泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

Category: 亡霊退治   Tags: 思想  芸術  亡霊退治  

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亡霊退治2 亡霊を複製する亡霊 

 さて、いい機会だからここで先日のエントリーをベースにワイドショーを騒がせた和田画伯の盗作スキャンダルについてもう一度考えてみましょう。

 和田義彦という画伯が、イタリア人画家 アルベルト・スギ氏のものと酷似した作品によって、文化庁の芸術選奨文部科学大臣賞を受賞していたということが問題になって大騒ぎになりました。その後、東郷青児美術館大賞を受けた作品もスギ氏の絵の盗作であるという疑惑が高まり、賞の取り消し、国画会という美術団体からの退会、おまけに大学教授時代の学生へのセクハラのスキャンダルまでが掘り返されるに至ります。なんとかスギ氏による訴訟にまで発展することは避けられたものの、政治家たちとの人脈など芸術とは何の関係もない様々な「力」によって出世街道を突っ走ってきた和田画伯は無惨な躓きかたをしてしまいました(名前だけは世間に知れ渡ったようですが……)。本人は他人の絵の構図を利用して制作することが自分の方法論だと弁解しているようですが、さすがにこれは苦しい……。仮に本人の弁解通りだとしても、この悲惨なメディアによるつるし上げ状態を招いたのは自分自身であり、同情の余地はありません。自業自得といわれても仕方ないでしょう。
 ほとんどの人は盗作によってしゃあしゃあと賞をもらっている恥知らずな和田画伯と、ろくに調査もせずにコピー作品に賞を授けているダメダメ文化庁に憤っていたようですが、前線に立つ戦士はまったく違うパースペクティヴからこの事件を問題にしなければなりません。

 まず私がケチをつけたくなるのは、イタリア人の老画伯 スギ氏の仕事がそもそも退屈この上ない芸術の亡霊に過ぎないという事実です。ルネッサンスの至宝輝くイタリアは美術ファンの憧れであり、現代においてもアウトノミアのような熱い「文化」が開いた地でもありますが、やはりイタリアでもこのような気の抜けた亡霊が文化を名乗っているのだな……と思わざるを得ないような絵をスギ氏は描いています。日本からわざわざお参りする和田氏のような人がいるところを見ると、イタリアではそれなりに名の通った亡霊なのかもしれません。
 前線に立つ戦士的には、まずこのような亡霊は斬って捨てなければならない対象なのですが、わが和田画伯の情けない愚行のために、メディアの報道の中でスギ氏は善意の第三者になってしまいました。いや、もちろんいけないのは和田氏であり、スギ氏が悪いことをしたというわけではありません。しかし和田氏が吊るし上げられることによって、私たちにとっての本当の敵(亡霊と亡霊たちの活動を支える資本)は隠されてしまうのです。

 和田画伯が情けないのはわざわざ芸術の亡霊をコピーしているところです。つまり彼は亡霊を複製する亡霊なのです。どうせならもうちょっとマシなものをコピーした方がよかったんじゃないかと思うのですが……ま、こんなことしてるあたりにすでにこの人の「文化」的素養のなさが露呈しています。さらに「文化」庁なる資本のイデオロギー装置がこの亡霊画伯に芸術選奨文部科学大臣賞という権威……すなわち「あなたは立派な芸術家です」というお墨付きを与えたわけです。
 しかし一般の人が見ているように、これを亡霊の複製を賞の対象にピックアップしてしまった選考委員の見る目のなさや「文化」的センスの低さの問題と考えてはいけません。そもそも文化や芸術の亡霊や残骸に権威を与えるのは、文化的なイデオロギー装置(文化装置)本来の役割です。だから実は彼らはこの件に関して間違いを犯しているわけではありません。もし(亡霊ではなく)本当に文化の名に値するものが、このような文化装置の前に出現したなら、それらはきっと無視されるか、あからさまに不快感を示されるだけでしょう。前回のエントリーで述べた通り、資本主義社会において芸術や文化という言葉で意味されるものは体制転覆的、反抗的な意味合いを持つもののはずです。そして、そのようなシステムにとって危険な要素を浄化・無力化することによってすでに終わってしまった文化や芸術の亡霊を、文化そのもののであるかのように持ち上げ、スペクタキュリーな商品としてしか意味のない芸術作品で社会を満たし、文化を消費という資本の論理の中に解消してしまおうとするのが、文化装置を駆使して資本が行っている戦略です。そうすることでシステム内部に芽生えようとしている外部への志向を攪乱させ内部に閉じ込め回収しようとするわけです。ドゥボールはこう語っています。
 
……支配階級のイデオロギーは、体制転覆的な発見を凡庸化することを組織し、そうした発見に殺菌処理を施した上で大々的に普及させるのである。そうしたイデオロギーは、転覆的資質を持つ個人を利用するのに成功することさえある。死んだ個人に対しては、その作品を変造することによって、生きている個人に対しては、全体的なイデオロギー的混乱を利用して、支配階級が商う神秘思想のひとつで彼らを中毒させることによって。(『状況の構築とシチュアシオニスト・インターナショナル潮流の組織・行動条件に関する報告』


 ……これが文化装置の機能なのですが、さすがに盗作では(文化商品としても)ちょっとマズイということでしょうか……和田画伯の受賞は取り消されることになりました。が、和田氏をメディアにおいて吊るし上げることで、アルベルト・スギ氏をはじめとする無数の芸術の亡霊たちの存在や、いかにその権威が怪しいものであるかを露呈しかけた文化庁や美術館などの文化装置の機能そのものに対しては、何の疑問も差し挟まれることはありませんでした。その結果、上のドゥボールの言葉が吐かれてからすでに半世紀が経ったというのに、芸術の亡霊とそれを支える文化装置たちは、ますます力強く自らの使命を貫徹させ続けているわけです。(いつもそうでしょうが)ワイドショーの大騒ぎは亡霊や文化装置とともにタッグを組んで資本の攪乱の戦略を後押ししたに過ぎませんでした。亡霊たちがこれからもゾンビのように資本主義社会の中で活躍し続けてゆくことを確認して、お気の毒なインチキ画伯とともにこの茶番劇も忘れ去られてゆくのでしょう。

 このような茶番劇は前線のはるか後方……戦火の過ぎ去ったあとの荒廃した…しかしのどかな風景の中で行われていることです。一方、前線に立つ戦士=アヴァンギャルドのなすべきことは、この青ざめた亡霊どもをはるか後方に置き去りにし、新しい文化の形態を模索・捻出することに他なりません。そう考えればいかに戦士にとって亡霊のみならず、文化庁やら美術館のような文化装置がどうしようもなくナンセンスな存在として目の前に姿を現しているかがわかると思います。私たちはこういうハリボテのような権威を顔色なからしめる緊張感に貫かれたまったく新しい文化の形態こそを求めます。そのためには何度も書いてきたように資本主義社会における文化とは反抗することであるという出発点を絶対に忘れるわけにはいかないのです。反抗の気配なき青白き亡霊たちに災いあれ!

 ………だいたいやね、芸術の賞なんてものをありがたくもらってるようなやつは問題にならんですよ。(つい最近にも芥川賞・直木賞の発表があったようですが)何の権利があってお前らは俺を評価し、賞を授けることができるんだ! ぐらいの気骨がなくっちゃ。なんでもサルトルはノーベル文学賞の受賞を拒否したらしいですが、胸のすくようなエピソードだと思います。……でももらえるっていうのなら賞金だけもらって、みんなでドンチャン騒ぎっていうのもいいかも……。

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 芸術は素人には分からない。 が、盗作かどうかは素人にも分かることである。 模写であれ別個の作品であれ、出典は明らかにすべきであった。それすらなかったということは、盗作と非難されても仕方あるまい。 しかも今回の問題は、日本だけの話ではない。和田義彦氏は世
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荒井賢 (Ken Arai)

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