泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

Category: ニュース・時事など   Tags: Thought  

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奇蹟は起こらなかった

 僕たちは自分を危険や死にさらす権利を持っている。唯一許される殺人は自殺だけだ。僕は自分を危険にさらすチャレンジを肯定的に考える。たとえそのチャレンジが失敗という結果に終わってもだ。未知の運命に尻込みしてやりたいこともできないでひっこんでいるよりも、そのほうがどれだけましだろう。失敗からこそ僕らは何かを学ぶのであって、あえて一歩を踏み出さないことには何も始まらないのである。だから香田証生さんの無謀な試みを僕は基本的には支持している。それが本人の下した決断であるなら僕らがとやかく言うことではないだろう。
 とはいいながらも香田さんは一体何のためにバグダットへ向かったのだろう? 危険地帯に足を踏み入れることで自分の勇気を証明したかったのだろうか。危険だ、危険だ、と言われている所でも実際に行ってみるとそうでもないなんてことはよくある話で、口コミやメディアの情報は大げさだったりするものだ。彼はそのことを証明したかったのだろうか。無事にイラクから帰ってくれば、香田さんの無謀な冒険は武勇伝になる。「ほら、何とかなるって言ったでしょ。」と得意になることもできただろう。だがそれだけのために彼はバグダット行きのバスに乗ってしまったのだろうか?今となっては実際のところはわからない。
 だが、命がけでどうしてもイラクへ行かなければならない特別な理由が他にあったのだろうか。「すみませんでした。日本に帰りたいです。」という泣き言ともとれる彼の言葉から感じるのは後悔の念であって、イラク行きは死の危険を覚悟した上での決断ではなかった、ということを示している。
 大胆な選択は失敗すれば強烈なシッペ返しをもたらすものだ。あまりに軽率な香田さんの判断のつけは、結局自らの生命で支払わざるを得ないことになってしまった、ということだろうか。それにしてもずいぶんと高い代償を支払うことになってしまった。
 殺害されるまでの数日間彼が体験したであろう食事ものどを通らないような絶望感を思うと恐怖とともに悔しさがこみ上げてくる。何だってそんな所に行ってしまったんだ、その素晴らしい行動力はなにか他のことに使えなかったのか、命を賭けるべきチャレンジはもっと別のことあるべきではなかったのか、と………。が、あとの祭りである。死んでしまっては香田さん自身が経験から学ぶという機会は永遠に失われてしまう。若い命はほとんど無用に、何のためだかわからぬまま、噴き出す血とともに消されてしまった。不条理な、カフカの『審判』のラストシーンのような幕切れだった。

 ただ、香田さんが軽率であった、と他人事ではすまされないのは、やはり自衛隊の派遣という日本国民の選択が人質事件の原因になっているということだ。テロリストは自衛隊を復興支援だとは見ていない。僕ら自身がどう思っていようと、日本はアメリカの仲間なのである。したがって自衛隊の派遣という選択は日本人全体にテロの対象になる危険性を招いているのだ。
 香田さんは自分でイラクへ入って命を落としてしまった。しかし今度はテロリストのほうから日本に出向いて事件を起こす、という可能性だってゼロではない。そのような危険な選択を僕らはしている、ということは絶対に忘れてはならない。やはり軽率な自衛隊の派遣によって、僕ら日本人のすべての首の上に長い刀が振り上げられているのかもしれない?

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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
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