泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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Category: 思想など   Tags: 思想  芸術  シチュアシオニスト  

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左翼コスプレ

 古臭い左翼のスタイルみたいのがあって、──ヘルメットやマスク、ゲバ棒といった闘争スタイルとか、アジ演説の独特の調子、横断幕や看板に描かれている左翼文字、さらに「自己批判」とか「総括」とかいうあの肩がこりそうな言葉遣いなど──その没個性的な感じが私は昔から嫌いだった。
 80年代以降すっかりそういうのは流行らなくなってしまったわけだが、『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』なんかを読んでると、やはりそういった古臭い左翼臭が多分に鼻につく。たとえば「9月25日、第1回会議は、まず、重要さの異なる17件の議題からなる議事日程の採択について討議し、その中から、最終的に、3件が切り離され、SIの別の審議に付託された。アスガー・ヨルンが、会議の議長に選出され、今大会のすべての議事で議長を務めることになった(『ロンドンでのSI第4回大会』より)」なんてのを読むといかにも堅苦しい会議をやっているように見えてくる。私自身は前衛芸術への関心からシチュアシオニストに興味を持ったので、そういう左翼臭さにちょっと面食らった。60年代という時代のせいなのかな、と思ったりした。そういう左翼的な堅苦しさの極めつけが、評判の悪いシチュアシオニストの「除名」行為である。これがスターリンの粛清や連合赤軍事件などの陰惨な排除を連想させるため、左翼の中でもシチュアシオニストの活動がこうした隘路に陥ったのではないかと見る人もいる。
 しかし、そうした類似からシチュアシオニストやその中心人物ドゥボールのスターリン的な教条主義を結論づけるのは早計だと思う。ひとつには彼らの「除名」行為はシチュアシオニストの理論的純粋さを保つために行われたもので、極めて正当である。例えばコンスタントの除名は象徴的なエピソードだが、シチュアシオニストは「状況の構築」という実験的な生に自らを投げ入れるとともに、制作的な態度からは極力距離をとろうとしていた(芸術を脱構築しようとしていた)。それに対してコンスタンスは自らの実験都市の構想を制作的に実現しようと考えていたふしがあり、それはむしろ結果的にシチュアシオニストの批判する都市計画に近づいてしまうものだったのである。彼らは常々シチュアシオニストは大衆的組織ではないと述べ、エッヂの効いた妥協なき前衛であり続けたいという意志を持っていた。誤解してはならないのは、「除名」は決定的な「批判」であって、除名された人物を認めないとか「抹殺」することを意味しない。あくまでもシチュアシオニストという前衛組織にはそぐわないという判断にすぎないのであって、これをシチュアシオニストやドゥボールの人間的な狭量さに還元することは、むしろそうした解釈をする人の視野狭窄、前衛の精神に対する無理解によるものと考えるべきだろう。
 というのもおそらくシチュアシオニストは、こうした古臭く、堅苦しい左翼スタイルを意図的に纏っていた、と思われるからである。木下誠氏の解説によると、、、

 彼らは最初からこうした本質的にいかがわしい集団として姿を現した。このいかがわしさを、その後もSIは一貫してその身に担っていくが、それは芸術運動と政治運動両方の否定、「作品」と「芸術家」の拒否、形あるものを何も生み出さないSIの活動形態にもまして、彼らの組織論そのものが、歴史上のさまざまな試みを組替えた「転用」の技術によって成り立っていたことから来ている。SIが60年代に入って、<社会主義か野蛮か>グループなどとの接触のなかでその組織論の前面に押し出していった「評議会」運動の理論と言葉も、そうした転用の例として理解しなければならない。SIは「評議会」という語を使いながらも、ロシア革命の初期の評議会、ドイツの20年代と30年代の評議会などを自由に転用し、それらを全く新たに組み替えて用いた。SIの評議会は、代理(ルプザンタシオン)に支配されたスペクタクル社会の統一的批判として徹底した直接民主主義を実行する母体という以上に、労働と遊び、芸術活動と日常生活、生の舞台装置としての統一的都市計画の実行の場、さらには、それらを通しての「新しい欲望」を創出する実験社会の場として考えられていた。この具体的な「場」を、彼らは「状況」と呼んだ。支配社会の最先端の技術と思想を転用し、アレンジし直す闘争の場、「転用」としての闘争の場を「構築」すること、それは解体と構築が一つの同じ過程であるような終わりなき脱構築のプロセスであるだろう。『「転用」としての闘争──シチュアシオニストと68年



 、、、ということなのだが、つまりシチュアシオニストは左翼スタイルを意図的に「転用」しているということだろう。もちろんシュルレアリスムを乗り越えて前衛芸術の流れの最前線に立っていると自負する彼らは、端から古臭い左翼スタイルなど軽蔑し嘲笑していたはずだ。しかし彼らは敢えてそのダサさを身に纏って面白がっていた。恋人や愛人にセーラー服やナース服を着せてセックスを楽しむように、シチュアシオニストは左翼プレイを楽しんでいたのである。しかしこれはたんにお遊びでやっているわけではなく、(セーラー服をきたまま馬乗りになって腰を振り、我を忘れて男を味わっている娘の姿が、学生という(神聖な)社会的人格を踏みにじるという意味を持っているのと同様)カビ臭い左翼の政治のスタイルをコケにし、踏みにじる方法でもあっただろう。したがってシチュアシオニストのこの左翼スタイルを真に受けるのは、少々浅はかである。さらにこの左翼プレイは、シチュアシオニストの活動を理解できる者、できない者を判別する試金石にもなっている。木下氏が述べる通り、シチュアシオニストはいかがわしく意地悪なのだ。
 だから評判の悪い「除名」行為も、気難しい顔をした教条主義者ドゥボールによる権力の乱用である、などとナイーブな見方をしてはいけない。大真面目な顔でゴリゴリの紋切り型左翼知識人を演じながら、後ろ向いて目を三日月型にして舌をチロッと出している。少なくともシチュアシオニストの思想を理解する限り、私にはそのような解釈しかできないのである。
 前衛はコスプレを欲する。あるいはニーチェ流に「仮面を欲する」、といってもいいかもしれない。都市の日常への介入による「状況」の構築がシチュアシオニストの課題であったが、彼らは形あるものを何も生み出さないその実践を、少々大げさに古臭い左翼のコスチュームを身につけて行った。だが、その面白さを一体どれだけの人が理解できただろう? 文化研究なんかやってる人でも真に受けちゃってこの有様なのである。
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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

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 生年月日 1964年2月15日
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