泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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アヴァンギャルド(前衛)という言葉

 19世紀後半に始まったとされる西洋「モダニズム」は、その名の示す通り、古き過去から決別して現代的な新たな価値を探求し標榜する潮流であり、20世紀前半に多発したアヴァンギャルドの諸運動は、このモダニズムの先鋭部隊であったはずだ。(『20世紀アヴァンギャルド文学・芸術におけるプリミティヴィズムーブレーズ・サンドラールを中心に』 西村靖敬)


フ~ン、モダニズムとアヴァンギャルドの関係をこのように理解する人もいるのか。こうなると、モダニズムはアヴァンギャルド(前衛)に対する「中衛」といったところなのだろうか。グリーンバーグはアヴァンギャルド(前衛)に対する「後衛」をキッチュと呼んだわけだが。
もちろん私はこうした通俗的な理解には反対で、何度も述べているように、「芸術(スペクタクル)」外の「生きられる文化」が「芸術場(アートワールド)」を乗っ取り、占拠したものをアヴァンギャルドと定義し、権力(アートワールド)がそうした外部由来の文化を簒奪し、「芸術(スペクタクル)」をテコ入れするためにでっち上げたものがモダニズムの言説だと考えている。ただご存知のようにアヴァンギャルド(前衛)という言葉はもともと軍事用語で、後衛に対する前衛として「比較」され「卓越」するという「生きられる文化」にはふさわしくないイメージを含んでいるので、本当は別の言葉を考えるべきなのだが、、、

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アヴァンギャルドとモダニズムという言葉が同じものを意味するのか否か

、、、これは論者によって様々である。19世紀後半から現れてきたオルテガ言うところの「非人間的芸術=わからない芸術」をひとまとめに同じ意味で「アヴァンギャルド芸術(前衛芸術)」または「モダニズム芸術」と呼ぶ人もいるし、一方、「芸術のための芸術」「自律的芸術」を「モダニズム」と呼び、その秘教的な閉鎖性に対してダダ・シュルレアリスムの反芸術的な生活実践を「アヴァンギャルド」と分けて論じる人もいる。
 私はといえば、両者は基本的には同じものだと考えている。オルテガ言うところの「非人間的芸術=わからない芸術」はすべてアヴァンギャルドと言っていいと思う。ただし、アヴァンギャルドとはそもそも公式文化=スペクタクルであるところの「芸術」ではなく、「芸術」の世界に侵入し、アートワールドを乗っ取った、芸術外の非公式文化=「生きられる文化」のことである。また一方の「モダニズム」はというと、ブルジョワ権力=アートワールドによってでっち上げられたものであり、(侵入者である)アヴァンギャルド運動を自らに引きつけて解釈した「物語」である。この「モダニズム物語」の骨子は、「(美的)伝統の(自己)批判」という筋書きからなり、古典古代からルネサンスを経て現代まで連なる芸術の歴史の延長線上に展開するイノベーション(変革)こそが、アヴァンギャルド芸術だったというものだ。有名なニューヨーク近代美術館初代館長のアルフレッド・バーによるモダンアートの系譜図に表現された、芸術(美術)の自己批判、自己検証による線的進化の流れによってこの「物語」をイメージすることができるだろう。


アルフレッド・バーによるモダンアートの系譜図

 困ったことは、このもっともらしい「物語」をほとんどの芸術家や芸術批評などが「実在」するものだと勘違いして、この「物語」を前提に制作したり、芸術論を展開したりしてしまっていることだ。アヴァンギャルドに胸を打たれた人が自らもアヴァンギャルドたろうとしても、「モダニズム物語」に惑わされ、この「物語」にエントリーすること、この「物語」に新しい1ページを付け加えることが自分の進む道だと勘違いしてしまう。その結果、若い新世代のアヴァンギャルドは、自分の思惑に反して権力のスペクタクルをより豊かにするために働かされることになってしまうのだ。「生きられる文化」は、カーニバルのように瞬間のうちに燃焼する生のことであって、歴史的に展開してゆくものではない。上のような図があらわれたらまず疑いにかかったほうがいいだろう。意識の中に侵入してくる寄生虫のようなモダニズムの「物語」を駆逐しなければならない。

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トリスタン・ツァラはいわゆるプリミティブ芸術についてこんなことを述べている。

 芸術を人間の多かれ少なかれ意図的な、人間の内奥の本性からいわば切り離せる所産と見なしたアポリネールの美学的関心に対して、ダダはより広い概念を対置した。すなわち、プリミティヴな民族の芸術は社会的、宗教的機能と絡み合って、彼らの生の表現そのものとして現れていたと考えたのである。「ダダ的自発性」を称揚していたダダは、詩を知性と意志の副次的な表現というよりも、1つの生き方とすることを欲していた。ダダにとって、芸術とは、その深い根が感情生活の根源的構造と一体となるあの詩的活動の万人に共通の形態の1つだった。ダダは即興のダンスと音楽の黒人の夜会を催して、黒人の、アフリカの、オセアニアの芸術を、現代人の精神生活とその直接的表現に結び付けるこの理論を実践しようと試みたのであった。ダダにとっては、意識の奥底に詩的機能の沸き立つような源泉を見出すことが重要であった。(西村靖敬『20世紀アヴァンギャルド文学・芸術におけるプリミティヴィズムーブレーズ・サンドラールを中心に』より)


 ツァラが黒人文化に見出したものは、「生=表現」、生きることがそのまま表現である根源的な文化のあり方、すなわち「生きられる文化」であることは間違いない。これに対して「芸術」は、ツァラによると「意図的で、人間の内奥の本性からいわば切り離せる所産」とされているが、私流に言い直すなら、「制作される「作品」に価値を置き、制作行為を「表現=創造」とするとともに、それ以外の活動を無表現(モノローグ)、非創造として格下げする分離(切り離し)の所産」ということになるだろう。こうなってくるとプリミティブ文化のように「詩を知性と意志の副次的な表現というよりも、1つの生き方とする」ことを志向したダダは、「芸術」ではなくて「生きられる文化」であるとはっきり言うべきであった。
 おそらくツァラだけでなく、アフリカ美術に影響を受けたとさせるピカソのような画家も、単に彫刻や仮面の形態を模倣したり流用したりといった、表面的な(人間の内奥の本性から切り離された)影響を受けたのではなく、彫刻や仮面の中に「芸術」とは異なった「生=表現」の根源的な生と文化の関係を見抜いたのだと考えるべきだろう。同時に彼らは先ほどの「分離(切り離し)」によって成り立っているブルジョワ社会の疎外(一部の専門的な芸術家のみが「表現=創造」するとともに、その他の一般的な民衆は、芸術家の表現行為を消費するだけの「観客」へと格下げされ、生きることから疎外される)にも憤りや違和を感じていたことであろう。
 そうしたツァラやピカソのような人たち(=アヴァンギャルド、無論マネやセザンヌにさかのぼってもよい)の活動の意味を理解するには、彼らが芸術界(アートワールド)という基本的にブルジョワ(資本主義)権力のスペクタクル装置を、どのようにスクウォット(占拠)し、転用し、手玉に取ったのか、、、また彼らが逆に「芸術」に足をさらわれ、モダニズム理論に絡め取られ、ブルジョワ(資本主義)権力のスペクタクルの中へ再吸収されて行ってしまったのかをじっくり見る必要がある。

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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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