泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

Category: 記憶の底から   Tags: 旅行  韓国  思い出  

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ソウルの安宿

 初めて私がバックパッカーという旅行の形態を知ったのはソウルのデーウォンという旅館でのことだった。プサンから韓国に上陸し、バスを乗り継ぎソウルにやってきて、この、世界中からバックパッカーが集まるとガイドブックに紹介されていた安宿に泊まった。中庭のある韓式の旅館で白人の旅行者が多かった。ギターを弾く者、洗濯をする者、みな思い思いに過ごしていた。まあはっきり言って、初めての海外旅行で韓国人のワイルドさに圧倒され続けていた私には宿の外での生々しい韓国体験のほうが印象深かった。しかしおかしなもので、この宿で見聞きした事柄は、数年後になって私の人生に影響を及ぼし始めるのだ。

 もちろん日本人も何人かこの宿に泊まっていて、2〜3人の旅の先輩から自慢とホラの混じった旅行体験を聞かされた。今までいくつくらいの国を旅行したんですか? という私の問いへの答えは驚きだった。韓国や台湾から始まって、東南アジアを経てアフガニスタンにまで及んでいて、両手で数えられる国の数をとっくに超えていた。しかも日本を出てから2年だか3年だか帰国もせずにアジアを放浪し続けたというのだ。私よりちょっと年上の見た目ごく普通の二十代後半の男だったが。。。そんなすごい旅にどんな大金がかかるのだろうと思ったが、アジアの物価は安いから大して金はかからないというのだ。
 円高という言葉は中学生のころから耳にしていた。それは海外旅行に大きな恩恵を与えるものらしいということも知ってはいた。しかし私の家は貧乏だったし、私自身の稼ぎも微々たるものだったので、長期間の海外旅行を私がしうるなどということは想像もできないことだった。しかし韓国に来てみて、日本から持ってきた10万円の価値に驚いていたところだ。食費、宿泊費、交通費、、、いくら使っても金が減ってゆかない。国と国の間の経済格差とはこういうものなのか、と私も実感しはじめていた。そのうえタイやインドへゆけば韓国以上に物価が安いというのだ。
 私にもアジア放浪が可能なのだ。。。いろいろな社会や文化をこの目で見たり、いろいろな国の人々と触れ合うこともできるのだ。一人で外国へ渡って自分の精神を鍛えることができる。また自分を普段軽く扱っている友人たちに対して、ひとり冒険に出かける自分を見せつけ、アッと言わせることだってできる。。。などなどさまざまな思惑が自分の中に渦巻き始めるのを感じた。ソウルの安宿で私の中に新しい欲望が生みつけられ、人生の新しいページが開かれてゆく予感にときめいた。

 夜、旅の先輩たちに飲み屋に行こうと誘われた。ソウルの裏路地にある飲み屋で、よりディープな旅行話を聞いた。印象に残っているのはタイで売春婦を自分のホテルに連れ込み、一緒に夜を過ごしたという話だった。その手の話は現在の私とってはどうってことないのだが(笑)、初心な当時の私には、海外で現地の女と戯れる様が妙にイカシたものに感じられた。連れ込んだ女が自分の腕枕でそのまま眠ってしまって、朝になったら腕がしびれていた、なんて話がなぜかうらやましかった。エイズという病気が広がり始めたころだったが、病気なんか気にしないよと、ナマでやってることを自慢げに語っていた。そのリスキーさがまたイカシてるように思えた。
 よし、このままイテウォンに女を買いに繰り出すか! という話になった。一瞬、身体の中に緊張が走った。結局その話は実現することなく終わり、私はホッとした。キーセン観光という言葉に日本人の不潔さのみを感じていた。まだまだ私は初心だったのだ。

Comments
昔のバックパッカーは韓国が基点。 
デウォン旅館ですか。懐かしいです。今もその旅館あるのかな?私も泊まりましたよ。航空券を日本で買うとまだまだ高かった時代です。私も下関からフェリーで入国しました。旅館の主人が感じの良いかただったのを覚えています。当時の日本人バックパッカーは船で韓国まで行き、ソウルで航空券購入というパターンが普通でした。私は大韓航空ソウル⇒バンコクの格安チケットを明洞近くの華僑経営の旅行社で買いました。私は当時中国語教室に通っていて、中国語が話せたので、チケットの購入は楽でした。
ところでソウルからバンコクに到着して2~3日して、街を歩いていたら、韓国の朴正熙大統領の写真がでかでかと載っている新聞を見かけました。私はタイ語が読めないので、中華街で中国語の新聞を買ってびっくり。
「朴大統領暗殺!。いま韓国は大混乱の厳戒態勢。」
もう少し遅かったら韓国を出れなかったかも・・と思うと、冷汗が出ました。
お節介じいさん、、、 
コメント有難うございます。朴正熙大統領暗殺となるとこれはそうとう昔の話ですね。その頃からバックパッカーなんてものが存在していたのは驚きです(笑)。しかしほんとうに懐かしい。すっかり時代は変わってしまって、韓国といえば、韓流ブームとか、サムソン電子の躍進とかのイメージがまず浮かんでくるようになりました。でも韓国の街のあのワイルドさはきっと今もあのままなんだろうな、と思います。

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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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