泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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モーリス・ブランショは68年5月の擾乱を見て

「日常のものとなった詩」だと言った。

彼は,この時,パリの街の壁の上に書かれた無数の言葉,あるいは,ビラ,ステッカー,パンフレット,スローガン,そして,さまざまな「委員会」での際限のない話し合いのなかに,「日常のものとなった詩」を認める。そして,そのような言葉,「日常のものとなった詩」によるコミュニケーションの形を「未だ嘗て生きられたことのなかった共産主義の一形態」と呼ぶのである。  アドルノ,ブランショ,グリーンバーグ  ──批評におけるモダ二ズムというイデオロギー── 熊倉敬聡


 この「日常のものとなった詩」という言葉を、「芸術」と「政治」の融合、一致と理解するのが普通だと思う。すなわち支配階級の高級文化の末裔である前衛芸術(ブランショの場合文学が念頭にあるわけだが)と、68年の大衆の政治的アクションの間に、共産主義=疎外の乗り越えの試みという点で本質的な一致点を見た、と。少なくとも私はそう考えてきた。もしそうならブランショのこの言葉は修正されなければならない。
 ブランショが5月の擾乱の中に見出したものは、実は「芸術」ではなくて、芸術外の形態の文化だった。それはバフチンが中世の民衆文化について語ったような「生きられるもの」としての文化であって、現行システムの肯定と維持のための装置であるところの「芸術」や、商品化し消費されるようになった近代の民衆文化=大衆文化とは異質な文化のかたちだったのだ。
 ほとんどの文化人によって前衛芸術と一般に言い慣らされてきたもの、、、前衛(アヴァンギャルド)の活動も本来この「芸術」とは異質な「生きられるもの」としての文化であって、伝統的な芸術の制度を流用して実践された疎外の乗り越えの試みだった。(当初、権力=芸術界はこの異質な実践を激しく拒否したが、後にこれらをモダニズムとして解釈しなおし(簒奪し)芸術の歴史に組み込んでしまった。)
 だからブランショが5月の擾乱に、「日常のものとなった詩」すなわち「芸術」と「政治」の融合、一致を見たのは当然といえば当然である。そこにあったのはもともとひとつの「生きられるもの」としての文化でしかないのだから。
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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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