泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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参考 ヨゼフ・ボイスの作品










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亡霊退治3 ヨゼフ・ボイスへのレクイエム

 ヨゼフ・ボイスの名前を西武美術館との関連で思い出す人は多いんじゃないかと思う。僕の場合、高校卒業後に通っていた美術予備校が目白にあったので、池袋にある西武美術館とそこに併設されていたアール・ヴィヴァンという美術書籍店には足繁く通って、二十代初めの頃まで芸術家を目指す僕にとってあそこは聖地の趣きすらあった。ボイスが話題になったのはたしか80年代中頃だったと思うが、あの頃が一番、西武デパートがその文化戦略で華々しい時期だったのではないだろうか……。どうも最近西武美術館の話を聞かないなあと思っていたら、もうずいぶん前に閉鎖されてしまっていたようだ。結局あの華やかさはバブル経済と連動する形で消滅してしまったということか………。
 恥ずかしながら、その西武美術館で行われたヨゼフ・ボイス展を見に行ったのかどうか、もうはっきりと憶えていない。彼のオブジェ作品を見たように記憶しているのだが……。しかしアール・ヴィヴァン(だったよな?)でボイスのパフォーマンスのビデオを放映していたのを見たのは憶えている。ナム・ジュン・パイクがピアノを弾いて、ボイスが例の帽子と釣りのジャケットを着て、マイクに向かいコヨーテの遠吠えをウオー、ウオーとやっていた(と記憶している)。



ヨゼフ・ボイスとその作品

 おそらく『美術手帳』かなんかでボイスの主張を読んだのだと思うが、芸術を社会運動や生活そのものの中に拡張してゆこうという彼の方向性は、当時の僕の考えと一致していた。ボイスが来日した際、彼は確か東京芸大に講演に行っていて、(正確な言い方は憶えてないが)学生たちに「芸術大学なんかに芸術があると思わないでね。」という意味の発言をしていたという記憶がある。芸大の受験に失敗していたこともあって僕はひとり大きく頷いたものだ(笑)。
 こうした考え方の一致にも関わらず、率直に言ってボイスの作品やパフォーマンスがどうしても僕には面白いものに思えなかった。どこにでもありそうな前衛的なインスタレーションに過ぎないじゃないか……。ただ、彼の作品にも人間にもどこか浮世離れした神秘的な雰囲気があって、通好みの……その道にそれなりに詳しい人たちに受けそうな………その雰囲気に引っかかってボイスを認めたい気になるが、なぜだか彼の作品は弱いと思った。

 『アシッド・キャピタリズム』という小倉利丸氏の本の中に「社会に介入するアート」という一章が設けられており、そこでヨゼフ・ボイスとシチュアシオニストの活動が紹介されている。本来ボイスを批判するためには自分で資料を漁って詳しく分析すべきなのだが(これも実現できるかどうかわからない未来の課題にしておく。)、そうする時間もないので小倉氏のこの基本的には同意できるボイスの分析を大いに利用させてもらおうと思う。
 僕が若い頃共感した「拡張された芸術の概念」について小倉氏はこうまとめている。

 
………人間の活動を「生と労働のあらゆる場で、社会のあらゆる力の場で造形しうる活動にしてゆく」というふうに人間の活動の意味を再定義する。労働とか生きることそのもの、生活すること、そうした日常的な営みと密接に関わるところで再度芸術という概念を構築しようとする。あるいはそうして日常的な行為そのものを芸術と呼ぼうとする。若江が指摘しているように、近代が生み出した芸術という概念そのものを実体的に意味のないものにする、つまり、自分たちが生きたり働いたりすること自体がアートであるということ、そこにボイスは重要な、従来とは異なった芸術のあり方を根拠づけようとした。それは、いい換えれば、定義づけ可能なようでいてそうではない、限定不可能な活動それ自体を芸術としていくということを主張しているともいえる。


 これは岡本太郎の「芸術とは生きることだ!」という言葉に触発された当時の僕にはビリビリと響いてくる考え方だった。いまでもこのボイスの主張は「その通りだ!」と思う。……しかしながら彼の作品がその主張に沿うものだとはどうしても思えないのだ。(>参考:ボイスの作品の写真


『経済の価値」(1980) ヨゼフ・ボイス

 例えば、小倉氏は「経済の価値」(1980年)というタイトルのボイスの作品を以下のように詳細に解釈してみせる。

 ……「ハニー・ポンプ」の後に制作された「経済の価値」は大量消費社会の西側の空間に東ドイツの商品を持ち込み、同時に「名画」といわれている作品を壁面に展示することによって、」経済的価値の東西での格差や差異、日常生活での価値と芸術的価値の多元的な確執を表現した。同じ時代に、空間を隔てて共存する様々な価値の中で、見るものは自分の位置についての価値判断をせまられる。「名画」とそのための空間としてのギャラリーに味方すれば、目の前に並べられた日常生活品は違和感の塊であり、西側の人間として、みすぼらしい東側のパッケージと製品は、もしかしたら優越感を喚起されるものであるかもしれない。逆に豊かさの格差による後ろめたさに襲われるかもしれない。そして、こうした日常生活品の中で「名画」はひどく居心地がわるい存在である。しかも、この作品には発電機とバターが棚の上におかれていることによって、「エネルギーのシンボル」が表現され、「棚の上の製品自体が、文化的な現実の一部になっている」。しかも、棚という収集したり陳列したりする機能を持つものが用いられることによって、「棚が日常世界と美術館的現実との間に橋を架けている」ともいえる。こうして、ボイスのこの作品でも美術館の空間の内部に日常生活や政治的な確執の表現を持ち込むことによって、芸術の拡張を試みたといえる。現代社会のなかで、アートが「人間の始源的な基本欲求の上に、ただ単に付け加えられたものにすぎない」という批判を、彼は美術館という空間の内部へ日常性を引き入れることによって表現した。
 そしてまた、彼の作品に常に現れる蜂蜜やバター、ラードなどの変質したり保存の困難な物質が用いられているところにも彼の物質観と歴史観、そして芸術観の批判がある。芸術が美術館の中で保管される際の基本的な姿勢は、現状の維持である。それは、美的なものの普遍性という観念に支えられており、普遍的である以上変化や変質は否定されねばならないものと見なされる。しかし私たちの社会は、歴史を抜きにしては成り立たない。歴史は繰り返さないし、決して昨日と同じ今日、今日と同じ明日はあり得ない。芸術作品がその例外として同一性を保つということは、こうした歴史の否定か歴史を超越するものという観念のためである。ボイスはこうした芸術の普遍的な存在を否定しようとした。しかも、彼にとって自分の表現の素材は、常に自分自身の歴史………とりわけその戦争体験………からとられており、彼自身の生と分かち難い。


 この解釈が小倉氏や批評家たちによるものなのか、あるいはボイス自身そのように理解されることを願っていたのか、僕は知らない。だが、芸術の普遍性への異議なんてすでにダダイズムでおなじみのテーマで何をいまさら……と思わざるを得ない。実際ボイスの基本的な問題意識は、ダダ・シュルレアリスムとフレームを同じにするものであり、決して新しいものではない。むしろこのようなこまごまとした謎解き的な作品の意味や象徴の解釈に僕は苛立ちすらおぼえる。だってボイスはこう語っていたのだ。

『創造』はアーティストの独占販売品ではない。わたしが切実に訴えかけてきたのはまさにこのことであり、またそれこそがわたしのアートの中核をなしている。

すべてのひとがアーティストだ。だれもかれもがそれぞれの分野で、絵画や音楽やエンジニアリングや看護や経済や、なんでもいいじゃないか・・それぞれの人生を表現することができる。生きているということの叫び声は表現されなくてはならない。

ところがわたしたちの社会においては、あたかもそれが『アート』として表現されなければならないかのようにとりちがえている。美術館をはじめとする文化的機関の大きなまちがいが、まさにそこにある。文化や教育、そしてメディアまでもが、『アート』という巨大な『象牙の塔』を築きあげている。そしてそれはあらゆるもののアーティスティックな質を低下させ、美術館などを日常生活から浮きあがった感動のないものにしている。


 だったらボイスのやるべきことは、小倉氏が述べているような(日常生活や政治的な確執だとかいう)表現上の仕掛けをわざわざギャラリーや美術館という表現の牢獄(資本のイデオロギー装置)の中へ持ち込むことではないはずだ。そうではなくそのような美術館の閉ざされた牢獄=イデオロギー装置や「芸術」の枠組みを拒否し、日常生活の中にこそ「創造」の感動をわき上がらせるべきだろう。ボイスの言葉や方向性はすでに「芸術」を志向していないことは明らかだ。彼の言葉を読む限りどう考えても、ボイスは「戦士」たらんとしていた……としか僕には思えない。
 であるにもかかわらず、ボイスはその軸足をギャラリーや美術館に……つまり「芸術」の枠の中に置き続けた。そこにボイスの煮え切らなさを僕は感じる。パフォーマンス・アートの手続きを踏んで、コヨーテの遠吠えなんかやったって、いまさら退屈以外の何物でもない。ボイス自身の主張に比べて、その作品が「弱い」と感じたのも、この煮え切らなさ……実践の戦略の誤りにあるのだと思う。
 だから、以下で小倉氏が分析しているような不幸な事態に陥ってしまったのは当然の結果である。

 ボイスはある意味で非常に不幸なアーティストであった。なぜならば、彼は常にアーティストとみられてきたからだ。彼がどのような行為をしても、それはアートの文脈でしか解釈されず、ギャラリーやアートイベントでは十分な活動の余地を与えられはしても、それは芸術作品なのであり、それ以外のものではないとみなされてきた。たとえば、先の「経済の価値」のインスタレーションも、それが多元的で矛盾を含んだ諸価値の中にみるものを投げ込むことによって、鑑賞者を取り巻く社会環境の矛盾への問題提議を意図したものだった。しかし、こうしたインスタレーション自体がボイスの作品として、これらの諸価値に対するメタ・レベルの価値を付与されてしまうと、インスタレーション自体がはらむ矛盾のダイナミクスは、ボイスの芸術という単一の価値に解消されてしまう。こうしてインスタレーションそのものがボイスの作品として、芸術的価値をまとってしまっているために、ボイスの趣旨は実感しづらくなっている。彼は、そうした作品の扱いにいらだちをおぼえていたことは確かなようだ。たとえば、彼は次のようにいう。
「私はじっさい、芸術とは関わりがない………で、これこそがほんとうに、芸術に何らかの貢献をする唯一の方法なんだ。私はいつも、この芸術から逃れようとしてきた。そんなものにはなりたくないんでね。私が求めるのは、それ自体の内的法則に基づいて生きられるもの。それが出発点。だから芸術に限られるわけではない。私がいう芸術は、ブルジョワ芸術の概念以上のもの………一つの科学的なプロセスなんだ。」


 やはり、ボイスはよくわかっていたのだ。モダンアートの抵抗の歴史に新しい1ページを付け加えんとするなら、芸術と関わるべきでないということを。……なのにできなかった。芸術から逃げたがっているにもかかわらず、いったいなぜ足を芸術の枠の中に置き続けたのか? シチュアシオニストがしたように「芸術」というカテゴリーそのものを拒否、脱構築してゆくのが当然の方向ではなかったのか……。
 シチュアシオニストは作品を作らず、美術館の空間など見向きもしなかった。彼らのアリーナは日常生活であり、都市の空間であった。僕はボイスの弱々しい作品よりもむしろシチュアシオニストの潔い主張のほうに(作品としては無であるにも関わらず)緊張感あふれる「表現」を見いだす。未だほとんど誰にも理解されていないだろうが、モダンアートの抵抗の歴史に新しいページを付け加えるのは、この「無」……零度の表現なのだ。
 彼らの主張する通り、問題は「ブルジョワ芸術」のカテゴリーにつきものの、アーティストと非介入的な鑑賞者という二項への分離だったのではないのか? 美術館など実際にはこの分離を強化し、ボイス自身も語っていたように「象牙の塔」を築き上げる役割を果たしているにすぎない。なのに何でわざわざ美術館などに置く作品表現にこだわるのだろう? これではボイスがアートの文脈でしか解釈されなくて当然だというのに………。
 つまり彼は自分のなすべきことをつかむために、自らをギリギリまで追いつめることができなかった、ということではないのか? そのカリスマ性にもかかわらず、すべてを捨て、素っ裸になって最前線に立つことができず、芸術のカテゴリーに安住してしまったということなのかもしれない。
 なるほど確かに彼はたんなるアーティストではなかった。その活動は多岐にわたる。アーティストであるとともに、政治家であり、思想家であり、社会運動家であり、大学教授でもあった………もちろん僕はそれらの活動の意義を否定するつもりはない。おそらく、自身の活動をアートのカテゴリーに限定されたくないという気持ちが、彼の多様な活動を動機づけていたという面もあったのだろう。だが、いくつ自分に新しい肩書き(カテゴリー)を付け加えたところで、彼の求める「それ自体の内的法則に基づいて生きられるもの」には到達しないだろう。つまり、あれもこれも……やれば芸術から逃れられるというわけではないのだ。むしろあれでもなくこれでもない……というかたちであるべきではなかったのか? 彼に必要な肩書きは、まったく新しいたった一つのもの……(ボイスの言っている「一つの科学的なプロセス」という言葉の意味がよくわからないので、あえて僕の言葉を使わせてもらうが……)すなわち前線に立つ『戦士』であるということだけで十分だったのに……と僕は思うのだ。

 こうみてくると、ボイスもまた芸術の亡霊なのである。しかも厄介なことに生あるものと非常に酷似した亡霊なのだ。生あるものであろうと願い続けたにもかかわらず、芸術の枠を捨て去ることができなかった………その満たされぬ思いのせいで成仏できない魂がいまだに現在の文化を混乱に陥れているのだ。なまじ生あるものに限りなく似ているだけに、この亡霊は危険な働きをしかねない………。しかしよく目を凝らして見れば、ボイスが冷たく青ざめた、血の通っていない亡霊だということがわかるだろう。

 ヨゼフ・ボイスよ、ホラー映画の悪霊のように新しい世代を死へと引きずり込むのはやめるのだ。お前の魂の供養はこのエントリーで僕が済ませておいた。安らかに眠りたまえ。さあ、この世とはきっぱり別れを告げて死者たちの国へと旅立つのだ!

Category: 日記・その他   Tags: エロ  家族  

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魅惑の曲線

 鬱陶しく長い梅雨も終わったようなので、さっそくガキを連れてプールに行ってきた。まあまあ大変な混雑で、ゴザを敷いたりテントを張ったりして消毒薬を入れたちっぽけな水たまりの周りに大勢の人たちが群がっていた。かつてタイのビーチリゾートで、ボロいバンガローに泊まって何日も読書や惰眠をむさぼっていた僕が、市民プールなどというところで、高い金を払って夏の一日を過ごすことになろうとは思いもしなかった。ひょっとして僕はどこかで人生の選択を間違えてしまったのだろうか……(笑)。
 それでも思いもよらぬ美しいものにプールサイドで出会うことになった。……若い女たちのビキニ姿である。(自分で言うのもなんだが……ずいぶんオヤジ臭い書き方だ。)どうしたというのだろう? そんなもの何度も見てきたし、それに取り立てて反応することもなかったはずだ。タイでは白人女性がトップレスでビーチを闊歩していた。だけどそれを眺めても欲情することなどなかった。なのにこの市民プールで見た女の体のなまめかしさは一体何なんだろう?
 白い肌と、細い腰からお尻にかけての絶妙な曲線はほとんど奇蹟だ。この奇蹟的な形態を、よき芸術作品のそれのように何度も何度も目で辿りたい……ああ、できることならこの奇蹟を心ゆくまで愛撫し、味わい、堪能したいと思う。
 こんなに女の体が眩しく映るってのはどういうことだろう? つまり僕のオヤジ化現象が進行したってことだろうか? ……と思って少し考えてみた。

 ようするに僕の女房がこの奇蹟的な曲線を持ち合わせていないってことが問題らしい。なんで僕はプールで出会ったこのような美しい腰を抱けないんだろう? というヒリヒリと焼けつくような感情が自分の中にあることに気がついた。美しい腰の曲線を味わおうと思えばできたはずなのに、いま現実に僕がいつも抱いているのは……肉の浮き輪をつけた女房の腰なのだ。こんなはずではなかった……(涙)。
 ………何のことはない、つまりこれはあの「羨望」という感情なのではないのか? タイのビーチで惰眠をむさぼっていたとき、僕はまだ若かったし、もちろん結婚などしていなかった。美しい腰を味わう可能性は目の前に開かれていたのだ。どうしようもない劣情に襲われたなら呆れるほどたくさんいる美しい売春婦たちの世話になればいいだけのことだった。
 ところがいま僕にはそのような選択の自由がない。どんなデーモンのささやきに惑わされたのか……僕は結婚し、だんだん膨らんでゆく浮き輪を愛撫できるだけになってしまった。いやいや、結婚は妻以外の女との関係を拒絶するものではないだろうとか、女を所有することを意味しないとか、はては婚姻制度自体が廃棄されるべきなのだとかいう原則的な議論が問題なのではない。気性が荒く、異常に嫉妬深いタイ人の妻の前で他の女と関係を持つことは命がけの行動であり、チキンハートの僕にとって他の女の絶妙な腰の曲線を味わうという可能性は、(離婚でもしない限り)現実的にはカフカの『掟の門』のように閉ざされてしまっているのだ。(夫の浮気を知ったタイ人の妻が、逆上して夫のナニをちょん切ってしまった………みたいな話をよく聞く。ところがタイの男たちは浮気をやめないのだという。すごい人たちだ……。)
 どうもそんな理由で女のビキニ姿が眩しく僕の目に焼き付くようになってしまったのではないだろうか? 想像以上に現在の日常が僕には息苦しいものになってしまっているのかもしれない。

 プールサイドで出会った美しいもの………それは僕の満たされぬ欲望の産物だった。もっとも欲望が過不足なく満たされている人などいない。だから男を魅惑する美しい腰の曲線を持った女をエスコートする男だって満たされているわけではなく、どこか居心地の悪いものを感じているはずだ。案外魅惑の曲線を味わうことなんてそれほど楽しいことではないのかもしれない………と理屈では思う。しかし僕の頭の中では白い肌と魅惑の曲線を我を忘れて味わう男たちの姿が、ビキニの女たちとセットでついてまわっている。セックスの経験のないニキビ面の童貞少年の空想の中のように妄想が爆発している。もう42歳だっていうのに……。

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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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