泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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芸術を日常生活に解消する

 1987年に私は銀座でささやかな作品展を開いた。あれから15年が過ぎようとしている。世の中は随分と様変わりした。しかし私の芸術に関する考え方は基本的に変わっていない。「芸術を日常生活のなかに解消する。」ひとことで言えばこれが作品展以降の私の課題であった。15年を経てその課題は何らかの成果を結んだのだろうか?
 私は、アニメーションの背景描きを生業として10年以上を過ごした。長時間労働に苦しめられながらも、時間を作ってアジアを放浪したりもした。だが、過激なマニュフェストをかかげたわりにはパッとしない毎日を送ってきたと言えるかもしれない。人が私の生活を見てどのように感じるのか考えるのはやめにしたいと思う。絶望するだけだから………。しかし私のなかに新しい方向性が生まれつつあると言ったら大げさだろうか?15年たった今、当時より一皮むけたことを語れるような気がするのだ。

 「芸術を日常生活のなかに解消する」ための方法として、まず私は作品を作らないという戦術をとった。(このことについては 第1部「祭りのあと」で説明する)。しかし絵を描いていた頃から私のなかに「反近代」という別のテーマがあった。例えば、当時私は身近に溢れるスマートなモダンデザインなどよりも、古代の美術などの根源的なイメージに引かれていた。(キュビズムや、シュルレアリスムの作家たちも古代や未開の芸術への指向を持っていたことを考えれば、あたりまえのことかもしれないが。)しかしそれは(作品を作る上での)美学上の問題に過ぎなかったように思う。ところが、先ほどの課題をたずさえて日々を送るうちに、「反近代」は生き方そのものの問題になってきたのだ。 
 サラリーマンとして労働に身をすり減らす毎日……、生活が芸術になるどころか、そんな毎日が私の現実であった。カスのようにたまっていくストレス、また自らが生きる高度消費社会のうすっぺらさにたいする疑問と怒り、あるいは、アジアの発展途上国を旅して味わった開放感。そのような様々な体験が私のなかに自分たちの社会ー資本主義社会/近代社会ーにたいする違和感をひそかに増大させていった。この社会のなかで自由であること、つまりここで芸術の課題を提議するためには、反資本主義、反近代的な生を実現してゆかなければならない。「芸術を日常生活のなかに解消する」ということは、反近代的に生きるということなのだと考えるようになっていった。
 反近代的に生きる?………近代社会において反近代的であるということ………、それはすなわちある深い意味で「反体制」であることなのではないだろうか?
 私のなかに生れた新しい方向性、それは「反体制」の意識、近代資本主義社会にたいする反発、憤りといったものだった。

 「反体制」といって思い出すのは、マルクス主義だろう。マルクス? 共産主義、革命、労働運動??? 私にはまるで無縁な言葉だった。社会変革のために組織的に行動すること、政治的であること、そして闘争の結果、不本意ながら生まれた監獄じみた社会主義国家………。芸術という言葉に憧れる者なら、そのような政治的な行動からは身を引き離したいと感じるのではないだろうか?そのような行動に従うということは、自分の思い描く自由とは異質なものだと感じるのではないか?たとえどんなに目指す理想がすばらしいとしても………。私もそうであった。いや、今でもそうだ。
 とはいえそもそもマルクスの思想とは、自由を求める人間解放の思想であったはずだ。資本主義社会に違和感を感じていた私は、直感に導かれるままポツリポツリとマルクス関係の本などを読みかじりはじめた。その結果わかったのは、シチュアシオニストや、アウトノミアなどの左翼の運動が、私が抱いていたようなステロタイプ的な社会変革のイメージをくつがえす社会運動のかたちを提出していた、ということだった。その運動は私の考える芸術のあり方と矛盾しない………というか、それは芸術そのものなのではないかと思われるのだ。シチュアシオニストについては他で詳しく語るとして(彼らの存在は驚きだった。作品を作らない前衛芸術集団がいるとは。私は意識せざるシチュアシオニストであった。)、まず下の引用文を読んでもらいたい。

 『いずれにせよ、<運動>において徐々に中心をしめるようになった、きわめて特異でありガタリたちを注目させた側面は、他者に変化を要求すること………敵とぶつかること………を第一目標としない、という「今日まで歴史を揺るがせた革命とはまったく異なる」(ガタリ)異例の運動のかたちであった。たとえ<運動>が他者と正面から衝突するとしても、それは副次的な問題である。まずもって<運動>は「自足」的であった。閉鎖的という意味ではなく、それは<運動>自体が目的、すなわち「生の形式」(の実験)となるという意味である。つまり手段と目的が分たれないスピノザ的な「構成的実践」である。われわれの生がどのようなものでありうるのか、われわれの身体が何をなしうるのか、その可能性の自由な展開の試みが<運動>である。』(酒井隆史『<運動>以降』)

 

ここで語られているのは、アウトノミアと呼ばれるイタリアの マルクス主義の社会運動についてである。だが私には、この文章が芸術について語られたものに思えてならない。最後の文をこんなふうに書きかえたくなる。 「われわれの生がどのようなものでありうるのか、われわれの身体が何をなしうるのか、その可能性の自由な展開の試みが芸術である。」
 これはまさに私が「芸術を日常生活のなかに解消する」というときに考えていたことなのだ。この<運動>の主人公たちが具体的にどのような活動をしたのか、おおざっぱなことしか知らない。(もちろんすべての左翼の運動がそうであるように、この運動も資本主義社会のくびきから人間性を解放することをを目指していた。)労働の拒否、スクウォッティング(空家の不法占拠)、自発的値引き(万引きのことらしい)、山猫スト etc. 興味深いが、過激で、犯罪的な運動だったようだ。きっと旧左翼側からは、ならず者の運動と映ったことだろう。(この運動の意味をよく吟味しなければならないと思う。)だがもしそれが上の引用文のような内容だったのであれば、それは労働運動や社会運動というより、文化運動、いや、もっとはっきり「芸術」といったほうがふさわしい。
 アントニオ・ネグリというアウトノミア運動の中心人物の書いたものを読むと、「共産主義」という概念は確かに問題になっているのがわかる。だがこの 「<運動>自体が目的」の、「今日まで歴史を揺るがせた革命とはまったく異なる異例の運動」 にとって「共産主義」という言葉は、もはや単なる口実になってしまっているかのようだ。祝祭的な<運動>の瞬間の高揚こそが目的であって、共産主義とは遠い未来のある時点にユートピアを実現させることなどではなく、そのような運動の瞬間に顕現するものだということだろうか。(ネグリも 「共産主義とは個人的かつ集団的な特異/固有性を解放する試みである。」と言っている。つまり問題になっているのは現在のこの瞬間だということだ。)だとすれば、ここで語られている共産主義は従来の常識的な共産主義の概念とは大きくずれたものになっているのだ。
 だがこの共産主義らしからぬ共産主義の概念、そしてそのアウトノミアの運動は図らずも私の考える芸術のあり方(芸術らしからぬ芸術のあり方。なにしろ作品を作らないことが、私の芸術上の戦略なのだから。)を体現するものだったのだ。この運動の主体たち、(もちろんどんな人たちなのか、会ったこともないので知らないわけだが)かれらこそがアーティストなのだ。混沌とした運動、闘争、異議申し立て、そういったアクションそのものが、ダダイストばりに自らの身体を使った表現でありアートだったのだ。しかもそれは作品なんて言う枠にとらわれない、日常生活の中から沸きあがった直接的な表現だったのだ。私はずっと探し続けていた、芸術のあるところを、そしてその新しいかたちを。そしてそのかたちをこれらの運動の中に見る思いがするのだ。芸術は美術館や画廊の中などにはない。美術館が芸術の墓場となって久しい。闘争のあるところに芸術がある。抑圧的な社会から、人間性を奪回するための闘争を通じて、世界に緊張と高揚を、そしてドラマもたらすこと、これが<運動>の課題だったに違いない。そしてそれは、まさに芸術の課題でもあるのだ。

 私は今までアバンギャルドの反芸術の歴史は、ダダ、シュルレアリスムにおいて唐突に終わったものと思ってきた。自らの活動も芸術の地下活動だと思ったこともある。しかしシチュアシオニストやアウトノミアの運動の中にアバンギャルドの精神は、左翼の運動の形をかりて脈々と受け継がれていたのだ。いわゆる戦後の美術として紹介されているアンフォルメル、抽象表現主義、ポップアートなどは、私も以前から考えていたとおり実は戦後の美術の焼き直しであって、むしろシチュアシオニスト……68年パリ5月革命……アウトノミアへとつづく反体制運動の流れこそがアバンギャルド運動のメインストリームであったのだ。
 私は自分自身に「芸術を日常生活の中に解消する」というテーマを課すとともに上にも書いたことだが、ダダ、シュルレアリスム以降、どこに芸術が生きているのだろうと探し続けてきた。それは私にとって意外なところ、左翼の反体制運動の中にあった。しかし意外に思えたのは私の無知に原因があったのかもしれない。アンドレ・ブルトンは70年も前にこう言っている。『「世界を変革する」とマルクスは言った。「人生を変える」とランボーは言った。これらふたつのスローガンはわれわれにとってひとつのものになる。』と。敏感な人はとっくにわかっていたのだ。自己の変革も世界の変革も、人間性………、人間的な生を求める闘争だったのだ。

 作品展を開き、「芸術を日常生活の中に解消する」というマニュフェストをかかげて15年が過ぎて到達した地点は、マルクスとアバンギャルド芸術が融合する地点であった。したがって私の芸術上の課題は、シチュアシオニストやアウトノミアの運動の課題と重なる。まずは彼らの活動の歴史を知り、自分の過去の芸術活動を彼らの(マルクスの)言葉でとらえかえし、また、彼らの問題意識、社会認識などを自分の身に引き受けてゆくことからはじめたいと思う。それによって私自身の新たな課題もおのずから明らかになり、その課題の実現の闘いの中にいるとき、「芸術を日常生活の中に解消する」という課題は、既に実現されているはずである。

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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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