泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

Category: 亡霊退治   Tags: ---

Response: Comment: 0  Trackback: 0  

抽象絵画の巨匠たち、例えばカンディンスキー、モンドリアン、マレーヴィチ、パウル・クレーといった人たちはみな

、、、自分たちの仕事について、すなわち抽象絵画について、多くの言葉を語っている。抽象絵画の前身を作ったと言われる先達たち、、、マネやセザンヌやピカソらは、どちらかと言えばその作品の解釈に困るほど寡黙で、せいぜい家族や友人への手紙など私的な言葉を語るぐらいだったのに対して、抽象画家はバウハウスやロシア革命下のインフク(芸術文化研究所)のような研究・教育機関で公的な言葉で自らの活動や新しい時代の美術のあり方について語り、その美術論は書籍にも纏められている。恥ずかしながら私は彼らの美術・芸術論を全く読んだことがないのであるが、想像するにそこではルネサンス以降の美術の規範、いわゆる写実絵画のアカデミックな規範に成り代わるモダンな造形の原点の問い質しが行わているはずである。この芸術の自己自身に関する問い質し、そして彼ら抽象画家の作品自体がこの新しい原点の例証であるとともに、ルネサンス以降のヨーロッパ美術を捉え直す装置として機能するメタ的な性格を持っているという意味で、抽象画家たちは典型的なモダニストだと言っていいだろう。若い頃からの彼ら抽象画家たちの足取りを見れば、アカデミズムから印象派、フォーヴィスム、キュビズムの影響を順次受けて、スタイルを変化させつつ対象の再現から離脱してゆく様子がよくわかる。まるで個体発生が系統発生を繰り返すかのように、彼らの歩んできた道がモダニズムの歴史そのものになってすらいるではないか。
 だが彼らが抽象絵画をつくり上げたモティベーションは、モダニズム理論が説くところの芸術の自己批判的な問い質しにあったと言い切ってしまえるものだろうか? 単純に幾何学的図形や直線だけでできた絵を描くのが面白かったからこそ描いた、ということではなかっただろうか。つまり伝統的な美的規範の問い直しのようなクリティカルな情熱なんてものではなくて、何百年もの美の伝統や権威に対して、丸や四角、抽象的な直線や曲線を配しただけのふざけた絵を、これとそが新しい美なのだと言って、大真面目な顔をしながらつきつけるところにインモラルな面白さを感じていたということではないのか。20世紀の初頭というおそらく印象派の絵でさえまだまだ胡散臭い目で見られていた時代に、具象的な要素が全くない画面にペタッと色を塗っただけの、冗談のような絵画のパロディを提出したのだ。とんでもないおふざけ加減は、デュシャンの小便器に匹敵するのではないだろうか。彼らの膨大な絵画論はこのとんでもない絵画を偽装するために練り上げられた後付の理論武装であって、実はマジに受け取ってはいけないシロモノではないのか。
 、、、いやいや、いくらなんでもそれは言い過ぎ。カンディンスキーやクレーは、真剣にバウハウスで教鞭を振るって造形理論を説いていたはずだろう、、、。が、私には抽象絵画の巨匠たちのマインドの中には、どこかにこうした意地の悪いいたずら心があって、大真面目に幾何学の絵を描きながら、笑いを噛み殺していたという一面があったのではないかと思えてならないのだ。

 画家たちを取り巻くアートワールド(ブルジョワ体制のスペクタクルを組織するアノニムな主体)の権威は、19世紀にはいまだ旧来のアカデミックな美のカノンに依拠して「芸術(アート)」というプラットフォームを組織していたため、アヴァンギャルドはプラットフォームの外に置くべき排除の対象(非芸術)であったが、20世紀に入る頃には芸術/非芸術(野蛮)の境界線を大きく移動させ、アヴァンギャルドを「芸術」の領域に吸収(横領)し、アカデミズムのもと老衰しかけていたスペクタクルをリフレッシュさせた。ちなみにこの境界線の移動の中で、オリエンタルな、あるいはプリミティヴな非西洋の文化も排除の対象(非芸術・野蛮)から一転、「芸術」として捉え直されてゆくわけであるが、このときこの捉え直し(横領)を可能にした言説こそがモダニズムである。
 何度も言ってきたことが、アヴァンギャルドにしても、アフリカやオセアニアの部族的なプリミティヴ美術にしても、「芸術」という権力に奉仕する「卓越の文化」とは文脈を異にする「生きられる文化」である。この2つの文化のあり方の大きな違いは、「芸術」は現行秩序を肯定し賛美する「スペクタクル」であり、一方の「生きられる文化」は祝祭的な生の高揚における秩序の崩壊、反転に関わるものである。目的的に完成を目指して制作される芸術作品に対して、「生きられる文化」においては生こそが問題であり、アヴァンギャルドの作品やプリミティブ美術は、生を高揚させる手段であり、また反秩序的な生の痕跡にすぎない。
 近代のブルジョワ権力下のアートワールドは、こうした反秩序的で不埒な「生きられる文化」を、モダニズム理論を駆使して「芸術」というスペクタクルに変換し、アヴァンギャルドをヨーロッパ美術の発展史の中に組み込むとともに、プリミティブな民俗文化との関係を調整することで、退屈極まりないアカデミズムから、モダンでグローバルなスペクタクルへと「芸術」の世界を刷新したのである。
 たとえば19世紀末には、アートワールドにとってゴッホは芸術と非芸術の境界の外にいる存在であって、当然彼は無視され、彼の言葉に耳を傾けることすらなく、ゴッホの絵も言葉もひとりごと(狂人・野蛮人のつぶやき)の域を出なかった。この時代のアヴァンギャルドとアートワールドとの距離は、認められたいとあがきながらも理解されない前衛芸術家の孤独で悲劇的なイメージを創り出した。しかし20世紀初頭のキュビズムの時代には、先の芸術/非芸術(野蛮)の境界線の移動の結果、もはやアヴァンギャルドに悲劇を生むような距離感はアヴァンギャルドとアートワールドの間にはなくなり、さらに抽象画家が活躍する頃にはアヴァンギャルドの活動とアートワールドのモダニズム言説は重なり合い、シンクロするようになった。画家はバウハウスのようなブルジョワ権力の息がかかった体制的な研究・教育機関でモダニズム流の絵画論を吐き、アートワールドにすんなり受け入れられるようになった。
 さらに第2次大戦以降顕著になってきたのは、芸術家がアートワールドが紡いだモダニズム理論を元に作品を制作し、その意義や価値を雄弁に説明する傾向である。自分の作品が過去の美術史に何を負っているか、そしてそれに何を付け加えるイノベーションを提出しているのか、モダニズムの物語の中での自分の仕事がどこに位置するのかを語らなければ認められない。つまり最近の芸術家たちは、それまでアヴァンギャルドの後を追い、その成果を簒奪しながら「芸術」のプラットフォームを拡張してきたアートワールドの理論装置に準拠して、制作するようになったのだ。「生きられる文化」の立場からしてみると、盗人が正義になり、まるで寄生虫が宿主の中枢神経を乗っ取って肉体を操っているような薄気味悪い事態が起こっている。グリーンバーグと抽象表現主義の画家たちの関係なんかを見てると、モダニズム理論というのはたちの悪い寄生虫に思えてならないのだ。
 それに対して戦前の抽象画家の巨匠たちには、モダニズムの言説の中に沈んでしまっているように見えて実は、寄生虫に乗っ取られる前の「生きられる文化」がかろうじて息づいているのではないだろうか。

08 2016 « »
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
目次

 前衛芸術研究室
 

 セザンヌ講義1@電子書籍

 セザンヌ講義@ニコニコ静画
 おすすめコラム集
 ギャラリー
 シチュアシオニスト文庫
 garage sale
 オンライン読書会
 After the last sky


カテゴリー 累計
全記事一覧
前衛芸術研究室 28
亡霊退治 64
アート・建築・デザイン 29
思想など 144
旅行・タイなど 60
ニュース・時事など 31
フンデルトワッサー 12
中西夏之 3
日記・その他 115
記憶の底から 15
音楽 6
Category: None 22
反芸術研究室 5
最新のコメント
Twitter
タグcloud
アクセスカウンター
   




プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
 連絡先 araiken#mac.com #を@に置き換えてください。



Archive

RSS