泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

Category: アート・建築・デザイン   Tags: 芸術  思想  

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祭りのあと3

第3節   反芸術とは芸術の原初への回帰である


 まずピカソの言葉を引用しよう。

 芸術家の作品が問題ではない。芸術家自体のあり方なのだ。たとえセザンヌが彼の林檎を十倍も美しく描いたとしても、もし彼がジャック・エミール・ブランシュのごとき生活をしていたとしたなら私は少しも興味がないだろう。われわれにとって重大なのはセザンヌの懐疑、教訓であり、またゴッホの苦悩である。すなわち芸術家のドラマなのだ。あとのすべては虚偽である。


 私たちは芸術を考えるとき反射的に芸術作品のことを思い浮かべてしまう。だが、芸術作品は至高性そのものではない。至高性は創造のダイナミックな運動の中にあるのであって、作られた作品はその残滓のようなものでしかない。芸術作品にはそのアーティストの体験していた至高性のオーラが宿っている。私たちはその至高性を作品を通して追体験する。そしてそれが私たちに感動をもたらすのだ。つまりアーティストにとって問題なのは作品を制作するときの緊張と高揚であって、作品そのものは彼の至高性への接近の結果でしかないのである。
 原初、祝祭と一体であった芸術においては、造られたものを作品としてとらえることなどなかったのではないだろうか?純粋な状態では祝祭的な創造の運動の中で生を燃焼することだけが目的だっただろう。それが徐々に運動の残滓でしかない作品の「所有」ということが重視されるようになっていった。支配階級による権力の誇示のために、あるいは財産として作品を所有することが問題になり、芸術の価値がダイナミックな創造の運動から、その残滓でしかないスタティックな「作品」にあるということになってしまったのであろう。そしておそらく近代になってより一層その傾向が強まり、芸術は商品としての作品という意味でしか問題にされなくなってしまったのだ。

 ピカソはそのような頽落した芸術観、作品中心主義ともいえる近代的な芸術観から脱出する道を探っていたのではないかと思う。問題なのは作品ではなく、アーティストの生そのものだと彼は語っている。あるアーティストの生ががどれだけ至高なものであるか、どれだけ芸術に本来の祝祭性を取り戻すことができているかが問題なのだとピカソは考えていたと言いかえることもできるだろう。彼はセザンヌの懐疑やゴッホの苦悩の中に至高な生を見ていた。そして彼自身まさに同じ至高性の奪回という課題に取り組み、闘い続けていた。だからこそ彼の存在は美術史上に強烈なインパクトと彩りを残しているのだ。ピカソの大胆な伝統の破壊、目まぐるしいスタイルの変化、通俗的な理解を拒否するその作品はひたすら我が道を走り続けた彼の闘いの軌跡である。


パブロ・ピカソ 『アビニョンの娘たち』

 とはいうものの、ピカソも含め彼らダダ以前のアバンギャルドたちは結局作品にこだわり続けていた。彼らはつまるところ画家であり美術家であった。作品の制作ということを抜きにして彼らを語ることはできないという限界を私はダダ以前のアーティストたちに感じるのだ。もしピカソの言う通り、問題なのが作品なのではなくアーティストの生のドラマなのだとすれば、そして純粋にその方向に問題を突き詰めてゆくなら、アーティストは作品というものにこだわる必要はないということになるだろう。至高性の追求のためには作品を制作するという方法しかないというわけではない。生のあらゆる瞬間が至高性追求の舞台となりうるだろうからだ。作品にこだわってしまったということは、結局彼らダダ以前のアバンギャルドたちが頽落した近代の芸術観、作品に価値をおく芸術観をこえられなかったということを意味しているのではないだろうか?

 このリミットを越えたのがダダイストであり、シュルレアリストたちであった。前節で分析したようにダダの本質は反芸術であり、具体的には芸術を作品ではなくアクションというポイントから捉え直そうという課題を持っていた。問題なのはアーティストの生であるという点において、この課題は上のピカソの言葉と同じことを意味している。(生とはアクションの連続であるから。)さらに彼らにとっては制度の破壊が課題になって、作品の完成への配慮は乏しくなっている。確かにダダイストも作品を作った。しかしそれは目的としてではなく破壊のための手段としてであった。彼らの破壊せんとした制度というのは、作品中心主義的な近代芸術の制度だったのであり、その目標とするところは、原初的な芸術の形態、祝祭と一体であった純粋な生の燃焼である芸術への回帰、すなわち至高なアクション、至高な生そのものへの回帰であったに違いない。もうおわかりであろう。ダダ(反芸術)の課題であった芸術の本質の作品からアクションへと移行とは、このような芸術の原初への回帰という要請のもとになされたのである。
 いや、芸術の原初的形態に回帰するという課題を口にし、実践したダダイストなどいなかっただろう。実際にはダダの衣鉢を継ぐシュルレアリストたちにこそその課題は鮮明に現れているし、さらに芸術運動とはもはや呼ばないかもしれないが、第二次大戦後に組織されたシチュアシオニストの活動にその課題のより純粋な表現を見るであろう。だがそれらダダの後継ぎたちはダダの切り開いた新しいパラダイムの中でよりその課題を純化していったに過ぎない。ダダイズムの作り出した切断の中にその後の展開は予測されていたといってもいい。ダダとシュルレアリスムは同じ運動なのか、または全く異質な運動なのか長いこと議論されてきたようだが、このような意味で私は二つの運動が基本的に同質の運動であると理解したいと思う。

 アバンギャルド芸術運動は数十年にわたって繰り広げられた。ひとりひとりのアーティストは決して共通の課題を意識して活動していたわけではないであろうが、彼らのたどった道はその共通の課題への様々なアプローチだったと私は解釈したい。すなわち彼らアバンギャルドたちすべての持つベクトルはひとつの方向性を指し示しているのであり、その課題とは、至高性、祝祭性の近代における復活であったと。したがってアバンギャルドとは一体なんであったのかという問いに対する私の結論はこうなる。

 アバンギャルド芸術運動とは、近代社会において失われつつある人間存在の至高性を、本来祝祭と共にそれを保持していたはずの芸術という制度において、また祝祭と不可分であった原初的な芸術の形態においてそれを取り戻そうという課題への様々なアーティストによるアプローチであった。

 これが数十年という長期にわたるアバンギャルド芸術運動という祭りの私なりの解釈である。しかしどんな祭りにも終わりは訪れる。最後に祭りのあとについて、ダダ・シュルレアリスム以降の芸術について語っておかなければならない。

   


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荒井賢 (Ken Arai)

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