泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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祭りのあと あとがき

 この「祭りのあと」という文章はいつか書かねばならないと思っていたものだ。私がかつて油絵を描き、作品展を開いた頃から、かれこれ二十年が過ぎようとしている。あのとき私は、もう作品を創らないと宣言した。それは全く内面的な経緯による、気まぐれな決断だと思われたかもしれない。おそらくは誰も問題にしてくれなかった孤独な決断……。(いや、今だって誰も問題にしていないわけだが。)しかしこのちっぽけな決断を二十年が過ぎようとしている今も守り続けているのは、私が怠惰だからなのではなく、私の中にそうせざるを得ない何かが……、責任と使命が、否、欲望と野心があるからなのだ。
 あらゆる行動がそうだといえるかもしれないが、この「祭りのあと」という誰も読みたくなくなってしまうような長いエッセイは、1987年に銀座のギャラリーで開いたささやかな作品展において私が受けた、無理解、冷笑、とぼけた反応(もちろんこれらは予想していた反応だったのだが)に対する弁明なのだ。この弁明するという課題は作品展以降、ずっと私の中に生き続けてきた。それは初め拙い表現しかとれなかった。(例えば資料として載せた「ギャラリーオーナーへの手紙」はまさに無理解に対する拙い弁明だったのだ。)しかし粘り強く続けていた探求、読書、またその後の人生経験などがその課題を表現するボキャブラリーを増やしてくれた。二十年かけて私なりの理論武装をほどこした弁明が、このエッセイなのである。つまり、バタイユやマルクスから拝借してきた概念を使って練り上げられたこの芸術論は、私の決断……「作品制作の拒否」という選択を正当化するというモチーフに徹底的に貫かれているのだ。

 私の言いたいことは実に単純だ。芸術は「祭り」である。しかし、アバンギャルド芸術はダダイズムによる徹底的な破壊によって終焉を迎えたはずだ、なぜならアバンギャルド芸術は、芸術の制度を破壊することで近代芸術に祝祭性を導き入れようとした解体の運動だったからであり、制度が破壊尽くされてしまえば必然的に運動は終結せざるを得ないからだ。したがってダダイズム以降のアバンギャルド芸術作品というものは、論理的にいってあり得ない。とすればダダ以降の前衛芸術は基本的に「ニセモノ」ということになる、そしてそのペテンに対するプロテストとして「作品制作の拒否」という戦略をとるべきではないか? というものだ。
 もっとも、私の理論武装をほどこしたこの弁明がすんなり受け入れられるとは思っていない。例えば、今現在、あたりを見回しても美術館にギャラリーにと前衛芸術はあふれかえってるじゃないか。美術評論家だってそれらの芸術を問題にしているわけだし、あなたの極端な考え方には無理があるのではないか? そんなふうに言う人がいるかもしれない。
 確かに、芸術や文化は巷にあふれている。だがそれは商品と化した芸術であり文化なのだ。私が求めるもの、そしてアバンギャルドが求めたものは「祭り」なのであって、商品を生産することではないのだ。いつのまにかアーティストの追求すべきものは「祭り」の創出から、商品の生産という労働へと移り変わってしまったというのだろうか。

 アバンギャルドが求めた「祭り」は、資本主義的な商品の生産とはまるで正反対の行いである。それは美術館やギャラリーにちんまりおさまってしまうようなオシャレな、癒しをもたらす装飾品の制作などではありない。資本主義社会が「祭り」の精神を排除することで成立してきたことを考えれば、「祭り」とはむしろ反体制的なものにならざるを得ないだろう。おそらく「祭り」の精神を胸に抱くものなら、本能的に商品と化した前衛芸術のペテンを見抜くことができるはずだ。さらに彼らは、美術館やギャラリーといったモダンアートを取り巻く芸術のシステム(制度)が、すでに「祭り」を演出する場ではないことを……また、それがアバンギャルド芸術の牙を抜き、芸術を資本主義経済の中に取り込み、商品として流通させるための装置でしかなくなっているということを、身体感覚として生理的に感じ取っているに違いない。
 ダダイズムの教えは「芸術はアクションである」ということに尽きる。ということはつまり、アバンギャルド芸術の精神、すなわち「祭り」を、芸術のシステムの枠内だけに限定せず、日常の生活の中に展開ことが可能であるし、また、そうするべきだということである。私たちの生活そのものが「祭り」であるべきなのだと……。ダダイズム以降の「祭り」を求めるムーブメントは、すでにシュルレアリスムがそうであったように、日常生活を祝祭化しようとする方向性を持つのである。
 このように、二十代の初めに開いたささやかな作品展において私が主張した「芸術を日常生活の中に解消するべきだ。」というテーゼは芸術の本質を「祭り」に見ようとする精神にとっては必然的な言説なのであり、また「作品制作の拒否という戦略」は、芸術のシステムという資本主義体制を肯定するための装置を拒否し、告発するための当然の戦略だ、ということになる。
 どうだろう? はたしてこのような新たになされた理論武装による私の弁明は、説得力を持つだろうか?

 意外なところから援護射撃が行われた……。シチュアシオニストの存在を知ったとき私はそう思った。まさに上に書いたように「作品制作の拒否」という戦略を持ち、「芸術を日常生活の中に解消する」ことを目指す文化運動が存在していたのだ。そしてこの運動はマルクスの思想を理論的背景に持っていた。私の中では、芸術とマルクスは全く相容れないものであったが、シチュアシオニストやイタリアのアウトノミア運動などを知るにつれ、マルクスの社会変革の思想もまた「祭り」の創出を目指すものなのだ、と理解するにいたった。もっとも、それは私の無知と先入観に原因があったのだが……。なにしろアバンギャルド芸術運動と社会変革の運動が、「祭り」の精神という共通の根から生まれたムーブメントであることは、すでに七十年以上も前にシュルレアリストによって見抜かれていたことなのだ。
 とにかく私が援軍を得たのは間違いなさそうだ。「作品の制作を拒否」し、「芸術を日常生活の中に解消する」という私の選択は孤独な決断ではなかったということだ。驚きと喜び、そしてわずかな口惜しさ、大げさにいえば、これがシチュアシオニストの存在を知ったときに感じたことだった。自分の感性が正当なものであることが証明されたと同時に、私の考えが全くの独創ではなかったということもわかったからである。
 したがって、現在の私の課題も明らかになった。マルクス主義者(私の言っているのはシチュアシオニストやアウトノミアといった一部の先進的、前衛的な左翼のことであるが。)から私は学ばなければならない。私と同じ「祭り」の創出という課題を持って現実にアプローチしていた彼らの経験から私たちは学ぶことができるのだ。現在の高度資本主義社会の中で、一体どのような形で「祭り」の実現が可能なのか? それを、例えば68年5月パリの経験から何かをつかめるのではないだろうか。学べるということは、喜ばしいことである。彼らから学ぶことの中から逆に私の独創性を打ち出せるのではないかと思う。そしてその新しい課題は、第2部「タコ部屋の青春」において展開してゆきたいと思っている。
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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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