泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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マジシャン

 じつは最近、レヴィナスなどを読みかじり始めているせいで、しばらく見ないようにしていた内田樹先生の名前に再会する機会が多くなった。で、ついこの古いエントリー に行き着いて、(よせばいいのに)読んでしまった。怒り爆発のブックマーク などもくっついていて、相変わらずなんですね。反論は懐かしの同志kingさん の書いたもので言い尽くされているので(もう、痛快!)必要もないのだろうが、なんとも言えぬ居心地悪い読後感が残っている。というのは、「わからないね」をはじめとする哀れむべき言葉を読まされたからという理由だけではなく、この先生の言ってることが私がしてきた主張に妙に似ているからなのだ。私の書いたものを批判する人なんかに、「ほら、お前などウチダと同じポストモダン系保守なんだよ」とでも言われてしまいそうな内容なのである。だから厄払いだけはしておこうと思う。

 好意的にとれば先生の言ってることは、人の意識(拝金主義)が制度(格差社会)の維持に共犯的に加担しているという事実の指摘だと考えることができる。確かに社会を構成する人々の意識が「カネのものさし」を支えることがなければ、カネによる一元的な格差の社会は自壊するはずであって、その点、このエントリーにも頷けなくはない。しかし一方、格差、貧困解消のためのあらゆる政策提言を、ナンセンスだとして斬って捨てるその理屈は、とんでもない戯言である。つまりこの先生は、現行社会は何ら変える必要のないものだ、と(事実上)現状肯定の宣言をなさっているわけなのだが、その論拠を示すやり口はマジシャンのそれである。

 全ての人が衣食住に困ることのない社会、というのがとりあえず近代社会の理想であり、目標にするところである。そうするために、あるところから、ないところへの財の移動(再配分)がともなうとするなら、格差、貧困解消の政策提言を「もっと金を」という言い方で表現できないこともないだろう。だが内田先生のこの強引なまとめは、財の再配分に最初から不道徳な臭いをまとわりつかせているところにまず問題がある。すぐあとでこの「もっと金を」という表現は、あらゆる不幸を「金の全能性」によって解決するという言い方に改められ、ほとんど「愛を金で買う」とでもいうがごとき不倫行為のように語られている。この理屈で先生は格差、貧困解消のための改革の提言を「火に油を注ぐ」ナンセンスなものであると断罪するとともに、専ら私たちの意識(拝金主義)の現行体制との共犯性を責めることのみに行き着くわけである。

 私たちは資本主義社会の商品経済の中で生きている以上、何をするにも「金」という一般等価物のお世話にならずにはいられない。社会的分配もそうだし、飯を食うためにも金がなければどうしようもないだろう。そういう意味で金は全能であるといえるかもしれないが、それと「拝金主義」のような個人の内面の価値観の問題は全く別物だ。つまり金さえあればとりあえずすべての問題は解決できるのではなくて、金がなければ何もできないのが刻下の社会なのだ。
 先生も含めて私たちは日々、空腹という不幸な状態を金によって解決している。先生の言葉に従えば、そうすることは「金の全能性」を強化し、拝金主義の瀰漫につながるはずであるが、そんな状況にあっても年収なんか人間の価値とはぜんぜん関係ないということを深く、魂の底から、「確信」していられる人がいるらしいのである。
 お分かりかと思うが、こういうのをすり替えと言うのであって、マジシャンにとっては立派なスキルだが、思想家がこの手口を平然と使っているのは大いに困りものだ。

 内田先生は、拝金主義イデオロギーがあまりにひろく瀰漫したことが、住みにくい世の中になった一つの原因であるとおしゃっている。仮にそうだとして、ではなぜそのようなイデオロギーが瀰漫するに至ったというのだろう? 当然、社会が変化した、という解答が考えられる。人間の内面性はその条件(社会環境)によって作られる面があるわけで、おそらくは人々を経済的な競争状態に置き、一元的な経済的な格差のものさしを内面化させるような仕掛けの、社会への埋め込みが強化された結果、拝金主義が蔓延することになった、と解釈することができる(よく言われる福祉社会から新自由主義的な社会への変化のことだ)。だとすれば処方は(理屈の上では)単純な話で、そのような仕掛けを骨抜きにする政策が打てれば、拝金主義は消滅してゆく、というシナリオが描ける。たとえばマルクスなんかを引き合いに出すまでもなく、このように社会の条件を変るという発想で人類は長いこと意識(人間性)を変えようと試みてきたわけだ。
 が、少なくとも先生はここで「金の全能性」が強化されてきた原因について何も述べていない。理由もなく拝金主義が人々の内面に広がってきたとでも言わんばかりだ。そのうえ内田先生は、上述の奇怪なすり替えのマジックを使って、このごく正当な変革の提言にダメ出ししてしまうのだ。一体こんな手品師まがいの手管で、いったいこの思想家先生は何をしたいのだろう、、、と思ってしまう。

 多分このエントリーで表現されていることは、先生のいわゆる「拝金主義者(=金のものさしにとらわれた人)への軽蔑」である。格差社会の犠牲者(不幸だとされる低所得者、ホームレス)であっても事情は一緒で、「もっと金を」と叫ぶ以上は、不道徳な拝金主義者として軽蔑される対象なのである。もし先生のように年収なんか人間の価値とはぜんぜん関係ないということを深く、魂の底から、「確信」し、人間の価値について、それぞれ自分なりの度量衡をもち、それにもとづいて他者を評価し、自己を律している人であれば、不満も言わず、どんなに貧しくとも気楽でニコニコ陽気に過ごせるはずだなのだから。
 多くの人の指摘する通り、内田先生の貧困観は相当に貧困である。自分の過去のある時期に体験した「貧困らしきもの」を武勇伝のように語っているが、その生ぬるさはフォローのしようがない。この先生は、あらゆるものを剥奪された状態を想像したことがあるのだろうか。麻雀を楽しむどころか、文化(音楽や本)に接する機会もない状態、生きるだけで精一杯の状態。、、、ウチダは貧困を知らない、というよりもぶっちゃけ貧困に関心などないのだろう。格差なんてなくなる必要を感じてるかどうかもアヤシイ。現行のシステムで問題なし! それもそのはず、貧困など気の持ちようでなんとでもなるのだし、金のことをつねに最優先に配慮せざるを得ない不道徳な貧乏人は、世の中を住みにくいものにしている犯人であり、もう人間的に遇する必要もないクズだろうからだ。
 もちろん、年収なんか人間の価値とはぜんぜん関係ないということを深く、魂の底から、「確信」している先生自身は、モルデカイ・シュシャーニ師と同様に十分な知的敬意を以て遇されるべき存在だ、ということなのだろうが。

 実際、内田先生はさまざまな豊かさや幸運を享受して生きてきたはずなのである。人並みにいろいろ苦労はあったのかもしれないが、大学や大学院に進学できるだけの経済的余裕のある家庭に生まれ、フランス語やフランス思想を学ぶ機会を得ることができ、知的な影響を受ける師や友人に出会いという幸運があって、今日のウチダもあるわけだろう。そのような幸運が一つでも欠けていたら、自分なりの度量衡がどうのなんてこと言える人になっていたかどうかわからないのである。ましてや貧しい、学問などとは縁のない両親の元に生まれていたとしたら、、、金のことをつねに最優先に配慮せざるを得ない貧乏人になっていたのは、先生のほうかもしれない。
 つまり人が何らかの支配的なイデオロギーにとらわれず、自律的な価値を求めるようなことは、精神論以前に、それなりの条件が整わない限り、おいそれと誰にでもできることではないのだ。

 繰り返すが、社会を構成する人々の意識が「金のものさし」を支えることがなければ、格差社会は存在しなくなるだろうという先生の主張自体は間違いではない。ただ、これを社会を変える戦略として考えた場合、相当な長いスパンで考えなければならない無力な戦略であることも事実だ。今現在、衣食住に事欠く人の前で、金にとらわれるなとか、自分なりの価値だの度量衡がどうのなんて言ったところで、貧困問題が消えてなくなるとはいくらなんでも信じていないだろう。第一、私たちは生まれてくる条件を選べるわけではないのだから、意識が共犯的に社会を支えている事実のみをあげつらい責め立てるのは正当ではない。

 当然、格差や貧困に対する即効性のある政策的解決が必要であり、また長期的には教育などの文化的条件を整えることを、まず考えるべきなのだ。

 そのような解決への意志を前提とした上で、(他人に求めるのではなく)自分の生き方の問題として、上の先生のポリシー(=人間の価値について、それぞれ自分なりの度量衡をもち、それにもとづいて他者を評価し、自己を律する)は口にされなければならない。つまりそれは、自らの情熱や欲望を、自らの責任において解放し、それを生きること以外のなんであろうか。

 格差なき社会、それは私たちの夢であり、理想である。だが、現実に私達が生きているのは、まさに「金のものさし」が支配的イデオロギーとして中心を貫いている社会なのである。が、そのような社会の中でも支配的価値に従属することなく、人間の価値について、それぞれ自分なりの度量衡をもち、それにもとづいて他者を評価し、自己を律することは、もちろん可能である。ただそれは精神的にも経済的にもかなりしんどいものであり、まさに生は闘争へと変貌する。そのような闘争の生であってこそ、現在の瞬間を情熱で満たし、来るべき未来へ向けて自律的な価値や欲望、抵抗の精神を送り届けることができ、戦略としても機能し始めるのである。
 
 多くの機会と幸運を得てきた先生が、持たざるものを軽蔑してどうするのか。先生のすべきは、このような闘争の生を、持てる者として引き受けることではないのだろうか。エリートとして、知識人として、意識が現行体制を支えているというからくりを見抜くことができた目醒めた精神として。しかも自らの資源を差し出し、自らの生を実験台として供することによって、つまり贈与としてそうすべき立場なのではないのか。

 ところが先生のなさっていることは、不可解な詭弁(トリック)を操り、社会の条件な不正を放置し、相も変わらず何者かを貶めることによって、自己を浄化すること。しかも持たざるものを前にして、「金のことをつねに最優先に配慮する人間」は私の定義によれば「貧乏人」であるなどと、上からの目線で説教するだけ。先生が思想を学んだのはこんなことのためなのでしょうか。これを思想家の怠慢と言わないで何というのでしょう。あるときは若者が、またあるときは女性がつるし上げられる。今回は金にとらわれた人間が生贄です。社会問題や社会の居心地の悪さの原因(不浄)は、生贄にすべて背負わせて、批判するそぶりだけ見せて現行社会とその支配的価値に無罪を言い渡し、先生自身は身も心も清く麗しい十分な知的敬意を以て遇されるべき存在になりましたとさ。メデタシメデタシ。
 たしか、内田先生の師匠のレヴィナスさんは、他者との対面が倫理である、と言っていたと思いますが、先生が対面して何かを学ばなければならないのは、裕福そうなご友人ではなく、まさに先生が軽蔑している貧乏人のほうなんじゃないでしょうか?

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無題



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ピッチ上の哲学者



フリードリッヒ・ニーチャ

 元ドイツブンデスリーガ バーゼル所属の天才ミッドフィルダー。当時バーゼルで監督をしていたリッチェルにその才能を見出され、24歳のときチームの中心選手に抜擢される。広い視野とクレバーなゲームの組み立ては、「ピッチ上の哲学者」の異名をとり多くのファンに愛された。バーゼルの黄金時代は事実上ニーチャの活躍によって牽引されたものと言ってよいだろう。
 しかし30代を前にして、リッチェル監督との戦術上の対立が表面化するようになり、かねてからオファーを受けていたワグネル率いるバイロイトへの移籍に踏み切った。鳴り物入りでバイロイトに迎えられたものの、カリスマ監督ワグネルのチームにニーチャのプレーがフィットすることはなかった。ニーチャ自身憧れたゲルマン的な闘争心を前面に押し出したワグネルの(観客をも熱狂と陶酔へといざなったという)スペクタキュリーな超攻撃的フットボールは、このころ結果だけを求める守備的なものに急速に変貌しつつあったのだ(その失望をプレスに対して「これがバイロイトだったのだよ。」と語ったニーチャの言葉は有名)。折りしもプレー中に前十字靭帯断裂という重大な負傷を受けたことも重なって、翌年チームから戦力外通告を受け取ることになる。
 このとき以降、ニーチャはプロフットボールプレーヤーとしての活躍の第一線を退き、スイスやイタリアの弱小クラブを助っ人外人プレーヤーとして転々とし、選手生活の後半は不遇をかこつことになった。しかしながら、ヨーロッパのトップリーグでプレーする若手のほとんどが、最もリスペクトするプレーヤーの一人にニーチャの名前を挙げていることでもわかるように、彼のプレーのハンマーのごとき影響力は国境を越えて計り知れないものがある。現在、イタリアのトリノ近郊のディオニュソスというチームで自らのフットボール哲学に基づき若い選手を指導しているという情報もあるが、詳細は不明。
 

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...,or do you want to change the world?

スティーブ・ジョブズ は、ペプシコーラの取締役ジョン・スカリーをアップルコンピューターに引き抜くとき「このまま一生、砂糖水を売りつづけるのか、それとも世界を変えたいとは思わないのか。」(Do you want to sell sugar water for the rest of your life, or do you want to change the world?)と言って口説いたという。う~ん、かっこいいなあ。一度でいいからこんなしゃれた言葉を吐いてみたいもんだ、というわけで、、、

 夜、家族で外食してアパートに戻る途中、女房が「ちょっと用事があるから先に帰ってて」と言って、義姉のアパートに向かった。私のほうはガキ2人を連れて部屋に戻った。仕事を会社から持ち帰っていたので、早く赤ん坊を寝付かせようとミルクを飲ませたが、、、眠らない。水気の多いウンコをしたらしく、赤ん坊のズボンが濡れていて臭い。、、、女房のやつ、帰ってこない。私はたらいで赤ん坊のお尻と体を洗って、タイ人がやるようにベビーパウダーを大量にまぶして新しい服を着せた。赤ん坊を抱え、ちょっと外を散歩してから部屋に戻り、もう一度ミルクを飲ませ寝付かせようとした。が、上のガキがうるさくしているせいで、一本ミルクを飲み終わっても眠るどころか、ベットの上に立ち上がり両手を上下にばたばたさせ、「カカ、カカ」と奇声を上げてはしゃいでいる。、、、弱ったなあ、これじゃ仕事ができないよ。それにしても女房は何をやってるんだ? もう一時間近く赤ん坊をほっぽらかして、帰ってこない。俺だって疲れているし、仕事もしなきゃいけないのに。ひょっとして、、、と、だんだん腹が立ってきて、赤ん坊を抱えて義姉のアパートへと向かった。
 義姉の小学生の子供がいたので、女房はどこにいるんだと聞くと、「ぼくが呼んで来てあげる。ケンは来なくていいから。」と言って女房の妹の部屋に向かっていった。来るなと言われて行かない訳がないだろう。私がついてきたので、鍵のかかった部屋の前で小学生はちょっと困った顔をしながら女房を呼んだ(なに子供に口止めなんかさせてるんだよ)。ドアが開くと、案の定だ。女房や兄弟たちでトランプ賭博の真っ最中。私が来たので兄弟たちもちょっとバツの悪そうな顔をしている。女房の賭博狂いのせいで、私がどれだけ苦労しているか、これまで兄弟たちに訴えてきた。しかし、そんな訴えが底なし沼に杭を打ち込むがごとき無意味な行いであることを、こういう時あらためて悟らされるのだ。頼みの綱の兄弟たちも基本的には女房と同じ穴の何とかってやつなのだ。
 いや、もしかすると金がないといつもぼやいている兄弟たちのほうが、女房を賭博に誘ってるのではないのか? 彼らにとって稼ぎのいい(人もいい)日本人の夫を持つ女房の懐は垂涎の的なのではないだろうか。「ケンのことを気の毒に思ってる。」なんて口では言ってたけど、ちゃっかりしたタイ人気質を鑑みるに、どうもそんな気がしてならない。女房の損失は、兄弟やゲームの相手の懐を暖め、タイにおける(会社の若いタイ人のスタッフが搾取されることでそれが可能になっているところの)私の高給は、他のタイ人に再配分される仕組みになっているのだ。
 もちろんこれは私の妄想でないとは言い切れないが、だからといってそのことをタイ人に問いただしたところで認めるはずもないし、真実を明かしてくれる人もいないのだ。悲しいかな、結局のところ私は利用されているよそ者に過ぎない。ま、私もタイを利用しているわけではあるが、、、

 『それにしても兄弟そろって皆さん、お好きですなあ。そんなに楽しいのですかねえ、トランプ賭博ってやつは(それしかやることないの?)。遊び慣れしてないので、私には何が面白いのか、ちっともわからないのですよ。そりゃ働かずに金が手に入れば誰だってうれしいにきまってます。でも世の中にそんなオイシイ話があるわけがない、ちょっと考えればわかりそうなものじゃないですか。え? わからない? そうですか、、、。ま、だからこそ熱心に賭け事に打ち込めるのでしょうが。。。
 合意の上でなされているとはいえ、賭けに勝って儲けるということは、誰かの敗北(損失)を前提にしているわけです。そんな勝負に勝ったところでうれしいもんなんでしょか。それに、賭けに負けてあなたたちが苦しむのは勝手ですが、あなたの家族を巻き込んでしまってはいけません。周囲の人の生活をも困難に陥れ、教育費用を散財して子供の未来を剥奪する権利があなたたちにはあるのですか? それが平気でできるというのは、あなたが自分のサヌック(楽しみ)のことしか考えていない(考えられない)エゴイストだからではないのですか。ひょっとして、エゴイストだけが賭け事に夢中になれるのではないのですか。
 金がない、金が欲しい、将来のため貯金がしたい、とあなたたちはおっしゃる。しかし金を得るためには本来働くべきではないのですか。そのための手段を賭け事や宝くじに求めるのはそもそもが間違いなのです。勘違いしないでほしいのですが、別に道徳や倫理としてそう言いたいのではなく、賭博や宝くじは遊ぶ人に利益をもたらすような仕組みを持っていない、という単純な事実をわかってほしいのですよ。
 (現行体制の下では)何も持たないあなたたちが貯金をし、豊かさへのテイクオフをはたすためには、粘り強く勤勉に働き、倹約すること、自ら苦しい本源的蓄積を行ってゆくことがどうしても必要です。それが果たしてあなたたちにできますか? サバーイ(快適)がモットーのタイ人のあなたたちには文字どうり不可能なことで、いきおい短絡的な方法=賭け事や宝くじの幸運や、あるいはタクシン氏の神通力におすがりする、ということになってしまうのではないでしょうか。そして何もかもうまくいかないとなると、必殺!タンブン(功徳)大作戦が決行される。お寺にお布施をすれば、幸運が還ってくるとの根拠なき計算により不可解な出費が更に増えていくのだ。しかしそれは結果的に生活を豊かにするどころか、貧しく不毛なものにしてしまう。賭け事は富(豊かさ)への志向を利用して、その反対の経済的な不毛さへ、また(エゴとエゴのぶつかり合いという)精神的不毛さの中に留め置くための装置なのですよおおお(お願いですから、賭博に勝てないのはお布施が足りないからだなんて発想はもうやめにしてください)。』

 怠惰、嘘つき、わがまま、間抜け、ガッカリするほどの底の浅さ、、、タイ人はバカすぎる、サルだ。タイ人と付き合って感じる不条理を、そう言って納得してしまうのが一番楽なのかもしれない、と正直思う。しかしそうするとき、私もサルである。
 そんな短絡的な思考を逃れるためには、もし仮に私がタイの田舎の貧しい家に生まれていたなら? と考えるだけで十分である。想像力はたちまち限界に突き当たる。教育を受ける機会もろくになく、読書の習慣など持たず(タイの農家には本なんて一冊も置いてないよ)、私が日本で空気のように吸ってこれたような芸術や文化に触れる機会やモチベーションすら持つことなく、楽しみと言えばセックスと賭博くらいしかないような環境に育ったとしたら、、、きっと私も女房や兄弟たちのような世界に生きていたに違いない。タイの貧しい農村に生まれるとは、彼らのように生きることなのだ。私が女房たちに見ているのは、自分がそうであったかもしれない可能性である。(タイ人に限らず、他者とはおしなべてそういう存在であるわけだが)逆に、日本に生まれた私だって、日本という環境のプラスの面と同時に、自分には見えないマイナス面も間違いなく背負っているはずだ、と思う。そのようなマイナス面は私たち自身には見えないものだ。

 しかし、それでも私自身はタイ人になれないし、タイ人のように生きる気にはどうしてもならない。では、私にできることはなんだろう? 上にだらだらと書いてきたようなことを彼らに吹き込み、勤勉な働き手へと教育するべきなのかもしれない。とりあえず金が欲しいというのなら、そうアドバイスするしかないだろう。しかしなんだって祭りの戦士が、経営コンサルタントみたいなことしなければならないのか? 皮肉な話である。親から子へと受け継がれるこの貧困の文化 のサイクルを断ち切ってしまわないことには、この人たちが「豊かさ」を手にする道はない、という指摘は尤もだと思うが、そういうことはブルジョワ社会政策家にでもお任せすべきことだと思う。
 祭りの戦士には、愚直にもたったひとつの必殺技があるに過ぎない。私がすべきは、女房たちに向かってジョブズのごとく「このまま一生、薄暗い部屋で不毛なトランプ賭博をつづけるのか、それとも世界を変えたいとは思わないのか。」と問いかけることだ。前にも書いたことだが、「世界を変える」ことほど、第一級の面白さを持った遊び(賭け)が他にあるだろうか? どんな大金をつぎ込んだ賭けも「世界を変える」ことの面白さの前で色褪せてしまう。

 『みなさん、鍵をかけた部屋でこそこそとつまらぬ遊びに夢中になってる場合ではありませんよ、あなたのすぐ横で金色に髪を逆立て、燃え上がる炎のようなオーラを発し、生命を肯定するために磨きぬかれた剣を振るって、世界を変える戦いを続けている伝説の戦士が見えないのですか? よっぽどそっちのほうが心を震わせる面白さを持っているとは思いませんか? ちょっと、奥さん、夕べもあなたとベッドの上でくんずほぐれつ粘膜を擦り合わせたはずですが、旦那の発する炎のような戦士のオーラに気がつかなかったんですか(私の股間に忍ばせてあるもう一つの剣のほうは、随分ご堪能なさっていたようですが)?』

、、、、、、当然だが、もう全く、気づかないのである(苦笑)。

Category: 旅行・タイなど   Tags: Thai  

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นานา

 こないだ「ナナ」というタイトルのエントリーを載せましたが、タクシーの運ちゃんに聞いた話は本当だったようですね。

 タイの街、進むアラブ化 asahi.com


 医療・商品「安くて良質」

 「バンコクは涼しくて過ごしやすい。腕を骨折した母親の治療で家族そろって来た」(えー、中東ってそんなに暑いのか、、、)

 バンコク中心部の商業地域ナナの一角にあるエジプト料理店。イスラム教徒の断食月(ラマダン)が明けた10月上旬、アラブ首長国連邦(UAE)から来たアルカデアさん(25)は、隣のテーブルに座った男性に話しかけた。

 「僕は友人と旅行だ。夜遊びざんまいさ」とバーレーンから着いたばかりというワヒドさん(23)。

 シーシャと呼ばれる水たばこを吸いながら、あちこちで中東からの旅行者同士の輪が広がる。シーシャ用のパイプを奥から次々と客に運んでいたのはエジプト人店員のデリニさん(31)。「これがないと商売はできない」と話す。

 大通りのスクンビットに接する脇道が別名・アラブ通りで知られるソイ3。周辺は、中東の旅行客でにぎわうアラブ人の街だ。ここでホテルや飲食業などを営む人たちは年に一度、ラマダン中に店舗改装などの大工事をする。

 「長期滞在者はほとんどいない。繰り返しやって来る短期滞在者で成り立つ街なんだ」。ナナで8年間、旅行代理店を経営するイラク人のナジブさん(44)は説明する。「目的は医療、買い物、それに夜遊び。いずれも自国より格段に安い。質もいいから旅行者はリピーターになる」

 ソイ3に面するバンコク最大規模の総合病院バムルンラード・インターナショナルは、年間約43万人の外国人患者を受け入れる高度医療の国際病院だ。アラブ人の年間患者数は01年からの7年で10倍に激増し、約10万人に達した。バンコク駐在者の通院が多い米国人や日本人とは対照的に8割以上が中東各国から医療ツアーなどでやってくる。(えーそんなツアーがあるんだ、、、)最も多いのがUAEで、オマーン、カタール、クウェート、サウジアラビア、バーレーンと続く。(この国名を見てサッカーの国際試合を思い出してしまう俺って、ダメダメ)

 病院側もアラビア語を話す医師らによる専用チームを作るなどサービス拡充を図ってきた。入院時には豚肉などを避けたアラブ料理を出し、院内にはバンコク最大と言われる礼拝所を作った。患者家族らの短期滞在用に病院の敷地内に建てられたアパート2棟約120室は、アラブ人でいっぱいだ。

 バンコクではサミティベート病院やバンコク病院でも中東からの患者への専用サービスがあり、こうした病院と患者との橋渡しをするのもナジブさんの代理店の仕事だ。

 「欧米並みの高度医療が受けられる一方で、欧米のような反イスラム感情がないのが魅力。中東の病院は深刻な人材不足で立ちゆかない。航空券を払ってもタイに来るかいがある」

 夜になると、街は雰囲気が一変する。宿泊客の9割をアラブ人が占めることもあるナナのあるホテルの前には、午後10時をすぎるとタイ人女性たちが集まってくる。ホテル内にはクラブ「アラビアン・ナイト」があり、ここが中東からの旅行者との「出会いの場」にもなっている。

 「中東の人は夜型なので、特別な配慮が必要だ」とホテル副社長で中国系タイ人のサゴブさん(49)。エジプト料理店にいたワヒドさんもここの常連客だ。「タイの女性は性格が温厚で優しい。本気で結婚相手を探しに来る独身者も多い」と話す(いや、それはやはり女性にもよるのでは?、、、これは忠告です)

 米同時テロ後に加速

 ナナと中東との関係は古い。今も周辺の土地の一部を所有するユップ・ナナさん(51)によれば、1850年代に先祖一族が中東の湾岸地域から開拓者としてタイを訪問し、スパイスを扱う商売を始めたのが始まりという。

 バンコク各所で土地を購入して不動産業も始めた。国のインフラ整備への貢献で道路と周辺の土地を寄付したことなどが評価され、その道路周辺が一族の名前の「ナナ」と呼ばれるようになった。約80年前のことだそうだ(ナナはアラブ人の名前だったんだ、、、勉強になりました)

 当時は大きな商業施設もなく、静かな街だった。それが一気に繁栄したのはベトナム戦争の影響で米軍がタイ国内に駐留するようになった1960年代。特に62年にこの街にできたホテルを多くの米兵が利用するようになり、米兵相手の商業施設が次々と開業した。

 ベトナム戦争後は米兵にかわって欧米観光客でにぎわった。今もアラブ街の近くには西洋人向けの一大歓楽街があり、欧米客を引きつけている。80年代に入ると、多くのタイ人が出稼ぎに出ていたサウジアラビアから旅行客が来るようになり、アラブ人向けの宝石店や香水店が営業を開始。90年代にはアラブ料理店もできはじめ、今のアラブ街の出発点となった。

 01年の米同時多発テロ事件でイスラム教徒の欧米への入国が難しくなったこともあり、中東各国からのタイ旅行ブームが訪れた。医療ツアーで訪れるアラブ人の患者も急増。中東客の受け入れに熱心なこの街のホテルに客が集中し、ソイ3周辺の「アラブ化」はますます進んだ。(バンコク=山本大輔)



 へー、面白いね。 ところでタイ文字のタイトルは文字化けは防げたかな?
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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
 連絡先 araiken#mac.com #を@に置き換えてください。



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