泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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オイラにも

、、、こういう気の利いたことをサラっと書けるだけの知性があれなあ、と思った。

 近代のシステムは、それまでの貴族や騎士といった「身分」に代わって、「階級」という不安定なアイデンティティを創りだした。それが不安定であるのは、そのアイデンティティの確保がパフォーマンスとそれに対する他者の承認にのみ依存しているからである。たとえば「資本家」が資本家であるのは、その者が資本をもっている(と他者に信用される)限りにおいてである。そのような信用をえるためには身なりや趣味やパフォーマンスが上品なものでなければならず、信用や資本を失えば資本家ではいられない。それは、貴族という身分がパフォーマンスや外見によらず、貴族という地位(関係性による同一性)は、たとえ穴のあいたセーターを着ていてもその地位にかわりがないのと対照的である。つまり、市場原理によってブルジョワ階級はいつでも労働者階級に落ちぶれる可能性があり、労働者階級もいつ失業者になるかわからないという不確定性や不安定性があるのだ。

 近代においてその不安定性を補うのが「人種」や「性」など、あたかも文化の外部にある自然に根拠をもつ差異であるかのように、文化の内部で構築された「外部」にもとづく集合的アイデンティティであった。それらのアイデンティティは、その「構築された外部性」の様相をもつゆえに生来のアイデンティティであるかのように受け取られている。近年においても、「遺伝子」や「脳の性差」などという「言語」で人種間や男女間の差異が解明されたという言説が絶えないが、それら「遺伝子」や「脳の性差」もちろん文化的に構築された外部であり、それによって客観的・科学的に人種差や性差が決定されたわけではない(そのような「科学的決定論」は19世紀以来、途絶えることなく繰り返されてきたものなのである)。そして、近代における人種差別や性差別は、労働市場を人種別・性別に編成することによって、市場原理にゆだねられることに由来するアイデンティティの不安定さを縮減する働きをもっていた。つまり、植民地支配という政治的理由以外にも、近代資本主義システムが「人種」や「性」などの固定された境界をもつ全体化されたカテゴリーにもとづく本質主義的なアイデンティティの表象を必要とするのには、理由があったのである。

 近代において階級が「人種」や「性」のメタファーで語られるのも、その不安定さを減らすためといえる。けれども、それはまた、人種や性などの近代のアイデンティティも不安定なものにならざるをえないということの現われでもあった。それらのアイデンティティは、「自然」や客観的な「生物学的事実」にもとづくものとして本質主義的に表象されるけれども、それらも「階級」とおなじように、外見やパフォーマンスに依存したものだった。たとえば、「性」のアイデンティティは、「女らしさ」「男らしさ」のパフォーマンスとその反復にのみ依拠したものである。つまり、西洋の白人ブルジョワ男性というアイデンティティは、「白人らしさ」や「ブルジョアらしさ」や「男らしさ」をつねに示している限りにおいて、「白人」であり「ブルジョワジー」であり「男」であると承認されるのであり、そこから逸脱する場合には、「白人ではない」、「スノッブだ(上流階級ではない)」、「男ではない」とされる。それぞれの「らしさ」には模範(カノン)が作られ、そこから外れたものを「非白人」「非ブルジョア」「非男性」という「他者化された他者」に投影し、それらの他者との差異をつねにパフォーマンスすることによってのみ、それらのアイデンティティは維持されるわけである。

 そして、アイデンティティが自己のパフォーマンスと他者からの承認という不安定なものに依拠していることを暴く議論が、反本質主義の議論であったといえよう。しかし、その暴露によって近代のシステムを揺るがすことができるという反本質主義の議論は、そもそも近代のアイデンティティの「システムとしての安定性」が、この個々のアイデンティティの不安定性をエンジンにして生み出されていることを忘れている。好色や怠惰や感情に流されるといった受動性や自律性の欠如など、啓蒙主義からみた自己の否定的な部分、野蛮性への恐怖と憧憬のアンビヴァレンスは、啓蒙主義的主体(西洋の白人ブルジョア男性)のアイデンティティを確立するための「他者化」が生んだものである。そして、システムは、「他者化された他者」の位置に「退化」してしまうという不安定性からくる恐怖をエンジンとして、人びとをアイデンティティのパフォーマンスによる再生産へと駆り立てている。つまり、このシステムは、それらの不安定性や差異を、「西洋の白人ブルジョア男性」に備わっているとされる自律性や能動性や合理性を模範とする単一の市民的価値基準によって序列化することで、単一の方向をもつ序例のなかの良い位置を占めようとする人びとの「欲望」を駆り立てることによって、単一の固定された方向性をもつ安定したものとなっているのである。

小田亮 「日常的抵抗論」より


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ブルドッグ

怒ってます!



 この池田信夫ってやつの人間的な下劣さが酷い。

反原発の「自爆デモ」 とか、こちら とか。

 目先の利益だけを考えてる大企業や財界の利害に同調した典型的な犬(ブルドッグ)だね。「労働需要は雇用コストで決まるという経済学のロジックを理解できない人々が、自分の雇用を破壊したのだ。」って、なんのつもりだい? それは経済学のロジックなんてものじゃなくて、「資本の都合」と言うべきだろう。労働者は企業の雇用コストを下げる配慮をもって生きるべきで、そのためには放射能の不安や原子力利権への怒りも、航空機事故の不安を押し殺すように目をつぶらるべきだってことかい? こういうとき普通のブルジョワ経済学者は為替の調整を提言するものだが、この調子ではすべての労働者は自発的に低賃金を受け入れるべきだ、なんて言い出しかねない。これはある意味真実だが、狡辛い経営者が言うことであって、経済学者が言うべきことではないだろう。まあとにかく大企業支配の資本主義への驚くべき没入ぶりだよ。
 この男が言ってるとおり経済が動くのかがまず眉唾だが、百歩譲って電気代が上がって日本から企業が退出してゆき若者に経済的困難が訪れるという結果があったとしても原発を使い続けるよりましだ、という判断を若者たちはしているんだ。喫煙や航空機事故のリスクと原発のリスクを比べる人がいるが、向こう何万年の子孫の代まで健康被害の可能性を残すほどの危険性はジャンボジェットが100機墜落したって作り出せやしない。自分でリスクから遠ざかることのできる喫煙は問題外としても、あらゆる技術にはリスクが伴い、100%その危険性から身を守るのは不可能なのは確かだが、エネルギーには原子力のような飛び抜けた危険性を持たない代替の選択肢が目の前に見えているんだよ。それを目先の利益だけを考えて、現状維持すべきと言っているのは、てめえのことだけを考えた既得権益者だけだろう。エネルギーシフトへのチャレンジに立ち上がった若者たちに、不潔な息を吹きかけるのはもうやめにしてもらいたいものだよ。
 第一、この池田とかいう男の書いたものからは「志」のようなものがまるで見えてこないじゃないか。西尾ナンチャラとかいう保守主義者の言葉にすら人間的な感情がチラリと見えたが、こいつにとっては、日本経済の停滞や若者たちのおかれた状況の厳しさなんてことは、本当のところどーだっていいのさ。この男の若者を見る目線の冷ややかさはどうだい? つまり自説だけがかわいいのさ。オレの言う通りに若者が動けば日本は良くなるのに、、、とボヤいているだけなんだよ。だから自説に逆らう反原発デモの若者を見て憤懣遣る方無いってわけだよ。とにかくはっきり言えることは、この程度のやつがそれなりの権威を持ってることが、そもそもの日本の不幸なんであって、こういうのをお払い箱にするところから変革を始めなければならないってことだね。

Category: 日記・その他   Tags: 原発  

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ゲルニカ


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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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