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泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

Category: 思想など   Tags: 思想  タイ  

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体臭

 僕は毎日シャワーを浴びる。しかもなるべく早い時間に浴びないと気持ちが悪くて仕事に集中できない。サッパリして仕事をしたいのだ。………でも以前はそんなことなかった。仕事へ出かける前にシャワーを浴びたことなんて一度もなかったし、会社に泊まり込んで仕事することもあったけど、当然そのとき風呂なんか入らなかった。若い頃、女子高生の間で「朝シャン」なんて習慣が出現した。僕はボンヤリ、強迫的な清潔観念のなせる業だな、なんて思っていた。考えてみるとあの頃は2〜3日風呂に入らなくても全然平気だったように思う。
 そんな僕を変えてしまったのはタイだった。タイ人は毎日水浴びをする。気候が気候だから(タイに限らず)南国では基本的に当然の習慣なんだろう。僕もタイを旅行中、町をぶらついたあとホテルやゲストハウスの部屋に帰るとすぐシャワーを浴びて汗を流す。水が火照った体から体温をうばってゆくのがわかる。体を拭いて扇風機をつけ、ベッドに横になるのは何とも快適だった。寒い冬の日に銭湯から出て来たとき体がポカポカしているのとは逆に、水浴びは体を冷やしてくれるのだ。タイ人がしょっちゅう水浴びをする理由がわかるような気がした。
 が、彼らの水浴びはそれ以上の意味を持っている………彼らは体臭が鼻につくことをかなり極端に嫌がっていて、いつも臭いのしない、あるいは石けんの香りのする体であろうとしているように思うのだ。
 僕自身はどっちかといえば不潔でも気にならないタイプなので、服も着たきりスズメだったりするのだが、タイ人の女房にはこれが許せないらしく何かにつけて「臭い(เหม็น=メン)」とうるさい。で、どうも本なんかで読むかぎり、これはタイ人一般の感受性らしいのだ。

 タイ人はわりと柔軟に外国人を受け入れる。しかしもちろん、差別がないというわけではない。自分たちより格下とおぼしき国の人たち………周辺のインドシナ諸国の人たち、あるいはインド人など………に対してはずいぶん冷ややかだ。
 タイ北部なんかを旅行していると色鮮やかな服を着た山岳民族に出会うことがある。彼らも平地民であるタイ人にとって差別の対象になっているようだ。全てというわけじゃないんだろうけど、彼らは「臭い」からだ。
 南国とはいえ山の上はやはり気温が低く、山岳民族にとっては水浴びは一般的な習慣ではないのかもしれない。僕はタイ人が山岳民族を見てあからさまに顔をしかめ、手を鼻の前でパタパタさせて「臭い」と苦笑しているのを見たことがある。大げさにいえばタイ人にとって「臭い」ことは罪なのだ。

 タイ人は「におい」という面に関しては、潔癖性だと思う。思い出してみてもこいつは「臭い」というタイ人に出会ったことはない。住んでるところがどんなにみすぼらしくても、水浴びと洗濯だけは欠かしてないのではないだろうか。彼ら、水場では炊事、洗濯、水浴び、子供のオシリを洗うことまで一緒くたにやっている。まあ、ミソもクソも一緒ってやつだ。清潔なキッチンになれた日本人から見ると、目を覆いたくなる人もいるかもしれない。しかしタイ人自身はこざっぱりしている。
 タイのトイレはにおわない。昔の日本のトイレは臭かった………ボットン便所だったから。公衆便所なんて耐えられないものだった記憶がある。しかしタイのトイレは、水浸しだけど(必ずプールやバケツがあって水がたまっていて、排泄後にオシリとともに水洗いして全てを流してしまう)けっして臭くはない。
 きっと、タイ人にとって「臭さ」は、文化と野蛮をわけるスティグマなのだ。臭いやつは「穢れ」ているのであり「人間じゃねえ!」のである。

 余談ではあるが、タイ人にとって観光客は複雑な気持ちにさせる存在である。特に白人観光客はそうだ。白人にしてもいろんな国から来てるわけで、一概にはいえないのだが、「臭い」奴が多いのである。「ファラン(白人)は臭い」とタイ人はよく言っている。明らかにタイ人にとって白人は格上なのだが、彼らの体臭は困りものだと感じているように見える。
 今でこそ公衆電話から気楽に国際電話がかけられるようになったタイであるが、僕が初めて行った頃は、郵便局の本局に行って書類に電話番号を書き込み、局内に設置されている電話ボックスにはいって国際電話をかけていた。
 ある日、日本に電話しようと郵便局に行くと、先客があってそいつが終わるまで待ってろ、と言う。金髪で巻き毛のイケメン白人が電話ボックスに入っていた。ほどなく通話が終わって僕が電話ボックスに入ると、ムワッと白人の体臭がこもっていた。何だ?あいつはシャワーを浴びてないのか?
 津波で有名になったスマトラ島をツーリストバスにのって縦断したことがあるのだが、日本人観光客なんか全然いなくて、乗客は僕以外全部白人だった。バスは途中の温泉地で休憩した。インドネシア人のバスガイドが「温泉に無料で入れるからどうぞ!」というアナウンスをしていたので、僕はタオルを持って温泉にダッシュしたのだが、驚いたことに白人は」誰一人として温泉につかるものはいなかった。温泉は個室になってるので裸を見せる必要もないし、何かにつけ積極的にエンジョイしようとする欧米人のメンタリティからは想像もつかない事態だった。………どうも彼らは風呂があまり好きじゃないらしい………。僕一人サッパリとしてホクホクしながら再びバスに乗った。
 近代的な衛生観念は欧米からやって来たものだ。それだけに白人は衛生的で清潔だ、と僕らは考える。が、衛生観念と日常的な「穢れ」の意識の間には明らかにズレがある。体臭がきついことは不衛生とは言い切れないが、「穢れ」た人間だと感じてしまうことはある。きっとタイ人にとって白人は格上(衛生的)ではありながら、ちょっと野蛮な人たちってことになるのじゃないだろうか。

 おかしなことにタイ人の影響を受けて水浴びが習慣化した僕は、体が火照っていたり、汗でべとついていたり、においがするような状況に我慢がならなくなってきた。もはや「朝シャン」は自らの習慣となり、三日も風呂に入らないなんてことは、許すべからざることになってしまった。僕はタイ化したのである。
 ところで、僕は家の近くの河原を毎日ジョギングしている。橋があってその下に暮らすホームレスがいて、ビニールシートでテントのような住居を作っている。ジョギングの度にその前を通るのだが、ラジオの音がしたり、薪割りをしてたり、来客もあったりで、けっこう普通に暮らしているように見える。僕は素通りするだけなのだが、心の奥底にそういう秘密基地みたいな住居に住んでみたいノスタルジックな欲求があり、何十年ものローンを組んで買わなければならない商品化された清潔で快適な住居への違和感もあったりで、ちょっと他人に思えないというか、僕自身が橋の下の粗末な小屋に住むという可能性に思いを巡らすこともある。考えてみれば女房の兄弟なんてバンコクでこれと大して変わりないバラックに住んでるし、僕もそこに寝泊まりをしているじゃないか。
 最近、浮浪者、ホームレスなどの都市下層民を政策的に排除しようとするネオリベラリズム的な動きがあって、当然僕もそのような排除はあってはならない、と思っている。……それにはまず、僕自身が彼らに対面したときに、同じ人間として向き合えることが前提条件だ。
 しかし、である。彼らは臭くないであろうか、という恐怖にもにた感情が自分の中にチラリと顔をのぞかせる。浮浪者狩りをする少年たちはみな、「臭い」存在が許せない、と語ると言う。同じような感受性が自分の中にも、とくにシャワーを毎日欠かせなくなって以来、強まっているような気がする。若い頃と比べるとそう感じるのだ。

 ホスピタリティなんてことを僕はよく書くのだ。しかしこの課題が生半可なものでないことは、想像に難くない。このような自らの感受性に逆らうことを、ホスピタリティは自分自身に要求する。においの問題なんては実に些細な一例である。ホスピタリティも徹底的に追及するならそれこそ「死にまで至る」危険なものになる。多様性を追求する困難はこんなところに、身体化した現象として現れるのだ。そして自分が耐えられるかぎり、習慣化し、制度化/惰性化した感受性にあえて逆らってみることが、とりあえずは多様性を肯定する道だと思っている。

 参考:臭いから始まる下からのファシズム (NWatch ver.4さん)

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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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