泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

Category: 旅行・タイなど   Tags: Thai  

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キーニオ

 キーニオというタイ語がある。「ケチ」という意味だ。「イプン キーニオ(日本人はケチだ。)」とか「ファラン キーニオ(白人はケチだ。)」なんてタイ人が言ってるのをよく聞く。僕はこの言葉を耳にすると複雑な気持ちになる。こんな言葉にも異文化とのコミュニケーションの難しさが現れているのだ。
 タイにはカネに余裕のあるものは、生活が苦しいものを助けるべきだ、という暗黙の了解がある。そこで気前よくカネを出してやらないものは、キーニオだとか、ヘンケートゥア(わがまま)だとか言われる。何かの本で読んだところによると、ケチ呼ばわりされることは、タイ人にとっては人格を否定されるようなものなんだそうだ。
 観光や仕事などでタイを訪れる外国人は、当然タイ人よりも金持ちだと認識されて、タイ人に対して何らかの施しをなすものと期待される。ところが僕ら外国人にしてみれば、タイの魅力とは何よりも物価の安いことなわけだから、すこしでも滞在費を節約して、自分の国にいたのでは味わえないような時間の使い方をするために、ケチケチとやりくりして少しでも長いバカンスを過ごそうとするだろう。これがどうにもタイ人には理解できないようなのだ。その結果外国人とつきあうタイ人の口から「キーニオ」というグチが吐き出されるのである。
 タイに限らず発展途上国を訪れる旅行者が、ものを買うときにボッタクリに遭うのは珍しいことではない。まあインド人みたいに堂々と正価の10倍以上の値段をいってくるような人たちの国はともかく、定価なんてあってないも同然、というのは常識だ。したがって、タイ人にとっては「外国人はカネを持ってるんだから少し多めに出してもらって当然だ。」ぐらいの気持ちで高い料金を請求するわけだ。
 しかし外国人としては、なんで正価より高い料金を払わせられねばならないのか、と感じてしまうことだろう。旅行者、特にバックパッカーなんかはボラれてはならないと身構えながら旅行することになるわけだ。実際、悪質なタイ人もいるし、払う必要のないカネはやはり払うべきではないとは思う。であるにしても、そのようなタイ人のやり口に、過剰に身構えるだけでは大切なものを見落としてしまうのではないかと、僕は思っている。
 旅行にしろ何にしろ、安くあげることが目的なのか? 少ない出費でなるべくオイシイ思いをしたいという気持ちはもっともだ。しかしながら、タイに限らずある国を理解しようというのなら、不可解な思いを抱きつつも、一度は彼らのやり方、彼らの論理に従ってみることも必要なんじゃないかと思う。そうすることで少しは彼らの世界を内部から理解する手がかりを得られるんじゃないか、と思うのだ。またその結果、自分自身の国の(例えば日本の)システムを批判的に、相対化して眺めることもできるのじゃないだろうか。
 バックパッカーは、とにかく自分がオイシイ旅行をしているということを、他の人に言いたくて仕方がないらしい。だからボラれている人が愚の骨頂に見えるのだろう。イヤ、そういう時期があっていいのかもしれない。しかしそれを続けるだけではおそらくバックッパッカー=貧乏旅行という先進国の作り出したひとつのシステムの虜になってるままだろう。それは果たして旅なんだろうか。
 もっともタイ人の方だって外国人旅行者の生活がどのようなものであるかなんてさっぱり理解する気もないし、できないのだ。おそらく外国人はタイのそれよりもよっぽど過酷な、先進国での労働をきっちりと責任を持って成し遂げ、稼ぎだしたカネでもって遊びにきているのだ。そのカネをどのように使おうと、それは個人の勝手なのであって、タイ人の共同体の論理(これについてはまた後で書くつもりだ。)でもって、ケチ呼ばわりしかできないのはいかにも薄っぺらい。

 キーニオという言葉を聞くとき僕が感じるのはこの絶望的なほどの異文化間のギャップである。いやもちろん僕だってこのギャップを乗り越えられるわけじゃない。日本という先進資本主義国のシステムが身体の奥までしみ込んでいるはずなのだ。しかし少しでも自分の内部を貫いているシステマティックなものの見方をぶち壊したくて僕は旅に出たのだ。
 僕がタイ通いを続けた目的の一つは、大げさに言えば、彼らの世界にある程度受動的に身を任せてみるという実験、ある意味シチュアシオニストの漂流の技法にも通じる実験のためであったといえるかもしれない。その実験を通して僕は、いつしか貧乏旅行者という先進国のシステムに異和を感じ、またタイ人という共同体のシステムにいろいろ反発を感じながらも、彼らを理解しようとしたことで、自分自身を捉え直す新しい眼を少しは養ってこれたのじゃないかと思うのだ。

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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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