泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

Category: 思想など   Tags: 思想  芸術  

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後期印象派に学ぶ

 20世紀美術の歴史は印象派から始まる。だが、本当に新しい芸術の端緒はむしろ後期印象派だろう。芸術家のキャラが立ってきて人間臭い作品が出現し始める。セザンヌ、ゴーギャン(ゴーギャンは普通印象派とは扱われていないが、同時代人という意味で…)、ゴッホ………彼らこそがそれまでのアルチザン的な美術の枠を乗り越え新しい意味合いの芸術を作り上げたのだ。伝統的な美の規範を外れる「逸脱」の芸術が開始された……と同時に彼らの生もまた市民(ブルジョワ)社会の規範からの「逸脱」に値するものだった。それだけに市民的感性の中にある人たちは、後期印象派の時代から1世紀を経た今でもセザンヌ以降の美術がわからないともらすことになる。

 
 セザンヌは革命児である。ルネッサンス以降の西洋美術の美学を粉砕した人だ。が、技術上の革新について語らないとなると、セザンヌにはあんまりパッとしない生涯だけが残る。エミール・ゾラという自然主義文学の巨匠と子供の頃からの親友だったが、スターダムにのし上がったゾラと比べて前代未聞の美を追求していたセザンヌの絵は誰にも相手にされることはなく、仲の良かったゾラからも見放され喧嘩をし絶交するに至る。人見知りで、何か憤懣やるかたないものを内面に抱え、女にももてず、絵も売れない……。今日でいうところの典型的な「負け組」の人生だ。
 それでも孤独の中で自分の美学を追究できたのは、亡くなったセザンヌの父親が成功した金融業者だったので、一生食うに困らないほどの遺産がセザンヌのもとに転がり込んできたからだった。セザンヌはいわば穀潰しとして生きていたということになる。商品と認められないものを制作し続けていただけならば、ほとんどニートだったと言えるかもしれない。


 行動的なゴーギャンの人生は波瀾万丈だった。船乗りや証券マンを職業にしていた彼は金融恐慌をきっかけに絵で生活することを考える。しかし革新的なゴーギャンの絵はやはり売り物にはならなかった。やがて西洋の文明に嫌気がさした彼は妻子を捨て仏領タヒチに脱出を試みる。現地人の若い女性と生活を共にしていたが苦しい生活の中、タヒチで永遠の眠りについた。いわばゴーギャンはヒッピーのはしりみたいな人生を送っていたわけだ。当然ではあるがゴーギャンの時代からしてすでに近代化の波はタヒチのような辺境にも訪れていたわけであり、原始的な自然の生活を求めるゴーギャンの夢ははじめから満たされるはずもなかったのであるが……。


 ゴッホの悲劇はご存知の通りである。自己犠牲的な情熱で民衆のために牧師として生きようとしていた彼が、挫折の結果選んだのは画家の道だった。印象派やとりわけ日本の浮世絵の影響を受け原色のタッチが激情のままのたうち回る独特のスタイルを確立してゆく。キチガイの描いた絵だと言われるほどの彼の絵に買い手がつくはずもなく、ゴッホの生活も貧困との闘いであった。セザンヌと違ってゴッホの生活は画商を営む弟の献身的な援助によって成り立っていた。つまりゴッホはパラサイトだったのだ。ゴッホの狂気や自殺の原因は今となっては想像するしかないわけであるが、自分の芸術がまるで認められないということに加えて、もともと人のために自分を犠牲に捧げようとしていた人だっただけに、弟におんぶにだっこ状態であった自分の存在のお荷物さ加減に絶望していたことだけは間違いないだろう。

 しかし見事に後期印象派のスターたちは苦い人生を歩んだものだと思わざるを得ない。ニートやパラサイト、ヒッピーだったのであり、まさしく「逸脱者」であり「負け組」だったのだ。たとえば印象派のマネやモネ、それからもっと時代が下ったピカソやマチスにも、ゴッホたちほどの逼迫した悲劇性は見られない。ピカソやマチスの晩年はむしろ成功者というべきだろう。つまり時代と芸術の理想の間にもっとも大きなズレが生じていたのがゴッホたちの時代だったということだ。それ以降の前衛芸術は時代(資本)に追いつかれ、むしろ回収されないためにいかに時代から逃走するかということが芸術のテーマになってゆく。ゴッホたちの場合は、生きてる間に彼らの絵は認められれることはなく、当然商品にもなり得なかった。ところが死後になって彼らの作品は特異な価値をもつ作品として理解され高額な商品へと変貌した。しかし、ピカソやシュルレアリストたちの活動は、彼らが生きているうちからその衝撃的な作品は反発を受けながらも商品として受け入れられていった。さらに、今現在アーティストと呼ばれる人たちは、ほぼすべて資本に飲み込まれてはじめから文化商品の生産者としてスタートを切っている、というのが正解であろう。ここであげた後期印象派の3人は開拓者だったのだ。広大な自由は恐ろしいほどの孤独やひもじさとセットになっていた。そこを疑惑と不安に苛まれつつも敢えて突き進んだことが彼らの偉大なところだった。

 それにしても何が彼らを芸術に駆り立てたのだろう。「美」や「特異性」なんていうけど、それは自分の安定した生活を犠牲にしてまで追求すべきものなんだろうか? 誰だってひもじい思いなどしたいなんて思っちゃいないはずなのに。ここには最近流行りの自己責任なんて言葉で語られるルールを超えたものが予感される。たぶん人は単に社会における安定や成功だけを求めているのではないはずだ。それこそ何か「正義」(市場における公正みたいなこととはとは別の意味で)のようなものを自分の生を犠牲にしてまで求めることがある、としか思えない(もちろんなんでもかんでも自分を犠牲にすりゃいいってもんではないだろうが)。でないと、彼ら前衛芸術家たちは倒錯者と呼ばれるほかはないであろう。実際そのように考えている人はけっして少なくないと思うが……。
 僕らはこの世界に負い目がある……とあえて考えてみる。人類の歴史に、過去に生きた人々の為したことや作り上げられたものに僕らは支えられることで今日がある。芸術に限ってみても過去の人々が作り上げた色や形、音やドラマを僕らは歓びとともに享受している。そこで享受したものを僕らは返済しなければならないと思っているのではないだろうか。過去の時代に繰り広げられたもの以上の彩りで今のこの時代を満たさなければならない、そうしなければ僕らの負い目は払拭できない……と思っているのでなかったらどうして芸術家たちがドンキホーテのように闇の中へ突撃してゆかなければならなかったのか僕には理解できないのである。
 芸術だけではなく、真理を求める情熱、社会正義を求める情熱の根底にも僕はまったく同じもの……現在を彩ることで人類の過去への負い目を清算し、未来へ向かって贈与するという運動……を見い出す。たぶんマルセル・モースのいわゆる贈与の経済は今も僕らの中に生き続けているのだ。
 ところがそのような僕らの中の贈与の経済は現実の資本主義の経済の中で齟齬をきたしギーギーと不協和音を奏でている。社会に対する怒り、憤りとはたぶんこの耳をつんざく不協和音のことである。そして社会のウソを告発し、異議申し立てを行おうとするとき、後期印象派の画家たちのように自分自身の社会での成功や日々の安逸を失ってしまうことがあるかもしれない。それは不可避なことだ。そのような危険を引き受ける覚悟がなくては世界に対する負い目を僕らは払拭できない、と僕は思う。大げさに聞こえるかもしれないが、市場経済のゲームの中での競争におけるリスクやら自己責任やらという小賢しくチンケな覚悟、資本主義社会からむりやり押しつけられた覚悟みたいなものとはっきり区別するため、僕はこれくらい誇大妄想的に自分たちの活動の意味を捕まえてみるべきだと思っている。

 

Comments
 
過去の描かれた芸術は存在しない
 
ん?

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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
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