、その絶望的な孤独の中で告発し奪回しようとしていたものは、近代という時代が喪失してしまった「聖なるもの」である。彼らの生の軌跡、残された芸術作品やテクストは現在に至るまで異彩を放っている。ゴッホの同時代にも数多くの画家がいて、おそらく絵を売ることで生計を立て、中には官展で評判を博し、金持ちになった人もいるだろう。だが時代が移ってみれば、そのような官展画家は忘れ去られ、今も問題になっているのは掟破りな絵を描いた不器用で、挫折の連続であったゴッホの絵であり生き様なのだ。私たちの前に提出されている「アウトサイダー」たちの生の軌跡とは異様な明るさで輝く孤独で神聖な「祭り」のかたちである。
 ゴッホにしろキルケゴールやニーチェにしろ「アウトサイダー」として生きた人たちには、かつての<異人>同様、共同体の秩序とその外部を媒介するものとして「聖なるもの」のオーラがまとわりついている。外部との交流を遮断された近代において、彼らはまったく新しい形で外部への、そして「祭り」への通路を切り開いたのだ。つまり、コード(規範)の破壊、システムへの反抗という形で彼らは「祭り」を近代社会に導入したのだ。彼らの生は闘いであり、賭けであった。おそらくは勝ち目のない賭け………したがって彼らの生は惨憺たるものにならざるを得なかったわけだが………。誇りをもって「祭り」の奪回のために格闘した「アウトサイダー」たち………しかしそれは彼らの絶望的な孤独や貧困、社会からの排除という残酷な運命をもってあがなわれければならなかったのだ。

 こんな想像をしてみたくなる………現代の<異人>である「アウトサイダー」たちは、自らを生贄に捧げたのではないだろうか?……と。
 古代メキシコのアステカ人の供儀………神に捧げられる生贄はピラミッドの上で殺害され、脈打つ心臓を抉り出し、太陽に差し向けられた………。この身の毛もよだつような残酷で罪深いアステカの習俗には、しかしながられっきとした意味があった。彼らは太陽を輝かせつづけるために、太陽の神に人間の血を捧げなければならないという神話の中に生きていたのだ。生贄にする捕虜を得るためにアステカの戦士たちは近隣の部族と「花の戦争」と呼ばれる戦に明け暮れたという。
 「アウトサイダー」たちの残酷な運命を考えると、近代社会に「祭り」の太陽を輝かせつづけるために、彼らは自らの生を供儀へと投げ出したのではないかという思いにとらわれるのだ………。

 とにかく私たちはここに近代社会が失ったはずの共同体の「外部」へのチャンネルのまったく新しい形を見いだすことができる。それは「アウトサイダー」という現代の<異人>によってもたらされるものだ。近代以前の社会においては、システム的に「聖なるもの」が例えば「祭り」というかたちで組み込まれていた。しかし近代資本主義社会において「外部」への通路、そして「聖なるもの」は、私たちにとって常に奪回しなければならないものへと変化したということだ。近代化以前の伝統的な社会おいてのような内部/外部、日常/非日常の分割は、すでに衰退し無効になりつつあるのであって、社会のシステムや規範を反抗的に否定する闘いとしてしか、「外部」とのコミュニケーションはあり得なくなってしまっているということである。
 「アウトサイダー」という現代の<異人>は近代に「祭り」の太陽を輝かせるための「花の戦争」に赴く戦士である。また、時代と自らの実存の間を引き裂き、そこに生まれたズレによって傷つき、また血を流し、その血を自ら太陽に捧げる生贄であり祭司でもある。そのように自らの生を危険な賭けに投じること、生を一つの実験と考えること(ニーチェ)、すなわち月並みな言葉でいえば、チャレンジすることが、近代社会の秩序とその「外部」との間に交通を再開させ、近代に「祭り」を復活させる条件なのである。「アウトサイダー」は近代社会の秩序とその「外部」を媒介する。だからこそ彼らは時代から排除されるとともに「神聖」な存在でもあるのだ。

 「アウトサイダー」の近代社会に対するこのような新しい役割は、その後さまざまな機会を通じて理解されるようになってきたといえよう。いわゆる実存主義哲学や構造主義といったアカデミズムの思潮は、「アウトサイダー」の立場を徹底的に肯定するというモチーフに貫かれている。それゆえハイデガーの存在論、レヴィ=ストロースの構造人類学、またフーコーの歴史の分析がすぐれた近代批判となっているのは偶然ではない。
 また同様なことが芸術や文化運動、社会運動の領域においてもあらわれているが、むしろこちらでは「アウトサイダー」の意義を肯定するだけにとどまらず、活動の主体自らが「アウトサイダー」たらんとし、近代社会に「祭り」を導き入れる「戦士」の役割を積極的に選択している。
 ダダ・シュルレアリスムのスキャンダラスなアクションの数々は、明らかに近代社会の秩序の「外部」に属する「異質なもの」のもつエネルギーを、硬直化した近代の日常に介入させて祝祭性を導き入れようというものである。アンドレ・ブルトンはフロイトの精神分析学の「無意識」の概念に注目していたが、「無意識」とはまさに近代の秩序が排除したものの溜まり場であり、不気味で豊穣な闇のエネルギーの源である。
 第2次世界大戦後に展開しているシチュアシオニストやアウトノミアといった左翼の運動は、革命を目指す運動ではもはやない、と言っていいだろう。生産の秩序の支配する日常に、「遊び」の要素を持ち込み、「日常生活をワクワクさせるものにする」というシチュアシオニストの戦略は、革命家ではなく「祭り」の戦士のそれである。


 さて、私たちは赤坂憲雄の異人論を補足・拡張するかたちで論を進めてきた。私は赤坂の仕事に深いリスペクトをいだくものであるが、彼のアカデミズム(民俗学者)への転身には正直がっかりさせられた。民俗学者のフィールドワークが無意味だなどと言うつもりは毛頭ないが、それよりも異人論という分析装置を用いて、近代社会に潜む排除の構造をえぐり出す彼の手腕と、近代に対する彼の批判的な視線が、初期の赤坂の仕事の中で妖しい輝きを放っていたように思うからである。
 「私自身が異人(ストレンジャー)となり、近代社会の硬直化した日常を活性化させなければならない。」というマニュフェストを第1節の終わりでも述べておいたが、赤坂憲雄のテクストの中に、芸術家でありたいと考えていたあの頃の私が発見ようとしていたのは、私自身の未来………つまり「アウトサイダー」として近代社会の日常に「祭り」を導入するという自分自身の更新された課題だったのである。そしてそれは闇へと向かう孤独な旅であるに違いない、という予感でもあった。
 その後、私は絵を描くのをやめ、仕事を変え、アジアをぶらぶらと放浪するようになったが、そのきっかけの幾分かは、赤坂憲雄の近代批判の視線を共有したことによるものだ。「外部」を、そして「異質なるもの」を私は常に求めるような道をたどりはじめたのだ。つまり赤坂憲雄の異人論のテクストは私にとっては「祭り」への道しるべであったのであり、少なくともそこに民俗学や歴史学という「学問」を見たのではなかった、ということは間違いないのだ。

 時代は流れ、すでに21世紀である。ゴッホの掟破りもニーチェの孤独も時代はとっくに咀嚼してしまい(理解したというわけではないであろうが………)、その作品やテクストはすでに商品として資本主義社会に取り込まれている。今では芸術家や哲学者は彼ら「アウトサイダー」のように孤独の影をもち、エキセントリックな風情であるほうがそれっぽかったりする時代になっている。だがもちろん問題なのはそんな商品やポーズなんかではなく、「祭り」の神聖さで時代を満たそうという意志なのである。
 何度でも繰り返すが、そのためには大きな代償が必要である。何かを得るためには、それと等価の何かを失わなければならない。私たちが「祭り」の戦士であるために犠牲にしなければならないこと………それはぬるま湯のような日常生活の安逸である。19世紀末の「アウトサイダー」たちが教えてくれたことは、近代において「祭り」は季節ごとに巡りくるものではなく、闘いとらねばならないものになったということ、そして「祭り」の太陽の輝きは、古代メキシコだけではなく近代社会においてもやはり、自らの傷口から流された血を捧げることでしか維持することができない、ということだった。そのために私たちは時代と私たちの実存の間を引き裂き、冷徹に己を精神的な苦悩の試練の中に追い込むことができなければならない。「祭り」の太陽を夢見るもの………近代社会における「花の戦争」を遂行する戦士たちは、そのような危険なチャレンジに常に、そして新たに、自分を投げ入れるのである。



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マルクスのイメージ

 マルクスを読まなければならないと思っている。……と何度も何度も執拗に自分に言い聞かせているのは、マルクスが僕のは肌に合わない思想家だったからだ。『資本論』の本を広げてみてよ。いろんな経済学の用語が出てきてタメ息が出ちゃうってものだよ。それだけじゃない。マルクスとか共産主義という言葉に付着するイメージ………それが僕はイヤだった。
 なんて言うんだろう………工場の機械油のにおいと言うか、労働運動………灰色っぽいデモや学生運動の光景(モノクロの映像で見たからかもしれないけど)。ヘルメットとマスク。アジ演説のあのしゃべり方。大学とかによく書いてある『〜闘争を〜自主管理〜帝国主義〜』とかいうあの字体。ソ連、中国、北朝鮮、人民服………。
 確かに民衆の力強いエネルギーのようなものがマルクスという言葉に付着している。しかしそれと共に労働という言葉にまつわる真面目で硬いどちらかと言えば息苦しいイメージもいっしょに持っていてそれがなんだかイヤだったのだ。
 僕は芸術家に憧れていた。芸術は自由と人間存在の神秘と栄光にダイレクトにつながっているように思っていた。だから労働とか賃上げ闘争だとかいう世俗的な活動は僕には無縁なものだったのだ。

 確か18歳の頃だったが、神田にある古本屋で『マルクス主義哲学入門』という古い本が100円で売られていた。どうせ100円なんだから………と思って軽い気持ちで買って読んだ。意外にも面白かった。世界史は階級闘争の歴史である………なるほど、今行われている労働運動の意味やマルクス主義者の目指すものがわかったような気がした。
 しかしこの本を書いた人(日本人だったけど名前は忘れた)の考え自体に問題があるのだろうけど、とにかくこの人は彼の言うところの弁証法的唯物論以外の哲学をブルジョワ思想だとしてケチョンケチョンにこき下ろしていた。
 当時僕が興味をもち始めていたニーチェとかハイデガーなんかも批判の槍玉にあがっていた。特にニーチェは凶暴な観念論だなんて書いてあった。そりゃちがうだろ!と芸術家志望の僕は、美や芸術に生の根本問題を見いだしているニーチェを気違い扱いしているのが許せなかった。
 一昔前、マルクス主義 VS 実存主義なんていう構図で思想が語られていた時代があったらしいが、明らかに僕は実存主義の側にいたってことだ。そもそもろくすっぽ働いたこともなく、マンガとSF小説なんかに夢中になっていた「オタク」な僕には労働運動とか階級闘争なんて言葉はピンとこなかったのだ。

 二十代も半ばにさしかかった頃、思想史家、今村仁司の本を読むようになった。「生産主義的理性」とか「生産中心主義」なんていう言葉が僕のアンテナに引っかかってきた。今村の書物が新鮮だったのは、マルクスの研究から彼の仕事を始めているにも関わらず、マルクスと同じ地平においてニーチェやバタイユ、ハイデガーなどについても語っていることだった。そこにはマルクス主義 VS 実存主義という月並みな図式がなかった。マルクスの活動とともにハイデガーの哲学を「生産主義的理性」の批判として読むという視点や、バタイユの普遍経済論をマルクスの剰余価値論の拡張として読むことができるという発想に、正直僕は驚いた。難しくて数ページで読むのを断念したハイデガーも、そう言われるとわかったような気がしたから不思議だった。
 が、とにかく若い頃読んだ『マルクス主義哲学入門』の通俗的な理解とは違う新しい相貌でマルクスが僕の前に現れたのだ。「生産主義的理性」の批判とはすなわち近代の批判である。近代のはらむ諸問題、その解決のためにはまず近代を底で支える「生産主義的理性」のあり方を批判しなければならない。ニーチェやバタイユやハイデガーとともに、マルクスの思考の中にはすでに「生産主義的理性」批判の契機が含まれている、という読み方を今村仁司はしていた。
 こうして僕はニーチェやバタイユと同じ地平でマルクスを問題にできる視点を得ることができた。

 その後、小倉利丸やシチュアシオニストへと読み進めてわかったのは、モダンアートをマルクス的観点から理解することの有効性と新鮮さだった。アバンギャルド芸術を、資本主義社会におけるその意味合いという面から考え直させてくれた。
 したがって僕にとってのマルクスのイメージは10代の頃のそれとはまったく別のものになってしまった。実際マルクス主義で語られる諸概念(共産主義、唯物論、イデオロギー、権力、など)は、通俗的な理解はともかく含蓄が深いものが多い。いまや僕はこれらの概念を自家薬籠中のものとし、マルクス的な視点から自分の芸術論を展開したいと思っているのだ。

 実際、前衛的な左翼の運動というのは美術館や画廊の中にあるアートなんかよりはるかに芸術的である。以前、僕のサイトの「プロローグ」で少し触れておいたが、例えばイタリアのアウトノミアの運動は、はっきりいってアートである。もう一度紹介しておく。

 『(アウトノミア)<運動>において徐々に中心をしめるようになりフェリックス・ガタリ、ジル・ドゥルーズたちを注目させた側面は、次のようにまとめることができるかもしれない。他者に変化を要求すること………敵とぶつかること………を第一目標にしない、という「今日まで歴史を揺るがせた革命とはまったく異なる」(ガタリ)異例の運動のかたち。たとえ<運動>が他者と正面から衝突するとしても、それは副次的な問題にすぎない。<運動>はなによりもまず「自足」的だった。「自足的」とはいっても、必ずしも排他的、閉鎖的であるということと等しいのではない。<運動>自体が目的、すなわち「生の形式」(の実験)となるという意味で「自足的」なのである。手段と目的が分かれることのない、スピノザ的な「構成的実践」。<運動>は一種の実験の場となった。われわれの生がどのようなものでありうるのか、われわれの身体がなにをなしうるのか、その可能性の自由な展開が試されるような場。その意味で<運動>は本質的に肯定的なものである。敵があるとしたら、それは生の形式の実験を拒んだり、あの手この手で骨抜きにしたり、ときには荒っぽく抑圧してくる力や人間ということになるだろう。だがそれは<運動>の意義からして二次的なものにすぎない。すくなくとも<運動>の主要な傾向は、なにかイシューがないと、敵がいないと………逆にいえば被抑圧者がいないと、「不幸」がどこかにないと………闘えない、こうした否定的/反応的な論理(これはスラヴォイ・ジジェクがPCの論理としたものにつながるだろう。社会が悪くないと………抑圧される「マイノリティ」がいないと………自分の存在理由を失ってしまうからつねに強迫的に「悪」を見いださざるをえない疚しい良心)とは無縁であろうとした。………』(酒井隆史『自由論』)

 以前、この政治的な<運動>が、いかに僕の考える芸術の新しいあり方に合致するかを示したくてこの文章を引用した。だがここでは後半部のニーチェ的な文章に注目していただきたい。ニーチェは社会主義運動をルサンチマンによるものだと、ことあるごとに批判していた。ニーチェの論理に従うなら、マルクス主義はキリスト教運動の帰結であり典型的なデカダンであるということになるはずだ。「今日まで歴史を揺るがせた革命」のあり方、ここでいう「被抑圧者がいないと、「不幸」がどこかにないと………闘えない、こうした否定的/反応的な論理」………これはルサンチマンから発しているとニーチェなら述べるに違いない。しかしこの<運動>がそのような論理と無縁であり「本質的に肯定的なものである」とするならまさにこの<運動>はむしろニーチェのいうところの高貴な存在のあり方を体現している、といっていいのではないだろうか。
 「祭り」の精神とはこのように肯定的な精神のあり方のことだ。19世紀末にニーチェが語っていたことと、アウトノミアという現在的な左翼の運動が意外にも見事に響きあっている。僕の中ではニーチェとマルクスは共存しているのだ。なぜならどちらも近代社会が失っている「祭り」の精神の奪回を目指しているからだ。

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新・異人論序説 第2節 

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 私たちの近代社会は赤坂憲雄が『排除の現象学』で描き出しているように「異質なもの」を徹底的に排除したことで成立し、また排除した「異質なもの」との交通も遮断されている狭量な社会だといえる。そしてその「異質なもの」との交通の遮断が近代社会の人間的な貧しさの原因なのだ、というモチーフが彼のテクストの中に通奏低音のように流れている。しかし赤坂はそこで論の歩みを止めてしまう。近代社会が人間的に貧しいのだとすれば、どのようにしてそれを人間的な豊かさの方向へと転換させてゆくのかが次の課題として登場してくるはずである。
 言ってみれば赤坂が為したのは近代社会の病理の分析であり診断である。次にくる作業は処方箋を示すことであろう。しかし赤坂のテクストは近代の日常生活の分析に終始して、不思議なことにいかにその病理を乗り越えてゆくべきなのかを示す言葉が、彼のテクストの中にはまったく見当たらない。まるで注意深くその問題には触れないようにしているかのようなのである。彼の知性と幅広い学識を持ってすれば処方箋の提示は決して難しいことではなかったと思うのだが………。

 ともあれひとつ言えることは、赤坂の近代社会への批判的な視線のよりどころになっているのは、近代以前の社会、共同体のあり方だということ………近代以前の社会における内部と外部のコミュニケーション(交通)のあり方への憧憬が、彼の近代批判のベースになっているということである。
 赤坂憲雄が近代社会と近代以前の社会の違いをどのように捉えているかは前節でも簡単にふれておいたが、さらに詳しく見ていく必要がある。彼はこんなことを述べている。

 『古代の人々や未開人は、外から訪れる<異人>を野蛮で悪霊的な存在と恐れるが、他方、彼らを手厚く饗応・歓待する。そうした習俗は異人歓待 hospitality として知られる。
 (中略)…………このような異人歓待の風習からすると、<異人>表象の底を流れる心性は、たんなる恐怖心ではなく、神秘性をおびたものへの畏敬の念がふくまれていたと見なすほうが自然である。いまだ知られざる者としての<異人>は、恵みをあたえる超自然的な力と呪いの力を兼ねそなえ、神聖視されるとともに危険視されたのである。
 <異人>の神秘性の由来は、彼らが混沌の中からの訪れ人であり、また、秩序と混沌を媒介する両義的存在と信じられていることにある。無定形の混沌(カオス)は、崩壊もしくは危険の象徴であるばかりでなく、創造もしくは能力(ちから)の象徴でもある。混沌に内在する正と負の両義性といってもよい。混沌(カオス)を背負った<異人>は、そうして正・負に引き裂かれた神秘性を身にまとうことになる。』
(『異人論序説』)

 外部の存在である「異人」や「異質なもの」を神聖視するとともに危険視するというアンビヴァレンツな態度は、共同体の内部と外部の交通の基本的なあり方である。そのような感情をもたらす「異人」の例として、外来の商人、遊牧民、漂泊民、芸能民、遊女、乞食、不具者、ハンセン病者、狂人、などがあげられる。彼らは忌避・排除され共同体の外部の空間へと、森や山の中へと追放され、諸共同体のあわいを都市から村落へ、また村落から都市へと渡り歩いて生きざるを得ない存在であった。
 しかしながら、共同体にとっての非日常的な時空において彼ら「異人」は劇的に神聖な存在に変貌するのだ。例えば、諸共同体の境界において催される「市」や、季節ごとにめぐり来る「祭り」において………。

 『日を決めて立つ市は、近郷在住の顔見知りの人たちが交換し、交換する場であると同時に、異人と、彼らがもたらす胸のときめくような品々にめぐりあう場でもあった。だから市のハレの性格は、元来、外なる者の到来を迎える興奮と、内なる者同士の交わりの更新が生む熱との、交錯の上に成り立っていたといえる。』(川田順造『サバンナの手帖』)

 『祭りの庭にはどこからともしれず、乞食をはじめとする異形の「まれびと」たちが集いくるものであった。十七世紀の初頭のある祭礼の場には、乞食・非人・鉢たたき・唱聞師・猿つかい・盲人・いざり・腰ひき・おし・えた・皮剥ぎ・勧進の聖そのほか異形異類の者たちが数知れず、馳せあつまったという。たとえそれが、上層階級の者からは二千匹と数えられ、卑賤視される人々であったとしても、彼らは零落した神々の末裔の資格をもって訪れきたる「まれびと」であった。すくなくとも、かれら異形異類の者たちが、祭儀の時空を活性化させる<道化>にも似た役割を果たしていることは間違いないし、「祭り」という象徴劇の欠かしえぬ登場人物でもあったのである。』(『異人論序説』)

 歴史や文化人類学の成果をひもといてみれば、共同体から排除された異人とのさまざまなコミュニケーションの形を知ることができるだろう。このように共同体が祝祭的な非日常のコンテクストにあるとき、「異人」は忌み嫌われる存在から神聖で心をときめかすような存在へと変貌し、退屈な共同体の日常を活性化するために不可欠な役割を果たしていたのである。
 共同体がその外部と交流する非日常的な時空の存在こそが、赤坂憲雄が憧憬する近代以前の社会の外部と内部のコミュニケーションのあり方の特徴である。しかしこの共同体の内部と外部との弁証法………それは近代社会においては崩れてしまったといっていいだろう。その結果「異人」は、例えば狂気が病気に貶められ精神病院の壁の中に囲い込まれていったように、ハレの空間における神聖な性格を失い、その存在意義とともに社会の中での居場所をも失っていった。例えばかつての乞食はたんに家々を訪れて食べ物を乞うていただけではなく、縁起の良い「寿詞」をのべて訪れた家に治病や家内安全などをあたえる呪術師的な役割をもっていた。食べ物を施す家の人も、その「寿詞」ありがたがったという。哀れな乞食ではあったがそこには立派な互酬的な関係があり、その呪術的な力は共同体と外部のカオスとを媒介する彼らの独特なポジションから得ていたのである。しかし近代社会における乞食にはもはやそのような神秘性はなく、誰に食べ物を乞うこともなくまた誰も施すものはないという、共同体との関係性を断絶された社会の敗北者という風情である。都会の地下道などで冬の寒い日に誰にも知られることもなく死んでゆく浮浪者………それがかつて零落した神々の末裔の資格をもって訪れきたる「まれびと」であった乞食の成れの果てである。
 つまり近代社会にあるのは「異人」や「異質なもの」の一方的な排除だけであり、赤坂も語っていたホスピタリティの習俗は基本的に失われてしまったのである。
 なぜそうなってしまったのか。それはつまり近代とはなにか、を問うことであるのだが、この問いかけが赤坂にはない。したがってここからは自分の足で歩まなければならない。

 問題なのは明らかに社会の産業化(資本主義化)である。近代社会とは資本主義社会である。資本主義社会の本質は際限のない利潤、富の追求であり、その社会の秩序は徹底的に「生産」に向けて組織されている。もちろん近代以前の社会も生産を行い、富を追求してきた。しかし近代社会との大きな違いをあげるとすれば、富の余剰の処理という点においてだということになる。
 近代以前の社会においては、富の余剰は例えば「祭り」において非生産的な形で消費された。しかし資本主義社会では、富の余剰は生産を拡大するための投資にまわされるのが基本である。したがって近代社会には「祭り」の存在は許されないであろう。なぜなら非生産的な消費とは利潤の無制限な拡大がその原理である資本主義社会においてはたんなる<浪費>でしかないからである。

 近代社会にに限らずとも、共同体の日常の秩序とは「生産」に向けて組織されていた。私たちが生存するために生産が必要なのであり、そのために私たちは<労働>するのである。<労働>するということは、自分の身体を生産のための<道具>とすることを自らに強制することである。したがって私たちは、自らの持つ気まぐれでときに暴力的ですらある<欲望>を抑圧し排除しなければならない。
 共同体の成員たちの安定した生存のために、共同体は生産に向けて組織された一定の秩序(規範)を保持するのである。規範を受け入れることで安定した生存を保証された共同体の日常とはしかし、無彩色で退屈なものだといえるだろう。それは欲望を抑圧し、私たち自身道具化した、ある意味奴隷的で屈辱的な生活を強いられているためである。

 『毎日仕事に明け暮れる、規則的で平穏な生活。禁止の体系の枠に組み込まれ、万事が慎重さそのものの生活。「静して動さず」の格言が世の秩序を維持しているこうした生活の対極にあるのが、祭りの興奮である。』(ロジェ・カイヨワ『人間と聖なるもの』)

 近代以前の社会においては、そのような日常生活の規範から脱し、抑圧した欲望を解放することのできる時間が社会の中に構造的に組み込まれていた。「祭り」とは、共同体の日常の秩序の反転であり、日常の規範すなわち「生産」に向けて組織された道具化した生からの解放である。したがって「祭り」の時間において関心の的になるのは、非生産的な富の<浪費>である。「祭り」の浪費的な性格をカイヨワはこんなふうに述べている。

 『…………祭りは数週間、時には数ヶ月間も続き、途中に時々四、五日の中休みがあるだけであった。それに必要な大量の食料や富を蓄えるためには数年を要することがしばしばで、そうして蓄えられたものは、この時とばかりに飲み食いされ、消費されてしまうばかりか、何の理由もなくただ単に破壊され、無駄使いされてしまう。というのも、行き過ぎの一形態である破壊と浪費とは、祭りにおける当然の権利としてその本質に含まれているからである。』(同上)

 このような秩序の反転、生産と浪費の……繰り返し訪れる「労働」と「祭り」のサイクルが近代以前の社会の特徴をなすものだった。しかし資本主義の誕生がそのサイクルを破壊した。

 無制限の利潤の追求を旨とする資本主義の精神にとって、<浪費>は罪にも等しい許されざる行為である。資本主義下の人間は生産に向けられた禁欲的で勤勉な労働倫理を内面化し、生産に支配された日常の秩序からはみだす<浪費>的な活動に対しては、いかがわしさすら感じるようになる。したがって「祭り」は、その存在理由を疑われ、衰退する運命にあったわけである。つまり資本主義をその原理とする近代社会には、「祭り」のような<浪費>を原理とする反秩序的な時空は存在しないということであり、そこから私たち近代人の「異人」や「異質なもの」に対する態度が決定づけられたと言えるのである。
 「異人」とは共同体から排除され、その秩序(規範)の周縁に位置するゆえに、「祭り」の非日常的な混沌と密接に関わり、秩序の外部への道を体現する存在であった。その非日常性ゆえに「異人」は忌避され不安をもたらすものであるとともに神聖でもあり、おぞましいものでありながら心をときめかせ、退屈な日常を活性化させるという両義的な存在であったわけだ。ところが社会の近代化によって「祭り」の浪費が断罪されるとともに、「異人」のもっているいわゆる浄/不浄という二項対立として表される両義性のうち浄の面、すなわち神聖で、心をときめかせる正の属性を持つ一面は次第に消失し、忌避され不安をもたらす負の属性である不浄の面のみが残ることになった。
 その結果、赤坂憲雄も述べていたとおり、狂人は病者として精神病院の壁の中に押し込められ、また乞食は不潔で怠惰な浮浪者へと転落していった。彼らがまとっていたはずの超自然的な力は不可解な迷妄と化し、負の属性のみがかれらを不気味な存在として立ちあらわしているのだ。彼らは近代の影としてのみ存在していると言えるだろうか。
 とにかく資本主義社会は利潤を生み出す生産活動以外の活動様式には価値をおかないのである。生産のために役立つ道具としてしか人間を了解できないのだ。かつて不具者は共同体から外部に追放される運命にあった。社会から人間扱いされない残酷な運命を背負い「異人」として諸共同体のあわいに生きていた。しかし繰り返すが、排除されたゆえにかれらはまた神聖な存在でもあったのだ。ところが近代社会において正の属性の消失した不具者は、もはや生産の役には立たない壊れた部品としてしか認識されないのだ。近代はヒューマニズム、人権という観念を勝ち取った………身体障害者を差別するようなことがあってはならないのだ………と言いながらもかれらの存在をどう理解したものかと頭を悩ませているというのが近代社会の本音なのではないだろうか。

 このような資本主義社会の体質、無制限な富の増殖への志向にこそ近代以前の社会がいきいきと保っていた「異人」との、そして「異人」を媒介としての共同体の外部とのコミュニケーションが遮断された原因があるのだ。赤坂憲雄が憧憬した近代以前の社会のあり方は資本主義の原理によって破壊されたのだ。その結果、私たちの前に姿を現しているのは近代社会の「多様性つまり混沌を排除した均質的空間である」(『排除の現象学』)。その底の浅い非人間的な空間に対する赤坂の冷ややかな怒り………それはしかし反システム的な闘争へ転換することはなかった。赤坂はアカデミシャンの道を選び、消え行く近代化以前の世界観の遺骨を収集し整理している。自動車を駆って東北を巡り、老人の人生を聞き書きしている赤坂はどこか楽しげでもある。しかしその姿は後ろ向きなのだと言いたい。だから私は前を向きたいと思う。確かに私たちの前にあるのはのっぺりとして貧相な近代の均質空間である。過去に立ち戻ることなどできないし、このシステムが易々とひっくり返るとも思えない。しかしその外部を持たない均質的な空間に新しい多様性をもりこむこと。混沌への新しい通路を切り開くこと。そして日常と非日常の間にかつてとは異なる形の境界をひき直すこと。それによって近代社会にまったく新しい形の「祭り」を………「生命の絶頂期といった様相を呈し、日常生活の煩わしさとはまるで対照的な存在」(ロジェ・カイヨワ)であるところの「祭り」を導入し、平板で貧相な日常を活性化させ、近代社会という「タコ部屋」に青春を呼び込むことはできるはずだ。それを行うことが、近代社会における「異人」であり、神聖さをまとった新しいカオスとの媒介である「祭りの精神」の持ち主の仕事なのである。

   


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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

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