泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 
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祭りのあと5

第5節   祭りのあと


 シュルレアリスムは、結局自らの切り開いた新しい道をとことんまで進むことができなかった。彼らは自らの運動の持つ可能性をくみ尽くせなかったのだ。芸術の地平を越えて、近代社会の中に祝祭空間を組織するというアバンギャルドの新しい課題が彼らの目の前に開けていたのだが………。この道なき道を進むためには、より強靭な知性と勇気が必要だ。私たちはその新しい課題へのアプローチをどこに見いだすことができるだろうか?アバンギャルド芸術を受け継ぐ精神をどこに求めることができるだろうか?そんな想いで第二次世界大戦後の前衛美術を眺めてみたい。

 『1940年代後半以降、美術のあり方に根本的な変化がもたらされた。カンディンスキー初期の表現主義的な作品傾向やシュルレアリスムなど、20世紀前半の美術の流れが受け継がれるとともに、第二次世界大戦で体験させられた生の凝視が重くのしかかっていた。不定形な厚塗りのマチエール(画肌)や錯綜した手跡によって実存的な人間の感触を探るフランスの「アンフォルメル」と、描く行為の痕跡と痕跡の間の緊張感に瞬間的な現在を求めるアメリカの「抽象表現主義」あるいは「アクション・ペインティング」がその中心であった。』(末永照和=監修『20世 紀の美術』)

 このように戦前のアバンギャルドの運動を何らかの形で発展、継続したものが戦後の美術、例えばアンフォルメルであり、抽象表現主義である……というのが一般的な見方のようである。戦後のモダンアートに関するどんな本を読んでも、ポップアート、ミニマルアート、観念芸術、環境芸術、etc.……と、様々な芸術運動が、戦前の諸運動に続く形で美術史上につらなっているのを見ることができるだろう。
 だが私が提示したいのは、全く異なるパースペクティブだ。アバンギャルド芸術運動という名の祭りは、ダダ・シュルレアリスムの時点で、新しい形態の祭りへと脱皮しつつあったのであり、おそらく戦後には実際に新しい形態の祭りに、もはや芸術とは呼べないような形の祭りに生まれ変わっている。上に挙げたようないわゆる戦後のモダンアートの諸潮流は、むしろアバンギャルドの亡霊、ないしは脱皮した祝祭の抜け殻にすぎないのだ。

 アクションペインティングという言葉が出てきたが、戦後のある時期の美術の特徴をあらわすのにちょうどいい言葉だ。例えばアンフォルメルとしてくくられる画家たち、デビュッフェ、フォートリエなどの絵は、例えば絵の具に砂をまぜた厚塗りの画面などに、筆やナイフで引っ掻いたといったような、マチエールに気を使った絵になっている。これはあきらかに絵画作品の物質性(すでにセザンヌにおいて意識されはじめていたと第1節で書いておいたが)を意識したものだ。彼らの絵において主題は二の次である。児童画のような、落書きのようなその主題よりも、問題にしなければならないのは厚く塗り込められた画面上の「錯綜した手跡」である。それはアーティストが画面の前で行ったアクションの痕跡だ。表現主義的に錯綜した、ないしはダイナミックな運動の軌跡がカンバスの上に残される。それがわれわれにアーティストの何がしかのアクションを喚起するのだ。
 彼らだけではない。剣豪の如くカンバスに躍りかかるジョルジュ・マチウ、同様に、アメリカのデ・クーニング、フランツ・クライン、そして日本の具体派など、戦後の一時期、アグレッシブなアクションを特徴とする絵画が多数生まれた。作品のオブジェ的性格、および制作が「行為」であるという問題意識、これらによって彼らの仕事がダダ・シュルレアリスムの延長線上に位置しているといわれるのも理解できる。しかし……、である。私は疑問に思うのだ。彼ら戦後のアーティストたちの仕事は、確かにアクションである。だがそれはあくまでもペインティングでしかないではないか…、と。

 詳しくみてゆくために、いわゆるアクションペインティングの代表者、アメリカのジャクソン・ポロックの活動を振り返ってみよう。
 初期のポロックは、メキシコ絵画やピカソなどの影響を受けたエネルギッシュな抽象表現主義風の絵を描いて、アメリカの画壇で注目されていた。だが彼は、ドリッピングとか、ポーリングと呼ばれる、絵の具を直接画面にたらし、まき散らすという方法で製作するようになる。大きなカンバスを床に広げて、缶に入った絵の具をはけにつけて画面上にまき散らす彼の制作方法や、その結果出来上がった「オールオーヴァー」と呼ばれる、画面全体が均質化した、構成も焦点もない作品が人々を驚かせたのは想像に難くない。


ジャクソン・ポロック 『秋のリズム』

製作中のポロック

 絵の具をたらしたり飛ばしたりする技法は、そもそもすでに、偶然性を制作に取り込む技術としてシュルレアリスムのなかに現れている。だがポロックがドリッピングの技法を用いるのは、シュルレアリスムのそれとは異なる文脈においてである。ある意味、ポロックは「飛ばし」の技法の持つ可能性をその極限まで引き伸ばしてみせた、といえる。ポロックの作品は絵画の極限の姿を示している。彼はかつて存在したことのない全く新しい絵画を作り上げた。「オールオーヴァー」の絵画で彼はアメリカ美術のヒーローになったのだった。
 ポロックの活動の問題意識は一目瞭然だろう。そこでは絵画制作が一つの「アクション」であるというダダイズム以来の問題意識が実にストレートに表現されている。ある批評家はこんな表現でアクションペインティングについて述べている。「あるとき、一群のアメリカの画家たちにとっては、カンバスが実際のあるいは想像上の対象を再生し再現し分析し、あるいは『表現する』空間であるより、むしろ行為する場としての闘技場に見え始めた。カンバスの上におこるべきものは『絵』ではなく『事件』であった。」(ハロルド・ローゼンバーグ)
 確かに戦前のアバンギャルドの芸術を乗り越えた新しい表現が生まれたかに見える。しかし私にはポロックの作品が、ダダ・シュルレアリスムの問題意識の継承、発展であるというよりも、ダダイズムの破壊的活動のなかのあるコンセプトを無制限に拡張したものにすぎないようにしか思えないのである。別のいい方をすれば、結局、彼は画家でしかなかったということである。

 シュルレアリスムにおいて、あらゆる技法は偶然性を作品制作に取り込むためのものであった。それによって意識下の欲望を解放し、アーティストの生を変革する、と同時に社会をも変革するという、より幅広い課題に応える技法なのだ。残念ながらシュルレアリズムの探求は、中途半端なところで終わってしまった。だがブルトンのマニフェストのなかに、芸術運動をこえて新しい祝祭を近代社会のなかに巻き起こそうという方向性を見てとることは難しくないだろう。
 が、それに対してポロックにおけるドリッピングの技法の使われ方は、作品制作という目的に限定されている。いや、ポロックだけではない。上にあげたアンフォルメルをはじめ、いわゆる戦後のモダンアートの作家たちすべてにあてはまる事態なのだ。いかにも彼らのアクションは激しくアグレッシヴである。しかしその激しさは画面上、作品上の行為に限られる。シュルレアリストは芸術の枠を超えて日常生活の変革へと闘いの場を広げていった。だがポロックたちの闘いは、リングのなかだけでファイトするボクサーのように芸術の枠組みの中でのみ格闘するのである。

 ダダ・シュルレアリスムにおいては、近代芸術の制度の破壊、そして生や社会の変革のための手段として用いた様々な技法やコンセプトは、それが新鮮味を失い、その目的にそぐわないと見られるや否や投げ捨てられ、顧みられなくなる運命にあった。なぜならそれは手段でしかなく、問題なのは破壊であり、生なのだから。しかし戦後のモダンアートはダダイスト、シュルレアリストたちが投げ捨てた技法やコンセプトを別の文脈において徹底的に利用する。もちろんその文脈とは「作品制作」という目的のためである。まるでアバンギャルドが破壊の対象としてきた作品中心主義を、再建するかのごとくに先達の技法を利用するのだ。
 わかりやすい例をあげれば、ポロックは「飛ばし」「たらし」の技法を、また、ポップアートは明らかにキュビズムのパピエ・コレという技法や、ダダのコラージュ、レディメイドのコンセプトを発展させたものだ。またアースワークで有名なクリストは「梱包」というコンセプトをひたすら拡大する。モノの存在と不在の虚をつくこのコンセプトもやはり古くはマン・レイの作品などの中に見いだすことができる。そして彼らはその技法の可能性をしゃぶり尽くすように様々なバリエーションを持った同じコンセプトの作品を作り続けるのである。このようにしてポロックのオールオーヴァーの絵画は何枚も作られ、ウォーホル、リキテンスタインの複製絵画が次から次へと生産され続ける。クリストにいたっては身の回りのものを梱包することから始まって、さまざまな公共建築物を丸ごとビニールのシートで包み隠すようになり、しまいにはフロリダにある小さな島々をむ包むという巨大なプロジェクトにまで拡大してゆくのだ。

   
ポップアートの絵画 アンディ・ウォーホル(左) ロイ・リキテンスタイン(右)

 バリエーションの展開、次にその根気ある継続、そして制作の規模の拡大……、これらが、戦後のアーティストがひとつのコンセプトにしがみつく方法なのである。何のために彼らは一つのコンセプトに徹底的にこだわり、制作を進めるのかといえば、もちろん作品のオリジナリティのためということになるだろう。
 価値は差異から生まれるとすれば、オリジナリティへのアーティストのこだわりは当然のことである。少しでも他人と違うものを、今まで誰もやったことのない新しい表現を……というわけだ。そのためアーティストが自らのスタイルを確立し、追求するべきコンセプトを定めると、そのコンセプトを極限まで突き進もうとするのである。
 もちろんオリジナリティの追求そのこと自体は正しい。いつでも他人と同じであることが美徳であり、突出した存在を排除しようとする均質化した日本社会の風土を考えると、彼らヨーロッパやアメリカで活動するアーティストのあり方は、むしろ健康的にすら思える。だが私が不満なのは、その価値、オリジナリティが作品上の問題でしかないこと、芸術の枠組みの中の問題でしかないことなのだ。そこで問題になっている価値はアーティストの存在そのものの価値ではなくて、作品の価値、つまりは商品としての価値でしかないのではないか。差異化によって価値が生まれるという言葉自体そもそもマーケティングの発想でもある。
 アーティストの成功を、作品が売れて、世の中に認められ注目されることだとすれば、彼らの戦略は的確であり、事実、見事に成功を収めたに違いない。しかし前節まで語ってきたように、アバンギャルド芸術の目的は至高な生の実現であり、近代社会に祝祭を復活させることにあった。アバンギャルドが破壊の対象にしていたのは、作品中心主義的な近代芸術のシステムであり、特にシュルレアリストにおいてはその攻撃の対象は近代資本主義社会のあり方そのものへとシフトしていった。
 それに対して、戦後のアーティストたちの活動は作品中心主義をむしろ強化し、それによって近代芸術のシステムを肯定するものとなっている。近代芸術の枠組みを順守し、すべての活動はその枠組みの中でのみなされる。そしてそれは時代に対して、刺激的だが危険のないスペクタクルとして提出され、作品という形で資本主義社会の流通に乗り、消費されるのである。
 もちろん今まで話題にしてきたポロックも、画壇の絶賛にもかかわらず、アバンギャルドの追求してきた祭りの精神という地点から見る限り、システムにからめとられた反動的なアーティストであったと私は考えている。彼の激しいアクション・ペインティングは芸術の枠組みを少したりとも打ち破ることはないのだ。本当の意味でポロックの存在が至高であるためには、彼のアクションはペインティングを越えていなければならなかったはずだ。
 彼はいきづまり、もがいていたのかもしれない。ポロックの語る制作の方法論に耳を傾けると、彼の仕事が何か神秘的な作業にも思えてくるだろう。「私が自分の絵のなかにいるとき、自分が何をしているのか意識していない。私が何をしていたかがわかるのは、一種のしっくりした事態がきた後だけである。」「私は自然に向かって描かない、自然のなかで描く、私は自然である。」こうしたミステリアスな彼の言葉を聞くと、彼もアーティストとして、絶対への想いがあったのだろうと想像するに難くない。至高な生への想い……、だがそれは芸術の枠の中では到達できないものであったのだ。
 元来、精神的に不安定であったポロックは、アルコール中毒にたびたびのように陥り、絵画の制作も滞ってしまった。高まり行く名声をよそに、彼は酒に酔って運転した自動車で暴走事故を起こし、44歳でこの世を去った。熱く、エネルギッシュだと評されるポロックのドリッピング絵画だが、原色の絵の具が複雑に絡まりあうその画面からは、気のせいか灰色の、索漠とした空虚さすら感じないだろうか。手応えのある芸術作品に見られる意味の充満が、彼の作品から感じられないように思うのである。そしてその索漠とした空虚感は、ポロック以降のモダンアートのほぼすべてにも付きまとっている。例えば、アンディ・ウォーホルは「アンディ・ウォーホルのすべてを知りたいのなら、僕の絵と映画および僕自身の表面を見ればいい。そこに僕がいる。その裏側には何もないのさ。」と告白している。何もない……、オリジナリティを追求しているはずのアーティストの中身には、何もないというのだ。この虚無感が示しているのは、もはや芸術が祭りの場、至高な戦いの場ではなくなってしまったということなのではないだろうか?
 
 河原温というアメリカ在住の日本人アーティストがいる。コンセプチュアル・アート(観念芸術)で有名な画家だ。彼の「デイト・ペインティング」は、毎日毎日、その日の日付けをカンバスにレタリングしただけの作品である。この人はその作業を何年にもわたって続けていて、日付けだけを描いた彼の作品は世界中の美術館に買い取られ、展示されているという。デュシャン的な虚をついたコンセプト、その反芸術活動を根気良く継続させ続ける意志。芸術上のあるコンセプトに捧げられた生……、なるほどそこに河原の高度に戦略的な生き方を見て取ることができるだろう。しかしすでに戦場でなくなってしまった芸術の枠内での彼の戦略的な生に何の意味があるのだろう。ひょっとして河原は芸術の亡霊に彼の生を捧げてしまったのではないのだろうか?


河原温 『Feb.19.1980』

 また、上ですこしふれたクリストの巨大なラッピング(梱包)プロジェクトは、包み隠すという行為が芸術であるということを、見るものに反論する余地のない形で強烈にアピールしている。クリストはそのプロジェクトの実現のために何十億円という資金を、自らのドローイングを売ることでもって調達し、何百人、何千人という人に賃金を払い梱包のプロジェクトを実行するのだそうである。大金を注ぎ込んでなされる巨大な無駄、無意味。何のためにこのようなことがなされたのだろうかと、彼のプロジェクトが見るものに衝撃を与えるのは間違いない。だがクリストのプロジェクトから規模の巨大さをはぎ取ってしまったら、そこに残るのはすでに半世紀も昔に世間を騒がせたダダ的なコンセプトのみではないか。規模の演出のみが人を驚かせているという意味では、商業的なスペクタクルやイヴェントとどこが違うというのだろうか?これは芸術なのだ。利潤を追求しているわけではない……。もちろんクリストはそう考えているはずだ。しかし巨大なプロジェクトがマスメディアの関心を引き、それが新たなプロジェクトの資金調達を容易にし、さらに巨大なプロジェクトを可能にしてゆくという拡大再生産的な彼のアートは、企業家の事業とダブッて見えないだろうか。調達した資金をもとに事業を起こし、その事業によって回収した資金をさらに規模の大きな事業を起こすために投資する企業家と……。クリストと企業家の違いはといえば、クリストの反芸術的な表現のコンセプトと、企業家の利潤の追求というコンセプトの違いだけなのではないだろうか?芸術とは祝祭である。それは資本主義的な生産の原理とは正反対の位置にあるものだ。その芸術がこれほどまで生産のためのシステムと同じスタイルをとることがあり得るのだろうか?ひょっとしてクリストにおいて芸術の亡霊は、図らずもその本性を露骨に現してしまっているのではないだろうか?


ヤヴァシェフ・クリスト 『梱包されたライヒスターク』

 結論をいってしまえば、いわゆる戦後の前衛美術の産み出したものは、少数の例外をのぞいて、戦前のアバンギャルドの求めた祝祭とは正反対のもの、芸術作品という名の商品であった、ということだ。ポップアート、ミニマルアート、観念芸術、環境芸術………と、新たな芸術運動がおこったところで、どこまでいってもその試みは祝祭たり得ない。それが芸術の枠内での闘いに始終する限りそうなのである。「反芸術」という祭りはダダ・シュルレアリスムにおいてすでに終わりを告げたが、その亡霊はその後半世紀以上たっても生き続け、こうして資本主義社会のシステムを肯定し補完する役割を果たし、新しい祝祭を産み出そうとする人間の情熱を混乱させ、至高な生の発現を蝕む方向に働いているのだ。

 私たちが求める新しい祭り、それがどのようなものであるのかを探らなければならない。新しい祭りへの道筋をこの混乱の中に切り開いてゆくこと。それが何よりの亡霊退治になるはずであろう。

   


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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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