泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

Category: アート・建築・デザイン   Tags: Thought  

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祭りのあと4

第4節 シュルレアリスムの夢 


 シュルレアリスム(超現実主義)と聞いてどんなイメージを思い浮かべるだろうか? ルネ・マグリットやデ・キリコなどの不可思議な絵だろうか? それともどこか精神病理学的で背徳的なダリの作品だろうか……? フロイトの精神分析の影響を深く受けた彼らの作品は、なにやら心理学的な探求の雰囲気を醸し出しているので、多くの人はシュルレアリスムという運動が、アーティストのプライベートな内面のみに関わる探求であるかのような先入観を抱いているのではないだろうか。
 だが、シュルレアリスムという戦前のアバンギャルド芸術運動の最後に位置するこのムーブメントは、もっと幅の広い、野心的な課題を持った運動だったのである。私は個人的に言って、ダリやミロ、ジャコメッティなどのシュルレアリスム絵画が好きである。またシュルレアリスムのアーティスト個人の生にも興味がある。しかしここではあまり問題にされていないシュルレアリスムの政治的活動の面について語ってみよう。


ジョルジュ・デ・キリコ 『道の憂愁と神秘』

 アバンギャルド芸術運動という「祭り」は基本的にはダダイズムをもって終結した、と私は考えている。前節までで述べてきた通り、アバンギャルド芸術とは「反芸術」という名の破壊の祝祭、芸術の制度を解体することを通じて至高な生を獲得しようとする試みであった。
 ダダイストが教えていることは、「芸術とはアクションである」ということに尽きる。芸術は単なる行為にまで還元された。これは芸術という制度の徹底的な破壊を意味する。だが、制度を逆手にとって近代社会に「祭り」を復活させようとするアバンギャルドの戦略は、制度が破壊され尽くされてしまえば無効になってしまう。結局、ダダイストの活躍により、アバンギャルド芸術は自らの足元を切りくずすようにしてその歴史の幕を閉じてしまうことになった。つまり、このようにして「祭り」は終わりを告げたのだ。
 実のところ、私たちが、このアバンギャルド芸術という祭りの終焉という事態を見抜くことができなかったところに、第二次大戦以降の前衛美術の茶番が生まれた原因がある、というのが私のいちばん主張したいポイントなのだが……、まあ、それは次節以降で詳しく語るとしよう。

 シュルレアリスムはダダの灰の中から生まれた、と語ったのはトリスタン・ツァラであったが、偶然性の重視、オブジェ作品への指向など、シュルレアリスムの技法はダダの反芸術の技法をそのまま引き継いでいる。ダダイズムとシュルレアリスムが同質の運動であるのは間違いない。その意味で私はシュルレアリスムをアバンギャルド芸術にとみなしたいわけなのだが、ダダは伝統や制度の「破壊」という側面が強いのに対して、シュルレアリストたち目指していたものは全く別のところにあったように思う。
 シュルレアリスムの夢とは一体どんなものだったのだろうか? ひとことでいって、それは「アバンギャルド芸術」という「祭り」のあとに続くべき、新しい「祭り」の形態を創出しようというプログラムであった、ということになるだろう。仮にそうだとしたなら厳密に言って、シュルレアリスムはすでにアバンギャルド芸術の枠をはみ出した運動だ、ということになる。
 ダダイズムと同質の運動という意味では、「反芸術」すなわちアバンギャルド芸術運動そのものであるはずだが、その枠を大きくはみ出そうとしていたシュルレアリスム……。芸術の地平をこえた何かを……新しい祭りの形を創出しようという彼らの夢は間違いなく偉大なものであったと思う。しかしながら「旧い祭り」、終ってしまったはずの祭りの形態………アバンギャルド芸術の枠を引きずり続けていたところに彼らの限界もまたあったのではないだろうか。テイク・オフを目指してシュルレアリストは滑走を続けた。だが、はたして彼らの夢は大空へと舞い上がったのだろうか?


サルバドール・ダリ 『内乱の予感』

 シュルレアリスムが攻撃の対象に定めたのは「近代性」であった。
 私たちの近代資本主義社会の根幹をなす「生き延び」の原理は、具体的には生産・蓄積への指向として、また、そこに生きる近代人の心性は、理性・計算・効率性などのタームで表現することができるだろう。
 したがってシュルレアリストが行うのは、近代が排除した心性の復権である。彼らは理性・計算・効率性に対して、非合理・偶然・遊びの精神を発掘・復権しようとした。古代や中世の、また未開社会の文化への志向、また狂気や児童画などへの興味は非合理性を求めてのことに由来する。
 またシュルレアリスムの用いる作品制作上の様々な技法……オートマティズム、コラージュ、フロッタージュ、デペイズマンなどの技法はみな偶然性を作品の中に取り込むためのものである。シュルレアリストが求める美とは、計算され、構築された美ではなく、偶然の出会いが生み出す「痙攣的な美」であった。
 この「偶然性」という武器の使用によって近代資本主義社会の根源である「生き延び」の原理に風穴を開け、新しい「祭り」への道を切り開こうというのがシュルレアリズムの戦略のアルファでありオメガなのである。少し説明してみよう。

 くりかえすことになるが、近代資本主義社会の本質を一言で表現するとすれば、それは「生き延び」の原理である。生き延びるためには、私たちは労働しなければならない。労働するためには結果を予測し今現在の欲望をコントロールすることが、すなわち計画を立てて、現在というものをその計画の実現する将来の結果に従属させることができなくてはならない。したがって、労働のために必要なのは、禁欲的な、計算された理性的な行動であり、欲望のおもむくままの、気まぐれな行動は労働にとっては排除されなければならないものとなる。
 資本主義社会の利潤の追求の原則は、生産性を向上させ、より効率的に利潤をあげるために、より理性的であることを、より徹底した欲望のコントロールを私たちに要求するだろう。より禁欲的で、より勤勉な、そして規律正しい生こそが求められるであろう。(資本主義の精神が、キリスト教のプロテスタント、ピューリタンなどの禁欲的な宗教生活の中から生まれてきたとするマックス・ウェーバーの説は、納得できるものである。)つまり、私たちは生き延びるために資本主義社会での労働に適した身体、最大限の利潤をあげるためのシステムの部品であることを強要されるのである。
 しかし、生き延びることのみに配慮した、私たちの社会における生が人間的なものでないのは明白である。それは退屈で、息苦しい、道具としての生である。前節で語っておいたように、私たちが望んでいるのは、彩りのある至高な生、「祭り」の生であったはずだ。アバンギャルド芸術運動が求めたものは、まさにそのような人間的な生だったのである。
 このように考えてみれば、「偶然性」を武器としたシュルレアリストの戦略の意味が、理性=近代資本主義社会の本質、「生き延び」の精神を攻撃し、「祭り」の精神を生活の中に取り戻そうとしたものであることが容易に理解できよう。偶然、気まぐれ、欲望のおもむくままの行動といったものは、あらゆる計算を、利潤の追求のために積み重ねてきた生産のための努力を台無しにしてしまいかねないものであるという意味で、「生き延び」の精神の具現化である資本にとっては、危険きわまりない行いだからである。

 だが、シュルレアリスムが単に偶然性を取り込んだ作品制作でしかないとすれば、それはダダイズムの一変種、結局のところアバンギャルド芸術の一流派でしかなかったであろう。しかし、はじめにも書いたように、私たちはシュルレアリスムをアバンギャルド芸術の枠を超えた、新しい運動として理解したいのである。
 シュルレアリスムという言葉についてアンドレ・ブルトンはこんな定義をくだしている。『心の純粋な自動現象(オートマティスム)であり、それにもとづいて口述、記述、その他あらゆる方法を用いつつ、思考の実際上の働きを表現しようとくわだてる。理性によって行使されるどんな統制もなく、美学上ないし道徳上のどんな気づかいからもはなれた思考の書きとり。』(『シュルレアリスム宣言』)であると。
 つまり、シュルレアリスムとはオートマティスムであり、それは理性のくびきを逃れる技法だ、ということであって、しかもそれは単に美学上の、つまり作品上のみの問題ではなく、道徳上、すなわちアーティストの生き方、生活全体に関わるものであると、したがって、オートマティスムの表現は作品表現のみに限定されず、あらゆる方法を用いるものとなる(ダダイストが教えたように、私たちの生の一瞬一瞬が、あらゆる活動の一つ一つが、そもそも何かの表現なわけであろう。)といっているのだ。
 このことは、このような運動の初期の発言においてすでに、シュルレアリスムが作品表現という芸術の枠から飛び出し、生活全体に彼らのオートマティスムの技法を適用しようとしていたことの証言となるものだ。つまりシュルレアリストが目指したものは、シュルレアリスムの作品なのではなく、シュルレアリスム的な生、といったものであったのだ。


アンドレ・ブルトン

 しかし、シュルレアリスムのプログラムが、美学上の問題、芸術の枠組みを越えていることをよく示しているのは、彼らの共産主義運動への接近であった。が、ここで気をつけなくてはならないのは、その接近の仕方が、単に芸術活動の傍ら政治活動を行うといったようなものではなかった、ということだ。
 『「世界を変革する」とマルクスは言った。「人生を変える」とランボーは言った。これらふたつのスローガンはわれわれにとってひとつのものになる。』
 このブルトンの発言から読み取れるのは、「世界の変革」すなわち政治的な活動と、「生の変革」すなわち芸術とを並行的に捉えるのではなく、あたかも一枚の紙の表裏のごとくひとつのものとして、すなわち政治と芸術とを、超現実の実現を目指すシュルレアリスム的な生のそれぞれある別の角度から捉えた一面として理解しようとする発想である。政治と芸術の弁証法的な止揚と言っていいだろうか。
 これは想像以上に革新的な課題だと言えるであろう。つまり、「祭り」の精神の奪回のため、伝統的な近代芸術の制度を否定するとともに、既成の政治活動のあり方をも否定しようという、全く新しい、そして徹底的にラジカルな生の形態、それがシュルレアリスム的な生だということなのだ。

 共産主義運動が追求していたのは、資本による労働者の搾取という社会関係の構図を廃棄することである。資本主義社会を転覆させ、人間を資本のくびきから解放させる条件を作る。ようするにコミュニストの攻撃の対象もまた資本主義社会なのだ。………共産主義の中にアバンギャルド芸術と共通の課題を見い出すのは難しくはない。シュルレアリストたちもまた共産主義運動のなかに、自らの運動との類縁を感じ取ったに違いない。彼らの編集した刊行物のタイトル『シュルレアリスム革命』、そして『革命に奉仕するシュルレアリスム』などを見てみれば、彼らの共産主義へコミットしようとする強い意志がわかるであろう。実際ブルトンをはじめシュルレアリスムの中核にいる者たちは共産党に加わったこともあった。
 しかし、党の側ではシュルレアリストをほとんど相手にしていなかった。彼らはシュルレアリスムをいかがわしい、プチブルジョワ的な愚行としか理解できなかったのである。

 このようなコミュニストたちの反応は想像するに難くないだろう。コミュニストたちにとって、現実の体制の転覆は差し迫った課題である。そのために必要なのは、行動、目的的で、合理的な、ブルジョワ体制を迅速に転覆させるための政治的な行動なのだ。上で述べてきたことから考えると、このような行動は「労働」としての性質を持つものであろう。
 それに対して、シュルレアリストは、偶然、不合理、遊びの精神を称揚するのであるから、コミュニストがそれを理解しないのも当然である。むしろシュルレアリストの活動は、共産主義社会を目指した彼らの政治活動を混乱させる、「おふざけ」にしか思えなかったのではないだろうか。
 逆に、シュルレアリストにとってマルクスの夢とは、祝祭性を社会のなかに組み込み、労働の生、利潤の追求のための道具となった資本主義体制から人間を解放することであった。しかしながらそれは将来のある時点で、実現されるというものではなく、アバンギャルド芸術の流れがそうであったように、祝祭性、至高な生は、まさに今現在の瞬間のなかに実現されなければならないものであったはずだ。

 つまり、共産主義運動の政治的な行動とは、すなわち労働であって、目指すべき理想の至高なる社会の実現の瞬間と、その実現へ向けての活動である今現在の瞬間との間に時間的なズレが生じてしまうのである。欲望の実現のための迂回、それが労働だとすれば、コミュニストにとって現在は将来の夢の瞬間のための迂回的な手段でしかなくなってしまうだろう。夢の実現を熱く願えば願うほど、現在というものを労働の秩序に従属させなければならなくなるというパラドックスが生じてくるのである。
 この時間的なズレは、結局、共産主義の運動を目的のためには手段を選ばないという凶悪な運動に仕立ててゆく発想のベースとなった。ロシアにおいて誕生した社会主義国家は、共産主義社会実現のための前段階となるはずのものであったが、その実情はといえば、来るべき世界革命の準備のための過酷な労働、政治の中央集権化、周辺諸国への軍事介入、異端思想の弾圧粛正、強制収容所の存在……。こうして共産主義運動は、目も当てられないスターリニズムの闇へと突っ走ってゆくことになるのだ。

 それでもブルトンはシュルレアリスムと共産主義運動の融合は可能だという態度を変えなかった。共産党のメインストリームの思想からは大幅に逸脱したが、ブルトンはスターリンによってソヴィエトから追放されたトロツキーのような異端のマルクス主義者にシンパシーを示すようになり、そこにシュルレアリスムと共産主義の融合点を見いだそうとした。実際ブルトンは、フランス政府の文化使節として赴いたメキシコにおいて、かの地に政治亡命していたトロツキーと親しく交わる機会を持ち、お互いに芸術と政治に関する意見の一致を見た、として『コヨアカン宣言』なるものを発表している。
 しかしトロツキーがどれだけ自由な活動家であったにせよ、シュルレアリスムの夢がどれだけ彼らコミュニストたちに理解されたかは疑問である。おそらくシュルレアリスムの課題は半世紀ほど時代を先取りした、今日的な意義を持つものだったのである。アートとポリティクスのシュルレアリスム的な生においての総合という課題。それは戦後、1960年、70年代において例えばシチュアシオニストやアウトノミアなどの運動のなかで一部の前衛的なコミュニストの間で再発見されるであろう課題なのである。

 第2次世界大戦は、シュルレアリスムの運動を引き裂き、ブルトン自身もアメリカへ亡命することになった。戦後フランスに戻った彼は運動を再開するが、シュルレアリスムはかつての輝きを取り戻すことはなかった。
 シュルレアリスムの夢……、近代性を批判してまったく新しい生を開拓しようとした……アバンギャルド芸術に続くべき新しい「祭り」の形態を生み出そうとしたシュルレアリスムの活動は、果たしてその目的を達成できたのだろうか。彼らの夢は大空へと舞い上がったのだろうか。
 その答えはイエスでもありノーでもあるだろう。

 結局ブルトンはその主張にもかかわらず、「作品」というものにこだわり続けてしまったように見える。アバンギャルド芸術からの流れを振り払いきれずに、どこかでやはり「作品」というものを活動の目的としていたのではないだろうか。「作品」は手段でしかなく、問題なのは生、彼らの新しいシュルレアリスム的な生であったはずなのにもかかわらず……。
 ジョルジュ・バタイユはシュルレアリスムと類縁的な思想を持ちながらも、運動には加わらず、一貫してシュルレアリスムに対して批判的な態度を取り続けていた。バタイユはシュルレアリスムに共感すると同時に、批判するというアンビヴァレントな位置にいたわけだが、彼はこんなことを語っている。
 『………ブルトンが教示していたことは、無意識的なものを聞き取りながら書く[=自動記述]ことだけでなく、このような自動性の価値を意識することでもあった。だがこの教えは二つの道を切り開いた。一つの道は、作品の方へ向かう道であり、即刻いかなる原理をも作品のために犠牲にしながら、絵画作品と書物の持つ魅力の価値を強調していた。この道は、シュルレアリスムが進んだ道だった。もう一つの道は、存在の方へ向かう険しい道だった。』(>全文
 自動性の価値、すなわち偶然性を積極的に活用して理性的な配慮にしばられた日常の秩序(それはつまるところ労働の秩序である)のなかに祝祭性を導入するというシュルレアリストの活動の主題をバタイユは『容認された限界に対する真に雄々しい異議申し立てであり、不服従への厳格な意志』であるとして深い共感を示している。
 しかし、シュルレアリストが追求したものは、自動性の価値を意識することで開かれる新しい生の形態であるよりも、自動性を利用して創られた「作品」でしかなかったのである。結局それではシュルレアリストは画家であり、詩人であり、小説家であるということしか意味しないのであって、そのような職業的な活動は、まさに否定の対象であったはずの日常性への隷属、すなわち労働の秩序の肯定になってしまう。
 シュルレアリスムが真に革命的な生の形態を追求するのであれば、彼らは「存在の方へ向かう険しい道」へ歩みを進めるべきだった、というのがバタイユの分析である。
 例えば、ブルトンはこう言っている、『芸術においては、生命の危険を冒さずには、いかなる偉大な探検も企てえないこと、………また芸術家は誰しも、たった一人で金羊毛を探しに再び出かけねばならない……』と。なるほど、確かにそうであろう。しかし芸術家にとって金羊毛を探検から持ち帰ることは目的ではない。あくまでも危険な探検に出かけることそのものが、新しい芸術家の、いや、芸術を越えた「祭り」を組織しようとする者の新しいプログラムなのである。
 

 シュルレアリスムは大空へ舞い上がろうと全力で滑走したが、ついに「作品」という近代芸術の枠組み、私が言うところの「旧い祭り」の形態をを振り払うことができず、テイク・オフすることができなかった。しかしながら彼らの滑走は、彼らのつまずきながらも進んできた道………「生の変革」と「世界の変革」のシュルレアリスム的な生における綜合という課題、すなわち新しい「祭り」の創出という課題………は、第二次世界大戦後、シュルレアリスムの血を引く別の運動に引き継がれてゆく。
 「シチュアシオニスト・インターナショナル」という組織は、シュルレアリスム左派から独立した「レトリスト・インターナショナル」と、北欧に展開していた「COBRA」などの前衛芸術グループを統合することで出来上がった。彼らの活動のテーマは「状況」の構築であり、ここでは「生の変革」と「世界の変革」という二つの課題を「状況」という概念において弁証法的に揚棄しようとしている。この「状況」の概念は明らかにシュルレアリストがいうところの「超現実」と同じものである。ただ大きく違うのは、シュルレアリスムを批判する形で現れてきたシチュアシオニストが、表現としての「作品」の制作を拒否しているということである。つまりまさに彼らは、バタイユが言っていた「存在の方へ向かう険しい道」を選択したということなのである。
 つまり、シチュアニスとの活動は間違いなく私が語ってきたところの「新しい祭りの形態」を創出しようという運動なのである。そしてその新しい「祭り」への道筋を切り開いたのはシュルレアリスムであったということ、このことを私たちは忘れてはならないと思うのだ。今日、すでに過去のものとなり、不可思議な作品群としてしか理解されていないシュルレアリスムは、新しい「祭り」の端緒であった、ということを。

 さて、いよいよ私は、新しい「祭り」について私の言葉で詳しく語ってみようと思う。(第6節) しかしその前に第二次世界大戦後から現在まで、モダンアートの名で世間一般に流布しているもの、いわゆる戦後の前衛美術を裁きにかけておこうと思う。戦後の前衛美術が、いかにインチキなものであるか、それが戦前に展開していたアバンギャルド芸術のなかに溢れていた「祭り」の精神といかに違ったものであるのかを語っておかなければならない。(第5節)

   


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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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