泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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卓越化(ディスタンクシオン)

「芸術作品との出会いというのは、普通人々がそこに見たがるようなあの稲妻の一撃といった側面などまったくもってはいない」(「ディスタンクシオン」Ⅰ(La Distinction Ⅰ) 序文

あるものを「美しい」と感じる気持ち、実はその背後に自己を卓越させようとする隠された意図がある。序文においてブルデューは、芸術に対する「純粋」な視線が実は、社会における弁別の指標となっていることを述べている。俗人には「理解できない」芸術を「楽しむ」ことのできる人々は、洗練された、無私無欲の、上品な人であるという優越性を社会の中で獲得することができる。芸術の純粋性こそが、その卓越化の作用を支えているのである。


こういうのってようするに文化の「消費」の分析であり、文化的実践が、芸術家(演者)と鑑賞者(観客) へと分離した(疎外された)状況の微に入り細に入った分析なのだ。誤解かもしれないけど、社会学者って、階層ごとの身振りの違いとか、消費行動の変化とか、疎外された社会の細かな襞を描き出すのだけど、読んでてなるほどとは思うが、それってやってて面白いのだろうか。ひょっとしてその詳細な研究は真理の領域で「卓越」したいという欲求に基づいているんじゃないかと訝ってしまう。「美」や「真理」を生産する芸術家や学者は、その活動によって一般人を観客(受動)化、愚鈍化させ自らを卓越させる。自分を卓越させたいと思う時点で、それが文化の生産の領域であれ消費の領域であれ、疎外を受け入れシステムの物差しに隷属している。問題は疎外からの、隷属からの自律じゃないの? つまり芸術家(演者)と鑑賞者(観客) へと分離していない、「生きられる文化」を愉快に実践することだろうと思うのだが。
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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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