泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

Category: 思想など   Tags: Thought  

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新・異人論序説 1

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 二十代前半の頃だった。本屋で偶然、別冊宝島の『精神病を知る本』という本を手にした。面白そうだったので買って帰って読んでみると、題名から想像されるのとは違って、精神病の解説書などではなく、精神医学という制度の批判の書であった。私たちが今現在生きている近代社会および近代理性というものはは、いわゆる「狂気」を病気と見なして社会から排除することによって成立している、という驚くべき論考が展開されていた。イントロダクションとして以下のように簡潔にこの論考の骨子が説明されている………

 『…………もちろん、近代精神医学が考案される以前から、「狂気」という人間現象は存在したし、それはさまざまに解釈され、説明されてきた。ある社会では今でも、「狂気」はそれ自体として異常だとはみなされていないし、不治の病だとも思われていない。事実、それは一過性の、ある人間的な状態であったりしている。近代以前の「狂気」は、聖なる状態とみなされることもあったし、霊によって侵犯されることによって生ずると解釈されたりもしてきた。いずれにしても、非近代的な社会では「狂気」はより多彩で、生き生きとしたかたちで存在していたから、その在り方は精神医学が固定しているほど類型的でも貧弱でもなく、いわば野生の状態として生きられてきた。
 「狂気」が聖なる事態として受けとめられている文化にあっては、「狂気」それ自体はある独自の通路(チャンネル)で了解されている。そこには、正常/異常の二分法から生まれる交通の遮断はなかった。「狂気」はそれがどんなかたちであれ了解可能なものであるなら、激しい不安を生み出すことはないだろう。
 いわゆる「精神病者」による犯罪の発生率は、「正常者」のそれに比べれば、はるかに低い。にもかかわらず、”通り魔殺人”と聞いてすぐ「精神錯乱」を思い浮かべるのは、近代という時代が「理性」という近代に独自の発明品を創り出すにあたって、それからはみ出していく人間の存在の在り方を「狂気」として分割し、そのことによって両者の間に壁を築いてしまったからにほかならない。近代の人である私たちは「理性=正常」という場に立つことによって、もはや「狂気」を了解するチャンネルを喪失してしまっている。「理性」の明晰さを証明するのは、それが「狂気」ではないからであって、「理性」それ自体として「理性」であることを証明できないが故に、非理性としての「狂気」を分割=排除する必要があったのだ。
 この分割の結果、「狂気」は私たちに激しい不安、気味の悪さをもたらすようになり、その不安を打ち消すための解釈装置として、「精神病」という病いの概念が生み出されたのである。「精神病」なるものが、あらかじめあって精神医学が誕生したのではない。その逆なのである。』


 精神医学というものをその誕生において根本的に批判する視点に私は驚嘆し、目からウロコが落ちるような思いであった。また明らかにここにはそのような精神医学を生み出さざるを得なかった近代というものへのクリティカルな視線が含まれていて、私はこの本に展開されている論考に深い共感を覚えた。この本の要になる書き手の名前は、赤坂憲雄という人だった。
 東京にある大型書店に行って赤坂憲雄の本を探してみると、『排除の現象学』という本が出版されていた。さっそく買って読んでみると、これがまた驚くべき本であった。
 異人論の観点から私たちの近代社会の日常を読み解くというのが彼のテクストのテーマである。ある共同体の秩序の成立には、暴力的な排除………共同体の一部を異人として周辺、外部との境界に排除するという暴力が存在するという、ルネ・ジラールや今村仁司などが問題にしているいわゆる第三項排除論によって様々な社会問題………いじめ、浮浪者、新興宗教などをめぐる事件を分析している。
 精神分析や文化人類学、そして民俗学や中世史などの研究から析出された分析装置を用いながら、鮮やかにそして繊細にかつするどく事件を斬ってゆく手並みには感心するばかりであった。そしてこの『排除の現象学』において展開される日常生活の見事な分析の背後にも、近代社会への批判精神が青白く冷たい炎のように存在しているのが感じられた。

 私は当時、抽象絵画を描いていた。モンドリアンやカンディンスキーの絵なんかが好きであったが、彼らの作品の中にあるモダンな美学、あるいは身の回りにあふれるモダンなデザイン、建築などの計算された明快で直線的な美学、インダストリアルな要請に基づいた美観には反発を感じていた。自らの作品の中に込めていたのはむしろ、曲線的で偶然的、汚れやシミのような痕跡的で錯綜した美観だった。好みから言っても、古代や未開の美術や民俗の中に見られる暗くて根源的な表象にひかれていた。今でも明るくてスッキリとした、カッコいいものは嫌いなのであるが(笑)、これは私なりの「反近代的」な美学だったのだと思う。
 また、当時の私には登校拒否を経験した友人がいて、彼らが主催する『登校拒否を考える会』に参加していた。いわゆる登校拒否を「病気」として理解しようとする風潮に対して、彼らは学校教育のあり方にこそ登校拒否などの教育問題の原因があるのだというシステム批判の立場を取っていた。本来教育は子供の成長を手助けするものであるはずなのに、現実には学校は子供たちを社会の部品となるように成形する場でしかない。登校拒否とはそのような非人間的な教育システムに対する子供たちのギリギリな形での拒否行為であり人間的かつ健康的な反応である、として登校拒否を肯定的に理解しようというのが彼らの立場であった。
 私は芸術家(笑われるのを覚悟であえてこう書く)として、人間が社会の部品として道具化しているという事態に反発を深めていたこともあって、彼らの反システム的な思考と問題意識を自分のこととして捉えることができた。
 このように当時の私の中には近代というものへの違和感が醸成されつつあったために、先の赤坂憲雄のテクストを理解する地盤ができていたのだと思う。そして赤坂のテクストとの出会いは、私自身にその近代社会というものへの違和感を新しいレベルで説明してくれたような気がしたのだ。

 赤坂憲雄がどのように近代社会を捉えていたか、少し見てみよう。
 ある共同体の秩序は、その共同体内部のある部分を排除するという根源的な暴力によって形成される。それは近代のみならず、古代や中世の、また未開の社会にも共通するメカニズムである。文化人類学をかじったことのある人なら、内部/外部、秩序/混沌、中心/周縁、日常/非日常、浄/不浄、光/闇、意識/無意識、といった二項対立のキーワードを聞いたことがあると思う。異人(ストレンジャー)とは、この二分された秩序と混沌の境界にあって、ある共同体の周縁に排除された要素のことなのである。そして異人は、共同体の秩序の形成のため不断に再生産されているのだ。そのため異人は反秩序的な、忌避されるべき、闇のオーラをまとった不安や恐れを抱かせる存在になった。しかしそれら異人たちは時には(例えば祝祭という時空においては)神聖な存在でもあり、硬直した共同体の日常性を活性化する役割をも担うものでもあった。たとえば中世の社会において、そのような異人的存在として、旅芸人、巡礼者、シャーマンなどがあった。不具者や、おそらく狂気も、かつては忌避され恐れられるとともに神聖な存在として共同体の中で独特な位置を占めていたのだ。
 しかし近代社会は、このような両義的な存在であった異人との関係性を失ってしまった。というか、例えば狂気のような「異質なるもの」との関係性を断ち切ることによって、わたしたちの近代空間は成り立っているのだ。狂気は単なる病気として、精神病院の壁の中に閉じ込められ、私たちは非日常の闇と出会うチャンネルを失いつつある。そのことが私たちの日常生活を狭隘で、懐がせまく人間的に貧しいものにしてしまっている………無味無臭の均質的空間を志向する私たちの近代社会の硬直した日常の病理、赤坂憲雄はそれを『精神病を知る本』や『排除の現象学』で描き出そうとしていたのだ。

 赤坂の書いたものを読んでゆくと、彼が共同体から排除された存在に対して深い同情の念を抱いていることがよくわかる。
 差異のない均質空間としての学校の中で、教室という場の秩序の安定のために生贄に祭り上げられるいじめられっ子への、また都市空間の片隅に異物として排除され、少年たちの暴力の的になっている浮浪者に、そして近代的なニュータウンから異物として閉め出しを食らおうとしている自閉症患者たちなどに対して、限りない同情を、その絶望的なほどの孤独に対する同情の念を感じとることができる。
 さらに、私たち自身の日常がそのような暴力的な排除によって成り立っていることを語る赤坂の言葉からは、私たち自身がそのような暴力の共犯者であることへの罪悪感のようなものすら感じるであろう。
 と同時に、近代以前の社会における共同体における「異人」や「異質なるもの」との自然な関係性に対して赤坂が深い憧憬と郷愁を持っていることもよくわかるのだ。
 そのような赤坂の感受性の底には、明らかに近代社会への違和感、強烈な近代社会への怒りが潜んでいたのに違いない。その秘かな憤りが赤坂憲雄に名著(だと私は思っている)『排除の現象学』を書かせた動機であったはずである。

 だが、この本の出版の後の赤坂は、自身の言う「考古学」、すなわち民俗学や中世史の研究の方向へと急速に旋回していったようだ。『遠野物語』や『山の人生』などで有名な民俗学者、柳田國男の研究のため遠野に通いつめフィールドワークを行い、また自ら民俗学者としての宣言を行ったという。現在では山形にある大学の先生になって「東北学」なるものを構想しているという話だ。
 他人の進む道にとやかく言うのはおこがましいことには違いない。が、赤坂が『排除の現象学』を書いていた頃にはあった近代性へのクリティカルな視線が、今現在の彼の仕事の中からすっかり鳴りを潜めてしまっているのは確かだ。初期の彼の書物に独特の緊張感をもたらしていた批判精神は消えてしまったというのだろうか。
 赤坂は彼の処女作『異人論序説』を出版したとき「これは読書人の仕事だ。」と批判されたとどこかで書いているが、書斎や研究室の中で本や資料だけを相手に格闘し続けることに物足りなさを感じていたのかもしれない。自分の学問を地に足のついた現実との交わりを持ったものにしたいという気持ちもあったのかもしれない。民俗学という明らかに時代錯誤的な看板を自分に貼付けること、またフィールドワークによって、近代化以前の民俗の生き生きとした世界観を拾い上げるだけでもそれは反近代的な行為であると言えるだろう。しかしそれだけでは決定的な何かが欠けている………それだけでは失われゆくものへのノスタルジーでしかないではないか、という疑念が私からは去らないのだ。
 確かに赤坂憲雄の近代社会の分析は鋭く、そしてとてつもなく繊細だった。しかし彼の言葉の線の細さが気になってもいた。考えてみれば、分析に終始していた彼のディスクールの中には、赤坂自身の生き方を語った言葉はなかったように思う。結局のところ彼は観察者でしかなかったのだろうか。しかしながら世界を眺める視線はそれだけですでにその人の生き方に直結しているはずだ。もしその近代へのクリティカルな視線が本物であるのなら、当然その視線はその人の生き方でもって裏打ちされてなければならない。したがって結論を先取りして言っておくおくなら、これだけ深く近代社会を分析し批判する眼を持っていた彼は、「私自身が異人(ストレンジャー)となり、近代社会の硬直化した日常を活性化させなければならない。」という言葉を発していてしかるべきだったということではなかったか………。その言葉がついに発せられなかったということは、赤坂憲雄が研究者であり、学者であるということではあっても、異議申し立てを行う批判精神ではなかったのだ、と考えざるを得ない。

 いや、もちろん私にははっきりわかっているのだ。それは私自身のマニュフェストなのだということを………。赤坂憲雄という人の書き上げた書物の中に、私は私自身の未来を読み込んでいた,ということなのだ。つまり「私自身が、異人(ストレンジャー)となり、近代社会の硬直化した日常を活性化させなければならない。」という言葉は赤坂のというより私のマニュフェストだということなのである。



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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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