泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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操作する権力は逸脱を敵視する

 マルクスはルンペン・プロレタリアート(失業者、乞食、外国人労働者、大道芸人、売春婦など)を毛嫌いしていたという。解放の思想家、聖マルクスの内に巣食っているこの排除の視線とは何なのだろう。的場昭弘氏はこのマルクスのルンペン・プロレタリアートの差別について苦々しく語っている……彼らだってプロレタリアートに含まれなければならないはずなのに……と。

 
『マルクスは全体的な枠から言えば、マルチチュードたる広義のプロレタリアートを支持している。このプロレタリアートにはルンペン、外国人、農民もすべて入っている。しかし狭義の意味でのマルチチュードたるプロレタリアートには彼らは入っていない、まさにそれがマルクスのアポリアだったわけです。』

 『……ではコミュナールたちの中に外国人、農民、ルンペン・プロレタリアートはいたのか。残念ながら、マルクスの文章からそれを見つけることはできません。マルクスはこのような人たちにここでは関心をもっていない。
 もっと内容をつめれば農村コミューンはパリ・コミューンと同時に存在しえたか。プロレタリアートが、農民と共闘できる可能性をもっていたのかどうかという問題です。これこそマルクス主義の革命のアポリアです。おなじことはルンペン・プロレタリアートについても言えます。マルクスはルンペンにまったく仲間意識をもっていなかった。
 もっともプロレタリアートに対してさえ実際仲間意識をもっていたのかというと、そうではなかった。彼はあくまでも理論家であって、彼らと一定の距離をもっていたがゆえに、彼らの力を理解しえたとも言えます。これは難しいところです。」(的場昭弘『マルクスを再読する』)


 マルクスに惚れ込んだ研究者にとってこのアポリア………階級なき社会への変革を夢見るマルクスの、プロレタリアートへの無関心、ルンペンたちへの憎悪………は「痛い」ものであるわけだろう。とはいえマルクスは前々世紀の人だ。現在ほど平等の意識も人の心に深く浸透していなかっただろうし、自身がブルジョワの出身であるこの天才を、そんなちっちゃい差別意識だけで責めるのは酷であるかもしれない。
 僕自身はといえば、マルクスのことを詳しく知らないのでほとんど直観だけで言うのだが、このアポリアがそれほど不思議なものとは思っていない。ようするにマルクスの差別の視線は、彼が社会を動かす(操作する)権力の地点から語っていたということの論理的な帰結にすぎないと思うからだ。

 マルクスの考えた社会の変革とは、ブルジョワジーの支配する資本主義社会を解体し、階級なき社会を設計し直し、それにとって替えることだった。まず労働者たちを動員し政権を奪い取り、新しい社会のプランを実現させるという、一連の社会制度の「操作」によって変革は行われるはずだ。
 この変革の構想を練り、議論し、また現実の社会の動きの中にプロレタリアートの解放の運動を見ようとするとき、マルクスは社会を動かす権力の地点に立って状況を判断したり語ったりしていた。もちろん現実のマルクス自身にそのような権力はなかったわけだが、その視線は権力と一体化していたのである。おそらくそのときルンペンなどの社会の逸脱者たちは無秩序で危険な存在として立ち現れてくる。

 社会を「操作」しようとする権力を持った存在にとって、社会や社会の成員は操作の対象であり、さらに彼らを動員して社会を動かすとなれば、人間は変革のための「手段」となる。
 政権奪取のための闘争は効率的かつ迅速に行われなければならない。闘争が長期にわたればいろいろな意味でダメージが大きくなる。そのため変革へむけて動員される人々には、明確に目的を持った秩序だった行動が要請されるだろう。
 ところが、社会の周辺部に存在する逸脱者たちは、そのような動員に向けて組織され得ない。つまり変革のための「手段」になってくれないのである。

 『………このことはルンペン・プロレタリアートにも当てはまります。マルクスのルンペンプロレタリアートに対する言葉はひどかったですよね。インチキ野郎というような言葉を投げつけた。農民に対してもそうでした。愚か者という言い方をしました。外国人に対しても変わるところがありません。
 マルクスの思考構造を規定したのが四八年革命のときの怒りであった。裏切られたことに対する憎悪がルンペン・プロレタリアートにぶつけられている。この怒りは、このような人々が自分たちの運動の本質を理解していないことから来ています。ですから自分たちの運動の本質を理解してくれないことへの焦りです。………』(同上)

 『………しかし広義と狭義でプロレタリアートの範囲が分かれたのは、歴史の流れにポイントがあったわけです。新しい社会をつくることになぜ裏切り者が出るのか。彼らは仲間であるはずなのになぜ仲間になれないのかという問題です。
 仲間になれないのは、ルンペン、農民、外国人が歴史の運動を理解しないということです。彼らは歴史の外部にいることによって歴史が見えない。だから一度外部から内部に引きずり込まれねばならない。』(同上)


 動員されない逸脱者たちは容易に旧体制と結びつき、利用され、革命の迅速なる進行を妨げる反動的な役割を担いかねない。フランス革命やパリ・コミューンの失敗を眺めながら、明らかにマルクスは革命にむけての「手段」として統合されない存在に苛立っている。変革の役に立たない人間はクズなのだ!………こうして、階級なき平等な社会の設計者は、歯ぎしりしながら「外部」の存在を敵視するのである。
 マルクスの言いたいことはきっとこうではないだろうか? 「お前らクズどもはオレたちの言うことを聞くか、せめておとなしくしてればいいんだ。革命が成功した暁にはお前らだって平等な地球市民として認められるのだから………。」革命の成功という結果は現在の排除も正当化するとすら考えていたのかもしれない。マルクス……いや、このように社会を「操作」する権力(指導者)、または権力の視点に同一化した人にとって、権力に統合されない逸脱者はいつだって必然的に危険で迷惑で邪魔な人間のクズとして社会の周縁に浮かび上がってくるのである。
 
 結局この逸脱者を危険視する権力は、スターリニズムや文化大革命など、マルクス主義史上最悪の全体主義において猛威をふるうことになる。社会主義革命は、共産主義社会への第一歩に過ぎず、ロシアや中国という資本主義の発達していない国で革命が起こったため、まず労働者に求められたのは、社会主義国内における資本の蓄積であった。したがって共産党(権力)は労働者たちにその目的に沿うかたちでの一元的な統合を………勤勉な労働者であることを求め続けたのだ。理想の社会の到来という叶うことのなかった約束を糧にして………。
 そもそも多様な欲望を持って生きる人間を、ある一つの目的に向かって統合し、動員するというのは困難を極める。目論見通りすみやかに革命が実現すれば問題はないのかもしれないが、複雑な社会が権力の思惑通りに動くと考えるのはあまりにも楽天的すぎるわけで、単一の権力に貫かれた統合はすぐに綻びを見せはじめるだろう。それを一つの目標に向かって長期間にわたって統合し続けようとすれば、警察的、暴力的な手段を用いて人間を管理/監視せざるを得なくなるということは当然のことだろう。
 このような全体主義的な社会主義国家の誕生に対して、マルクスは直接責任があるわけではないだろうが、スターリンや毛沢東やポル・ポトたちが実際に手にしていた権力の地点においてマルクスも語っていたわけで、マルクスにおけるルンペン・プロレタリアートの差別が意味するところと、20世紀の全体主義における大虐殺は、本質的に地続きのことだと言ってよいのではないだろうか。

 しかし、マルクスの時代からは長い時間が過ぎた。僕たちは社会を設計し直すという前代未聞の近代のプロジェクトを試み、そのプロジェクトのもたらした光と影を………特にその否定的な面をいやというほど味わえる立場にある。人間の多様性なんてことが問題になってきたのは、僕らが日々、まさに単一の権力に支配されていると感じているからだ。だからこそ、そこで行われた、また今行われている政治のあり方を再検討する必要があるのだ。
 つまりどんなに崇高な理想………階級や差別や格差のない、多様な人間のあり方を肯定する社会………を構想しようとも、それを権力の超越的な立場から「操作」する政治でもって実現させようとするなら、すべての社会の成員は一度ひとつの権力の下に「手段」として統合されなければならなくなり、多様性はその瞬間に消失しなければならないというジレンマが生じること、そして宿命的に統合されない存在の排除が生じるということ、さらにそのような排除を抱える単一の権力が作り上げる社会には、(社会主義国家がそうであったように)たぶん多様性が息づくことはないだろうということ………したがって新しい社会の実現を考えるなら、まったく別のかたちの政治が必要なのではないか、ということをしっかり自覚しておく必要があるのだ。

 なるほど確かにシステムを変革する以上、社会は「操作」されるであろう。しかしその操作の手続きは単一の権力に統合されないかたちで進めるべきではないか。そのためにはまず「操作」を一度カッコに入れておくべきだろう。そうしないと、多様性なんてものは見えてくるはずもないからだ。
 まず、今この瞬間に多様性は肯定されるべきだ。それは将来の約束ではなく、今、僕らを支配する単一なる価値=権力と闘い、それぞれが特異/固有な方向を目指して孤独に歩みを進めることを通して勝ち取るべき歓びとしてである。「手段」となって単一の権力に奉仕するのはもうご免だ。………このように現実的に多様性が生い茂っている土壌以外のどこから人間の多様/多元性を生かしながら共生できる社会のかたちを構想できるというのだろうか? 僕らの仕事は資本主義の権力の支配の中に、闘うことで多様な生の息づく領土を確保し広げてゆくこと、その領土の中に未来の人間関係(社会)のかたちを(十全なかたちでないにしろ)実現してゆくことだ。

 もっとも資本は一見多様性を認めるようなかたちで巧妙に人間を管理するフレキシブルな統合の戦略を打ち出してきているのも事実である。多様な生のかたちが体よく権力に回収されてしまう事態が生じているというわけだ。液体金属でできたターミネーターが強かったように、フレキシブルな敵は攻撃のポイントが定めにくい。が、いずれにしろ資本の認める多様性は表層的なものに過ぎない。資本主義の権力は自らを再生産するために社会を操作し続けている。今まで述べてきたように、そのような単一の「操作」する権力は一つの根源的な排除をもっている。社会主義であろうと、ファシズムであろうと、福祉国家であろうと、またネオリベであろうと事情は同じだ。資本が敵視し、憎み、どうしても認めたがらず、隠蔽し、見せしめに利用したりもする「外部」へと開かれた「システムの綻び」を自らの周縁に分泌し続けている。僕らはそこをしっかりと捕捉し、闘争のフィールドの基点に据えるであろう。
 このあたりについては、『魂の労働』(渋谷望 著)をよく読んでから整理し直してみたい。

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ある本

 Web上でよく見かける名前でもあり、それだけに本屋で見かけて身近に感じたこの本………だが、レビューを見ても、親しいこちらや、特にこちらでもあまり芳しくない評判が立っている。一体何が杉田氏をそれほどまでに苛立たせるのか、逆に興味がそそられてしまった。………今後のエントリーに注目したい。

Trackback 『「資本」論―取引する身体/取引される身体』 Rock strikes..

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TAROの訣別

 岡本太郎はパリに遊学中のある日、シュルレアリストのマックス・エルンストにある集会に誘われた。第二次世界大戦前夜、1936年のことである。
 ファシズム、スターリニズムなどの全体主義がヨーロッパに広がったこの頃、全体主義の非人間性に対抗するために『コントル・アタック(反撃)』という組織が企てられ、シュルレアリストとジョルジュ・バタイユのグループが長年の対立を解いて手を結ぼうとしていた。太郎が誘われたのはこの『コントル・アタック』という集会だった。そこで彼は初めてジョルジュ・バタイユを知り、この集会がその後の交流のきっかけになった。
 太郎はバタイユやロジェ・カイヨワたちが中心になって進めていた『神聖社会学研究会』のオブザーバーとして名を連ね、ニーチェ読解や悲劇の研究を彼らとともに行った。(日本人である太郎に彼らは、日本の悲劇についての報告を求め、「能」の悲劇について太郎は研究会で発表している。)
 また『社会学研究会』は裏の顔として秘密結社『無頭人(アセファル)』を持ち、夜の森の中で宗教的な(動物の殺害=生け贄の)儀式を執り行っていたという。
 しかし研究会の活動にのめり込んでいた岡本太郎は、やがてメンバーたちの考えと大きなズレを抱くようになる。太郎は自伝でこう語っている。

 『……だがやがて私は何ともいえぬ矛盾を感じはじめた。純粋で精神的なこれらの運動にしても、結局のところそれは「権力の意志」だ。しかし、ひたすら権力意志をつらぬこうとする彼らのあり方に、私はどうしても調整できないズレを感じるのだ。もっと人間的な存在のスジがあるのではないか。
 自分の意志を他に押しつけ、実現させようと挑む。と同時に、同じ強烈さで、認めさせたくないという意志が、私には働くのだ。これは幼い頃からいつでも心の奥に感じていたことだったが、いまはっきりと自覚された。理解され、承認されるということは他の中に解消してしまうことであり、つまり私、本来の存在がなくなってしまうことだからだ。
 認めさせたい、と同時に認めさせたくない、させないという意志。それが本当の人間存在の弁証法ではないのか。
 私はその疑問を率直に手紙に書いて、バタイユにぶつけ、運動への訣別を告げたのだ。この手紙はバタイユを逆に感動させ、その後も互いの友情は続いた。』(『自伝抄』)


 僕は10代の頃この文章を読んで、岡本太郎がすごい人だというのはよくわかったが、このとき太郎が何にズレを感じてバタイユらの運動に訣別を告げなければならなかったのかは、いまのいままでピンとこなかった。
 バタイユ研究の酒井健氏は、そのあたりの事情をこう解釈している。

 『ニーチェの「権力への意志」説はナチスがそのヨーロッパ制覇の政治理念に利用していただけに、バタイユはことのほかこれを憎悪していた。だが彼の批判意識はいまだ甘かったと言える。<無頭人>の頭領などあってはならぬ矛盾なのだ。彼は頭領として自分の宗教観を、様々な禁止事項、制度、プログラムを通して、同志たちに課していた。バタイユが宗教の原基として見ていた聖なるものは、根本的に、このような個体の支配欲とは背馳する非個体的な何ものかのことである。バタイユはそのことを知っていたはずだ。「通約不可能なもの」「まったく他なるもの」と言って、聖なるものの非個体性を強調していたのだから。岡本の批判、そして岡本をはじめ次々と続いた同志たちの離反は、バタイユに聖なるものの原点へ、あの深夜の夜の森の神秘性そのものへ、帰るように促したと言える。』(『夜の遺言』)


 ようするに岡本太郎がここで拒否しているのは、上ー下の権力関係ということになるだろう。<無頭人>は、頓挫した「コントル・アタック」の課題を引き継ぐかたちで、全体主義への人間の統合/隷属に対抗する、人間の「聖性(祝祭性)」を追求する実践であったはずだが、それがファシズムやスターリニズムなどと同様の位階的権力による支配/服従、上からの管理、操作を受ける、または自らが上に立って自分の意志を下に押しつける、という上ー下の関係によって追求されるのはおかしいのではないか………太郎が感じたのはこの矛盾であるように思える。
 つまり、「認めさせたい、と同時に認めさせたくない、させないという意志」とは、権力関係……他者を支配したり、支配されたりする関係の拒否だろう。したがってその意志は権力という意味では徹底的に無力であるとともに、上ー下のではなく、横の関係……すなわち「交流」を要請するはずだ。
 実際、太郎が日本に帰国後、花田清輝や安部公房らと組織した芸術運動「夜の会」において追求されたのは、そのような横の「交流」関係であった。

『われわれアバンギャルド芸術家は、相互の無慈悲な対立と闘争によってクリエートする。集団の力に頼る甘い考えは毛頭ない。相互の絶対非妥協性こそわれわれの推進力となるものである。』(『夜の会』)


 「夜の会」結成のいいだしっぺは、岡本太郎と花田清輝であったし、彼らがツートップとなって運動をもり立てていたようだが、「夜の会」は岡本の会でも花田の会でもなかった。シュルレアリスムにおけるアンドレ・ブルトンのような、また<無頭人>におけるバタイユのような頭領はなく、位階組織ではまったくなかった。
 「交流」とは、このような横の関係において徹底的に対立し、それぞれが自己主張しながら共存するということでなければならない。……弁証法の教えが、対立こそが事態を前進させるというものであるのなら。おそらく太郎がバタイユに訣別を告げたとき決意したのは、権力としては限りなく無力に、そして「交流」は限りなく激しくあるべきだ、ということだったのではないか。そしてこれが岡本太郎の「爆発」の正体だったのではないだろうか。
 そして対立は、お互いの存在を認めないということを意味しない。太郎とバタイユの友情はその後も続いた、と本人も語っている通りである。多様性を認めるということは、このような横の「交流」関係を築くことなのである。そもそも上ー下の関係をとることは、単一の価値(権力)によって貫かれることに他ならないからだ。
 余談だが、<無頭人>は、第二次世界大戦の勃発とともにバラバラに寸断された。ドイツ軍がパリに入る数日前には、元のメンバーはバタイユと太郎の二人しか残っていなかった。太郎は日本への帰国を決意し、別れを告げにパリの国立図書館へバタイユを訪ねた。

 
『………最後の一人である私が帰国することをつげると、かれはグッと両手を握りしめ、前につき出し、天井の一角をにらみつけた。
 「こんなことで、決して挫折させられはしない。いまに見給え。再びわれわれの意志は結集され、情熱のボイラーは爆発するだろう。」
 孤独な彼の両眼は血の色をしていた。』(『わが友……ジョルジュ・バタイユ』)


 ………両手を握りしめ、前につき出し、天井をにらみつける図書館の司書の姿はちょっとコミカルですらあるが、バタイユはこういう熱い人だったようだ。

 ところで、杉村昌昭という人が、ガタリの社会論にひっかけて「分裂共生」という言葉を出しているのを本で読んだ。おそらく個々が自己の欲望を解放し多方向に特異性を追求しつつ、共存しようということだと思うが、たぶん岡本太郎が考えていたことも、それとは遠くないと思う。僕たちが多様な人間のあり方を肯定するなら、きっとこのような横の「交流」関係においてなされるはずだし、たぶんそのような「交流」の中からしか新しい社会のかたちや制度も構想し得ないのではないかと、僕はいまぼんやりと考えている。

 トラックバック 『認めさせたい、と同時に認めさせたくない、させないという意志』  〜大ブロ式〜

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ガタリを改めて読んでみる

 図書館でガタリの『分子革命』を借りてきた。実は10年ぐらい前にも借りたことがあって、もう一冊、『自由の新たな空間』という本といっしょに読んだことがあった。恥ずかしながら、そのときはほとんどチンプンカンプンだった。思うところあって再び読み直してみたわけだが、今回は結構いける。10年の間に何があったのか………独特の用語を整理して、精神分析や精神医学について一通りの知識を頭に入れておけば、『アンチオイディプス』も何とか読みこなせるのではないだろうか?………明らかにガタリの言ってることは、シチュアシオニストに通じるものがある。あたりまえかもしれないが。

 それにしても「革命」なんて言葉を使ったタイトルの本を読んでるけど、僕自身は未来なんて信じてないよなあ。あくまでも問題は現在なんだ。ガタリも革命について語りながら、問題にしてるのは現在のはずだ。もっとも68年を経験した人たちにとって、革命はけっして「夢」ではなかったのだろうが………。現在は未来のための手段ではありうる。しかしまず、現在を「夢」と同質の感動を持つ目的にすべきだろう。

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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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