泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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フリードリッヒ・ニーチャの前衛芸術研究室 4











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イヤだねえ。ってのがイヤだねえ。

 毛沢東を引き合いに出すのにべつに他意はない。同時代の雰囲気をちょっと再現してみたいだけだ。あるいはアルチュセールでもかまわないが、いずれにせよマルクス主義における理論と実践という問題は、もうすこしダイナミックでかつ相互変換的かつ相互浸透的なものだ。批判の一貫性は「理論と実践のあいだに分離が入り込んだ瞬間に、破壊され、イデオロギーとして固定してしまう」(370ページ)というSIの主張は、なんとなく「理論と実践の統一」という、「前衛党」の党員に課せられた規範のような臭いがする。そして事実、SIは前衛なのである。前衛である以上、自分の原則を守るために、それから外れたとみなされるメンバーはつぎつぎに除名されなければならない。イヤだねえ。『同時的体験の時代──堀田善衛の想い出に──』 栗原幸夫


この人は古き左翼のトップダウン式の「前衛」党と、前衛芸術の流れを引き継いだシチュアシオニストの「前衛」を言葉の相似だけを理由に同一視している。確かにシチュアシオニストは自らを「前衛」だと主張しているが、まず、「前衛」という言葉とセットになっている「芸術」を切り離し、自分たちの活動によって「前衛」の概念を定義し直すためにそうしていると考えるべきである。

(……)状況とは、したがって、それを構築する者たちによって生きられるために作られるものである。そこでは、受動的とは言わないまでも少なくとも単に端役的なだけの『公衆』の役割は、常に減少することになる一方で、もはや役者ではなく、言葉の新しい意味において『生きる者』と呼ばれる者の関与するところが増大する。『状況の構築に関する報告』


という有名なフレーズで語られる『生きる者』であること(ホロウェイ流に言えば「為すこと」)がシチュアシオニストの「前衛」の意味するところである。われわれは「前衛」である。そして全ての人が「前衛」であるべきだ。シチュアシオニストはそう考えていだはずだ。

さらに、シチュアシオニストは『生きる』ことを「遊び」であるとも言い直している。この感覚を理解出来ない人が、メンバーをつぎつぎに除名してゆくシチュアシオニストの組織を非常にタイトな前衛党と同一視するのだ。おそらくシチュアシオニストの評議会とやらは半ばコスプレである。左翼の前衛党とちがってシチュアシオニストという組織はその(遊びという)性質上「権力」を目指していないし、ほとんど「無力」をすら意志する集団であった。前衛党から除名され追放された政治家や職業的活動家は生活の基盤を奪われる。粛清の憂き目にあった者は生命や自由を奪われる。たとえば連合赤軍もトップダウン式の権力構造を持った組織であり、それ故リンチ殺人のような暴力もふるわれた。しかしシチュアシオニストを除名されたところで、その人から何が奪われるというのか? むしろ「遊び」の感覚を失った「マジな」メンバーが除名されていったし、シチュアシオニストという組織そのものが「マジな」ものになりかけたとき(「力」の方向へ横滑りしかけたときに)、解散されたのだ、とこう考えるべきではないか?

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メモ Crack Capitalism ジョン・ホロウェイ2

ホロウェイはマルクスの労働の二面性の分析をキーにして論を展開している。いわゆる(具体的)有用労働/抽象的労働の対立のことだが、前者をホロウェイは「為すこと(= doing )」と言い換えて、為すこと/抽象的労働という対立として解釈している。これがいい!

有用労働というマルクスの言い方がなにかすっきりしなくて、というのも「有用」というとあくまで功利的な活動で、無用(無償)の活動は初めから排除されているような印象を持ってしまうし、さらにそれは「労働」だといわれると、(「労働」という言葉にこびりついた苦役の重たいイメージのせいで)抽象的労働とその実どこが違うのかいまいちはっきりせず、救われないような気がしていた。解放の思想家マルクスに僕が抱いていた印象は、相変わらず重かった。

しかし今やっとスカっと軽いマルクスが垣間見れたような気がする。この視座からマルクスを読みたい、、、つーかいままでいくつかマルクス論みたいなの読んできたはずなんだけど、こんな明快かつ痛快な読みには出会わなかったような気がする。

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メモ Crack Capitalism ジョン・ホロウェイ

 政治的なものは、われわれの怒りを呼ぶが、われわれの注意を、為すことにかんする根本的な問いから逸らす。国家は、まさしくその存在にもとづいて、事実上こう語りかける。「私は社会的結合の力であり、社会的決定の中心である。もしお前たちが社会を変えたいのなら、お前たちは私に注意を集中し、私の統制権を掌握せねばならない」。これは事実ではない。社会の真の決定要因は、国家的なものの背後に隠れている。それはわれわれの日々の活動が組織化されるやり方であり、抽象的労働の、つまり価値、貨幣、利潤の命令への、為すことの従属である。結局、国家の存在の基礎をなすのは、この抽象化である。もしわれわれが社会を変えたいなら、自らの活動を抽象的労働へと従属させるのをやめ、何かほかのことを為さなくてはならない。



こういうアナーキーなのが一番ピンとくる。
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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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