泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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メルロ=ポンティのセザンヌ論

 セザンヌは結構わかりにくい絵描きらしくて、同時代のゴッホやゴーギャンらのドラマチックな生涯には共感しても、セザンヌを前に首を傾げる人が意外に多い。求道的でクセのある画面構成の意味がよくわからない。アドルノが言う意味で「秘教的な」絵なのだ。通俗的なセザンヌ解釈はモダニズムによる解釈で、ヨーロッパ絵画の伝統的な遠近法を否定して、絵画の平面性や物質性を露わにし、印象派からキュビズムやアブストラクトへの橋渡しをする地点にいる画家である、、、というものだ。こう言われて初めてセザンヌって偉い画家だったんだ、と納得した気になった人も多いのではないかと思う。なるほどその通りではあるのだろうが、それは結果的にそうだっただけで、セザンヌの意図したこととは思えないし、セザンヌのりんごの感動を平面性や物質性への還元なんていうコンセプトで説明などできないだろう。
 メルロ=ポンティの現象学的なセザンヌ解釈はその点セザンヌが描こうとしていたものに迫っているように思える。ただ現象学をかじったことのある人でなければ何を言っているのやらという難解な解釈である。メルロ=ポンティによるとセザンヌが描いているのは、幾何学的遠近法が模造する数学・物理学化した近代的空間ではなくて、そうした人間による世界の支配を可能にする操作(道具)的空間に先行する根源的な「生きられる経験の世界(生活世界)」だというのだ。生活世界を根源的なものとし、数学(数量)化した空間を相対化する現象学は明らかに近代批判の哲学であるが、メルロ=ポンティはセザンヌの仕事に現象学と同質の努力を感じたというわけである。「わたしたちが生きているのは、人間が築き上げた事物の環境であり、私たちは道具に囲まれ、家、街路、都市のうちに生きている。そして多くの場合、わたしたちはこれらを人間の活動を通じてしか見ないのであり、これが人間の行動が作用する場所となるのである。わたしたちは、これらすべてが必然的に存在するものであり、揺るがすことのできないものだと考えることに慣れている。セザンヌの絵は、この習慣を宙吊りにして、人間が立っている非人間的な自然の土台をあらわにする。セザンヌが描く人物が見慣れない印象を与え、人間とは異なる種の生き物が見た人物のように見えるのはそのためである。」(メルロ=ポンティ『セザンヌの疑惑』)。
 セザンヌは描く対象を長時間目が飛び出るほどじっくりと見つめ「感覚(「サンサシオン)」が到来するのを待って制作したという。彼は目に見えたものを忠実に描く自然主義者であったが、ボードレールのモデルニテの影響や師ピサロの指導は、セザンヌを独特な「感覚」のリアリズムに導いたのだろうか。ひょっとするとこの時セザンヌは遠近法的な視覚を黙らせ(エポケー)、対象の(非人間的な)別な相貌を見出し、描き出そうとしていたのかもしれない。これはなにもセザンヌが人間離れした特殊な視覚を持っていたとかいうことではなくて、要はセザンヌ自身が近代的な空間性に違和感を持っていたといことであり、近代的空間を引き写した遠近法に則った絵画に飽き飽きしていたということだと思う。遠近法的な絵画は決して自然なものの見方を模造したものではなく、あくまでもひとつの空間解釈でしかなく、ルネッサンス以降のヨーロッパ独特の絵画のあり方に過ぎない。それは神のような超越的な視点から(上空飛行的に)世界を俯瞰し、舞台と観客席の関係のように対象から一歩距離をとったよそよそしい空間である。それに対してセザンヌの描き出した空間はダイレクトに対面したような剥き出しの空間になっている。セザンヌは神のような視点を拒否して、地を這う生物のように世界と対面する。象徴派絵画全盛の19世紀末の甘ったるいまどろみの中にあってセザンヌの画面には「実存」という言葉がふさわしい剥き出しの緊張感が漂っている。
 実際セザンヌには近代的なものに対して違和感を持っていたことを思わせるエピソードがある。彼は都市計画によって故郷エクスの街に創りだされた直線をフンデルトヴァッサーのように嘆いていた。また(セザンヌの父親もそうであった)成金的なものが嫌いで長い歴史をかけて創りだされたもの(貴族、カトリック、サロンさえ)を愛した。さらに近代的な技術より地に足の着いた農民や職人の技術や生のあり方に共感を抱いていた、利潤を産み出すための企て=操作である近代資本主義は、要するに成金主義以外の何ものでもない。世界そのもが成金化し、よそよそしいものになっていることにセザンヌは秘かに憤っていたのではないか。彼の地を這う視点から描かれた絵は、平面化や物質性への還元なんていう芸術というカテゴリー内部での伝統の拒否という闘いを示しているのではなく、近代=資本主義への反抗というポリティカルな闘争の痕跡として理解すべきなのではないか。セザンヌは普仏戦争にもパリ・コミューンにも関心を持たなかったし、ドレフェス事件に積極的に関わった親友ゾラのような華々しい闘士ではなかったが、近代世界のよそよそしさ(疎外)とは異なる相貌の空間を見出そうとする実験に自身の生を捧げた孤独な戦士だったのである。資本主義は文化(祝祭性)そのものを痩せ細らせる宿命にある。モーリス・ドニは「セザンヌの描いたりんごは畏れ多くて食べることができない」と言ったというが、私たちはセザンヌの画面を前にしてその文化(祝祭性)を創出しようとする闘いの緊張感に感動するのであって、モダニズムが唱える平面化する還元のプロセスに心を揺さぶられるわけではなかろう。
 セザンヌの絵が基本的に未完成であるのは、まさにそれが秘めやかなる終わりなき闘争の痕跡だったからである。特に晩年の絵からはイリュージョンによる絵画の奥行きは徐々に姿を消し、平面化が進展するのに平行して、細かなタッチ=痕跡の集積によってそれまでとは異なる緊張と奥行き(空間性)が出現し始める。この晩年の到達点においては、セザンヌ自身の舞踏でもしているかのような生の身振りが、老境においても全く衰えることのない意志の緊張と情熱をともなって画面の中から湧き上がってくるかのようだ。セザンヌは近代世界(空間)の疎外に対して、絵描きとして生きることをもって応答した。私たちは彼の絵に触れることで、セザンヌという祭りの戦士よって「生きられた空間」を目の当たりにして驚嘆するのである。
 いつのまにかメルロ=ポンティのセザンヌ論から逸脱して私のセザンヌ論になってしまったが、モダニズム流のセザンヌ解釈がいかにいかがわしいものであるかを付け加えて終わりにしたい。セザンヌによる近代世界の疎外の乗り越えの試み=生きられる空間の創造は、「芸術」の制度を用いて追求されたが、実際には後にシュルレアリスムが提起するような「生の変革」を意図するものであって、「芸術」のカテゴリーに収まるものではなかった。彼は「印象派の絵画に古典のような堅牢さを与える」と意気込んでいたし、サロンへの入選を夢見続けていたわけで、自分の仕事が「芸術」であることをつゆほども疑ったことはなかっただろう。彼は「演者」でありたかった。結局サロンには相手にされず、ゾラにも「流産した天才」などと芸術家失格の烙印を押された。その点でセザンヌは挫折したのではあるが、晩年自分の仕事が新たな境地に達しつつあることを感じていた。おそらく自分が「芸術」とは違うものを追求していることに薄々気づいていたに違いない。実際にセザンヌが行っていたのは「芸術」の制度を狡猾にも飼いならし、別の目的にずらして流用(転用)してしまうことだった。彼は「演者」になることではなく、「生きる」ことを選択したのだ。しかしモダニズムの解釈は、結果的にセザンヌの絵に現れてきた「芸術」の伝統の拒否の相だけを吸い上げて、近代資本主義の疎外を拒否する一面を切り捨てているのだ。というのも「芸術」は、今も昔も権力に組織され、権力に奉仕する文化であって、権力=システムそのものの批判など「芸術」とは認められないし、認めるときには処理を施し無毒化したうえでそうするのである。(フランスの芸術アカデミーを中心とした)当時のアートワールドは、当初セザンヌに無視を決め込んだが、20世紀に入りセザンヌ絵画の衝撃が広がるとともに方向転換し、モダニズム言説によってセザンヌを「芸術」に吸収し、(本人がこの世を去ってからようやく)望み通り彼を一流の「演者」として承認することにした。このときに使われる言説装置、「芸術」外の「生きられる」文化を無毒化するために捻り出されたのがモダニズムの言説なのである。以降アヴァンギャルドの実践はこの装置によって脱臭処理(曲解)を施され「芸術」の歴史に組み込まれてゆくのである。
 ネタバレになってしまうが、私がセザンヌ漫画で描こうとしているのは、芸術家ではなくて、このように生きられる文化の実践者であるセザンヌである。

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昔、私も美術研究所などに通っていたことがあり、

当時絵を教わってた教官の方々は今どうしてるんだろうと、ふと思って検索してみたら

木村克朗先生という油絵科で一番偉かった先生はまだしっかり芸術なさっていて、京都造形芸術大学の先生になっていた。

さらに有吉徹さんという30年前当時、東京芸大大学院生だった若く頭の良さそうな教官は東京造形大学の学長になっている。大変な出世をなさっている。

ま、こういう人たちがアートワールドの一角を形成しているわけだ。不思議な、転倒した、文化の戯絵の世界を。

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セザンヌ漫画がストップしているわけは

単純に描く時間がないからなのだが、もうひとつ困ったことがあって、描いていくうちに自分の中のセザンヌ像が随分と変化して、自分でも想像しなかったセザンヌ解釈が始まって、最初のほうと整合性が取れなくなってきてしまったという事情がある。だいたいモダニズム批判などする気もなかったし、実はモダニズムが何かすら知らなかったのだ。「アヴァンギャルドは芸術ではない」なんて言葉を吐くようになるとは思わなかった!
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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

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 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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