泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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シチュアシオニストは理解されていない (その2)

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 だが、「芸術の脱構築」という言葉自体、何を意味しているのかわかりにくい。「芸術」という制度のどこを解体しなければならないというのか、そもそもなぜ「芸術」は脱構築されなければならないのか? その理由を説明するためには「前衛(アヴァンギャルド)」の誕生まで遡る必要がある。
 前衛は19世紀中頃に芸術の諸分野に姿を現し始める。美術に限って言えば、マネや印象派の中に伝統的なアカデミズムに反抗する表現が浮上し始めている。一般にこのような形骸化した伝統文化への反抗は、「前衛芸術=モダニズム」という美学的なカテゴリーによる解釈を施され、芸術内部での変革として理解されてきたが、私はこれを「前衛(アヴァンギャルド)」と呼び、モダニズムとはっきり区別して、資本主義近代における疎外の克服の試みであると解釈し直すべきだと考えている。19世紀後半に現れた「前衛」という文化運動は「芸術」ではなく、「芸術」を転用しつつ行われた生の実験である。ただし、そのアヴァンギャルドたち自身が、「前衛」の「芸術」からの切断に自覚的ではなく、自らを芸術家として、芸術作品を作っているものと認識していた。この傾向は自分たちの活動をはっきりと「生の変革」と定義していたシュルレアリスムにいたっても解消しきれず、結局「芸術」というブルジョワ的概念の中に運動は回収されてゆくことになる。
 前衛という文化運動が芸術の領域で生起してきたことには理由がある。古の社会にあって芸術は、宗教や王権の絶対的な権力の下でその至高性(祝祭性)を分与されていた。だが市民革命、産業革命とを経て社会が近代化、世俗化してゆくとともに、芸術からは至高な性格は失われてゆき、形骸化、俗化し、市場のニーズに従う商品としての性格が前面に押し出されれるようになった。宗教や王権への従属からの離脱を、近代における「芸術の自律」と言い表す習わしだが、実は主人がマネー(資本)へと入れ替わったといったほうが適切だろう。前衛たちは19世紀のこのような文化状況、伝統的芸術の俗化、商品化、弛緩した凡庸化に敏感に反応し、耐え難い退屈さを感じて、反抗的な活動へと向かっていったのだ。つまり芸術の領域に至高性(祝祭性)を取り戻すことが前衛の求めるところだったと言っていいだろう。だが、前衛によるこの至高性(祝祭性)の再生という課題は、芸術の領域に固有の問題というより、むしろ社会の近代化、資本主義化とともに浮上してきた疎外の克服の謂であることに「前衛」たちは気づいていった。20世紀に入ると前衛運動は、疎外の乗り越え=「生の変革」を自らの課題として自覚するようになったわけである。

 ところでこうした「前衛」の試みは、資本主義のシステム(システムを支える意識)にとって常に異物であり、システムに亀裂を入れ、揺るがす危険を孕んでいるため、当初システムからは攻撃され、拒絶され、黙殺された。やがて少数者による断片的なこれらの試みは、個人的な悲劇と成功の物語としてブルジョワ芸術の制度の中への懐柔され、再統合されてゆく。上でも述べたように、前衛たちが自らの活動が芸術とは異質なものであることに無自覚だったことと、モダニズム論に代表されるブルジョワ知識人による芸術批評が、前衛を芸術の一分野であるかのように解釈してしまったことに、この懐柔=再統合という退行現象の原因がある。
 シチュアシオニストが「芸術の脱構築」にこだわる理由はここにある。「スペクタクル=疎外された生」の乗り越えは、端的にブルジョワ的概念である「芸術」ではありえないし、それが反体制的な意図を持っていたとしても「芸術」の手続きを踏んだアクションは「スペクタクル=疎外された生」の乗り越えにはならないのだ。シチュアシオニストはこうして「芸術」との距離をとることで「前衛」の精神をより純化し、それが「芸術」へと逆流してシステムに回収されないよう警戒を怠らなかった。

 「そんなこといってシチュアシオニストだって作品を作っているじゃないか」という指摘が予想される。転用絵画、転用文学、またドゥボール自身も転用映画を作っている。転用(小倉は「ずらし」と訳している)という言葉がくっついてはいるが、それは(ブルジョワ的)芸術作品と一体どこが違うのか、というわけだ。実際、アンガージュする芸術と芸術の転用を見分けることはなかなか難しい。はっきりしているのは、前衛(アヴァンギャルド)の意識は、「芸術家(アーティスト)」へと横滑りしてきた(もちろんその逆も考えられる)し、「芸術の転用」も「芸術(アート)」という言葉でくくられてきたという現実だけだ。この2つの差異をはっきりさせるためには、「芸術」という制度についてより詳細に分析することが必要だ。

 芸術の制度について、社会的なコミュニケーションのあり方と、アーティストの意識という2つの面から考察することができる。
 まず前者について言うと、芸術は基本的に一方に表現の専門家が、他方に受動的な観客がいて、前者から後者への一方向的なコミュニケーションであるという特徴を持っている。近代以前より芸術作品は卓越した技術を持った表現活動の専門家によって創られた。また、モダニズム流の解釈では、19世紀後半以降、職人的、技術的な洗練よりも「伝統の破壊=新しさ」という価値が全面に出てきた(とされている)。が、いずれにせよ特別な能力を持った個人がアウラを纏いつつ芸術作品を生産し、それを観るものが受動的に美を消費する、という形式を芸術の中に認めることができる。この表現の専門家としての個人は、卓越した技術や「新しさ」を生み出す感性によって、スターとして注目を浴び、経済的な成功を約束される。
 また、芸術は「作品=虚構性」という形式をも備えている。それは日常生活に対して、ある特殊な時空を作品という形で組織するものだといえる。作品を作るときアーティストも意識上で、散文的な日常性から自分を切り離し、虚構の時空を組織するために高度に緊張を高める。それは美術、文学、演劇などにも共通する形式であり、ハプニングやパフォーマンス・アートのような物質的な作品を残さないアクションも、それが日常から切り離された時空を組織するものであるかぎり「作品=虚構」の形式の中にある。この日常性からの作品=虚構の分節を下書きにして芸術のアクションは商品化される。また、アーティストの意識上での「虚構/日常」の分節(前者に高い価値=緊張を付与するという構造)は、資本主義社会における生の「労働/余暇」への分節に横滑りしてゆき、芸術の生産は労働(職業)として意識されるようになる。
 このように見てくると「芸術」という制度が、スペクタクル社会において「前衛」を懐柔し、前衛が取り戻そうと試みた至高性(祝祭性)を、その対極に位置する労働へと転換させる仕掛けとなっていることがよくわかると思う。「前衛」のスペクタクル化を逃れるためには、このレベルでこそ「芸術」は脱構築はされなければならない。
 シチュアシオニストが、個人的な成功への指向に対しては、集団的かつ匿名的な創造を対置し、また「労働」の価値ではなく「遊び」の価値を称揚し、「余暇」の代わりに「自由時間」という言葉で自分たちの「生の変革」の実験を言い表し、「労働」と「余暇」の区別を止揚させようとしていた(「余暇」という労働力再生産領域が「労働」を強制する仕掛けとなっていることを小倉利丸も繰り返し指摘していたはずだ)。これこそがスペクタクルに抗する生のあり方が、同時に芸術というブルジョワ的概念の脱構築の実践であるというシチュアシオニストの活動の実情なのである。

 したがって、シチュアシオニストのいわゆる62年の芸術派のパージについても、(小倉が行っているような)芸術的手段の活用の放棄、旧来の政治への旋回と解釈するのは間違いである。むしろシチュアシオニストの活動の中に「芸術」が混入していることが明らかになってきたので、組織をより純化するためにパージしたに過ぎない、と考えるべきだろう。初期のシチュアシオニストの活動のキーワードとされる「状況の構築」や「統一的都市計画」という言葉には、芸術や技術を戦略的に用いて社会に介入し影響を与えてゆこうとする、建設的でポジティヴなニュアンスが感じられなくもない。初期のシチュアシオニストのこうした若々しくオプティミカルな雰囲気は魅力的だが、曖昧さを含んでいたのではなかろうか。ナッシュとかコンスタントといったシチュアシオニストからパージされた人たちが、どれほど反体制的な主張を持っていたにせよ、そのアクションが上記の芸術という制度の枠組みの中で動いていたならば、前衛集団であるシチュアシオニストにとってその集団の存在意義を脅かすものでしかないだろう。「前衛」であるためには「芸術」であってはならないのだ。まさに「スペクタクルの破壊の諸要素はまさにアートの諸作品であることをやめねばならない。シチュアシオニズムやシチュアシオニストの芸術作品といったものはあり得ない。」のである。(シチュアシオニストの活動は「芸術(アート)」をブルジョワ的制度とするなら、「虚術」とでも名付けるべき性格のものだ。)
 こうしたパージとともにシチュアシオニストは運動の初期のキーワード──「状況の構築」や「統一的都市計画」など──の、魅惑的な環境の創造といったアーティスティックな解釈を許すイメージを払拭し、それらを資本によって組織された空間に亀裂を入れるアクションとして定義し直していったのである。シチュアシオニストの言う「状況の美」とは、(大規模な自然災害が否応なくそうするように)自明と化している私たちの資本主義的な日常性に生々しい傷口を切り開くことである。結局、(芸術と政治の外的な統合という)アーティスティックな理解にとどまってしまうと、62年以降のシチュアシオニストが初期の活動からブレていってしまったようにしか見えなくなってしまうのだ。68年5月の擾乱におけるシチュアシオニストの影響がどんなものであったのは私は詳しく知らないのだが、小倉の提示している筋書き──「この時期出現した多くのスローガン、たとえば「オブジェよ、消えてなくなれ」「見世物的、商品的社会打倒」「自動車=オモチャ」「マルクスを消費するな」などは、明らかにシチュアシオニストのスペクタクル社会批判と連動したものだった。こうして、ISの表現は、現実の運動に無視し得ない影響を与え、「文化がどこまで社会の更新力となりうるか」、文化の変革における可能性を具体的に実践する重要な意味をもった。だが、それは、必ずしもISの目指すところのものではなかった。ISは、5月革命のなかで、学生運動からさらに労働運動へ、そして労働者評議会の構想の実現へという自らのプロジェクトをもっており、文化よりも政治的な変革をむしろ重視するようになっていた。」──にはシチュアシオニストのアーティスティックな解釈特有の誤解が表現されている。68年5月というシステムに刻まれた大きな亀裂──亀裂から垣間見られた「未だに存在していないもう1つの世界」──をモーリス・ブランショは「日常のものとなった詩」と言い表したが、まさに個人的な作者などいないこの「状況の美」は芸術というブルジョワ的概念を脱構築する眼によってしか認識され得ないものだっただろう。
 またこのシステムを引き裂くアクションは、同時に資本主義的な疎外された人間の関係性──階層的、競争に基づいた個人主義的な関係性──を乗り越える試みでもあり、小倉が言っているような古臭い労働評議会主義への回帰ではない。木下誠が正しくも述べているように──「ただ、〈社会主義か野蛮か〉の「労働評議会」があくまで「労働」──人間的な「労働」であっても──の「管理」のための評議会であるのに対して、シチュアシオニストの「評議会」は、労働と余暇が分割されない「遊び」の実践のための評議会、実験的な生活のための「評議会」であったという違いは無視できない(そして、このことが理由で、後に〈社会主義か野蛮か〉とSIは互いに離反してゆくのである)。」──疎外された人間の関係性を乗り越える実践=実験としてのアクションの一面としてとらえなければならない。
 シチュアシオニストの活動の意義に共感を寄せる左翼知識人ですら、シチュアシオニストの悪評の元になっている、メンバーの相次ぐパージを運動の変質や、運動のリーダーである(次々とメンバーを粛清してゆく)ドゥボールの狭量さに原因を探すようになってしまうのは、「芸術の脱構築」の意味を取り逃してしまうからである。たしかに彼らはこうした前衛運動の実践=実験にあたって、わざと古臭い左翼組織に擬態し、そのいかめしいコスプレを楽しんでいたきらいがあり、そのため前衛的センスのない左翼はけむにまかれて当惑し、シチュアシオニストの正体をとり逃してしまったという面はあるだろう。しかし私たちはこの擬態、不可解な仮面の裏でニタニタ笑いを噛み殺しているシチュアシオニストの「遊び」の精神──ボイスの言うところの「それ自体の内的な法則に基づいて生きられるもの」──を目聡く見ぬかなければならないのだ。

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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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