泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

Category: 思想など   Tags: 思想  

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おばあちゃんが言っていた、、、その1

 「人間もネイティブもあるものか・・・!この世界に生きとし生けるもの、すべての命は皆等しい。他者のために自分を変えることのできるのが人間だ。自分のために世界を変えるんじゃない。自分が変われば世界も変わる。それが天の道。」


 ネイティヴというワーム(異星人の侵略者)の一派を代表する根岸という男に向かって、仮面ライダーカブト、天道総司は言い放った。人間に擬態しているワームである根岸は、表向き人間との平和な共生を語りながら、裏では全人類をネイティヴ化する計画を実行していた。曰く、ネイティヴを拒絶するのみならず、自分たち同士が争うことすらやめることのできない野蛮な人間と共存することなどありえない。むしろすべての人間をネイティヴ化してしまうことこそが真の平和なのだ、と。
 それに対して天道は、所詮お前はその程度なのだ。人間は変わることができる。。。と切り返す。で、最初の台詞につながってゆくわけだ。

 スクムウィット通りソイ33に日本語レンタルビデオ屋があって、ガキの見るビデオを毎週日曜日に借りに行っているのだが、最近は「仮面ライダーカブト」がお気に入りである。いや、ガキがではなく私のことなのだが。
 ガキは変身した後のアクションシーンだけにしか興味がなくて、そのほかのシーンには退屈しているようだが、私のほうは熱心にストーリーを追って観ている。ストーリーも難解だが演出もなかなか凝っていて、どこまでがマジでどこまでが冗談なのかわからない食えない(上級者向けの)ドラマになっている。もうわれわれが昔なじんだ悪の軍団ショッカーと戦うわかりやすい仮面ライダーとはまったく違って、よほどませたガキでなければこのライダーにはついていけないだろう。

 ところで、このネイティヴの根岸という男、腰の低いお調子者タイプのキャラとして登場するのだが、徐々に抜け目のない、権力を持った侵略者の正体を明かしてゆく。人間もネイティヴも分け隔てなく共存してゆけるような世界を作りたいんだ、なんて言っていたのが、結局のところネイティヴだけが生きるに値する存在だという自らの同質的な思考を暴露する。
 一方、天道のほうは、せりふからもわかるとおり人間と共存している以上、ネイティヴも人間と同じ生命だという立場にある(実は最愛の妹がネイティヴなのだ)。倒さなければならないのは(人間に擬態し、擬態した人間を殺害してゆく)凶悪な侵略者であるワームのみなのだ。
 もちろんこの根岸は悪役として登場しているのだから(しかも俳優の演技にアクションヒーロー物らしからぬ洗練された嫌味さがある)、このようなグロテスクな不快さを醸し出しているのは当然なのだが、お芝居ではない現実の人間の中に、殊に世の中を変えたいと考えている知識人の中に、まるでドラマの中の悪役であるかのような理想と戦略の間のグロテスクなズレを見ることは少なくなかったりする。
 マルクスのような大物知識人の中にすらこのようなズレが顔を覗かせていた、というのはちょっと驚きだ。しかしこれはその知識人の欠陥というより、力で世界を変えようとするときに必然的に現れざるを得ない事態なのかもしれない。力(権力)がなければ現実に世界を動かすことはできないだろうことを考えると、このズレは避けて通れぬものだということになる。
 一方、仮面ライダーカブト、天道総司は「自分が変われば世界も変わる。」と言っている。いろいろな解釈が可能かと思うが、ドラマの中の彼の言動からして、天道がそのような力(権力)から常に距離をとろうとしている、と考えるべきではないかと思う。ドラマの中での天道自身は、マスクドライダーシステムという暴力装置によってワームを倒すだけの力を振るえる立場にあるのだが。

 「社会を変える」みたいな大それた事を私は常日頃書いているのだが、私自身の過去を振り返ってみても、「世の中を動かしたい」という欲望を自分の中に持った記憶がほとんどない。今現在でも、社会は変わらなくてはならないと考えているにもかかわらず、変えるために力をつけようと思ったり、人間を組織したり、はたまた変えるための設計図を描いてみたり、といったことをやろうと思ったことすらないのだ。世の中を動かすことを政治と呼ぶなら、私はまったくもって非政治的な人間に違いない。
 生まれ育った環境によって、政治家や社会運動家に、あるいは事業家や学者のような権力や権威を持つ存在に、なるべくしてなったという人もいるだろう。だが私の場合、まず子供のころから弱虫で、ジャイアンのような腕力もなく、スネオが活用できた親の財力も、さらにはのび太がいつも頼りにしているドラえもんのような超自然的な力とも無縁だった(あたりまえだろ!)。そもそもが、世界とはこういうものなのであって、現在ようなあり方をしていることに疑問すら抱かなかった。
 違うあり方をした世界も可能なのだと考えるようになったのは、二十歳も過ぎるころになってのことだった。その結果、現行社会には憤りさえ感じるようにもなったが、具体的に社会を動かす行動を志し、力を求める気には、どういうわけだかならなかった。私の場合、そうした現行社会への批判的視線は、このクソったれな社会の中でどのように生きていくべきなのか、どう生きれば現在の瞬間を面白いものに出来るのか、という発想にもっぱら結びついていた。つまり動かす事を前提に俯瞰的に社会を捉える発想とは結局のところ無縁だったのだ。むしろ私は無力であることを意志しているのかもしれない、とすら思う。
 世界を変えるどころか、生まれたばかりの赤ん坊のように無力では、私たちは生きてゆくことすら出来ない。成長するにつれ私たちはいろいろな能力(腕力、知力など)や、財力や人脈のような外的な力を身につけて生き延びてゆくのだ。個人の人生ですらそうなのだ、ましてや世界を変えるとなれば、、、力が必要だと考えるのは当然のことだろう。であるにもかかわらず、どうしたことか私は力から距離を取らなければならないと、ますます強く思ってしまうのである。

 私たちは、私たち自身や他者の中に、現行の社会が生きづらい、何か本当ではないという抑圧感や疎外感をを感じるからこそ、社会を変えたいと考えるのだ。ところが、そのような社会を変えるための運動や政治が、新たな抑圧や排除を孕んでしまうというのはどうにもやりきれない皮肉な事態である。
 権力を意志して上から人を動かそうとすること、またそのような権力の体系に組織され従属することは、とにもかくにもある目的のために私たちの目の前にある現在の瞬間を手段として供することを意味する。しかもその目的地にたどり着くまで長い時間を要するのであれば、私たちの時間は長期間にわたって手段として権力関係に服することを強いられるだろう。それはつまり現在のこの瞬間を味わい、燃焼し、そのまま享受する可能性を、(目的地である)未来のある瞬間まで繰り延べることだ。(もっとも権力に組織され手段として活動することに面白さを感ずる面も人間にはあるだろうし、100%現在を享受していないとは言い切れないと思うが、、、)と同時に(同じことだが)どうしても、手段に沿わない事態や存在を、目的実現のための障害物として見いだしてしまうことにもなる。
 偉大な革命の後に続いた労働者国家の文化的不毛や収容所化の最大の原因はここにあったのだろう。それは基本的に享受なき、遠い目的地への手段(プロセス)としての社会でしかなかったのだ(とうとう目的地にはたどり着けないままに、労働者国家は事実上消滅してしまったが)。目的地への最短コースを走ることを阻害しかねない存在や価値は社会の周辺(シベリア)へと追いやられ、収容所に閉じ込められる。文化というものが、むしろそのような逸脱的な価値をエネルギーとして成り立っているにもかかわらず。
 もっとも、資本主義国家にも大筋同じような分析が可能であり、これらは過ぎ去った過去の運動や政治の欠陥などではなく、いままさに私たちの日常を組織している権力も(はるかにグローバル化し、洗練された管理をしているにせよ)基本的には同じような形態を持ち、したがって同じような排除を社会内部に分泌しているわけなのだが。(つづく)


Comments
あ、もう次のが始まってるのか、日本では。 
けっこう突っ込みどころ満載だったりするけど、明らかに組織と個人とか権力みたいなテーマで話し作ってますよね、カブト。カッコイイせりふが多いので、そのへんのことをおかずにして、エントリーの続きを書こうと思います。
ただ、最近では、私のガキはカブトよりわかりやすい電王に夢中になっちゃって、「オレ、参上!」とか口走ってますけどね。
そうなんだよ 
その通りなんだよ!
仮面ライダーカブトはリアルタイムで見てたけどさ…
このシリーズは見逃す手は無いぜ!!
次の「キバ」はなんだかキワモノっぽいけどさ。

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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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