泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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来るべき<幸福学>へのノート 頑張らなくてもいい社会に向けて 熊倉敬聡

しかし、そのような問題をかかえているにしろ、資本主義的組織から脱資本主義的半組織への多様なグラデーションのひとつとしてその可能性を考えることは無益ではあるまい。 「来るべき<幸福学>へのノート 頑張らなくてもいい社会に向けて 熊倉敬聡



脱力、寛容という感覚には共感するが、正直生ぬるい。「多様なグラデーション」なんてものではなく「断絶」の存在をを僕は感じる。たとえば熊倉氏はジョージ・ソロスの慈善活動を(保留付きで)贈与=「超資本主義」の〈脱資本主義〉的運用などといっている。これはバブル紳士による銀座のクラブでの毎夜の札束のばら撒きを「贈与=富の蕩尽」というバタイユ的概念で語るのとどう違うのだろう(確かに蕩尽ではあるのだろうが)。成功した投機家のこのある種の再分配活動を無意味だという気はないが、それを脱資本主義とか贈与と言ってはいけない。だいぶ昔にも書いたことだが資本主義社会における贈与とは反抗することでなければならないはずだ。

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アートレスというアート

なぜ、未だに、これほどまでに「芸術」という言説に対して無自覚でいられるのか。しかも、「芸術」を手放しで信仰できるのか。
いわゆる「現代美術」業界の人々(アーティストも含め)と語り合うとき、しばしば感じる疑問である。あたかもデュシャンによる「芸術」の根源的メタ言語化などなかったかのように、あたかも前世紀初頭のアヴァンギャルドによる「芸術」の粉砕の野望などなかったかのように、あたかも「芸術」の「老い」や「死」を絶望的に語ったアドルノやブランショなどいなかったかのように、あたかもポストモダニズムによる「芸術」の脱構築とその社会への広告的溶解などなかったかのように、人々は「芸術」という言説の権力に今なお語らされるがままになっている。
川俣正──「アートレス」の方へ | 熊倉敬聡



僕もそう思ってきた。が、熊倉氏の評価しているようにみえる川俣正の「アートレス」とか野々村誠のワークショップとかdumb typeとかが率直に言って全く面白くない。
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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
 連絡先 araiken#mac.com #を@に置き換えてください。



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