泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

Category: スポンサー広告   Tags: ---

Response: --  

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Category: 旅行・タイなど   Tags: タイ  家族  

Response: Comment: 11  Trackback: 0  

死のラチャダーピセーク

 私は今ラートプラオという処に住んでいるのだが、ここから会社までけっこうな距離がある。もちろん鉄道やバスを乗り継げば30〜40分で着くので、通勤自体は決してつらいものではない。1〜2時間も満員電車に揺られる東京で働くサラリーマンに比べれば楽なものだ。が、朝晩の私の通勤の足はバイクである。しかも義理の兄が毎日会社まで送迎してくれている。なんとも至れり尽くせりだと思うかもしれないが、これ、実は女房のさしがねである。ここには通勤途中での寄り道は許されないぞという、女房による強力なメッセージがこめられているのである。
 会社から住んでいるアパートまで、ナナ、アソーク、ラチャダー、スティサーンという有名な歓楽街が続くのだが、私は毎日、義理の兄の運転するバイクのケツに乗って、それらの前を素通りするだけである。まあ、もっとも私自身は堅物なので(あそこも)、そういったピンク色の怪しい空間にはさして興味もないわけで、女房の異常な気遣いにはご苦労様って感じなのだが、問題は義理の兄のほうである。
 この兄、優しく人当りのよいとてもいい兄なのだが、多くのタイ人がそうであるように「飛ばす」のである(液を、じゃないぜ)。ラチャダーピセーク通りという八車線の大通りを、渋滞時には排気ガスが漂う車の間を巧みにすり抜け、渋滞が途切れたとなればロケットスタートで猛ダッシュ、軽々と時速100キロを超えてかっとんでゆくのである。とこどきアスファルトの道路に微妙なギャップがあったりしてドキリとする。この速度でコケたら一巻の終わりだ。。。排ガス混じりの熱風を顔面に受けながら、路上に転がった血まみれの肉片となった自分の姿を想像しない日はない。爆弾テロなんかよりよっぽど危険なのは間違いない。
 いつまでもこんなこと続けてるわけにはゆかないぞ、、、と思っている。

スポンサーサイト

Category: 旅行・タイなど   Tags: タイ  ラオス    

Response: Comment: 0  Trackback: 0  

ボーダーレス

 ヴィエンチャンからバンコクへの帰り道。ノーンカーイからバンコク行きの長距離バスに乗ったのだが、そのときの乗客の民族構成がちょっとした見ものだった。まず当然ながらタイ人、そしてタイに働きに行くラオス人、白人や日本人のツーリスト、それに加えて労働目的のフィリピン女性のグループ、国籍はわからないがやはり労働目的と思われる黒人、、、バスの添乗員のタイ人もへたくそな英語で一生懸命対応していた。一体いつからノーンカーイはこんなインターナショナルな町になったんだ?
 15年ぐらい前のことだが、私はノーンカーイを訪れたことがあった。メコン川のほとりから対岸のラオスを拝めるということぐらいしか売りのない小さな田舎町だった。当時インドシナ諸国はツーリストに対してその門戸をがっちりと閉ざしていた。気軽に旅行できる土地になったのは本当につい最近のことだ。ラオスも時の移り変わりとともに旅行者を受け入れ始め、今では日本人ならビザなしで訪れることもできるようになった。
 旅行者以外でも、何らかの理由でタイに長期滞在する人はビザの申請や更新のため近隣の第三国へ出国する必要がある。長いことマレーシアのペナンがもっとも手軽なビザ取得の地として有名だった。しかしインドシナ諸国が国境を開き始めるとともに、バンコクからの距離の関係で陸路でもっとも気軽に行ける第三国の首都としてヴィエンチャンがクローズアップされてきたということだろう。こういう理由でヴィエンチャンノ対岸の町ノーンカーイのバスターミナルに多国籍の人々が集まるということになったわけだ。

 一応私には外国人の女房がいるので、普段からある意味ボーダーレス的な環境にいるわけなのだろうが、このバスのごちゃ混ぜ感が、ちょっと愉快に思えた。<帝国>にも書いてあった、合法、不法を問わない国境を越えた労働力(マルチチュード)の移動という現実を強烈に実感する。いいも悪いもない、これはもう引き止めることのできない時代の趨勢なのだ。、、、そして、私自身も、、、大きな声では言えないが、晴れて国境を越えた不法労働者となったわけだ。めでたしめでたし。

Category: 思想など   Tags: 思想  

Response: Comment: 2  Trackback: 0  

カウンターが回るのは、、、

 ブログの更新をしてないのに、アクセスカウンターが大きな伸びを示すことがあります。おそらく誰かが私の記事にリンクを貼ってくれたということだと思うのですが、ここ最近もそんなことがあったので、どこから人が来てるのかブログ検索で「祭りの戦士」というキーワードで調べてみました。

 さようなら数学屋さん(瀬戸智子の枕草子)

 懐かしい名前が飛び出してきました。、、、そうですよねえ。論理学のような知は、自分や自分たちを仮借なく追い詰めるための道具として使うべきだと思います。いつだったか数学屋さんが他の人に論の誤りを指摘されて、苦々しさを味わいながらも自分の誤りを認めていたことがありましたが、そんなふうに自分のプライドを犠牲にしてまで論理というものに殉じている数学屋さんの姿が、一番迫力があったように思います。私は論理学については何も知らないのですが、この瀬戸さんの書いたものを読んでも、基本的に数学屋さんは、自らを守るために論理学とう知(道具)を駆使しているのだろうという印象は拭えません。いつも数学屋さんがその太鼓持ちをやっている内田樹氏とやってることはよく似ているんですよね。

 フェアトレード(茶飲み爺の日記)

 もうまったく私のあずかり知らない話題に関連して、過去のエントリーが引用されていました。へー、他の人の言いたいことを代弁するようなことを言葉にしていたってことは、俺の書いたものもまんざら捨てたもんじゃないじゃん。ちょっと自慢。

Category: 旅行・タイなど   Tags: ラオス  家族    

Response: Comment: 6  Trackback: 0  

ラオス

 タイのビザを申請するためラオスのヴィエンチャンに行ってきた。本当は昔のように一人旅がしたかったのだが、女房が私を解き放ってくれるはずもなく、二泊三日の家族旅行になってしまった。おまけに義理の弟がラオスに知り合いがいるとかで一緒に行くことになった。
 仕事を終えて夜9時にバンコク北ターミナルから夜行バスで国境の町ノーンカーイへ出発。翌早朝到着してメコン川にかかるフレンドシップブリッジを渡りラオスに入国した。入国審査を済ませるといきなり義理の弟の知り合いの家族に出迎えられ、乗り合いトラックに載せられて、実にスムーズにヴィエンチャンへ向かうことになった。トラックから見える風景は近代化が進んでいるタイに比べると野性的な感じがするし、タイ文字とは微妙にデザインが違うラオス文字が少々エキゾチックではあるものの、はっきり言ってタイの田舎とさして変わらない。社会主義国、アジアでも屈指の貧国、、、という言葉から連想される暗いイメージは(予想どおり)なかった。もちろんここでしばらく生活してみればタイとの違いも見えてくるのだろうが。。。
 メコン川沿いに宿を取り、バイクを借りて家族3人乗りでヴィエンチャンの町を見物したが、たちまち見るものもなくなった。翌日タイ大使館でビザを申請した後、ヴィエンチャン郊外の弟の知り合いの家に遊びに行った。こころもち家の中のモノがタイより少ないようだが、ほとんどタイの農家とおんなじだ。が、さすがに夜は暗い。懐中電灯なしには外にも出られない。。。
 なによりタイとの違いを感じさせないのは、使っている言葉だ。私のタイ語が通じる。女房の田舎で使ってる言葉とほとんど同じなのだ。

 東南アジアに詳しい人ならよくご存知だろうが、タイ東北部(イサーン)とラオス平野部は文化的にはまったく同一の地域だ。メコン川中流域のこの地域は、チャオプラヤーデルタを中心としたシャム=いわゆるタイ人とは同じタイ系の民族ではあるが文化の異なるラオ人の住む地域だ。イサーンの人もよく自分たちのことをコンラオ(ラオ人)と称している。パサパサのうるち米を食べるタイ人とは違って、もち米を主食にしていて、言葉も女性的で優雅な印象のあるタイ語とちょっと違っている。タイ人にとってはラオス語はタイ東北部の方言であり、ときに笑いの種になる田舎くさい言葉だ。食生活も同様タイ人にとって東北部の料理はよく言ってエキゾチック、悪く言えばゲテモノ料理とさげすまれがちである。つまりはタイ人にとってのラオ人の文化は周縁の文化なのである。
 しかし、ここラオスに来ればもちろんラオ文化はメジャーな文化となる。田舎の方言は、ここでは立派な国語である。植民地主義、国民国家の古臭い思想が作り出しているものではあるが、ここはラオ人の国なのだ(少数民族も多い)。
 そんなわけで私自身の女房の田舎を見る見方もちょっとくつがえることになった。タイを中心にイサーンを見ずに、ラオス側からイサーンを見るようになたのだ。三日ほどの滞在の間にラオスの子供と遊んでいた私のガキは、気がつけばラオス語を口走ってやがる。、、、そうなのだ、厳密に考えてみれば、私の子供は日本人とタイ人のハーフであるというより、日本人とラオス人のハーフなのだ。そんなふうに考えてみると、この小さなアジアの貧国にも不思議な縁と親しみを感じるのである。

04 2007 « »
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -
目次

 前衛芸術研究室
 

 セザンヌ講義1@電子書籍

 セザンヌ講義@ニコニコ静画
 おすすめコラム集
 ギャラリー
 シチュアシオニスト文庫
 garage sale
 オンライン読書会
 After the last sky


エントリー

カテゴリー 累計
全記事一覧
前衛芸術研究室 28
亡霊退治 64
アート・建築・デザイン 29
思想など 144
旅行・タイなど 60
ニュース・時事など 31
フンデルトワッサー 12
中西夏之 3
日記・その他 115
記憶の底から 15
音楽 6
Category: None 22
反芸術研究室 5
最新のコメント
Twitter
タグcloud
アクセスカウンター
   




プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
 連絡先 araiken#mac.com #を@に置き換えてください。



Archive

RSS

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。