泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

Category: アート・建築・デザイン   Tags: 思想  芸術  岡本太郎  

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岡本太郎は芸術の終わりなき脱構築の実践者である その1

 岡本太郎が亡くなってもう20年近くになるだろうか。彼の活動はいろいろな面から検証されている。前衛芸術家としての、フランス仕込みの思想家、著述家としての、また人類学、民族学者としての、そして人間としての岡本太郎。どんな面においても、彼の活動から面白い問題を提起できるだろう。が、私はもうひとつ、シチュアシオニストとしての岡本太郎という一面を浮き彫りにしたいと思う。
 もちろん実際には岡本太郎とシチュアシオニストの間に接点はない。そのうえ一般に「芸術家」としてカテゴライズされ、生涯エネルギッシュに芸術作品を創り続けた太郎と、スペクタクル化した「芸術」を徹底的に批判し、「作品」の製作そのものを戒めていたシチュアシオニストとの間には、対立点こそあれ、共通点など見出すことができないようにも思える。
 が、岡本太郎の言明によ~く耳を傾ければ、彼が常にシチュアシオニスト同様の芸術の「脱構築」の実践者であったことがわかるはずだ。太郎を好意的に解釈する人でも、この点に注目した例は私の知るところほとんどいない。岡本太郎がたんなるエキセントリックな爆発親父として解釈されて終わりになってしまわないように、私は彼の突出した活動を今日のアクティヴィズムの平面に着地させたいとずっと思ってきた。この論考もまたその試みである。

 シチュアシオニストは左翼の社会運動であるが、その特徴を一口で言えば「スペクタクル社会の批判とその乗り越え」ということになるだろう。スペクタクル社会とは、社会において少数の特権的でアクティヴな情報の発信者と受動的な観客への分離が生じ、権力が大多数の大衆に(主として視覚的テクノロジーを駆使して)社会への不介入を刷り込み、生を剥奪するという支配の構造のことである。シチュアシオニストの活動のスキームはその前身であるシュルレアリスム同様、芸術と政治の統合にあったが、その運動は「芸術」の枠組みそのものが、生や運動をスペクタクル化する働きにフォーカスし、シュルレアリスムも根本からそうした「作品」中心主義的なスペクタクルの原理に汚されていることを厳しく批判するところから立ち上がってきている。そうしたシュルレアリスムの轍を踏まぬよう、シチュアシオニストのスペクタクル批判は、同時に「芸術」から距離をとる=「芸術の脱構築」の面を必然的に持っていた。そのため彼らは運動の内外に対して、自分たちの運動が「芸術」運動と混同されないように注意を払っていた。シチュアシオニストに狭量な印象を与えている「除名」の厳しさはこの点に由来している。
 が、実際にはシチュアシオニストのメンバーも多くの「作品」を作っている。ドゥボールの映画、ヨルンの絵画、ベルンシュタインの小説などがそうだが、それらはあくまで社会状況への介入に奉仕するための手段である限り認められる「転用」作品だった。つまりスペクタクル化装置となった「芸術」を「転用=最領有」するものとしてのみ「作品」は認められたのであり、あくまでもシチュアシオニストの活動の重心は「状況の構築」という介入の実践にあった。

 ところで岡本太郎であるが、ご存知「芸術は爆発だ!」など、常々「芸術」について語り、病に倒れる直前まで絵画や彫刻の「作品」を作り続けていたわけで、文字通り「芸術家」だったと言って差し支えないように見える。しかし太郎はパリで抽象絵画を描いていた頃から「芸術」と距離をとろうとするような発言や行動をしていることに注目したい。
 パリで岡本太郎が参加していた「アブストラクシオン・クレアシオン」という抽象絵画の国際グループの画集に若き日の太郎の言葉が載っている。私の記憶に間違いがなければそれは「……まさに形でない形、色でない色を求めるべきだ。」というものだ。他では「絵でない絵」という言い方をよくしているが、いずれにしろ少々謎めいた言葉だ。
 これは「絵(=売ることを目的とした商品としての絵)ではない絵」、つまり太郎もよく言っている「無償の」絵を描くべきだという、芸術の無償性についての言明だと一般的には捉えられているし、私もそう思ってきた。この理解自体間違いではないと思うが、もうひとつの重要な論点が潜んでいる、というか、色々な著作や発言を検討してみれば、これは「芸術の脱構築」についての言明ではないかと思うのだ。それはほとんどシチュアシオニスト的な問題意識と重なっているのだが、ここをしっかり見抜けるのはかなりの「目利き」だけだ、と言っておきたい。

 岡本太郎はパリ時代、絵を描くことの意味にずいぶん深く悩んでいだ。ソルボンヌで哲学や民族学に打ち込み、一時は絵を描くことをやめてしまった、とも言っている。人に好かれるような(売り物としての)絵を描くなんて卑しい、しかし、では何を描くべきなのか? 岡本太郎は、戦後より明確になってくる前衛芸術の商品としての回収に、戦前の段階ですでに敏感に反応し嫌悪を抱いていたのだ。
 描くことの意味はシュルレアリストやバタイユのグループとの付き合いの中で追求されていった。そうした追求の結果であろう、自伝の中で岡本太郎はパリでのこんなエピソードを書いている。「ある日、真っ暗な映画館の中で自問自答していた。自分の目の前には2つの道があり、一方は安全な道、もう一方は危険な道である。人間は瞬間瞬間にこの2つの道の岐路に立たされている。暗闇の中で私は決意した。そうした岐路に立たされたとき、必ず危険な道を選択することを……。」
 このとき以来太郎はこの決意を貫き通しているという。これは芸術上の信念ということではなく、日常の生活のあらゆる面で、恋愛とか、45歳になってから始めたスキーの中にも貫かれている決意だと語っている。あまりにシンプルな言葉で表現された「思想」であるが、ここからはいろいろな問題が展開できる。

 「危険」を選択するという思想が意味することは、まず、「安全」な道という「維持」「獲得」「蓄積」などのタームに親和性を持つ自己保存の原理に対して、自分の存在を実験に供する「贈与」の意味を持っている。究極の「贈与」は自己の死ということになってしまうので、「可能な限り」という但し書きがつくはずであるが。また、「獲得」を放棄するということは「力(権力・権威・経済力など)」を求めず、むしろ「無力」であることをすら求めるという意志がこの選択の中には含まれている。太郎は「人生は積み重ねではなく、積み減らしだ」と言っているが、この意味で理解すべきだろう。もちろん、生とはそもそも「力」であり、究極の「無力」は自己の死を意味する以上、実際には、太郎の決意は「無力」を意志する「力」でありたい、ということにほかならない。
 また他者論の観点からも見ることもできる。岡本太郎自身は「他者」という言葉は使っていないが、よく「運命」という言い方をしている。生まれた時からわれわれに襲いかかってくる「運命」とはすなわち「自己」にあらざる「他者」以外の何物ではない。この「運命」を「愛する人を迎え入れるように」受け止めると太郎は言っている。いわゆる「歓待」の哲学であるが、「必ず危険な道を選択する」という彼の決意からは歓待などという生易しいものではなく、徹底的に他者によって自己を踏みつけ、蹂躙させることによってしか自己を維持できない、と言っているような印象すら受ける。
 このような極端な受動性の哲学はすでにシュルレアリスムの中に現れ始めていた(オートマティスムは受動性を極限化する方法である)が、それをより純化して極限的な哲学に作り替えている、という意味では岡本太郎とシチュアシオニストは共通している。例えばシチュアシオニストの「状況の構築」はメンバーたちの実験的、贈与的(シチュアシオニストの前身のレトリスト・インターナショナルの機関紙の名前は『ポトラッチ』だった)な都市空間への介入という方法をとっているが、それは介入することでつくり出した状況に自分自身が巻き込まれるという受動性に付きまとわれてもいるのだ。
 シチュアシオニストの「状況の構築」は、権力や権力に同調する建築家が、神の如き俯瞰的地点から都市を改良しようとする垂直的、戦略的(ド・セルトー)な「都市計画」と真っ向から対立するものであった。逆に「状況の構築」における介入は、「無力=受動的」であり、水平的かつ他者と対面的であることを方法的に選択している。ド・セルトーは「戦術」という言葉を「民衆(弱者・無力な者)のもののやり方」であると定義したが、シチュアシオニストの活動は明らかに「戦術」的である。これは岡本太郎の活動にもそのまま当てはまるだろう。
 両者の活動がシュルレアリスムの批判的乗り越えという面を共有するなら、こうした類似は合点の行くことである。そして当然ながら岡本太郎とシチュアシオニストの「芸術」に対するスタンスも、(一見共通点などないように見えて)実によく似ているのである。(つづく)

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荒井賢 (Ken Arai)

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