泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

Category: 思想など   Tags: Thought  Thai  

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ユルユルのタイ人

 子供の頃、僕らは毎日同じ時間に起き、学校という名の収容所に集められ、あれこれと強迫的に規律を叩き込まれてきた。遅刻はいけない。廊下は走ってはいけない。右側を歩かなければならない。給食は残してはいけない………。朝礼やら運動会なんかで、きちっと整列して、行進をする。「気をつけ! 前へならえ! 休め!」………
 こういうことはそもそも監獄とか軍隊でやることなんだろう。規律、訓練、秩序、………こういうことが必要なのは、社会が産業化し、工業生産のリズムに僕らの身体を適合、馴化させるためだ。効率的で無駄のない秩序だった活動が、生産性向上のために求められるからだ。
 産業化以前の社会では、農耕牧畜などのリズムが生活を支配していた。活動は太陽が昇ってから始まり、太陽が沈めば終わる。分刻みのスケジュールなんてものはない、のどかなリズムだった。
 よくよく考えてみれば、学校で仕込まれる規律には、それ自体たいして意味がなかったりする。何だってみんなまったく同じ時間に同じところへ毎日のように集合させられなければならないのか。5分遅れれば怒られ、罰を受け、その行動は記録される。いったい廊下の右側を歩くことに何の意味があるのか。さまざまな嗜好があってあたりまえであるはずなのに、同じ給食を残さず食べることに何の意味があるのか………。誰でも経験したんじゃないだろうか。残してしまった給食を捨てることも許されず、こっそり机やカバンにしまい込み、カビが生え、異臭を発するまで放置したりすることなどを………。

 この強迫的な規律を10年以上も仕込まれ続け、さらには競争意識を植え付けられて、僕らは産業社会に押し込まれる。社会人になってやってることは同じだ。毎日同じ時間に起き、同じ電車に乗って会社へ行き、タイムカードを押し、5分遅れれば………。まあ、とにかく産業社会のリズムが僕らの生活の隅々まで支配してるってわけだ。

 僕の女房はタイ人だから、タイの日常生活を僕も見る機会があるわけだけど、まあ、なんてのどかなんだろう、と思う。タイの学校でやっぱり児童に行進なんかさせてるんだけど、バラバラにテレテレと歩いてるのに先生は何も言わない。ずいぶんと気合いの入っていない行進なのだ。これは秩序なのだろうか? と思ってしまう。
 女房の実家に行ったところで、僕には大してやることもないので、ソファーに寝っころがっていつも本を読んでいる。そのうち眠くなって昼寝してしまう。義理の母やら兄弟がそっと扇風機や枕を用意してくれる。こんな感じで1週間から10日ほどが過ぎてゆく。たとえば僕が日本人と結婚したとして女房の実家へ行ったとする。そのとき、1週間毎日のようにゴロゴロしている娘婿を見て、いくらなんでも何も言わず黙ってる義理の親はいないと思う………。少なくともタイにいて僕が彼らに何か言われたことってない。
 ついでに言えば、タイ人は「やる気」がない。僕らがキャリアや職業に向かい合うときのような積極性に欠ける。競争意識が乏しく、自分で自分のキャリアを努力して切り開こうという気概があまりない。夢は自分の努力でつかむのではなく、幸運はどこかから転がり込んでくるものと考えてるように見える。「運がない」と彼らはよく口にする。だから、僕が日本に帰ってくるとき、成田空港の税関でキビキビと仕事する係官に対面すると、職業に対する緊迫した責任感というか、「やる気」みたいなものを感じて、それが妙に芝居がかって見える。僕ら日本人はずいぶんと無理して働いているのだ。朝タイムカードを押してから仕事が終わって帰るまで、誰でも気合いを入れて緊張感を高めているだろう。僕の見る限り、タイ人にはそれがない。仕事中とそれ以外の日常のリズムは基本的に同じなのだ。おそらく、タイ人が仕事にストレスを感じたら、その仕事を辞めてしまうことを選択するだろう。「飽きた……」という言葉を口にするのはタイ人のお得意とするところだ。
 ようするにタイ人はユルユルなのだ。僕らが日本で子供の頃から慣れ親しんでいる強迫的な規律や「やる気」のようなものが希薄だ。それは南国の楽天性のせいでもあり、資本主義経済がまだタイトに侵入していないからでもあるだろう。(もちろんタイ人にはタイ人なりの規範や秩序があるわけだが)そのユルユルさは、僕らにとって何とも言えず快感なのだ。強迫的な規律秩序にげんなりしているむきにはある種のユートピアですらあるだろう。

 タイ人はいい加減だ。嘘をつく。働かないで人にたかる。ポリシーがない。粘り強くガンバレない。はっきり言って彼らとの付き合いは疲れる。特に田舎に行ったときなんか、僕は彼らが働いている姿をほとんど見てない。いや、どっかで働いてるはずなのだが、1日中ウダウダとダベったり、賭け事をしたりしてるのしか見たことがないのだ。それで金がない金がないと言ってる。そりゃそうだろう、と思う。あれだけ働いてないんだから。
 ………と、タイ人を見ていて僕が感じてしまうのは、僕がしっかり先進資本主義国日本で教育を受け、産業社会に適合するための規律や競争意識を内面化しているからに違いない。僕にはあのウダウダした無為に近い時間はけっこう耐えがたかったりするのだ。僕はタイ人にはなれない、そう思う。

 もちろんタイだって急速に産業化が進んでいる。もうバンコクはタイじゃない、なんて話をよく聞くが、確実に産業社会のリズムはタイを浸食しているのだ。それでもまだ、田舎へ行くと坦々とした伝統的な時間が残っているのを感じる。
 僕はタイ人相手にはっきり言って苦戦している。特に自分のバカ女房にはほとほと手を焼いている。だけど、タイ人に救われている面も確かにあるのだ。タイ人の、ユルユルの生き方を見て、テレテレした子供の行進を見て、人間なんてこれでいいんだよな、っていう感覚が僕の中に生まれて、それが何か心の余裕につながっていて、心の奥のほうで僕を支えているのだと思う。
 ニートなんかを擁護したくなる気持の一部には、僕の心の中にそんなタイ人の姿があるからであり、タイ人のインチキな生き方の相手を苦労しながらも続けていられるのは、マルクスやニーチェが、またアウトノミアのような運動が、タイ人みたいな生き方もありなんじゃないの、と僕に言い聞かせているからなんだと思うのだ。

Comments
 
日常生活にどっぷりとはまってしまっていると、いろんなことが見えてこないんですよね。誰だって今の自分や社会にどこかで疑問を抱いているのに、なかなかそこから抜け出せずにいたりするんでしょう。
外国に行ってみるってのは、自分の日常から脱出する一つの手かもしれない。仕事なんかで精神的に厳しい状況に陥ってる人なんか、タイの田舎でひと月ぐらい過ごせばけっこう救われた気になるかもしれないと思ってるんですけどね。
エ? とおる。さんはバンコクへ行ったことがあるとですか? そういえばネパールの写真がアップしてありますものねえ。カトマンズならバンコク経由ってことか………。
レッズがタイ代表と親善試合するって計画があったみたいですが、中止になってしまったようですね。適当な理由つけてタイに行こうかなと思ってたんですけど………残念。
 
ここ近頃、タイ人の対極にいるとおる。です。
ブログの更新もままならない感じ。
私もタイには数回言ったことがあります。
バンコクだけですけど。
でも、街のあちこちから漂ってくる何者かの香りが忘れられません。
>人間なんてこれでいいんだよな、っていう感覚
この感覚を嗅ぎ取る感性が現代の日本人にはかけてますね。
もともと市場原理主義者は、功利主義的ですね。
その本質的な部分を一般人は見抜けてませんよね・・・。
大学進学率は高まる一方、こういった人間感を感じる力を持つ人間は減っていく現状ってなんなんだろうか?と疑問に感じますね。

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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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