泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

Category: アート・建築・デザイン   Tags: 芸術  思想  岡本太郎  

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岡本太郎「曼陀羅頌」を読む1

ー1ー


 私の師匠は岡本太郎である。もちろん面識などない。19歳の頃、私は彼の『今日の芸術』や『黒い太陽』といった本を読んで人生観、芸術観を180度ひっくり返されてしまった。それ以来、岡本太郎は私の師匠なのだ。


岡本太郎 『太陽の塔』

 晩年、彼はよくCM、バラエティーなどメディアによく登場していた。大部分の視聴者は彼のことを奇人変人としか理解できなかったかもしれない。だが、彼は超インテリであり、巨人なのである。知っているだろうか、若い頃の岡本太郎はフランスで生活し、カンディンスキーやモンドリアンらと共に抽象芸術の運動を押し進めていた。彼は抽象芸術のパイオニアの一人なのだ。知っているだろうか、彼はソルボンヌの学生であり、マルセル・モースのもとで文化人類学を学んでいたことを。またバタイユやカイヨワらの、神聖社会学研究会やアセファルといったコミュニティーに首をつっこんでいたこと、そして彼らと兄弟のように深くつきあっていたことを。岡本太郎は、フランスの現代思想を学ぶものなら誰もがうらやましく思う環境で自らの精神を鍛えたのだ。またその後の日本での彼の活躍は説明するまでもないであろう。
 岡本太郎の言葉。難しいことはないも語っていないが、彼の一言は常に生の核心をついている。「芸術とは生きることである。」この一言で彼はアバンギャルド芸術の本質を言いあててしまっている。また「世界に対してNONを言う。」「安全な道と危険な道、この二つを前にした場合、常に危険な道を選ぶ。」こういった言葉は、哲学者が何冊もの書物で語ったことを、たった一言で語り尽くしてしまっているのだ。
 まさに岡本太郎の言葉、活動のすべて、つまり彼の生に対して私が付け加えることなど何もないのである。大げさに聞こえるかもしれないが、彼の存在そのものが、近代社会に対するアンチテーゼなのであり、人間存在の可能性に対する一つの回答なのだといえるのではないだろうか。
 岡本太郎について語る人、賛美する人は決して少なくはない。だがその中でどれだけの人が岡本太郎の本当の偉大さを理解しているだろうか?身近に彼と接した人でさえ岡本太郎という存在を捉えきれていないのじゃないかとよく思う。誤解を恐れずに言えば、私こそは岡本太郎を理解する数少ない人間の一人だ。私は120%の信頼をもって彼の文章を読み、作品を眺める。彼の作品が理解できないときは、私にはまだまだ激しさが足りないのだと自分自身を責めてしまう有り様である。だが私は岡本太郎の信者ではない。彼だって信者なんて欲しくなかったはずだ。
 十代の頃、何となく探し求めていたもの………、みじめでちっぽけな私の思春期に探し続けていたものーーーそれは、自分がどのように生きていくか、何をして生きてゆくのかという問題であったのだがーーーは岡本太郎の言葉によってはっきりと意識することができた。ちりに埋もれ、ホコリをかぶっていた自分自身を発見したような気がした。すべての問題は、解決したと思った。
 が、しかし、私の生は依然としてここにあり、これから何十年も生き続けてゆかねばならないのだ。岡本太郎はニタッと笑って私にこう語りかけているようだった。「僕はこんなふうに生きた。さあ君はどうするんだい?」そう、彼は教祖などではなく、良き教師であった。


岡本太郎

 二十歳の私は私自身の新しい課題をはっきり意識して、目の前に開けたまだ見ぬ未来の光景に驚きと歓びを感じながら、荒野を突き進む開拓者のように歩きはじめたのだった。もっともその後の私の生は、私自身心に描いていたものとまるで違ったものになってしまった。これが弁証法ってヤツかな、などと人生の苦々しさに心の中で舌打ちしながら今も生き続けているのだ。


 いやいや、ここは自分を語るところではない。『祭りのあと』について、アバンギャルド芸術の終焉について考えたいのだ。そう、岡本太郎はこの問題をはっきりと見抜いていた。いかにその視線が鋭いものか、皆さんに理解していただきたいのである。
 1974年、岡本太郎はアンドレ・マルローと『世界芸術の運命』と題される対談を行っている。そこでマルローはこんなふうに、モダンアートの新しい局面についての話題きりだした。

 マルロー 「さて、ここに重要な問題があるんです。さっきも言ったように、芸術はある時点に到達した。ここで大事なことを言わなければならないんじゃないか。彼らは何が一番大切であるかを知っていた。芸術は、何と言っても経験の問題だ。失敗することも成功することもある。いろいろな実験や経験をまさぐりくりかえして、ついに獲得し得たものは”自由”だった。芸術家が究極的につかんだものは自由を得ることだった。それは絶対に、あとにはもどらないだろう。
 今後、多分キュービズムも抽象芸術も、あの形としてはなくなるかもしれない。だが芸術は自由であり続けるだろう。」

 これに対して岡本太郎はこう切り返す。

 岡本 「だけど、芸術家が、もし真に”自由”であるなら、なにも無理して絵を描く必要もないんじゃありませんか。」
 マルロー 「あなたが指摘したことは大変重要だ。今,フランスの若い,二十五歳くらいの絵描きにきいてみたら彼はこういうだろう「絵を描くべきか。そんなものではない芸術をやるべきか,考えている。」と。ということは,ものとして持続するものか,しないものか。破滅するものか破滅しないものか……。」

 二人とも,モダンアートにある転換点がおとずれていることに気づいている。だが,その立場は微妙に違っている。 ”自由”こそが問題だと語りながら、マルローは芸術作品にこだわり続けている。それに対して岡本太郎は作品制作にはこだわらない、という立場をとる。続けて彼はまるでシチュアシオニストのような発言をする。

 「それにしても、なぜ芸術家が商品をつくらなければならないのか。それが現代の一番の問題だとおもいますよ。」
 「芸術家にとっては、自分の死後、自分の作品が残るのこらないはどうでもいいことじゃありませんか。むしろ残さないという意志も芸術家にはあるのですよ。芸術が残っていてどういう意味があるのだろう。作者がそのとき、現時点においてつくったということが絶対の時間、瞬間なのであって、 作品が残る残らないは、作者が考えるべきことではないと思う。」

 商品の制作を拒否し、作品ではなく状況の構築のうちに美を見いだそうとするシチュアシオニストの立場と、作品を残さないという意志について語る岡本太郎の問題意識は、驚くほど正確に重なっている。つまり、『世界芸術の運命』について、彼らはある共通の認識を持っていたのだ。それが、 『祭りのあと』というエッセイで長々と私が語ってきたこと、すなわちアバンギャルド芸術の終焉についての認識であったのだ。


岡本太郎 『森の掟』

 だが、アバンギャルド芸術の終焉について考える前に、アバンギャルド芸術がなんであったか簡単に振り返っておかねばならない。


 人類は歴史のはじめから、絶対への、至高な生への欲求を持っていた。人間はみな生き延びるために労働しなければならない。だが未来の時間に現在の瞬間を従属させてしまう労働のみの生は、当然ながら至高な瞬間を求める人間の要求を満たすものではなかった。未開の/古代の社会は祭りの時間を自らの社会システムの中に組み込んでいた。祭りによって人間は自らの存在にアクセントを穿ち、世界を彩った。すなわち祭りの中で人間は労働の隷属的な生を乗り越え、至高な瞬間への接近をはかったのだ。それは生きる喜びであると同時に、死を垣間みる危険な瞬間でもあったが、そのような緊張をともなうドラマ チックな生こそ、人間が真に望んでいるものではないだろうか。古代、中世を通して社会は至高な価値をめぐって組織されていた。王権、宗教、戦争、伝統的な祝祭。何よりそれらきらびやかな時間を中心に全ては動いていたのだ。そして,おそらくそれら至高な価値の表現面のことを、われわれは今日、芸術として理解しているのだ。
 だが、ルネッサンス、宗教改革、市民革命、そして産業革命とつづく大きな事件を経験し、ヨーロッパの歴史は近代を産み出した。近代社会は、かつての社会、至高性を中心的な価値として組織された社会とは異なり、いわゆる資本主義の精神、すなわち将来への配慮に全面的に支配された社会であった。そのため、近代社会において人間はひたすら生産し、労働する存在へと変貌させられた。そこでは勤勉であることが尊ばれ、祭りの精神、至高な諸価値は理解されがたいものとして衰退してゆく運命であった。王権にしろ、宗教にしろ、近代的価値観にとってみれば単なる虚飾にすぎないものとなってしまったの だ。では、近代人であるわれわれには、至高な生を求めるためのチャンネルは存在しなくなってしまったのだろうか?
 われわれ近代人に残された道は、隷属的な生を強いる近代社会に反抗を企てることであった。共産主義運動はそのような要請のもとに生まれてきたものであった。(実際、パリ・コミューンなどの革命を祝祭にたとえることからも、革命行動の中に至高な生を見ようとしたことがうかがえるだろう。)が、政治的な行動は常に将来への配慮をもとになされるという意味では、結果的に乗り越えようとしていた隷属的な生に逆戻りしてしまうのだった。
 そのような状況の中、ニーチェのような少数者が、至高な瞬間の優位を説きはじめ、なにものにも隷属しない,新しい至高な生の形を打ち出しはじめた。そしてまた、少数の芸術家たちも、至高な瞬間を、絶対を求めて、芸術の制度に対して反抗の狼煙を上げたのだった。なぜなら芸術はそもそも労働ではなく、至高な価値の側にあったはずであり、アーティストもそこに至高な生の実現という自らの夢をかけることができることができると踏んだからである。それは生き延びのための労働のみが価値とされる社会に対して、自らの生を賭けに投入することによって、世界に大いなる緊張を、彩りをもたらそうというものであった。自ら危険な前線へ飛び出していった彼ら、アバンギャルドとは、近代における祭りの精神(至高性)の発現の形態である。それは、芸術の制度に挑み、解体するという形で現れた「反芸術」という名の破壊の祭りであったのだ。

 しかし、その破壊の祭りは、ある転換点を迎えているというのだ。いったいなにがおこったというのか。そして、そのことはどんな意味を持っているのだろうか?

 この問題について、岡本太郎がもっとつっこんで語っているテキストがある。『神秘日本』という本の中の「曼陀羅頌」というエッセイで ある。これは、京都の高雄山にある密教のマンダラに「秘密」と「表現」の問題を見ようとする、やや難解なエッセイだが、そのテーマ にかかわるエピソードとして戦後のモダンアートについて語った一節がある。その一節が、アバンギャルド芸術の終焉、祭りのあとの空しさの問題を鋭くえぐり出しているように思われるのだ。
 
 少々長くなるが、岡本太郎のテキストを読んでもらいたい。



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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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