泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

Category: 思想など   Tags: 思想  

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祭の戦士はハッカーである

 うーむ、おもしろい。。。。
 このあいだ私は社会の改良に終わりなどないと書きましたが、それはつまり社会は永遠のβ版であるということに他なりません。また、sivadさんは、 われわれは自分の人生と同様、自分の社会をもハックし続けねばならない。それこそが民主制のルールであり、「永遠のβ版」である民主主義を使える状態に保つ唯一の方法であると、そしてそれはどちらも社会的な「運動」であり、「プロセス」であると書いています。sivadさんは民主主義について述べていますが、これはそのまま私たちの「自由」という言葉に置き換えてもいいでしょう。つまり「自由」とは社会の状態としてあるのではなく、「運動」として、また「プロセス」としてあるのだと。
 私はコンピューター関連の用語がさっぱりなのでまったく自信がないのですが、ここで言われているハックとは、ようするに私の言うところの「逸脱」と同じことのようです。「逸脱」という言葉がいらぬ誤解を生みがちだというのであれば、むしろ「ハッキング」という言葉に置き換えてしまったほうがすっきりするかもしれません。したがってこんなふうに言えると思います。

 祭りの戦士は、社会という永遠のβ版のバグを思わぬ形で明るみに出す永遠のハッカーである、と。

Comments
 
 
ははーん、そういうことであったか。。。
 
ただ、私が大昔の時にも指摘したように、社会の改良がなぜ終わらないかというと、それがあくまで「改良」であって、突き詰めれば現状肯定という箱庭の中でのハッカーであり、戦士なんですよ。永遠のβ版ということは、あらいさんもずいぶんと丸くなってしまいましたね。改良主義は別名現状肯定主義ということでは、あの数年前の炎上の差異にも合意したことではなかったですか。
 
いやあ、島田さんの挑発はありがたく受け取っておきますが、つくづく島田さんて言葉を字面どおり、杓子定規にに読んでしまうんですねえ。改良という言葉を使ったのは、コメントをくれた人を受けてのことです。だからたとえとんでもない大革命が起こったとしてもそれはβ版に過ぎないだろうということが私は言いたいのですよ。
私はてっきり島田さんて私と似た考えの持ち主だと思い込んでいましたが、当たり前だけどやっぱり違ったんですねえ。現状肯定主義なんて言ってくれる人がいるのはなんだかちょっとうれしいですよ。
 
私は私が言うところの改良主義を現状肯定主義と解釈することに関しては未だ変っていません。逆にここが肝であり、自分たちが箱庭にいることをいつも自覚しているつもりです。一点突破全面展開的なエネルギーは持っている人もいるとは思いますがそれをある種のムーブメントに接続していく「魅力的な言説や理論」がもはやなくなってしまっていることには私とあらいさんの立場はそんなに違わないと思う。それであらいさんのエントリを全部とはいきませんが読ませてもらっている内に、逸脱、ハッカーといった、やや過激な言葉が出てくる割には、なにかこう生煮えの料理というか、中途半端な柔らかく丸くなってしまったあらいさんが浮き出てきて、ああ、あらいさんも半ば諦めがちな旧来の使い方であるシステム理論実践者なのかなあと思ってしまう。論戦相手の方の言葉まで生地に呼んでいなかったことは事実ですし、そこはあらいさんが指摘するところが確かに杓子定規的解釈であることはここに訂正します。でもあらいさん、数年前はもっと元気あったする気がします。現実を毎日引き受ける過程でお互い「丸くなってしまった」のが現状だとすれば、ますますこの資本主義的取り込み戦略を丁寧に解析していかなければ、最終的には全体から見て「想定の範囲内のへたれ戦士」として片付けられてしまうような気がします。あらいさん、もっとあのときのように(あのときの私のように可w)錯乱してくださいよ。推敲時間なく誤字脱字勘弁。
 
やはり挑発してくれてたんですね。島田さん、ありがとうございます。
確かにこのブログに以前の戦闘性は今はないです。というのもそうする余裕が今の私にはないからです。こんなブログでも燃え上がらせるにはそれなりの時間と、ひいては経済的余裕がなければできません。かつてはそれを保持していたのですが、今はちょっときついっす。幸い今も暇を見つけて細々と続けてゆくぐらいの余裕はありますが、トラバやコメントをもらってもいつ返事ができるかさえわからないのであえて半分眠らせているわけです。ですからそのうち余裕ができたら復活するつもりではいます。
でも私は、ネットとか社会運動みたいなものに関われなくても、生き抜いてゆくだけでも立派に戦士だと思ってますけどね。自分の主張や活動が社会的な意味や運動の広がりにつながってくれれば言うことないですが、そういう社会的な運動も個々のちっちゃくて孤独な闘争をベースにいてしか成り立たないと思うので。
ただ、私が丸くなったのかどうかは、もちろん私自身には判断できないのですが、主観的には当時と何にも変わってないのですけどねえ。たとえば私の言ってる事が具体的に保守化してきているといのなら、おっしゃるとおりかもしれませんが、、、そのへんどうでしょう?
 
これは全くの僕の暴論であることをまずは言っておきます。スカイプ会談にあらいさんを誘い(一度はじかに話したかった)ましたが、奥様のことが理由で今はできないとのことでした。ジェンダー研究を自己流でやっている私的にはその時点で結婚制度という安定剤(覚醒剤かもしれません)ほしさに、何かをあきらめたおじさんの(オイラももうおじさんですからw)悲傷めいたものを感じました。あくまで私の主観的なものですが。だからといって結婚を否定してるんじゃないですよ。大切な奥様を愛されているとてもいい感じは何となく伝わってきますが、「愛妻家の戦士」という重荷を背負った状態で戦闘しなければならない不利な形勢状態を想像してしまったのです。
 
えー。愛妻家ですかー? うーん、、、女房という重荷を背負った状態で戦闘しなければならない不利な形勢状態、、、は当たってますが。。。
私もそうですが、人間ってちょっとしたことからいろんな妄想を立ち上げることができるんですよね。女房のことは書いてみようかなと思ってたんですけど、どうしようかなあ。
 
おーい。sivadさんの記事のリンク先ちゃんと見てよ。ハッカーになったんは、痴呆な戦士のほうが先じゃー。
などという先取権あらそいはおいといて、改良主義うんぬんについては、私はとにかく個人の自由は試行錯誤をハックの中身と考えています。だから、sivadさんの民主主義というのは、気持がわかるとともにちょっと違和感がありました。「多数決で決めれば、多数派が勝つに決まってるじゃないか! 」((C)外山恒一)ですから。それより、社会全体のシステムがなんであれ、個人の自由な試行錯誤がゆるされていることが私にとってはハッカー主義の定義です。
愛妻して堕落するのもよし、家庭崩壊させるのもよし、その失敗がきはむさんが心配したような新自由主義的な自己責任の押し付けになるんじゃなくて、絶望さえも再トライへのエネルギーになるような、そんなイメージで考えています。
 
いや、もちろんosakaさんのも読んでましたが、科学の話題だったのでよくわからなかったんです。sivadさんとこでは社会の問題になってたんで、あっ、と思ったわけです。sivadさんの主張の意図は詳しくわかりませんが、もう強引に自分にひきつけて解釈してしまいました。
ちなみに私自身は愛妻家というよりも恐妻家であるといったほうが事実に近いと思いますが、それにしても恐妻家の戦士って、、、愛妻家の戦士よりかっこ悪いですよね。

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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

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 職業 アニメーション背景制作
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