泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

Category: 思想など   Tags: 思想  

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生命をかけるに値するものなど一つもない!?

 図書館で小泉義之氏の『弔いの哲学』という本を手に取ってパラパラとめくっていると、ビックリするようなフレーズがいくつか目に飛び込んできた。


  • <よい>という価値は第一義的に<生きている>に与えられるからには、生命をかけるに値するものなど一つもないし、生命を失わせる理由など一つもないと言い切るべきだ。
     
  • ただ生きることをおとしめる傾向は、ヘーゲルやアレントの労働論にもいちじるしい。ヘーゲルは『精神現象学』において奴隷は死を恐れるからこそ主人に隷従して労働すると書いたし、アレントも『人間の条件』において、生死を賭けるものをもたない奴隷だけが、生きることだけに汲々ととして労働すると書いた。二人は生命をかける高貴な主人や英雄に比して、労働者は自己の生存のことしか考えない臆病者だと言いたいのである。そしてそのような労働者は、いかなる政治性も公共性も担わないルンペン・プロレタリアートであると言いたいのである。

  • アドルノは生存者を恐怖せしめる。お前は死ぬはずだったのに生きていると脅すのだ。



 えっ? 何だって? ……と思ってしまった。今まで僕が考えてきたことと反対のことを言われてしまってドギマギしてしまった。なにしろ僕は「賭ける」ことを主張してきたし、そのとき自分の生命を何らかの形で危険にさらすことになるだろう、と考えてきたわけだから。アレントやアドルノたちといっしょに僕自身も激しい口調で断罪されている……そう感じた。ヘーゲルもアレントもアドルノも僕はほとんど読んだことがないのだが、どちらかと言えば自分の考えをフォローしてくれる思想の持ち主だと想像していたのに、ここでは悪者になってしまっている。

 ちょっと調べてみると障害者や延命医療について発言されてる方のようなので、その文脈から「ただ生きていることが<よい>」という主張が行われているのだと思う。が、その主張を拡大して「生命をかけるに値するものなど一つもない」というところまでもって行ってしまえるのだろうか? 僕自身、死にたいと思ったことなどないし、生命を犠牲にするべきだなどと人に押しつけたりできるはずもない。確かに、自己犠牲的なテロの続発や、戦争で国のために命を捧げよ、とかいったいかがわしい迷妄を断ち切る意味でこういう言われ方がされるのは理解できるが、生命を犠牲にするだけの価値は全く存在しない、というのは僕にはちょっと想像できない。
 まず、小泉氏のこの大御所思想家たちをザクザクと斬りまくっている鉄槌のような激しい言葉は、単に生きることを肯定するところから出てきているというより、向こう見ずで命知らずな戦士の言葉のように見える。書物でこのような主張をしたところで生命に危険が及ぶようなことはないかもしれないが、仮に<生きている>ことに一義的な価値があるという主張を、命がけで行わなければならない状況に陥った場合、小泉氏はどうするのだろう? 沈黙し、転向すればよいと言い切り、それで納得できるのだろうか? そうだというのなら僕には何も言えないが……。
 また、ヘーゲルはともかく産業社会を批判する意味合いで提出されている(と思われる)アレントらの労働論をただ生きていることを貶める言説だと解釈するのはイジワルすぎないだろうか。あくまでも生産労働が中心的な価値に祭り上げられている現実に対して、それを超える人間性を訴えているわけで、労働とそれによって維持される生命が無意味だなどと言いたいわけではないだろう。むしろ生産の歯車に組み込まれることのない障害者の身体を無価値なものと貶めるのは、産業社会の価値観のほうだろう。
 アドルノについては本当に知らないので何も言えないのだが「誰かの生と誰かの死は断絶している」という小泉氏の主張はなんだか不自然な割り切りだ。前回のエントリーでも書いたが、死者(歴史)はいつも自分とともにあって、それに負い目を感じるというのはごく普通の実感ではないだろうか? もちろん誰にどんな負い目や義理を感じるかというのは問題であって、アウシュビッツに限らず、聞きたくもない政治家たちの靖国論議を思えば、断絶してくれてたほうが正直ありがたいような気もするが……。

 もっとも、小泉氏は年季の入った哲学者であり、パラパラと本を眺めただけの僕が言ってることなど織り込み済みでもっと高度な議論を展開しているのかもしれないので、あとはもっとちゃんと読んで自分の考えを整理してからということにしたいが、いずれにしろ障害者の生や延命医療への問題意識は僕には全く欠けていたもので、ここには何か考えなければならないことがあるような気がした。
 たとえばこちらで言われていることが「ただ生きていることが<よい>」という考えのスタート地点なのだと思う。これは芸術とは全く異質な思考のスタート地点だ。なにしろ芸術はただ生きることを超えたところから始まるものだと思うだからだ。このx0000000000さんのエントリーの最後にある『ただそれでも、ただ生きること以上をなし得る者にとっては、「他者に対する責任」があると思う。』という言葉を読んで、やっと救われたような気がした。
 

Comments
kagamiさん 
ほほう……そうでしたか……。リンク先の書評ではずいぶんな評価のようですが、テーマそのものにも、またどんなふうに議論がかみ合ってないのか、妙な興味がわいてきてしまいました。
地元の図書館においてあるかなと思って調べてみたら、貸し出し中になってる……。是非ともあとで読んでみようと思います。
のざりんさん 
はじめましてようこそです。
チラッと読んでええっと思った小泉さんの本ですが、どうもそう単純な話ではなかったようですね。
上にも書きましたが、考えてみれば障害への問題意識は私の頭の中からスポッと抜け落ちているなあ……と、小泉さんやのざりんさんの言葉を読んで感じたところであります。これからも勉強させてください。
 
荒井さんと小泉さんの言っていることの懸隔ってのは、それほどないと思うけどなあ。
というのも、小泉さんが言っていることを、かなり乱暴に纏めてしまうと「ただ生きてある、そのことを何の留保もなく肯定せよ」ということで、荒井さんの考えも、畢竟こうした「生の肯定」を主張するものだと思うから。
ただ、荒井さんの場合、「戦略的」に「生と価値」(より正確に言えば、「生と、それを外部的に規定しにかかる『価値』への否」)ということを問題にしはするけど、それはあくまで「戦略的」なそれであって、「〜だから、生は価値ある」という、何らかの理由があって「生きて、ある」ことを肯定する、ということではない。
何より、「祭り」というのは「留保なき生の肯定」じゃないですか?
ふむふむ…… 
なるへそ、そうですか……。多分はやしさんのことだから小泉さんの本もきっちり読んでるんでしょうね。
でも、パッと見で言うとこれほど僕の趣味と違う言葉はないですね。何だか暗いタイトルの本だなあ、と思って開いてみると、死体の写真は載ってるし、刃物のような言葉が僕の両眼をグサッと射抜いて、稲妻が光って弔いの鐘が鳴る中、「悔い改めよ!」って言われてるような気がしてきたですよv-390
それが基本的に同じ立場から言われてるというのなら、どこでこのような違いが生まれるのかってのが興味深いことですね。自分の姿を背後から眺めるようなことを、小泉さんの本を読むとできるかもしれません。
TBありがとうございます 
上のx0000000000の者です。TBありがとうございました。僕自身は、実は小泉さんは好きです。上の『弔いの哲学』もおもしろいと思いますし、小泉さんはナイーブなことを言ってくれるから、そこが好きです。僕としては、小泉さんとの異同を確認しつつ、さらに考えていきたいと思っております。
永井均さん 
小泉さんはこの手の主張を永井さんとの
対談でもやって
(永井・小泉「なぜ人を殺してはいけないのか?」)
永井均さんにケチョンケチョンに
されてましたよ(^^;
http://www.ywad.com/books/235.html
永井さんの言葉を簡単に要約すれば、
小泉さんの言葉は特殊な信仰告白
なので、それは小泉さんの考えに
過ぎず、普遍化(永井に押し付ける事)
は不可能ですよ〜
みたいなこと語ってましたけど、
小泉さんは永井さんの云っている
至極当たり前のことが、
全く理解できないようでしたね…。
http://www.geocities.com/miyagwa/gendaibun2.html#NAGAI

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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
 連絡先 araiken#mac.com #を@に置き換えてください。



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