泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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岡本太郎の傑作エッセイ集『美の呪力』の一節、、、

 人間文化には、根源の時代から、儀式があり、祭りがあった。そこには歌もあれば踊りもある。食事も、性の営みも、労働も、戦争も、その他もろもろの行為があった。そのどれが重く、どれが軽いとはいえない。全体がからみあって生活のシスティム、1つの有機体となっている。物として残されたもの、色とか形は、その生きた全体の一部であったのだ。
 熱く純粋に、人間の生命とともにふきあがった叫び、歌、踊りは、瞬間に消え去ってしまう。ものも滅びる。だが消えなかったのは、たまたま石で作られた道具、造形だった。考古学はそれらを体系づけ、この極めて古い文化を「石器時代」と名づけた。
 もちろん符号にすぎないのだが、石器時代という言葉自体、なんだかおかしい気がして仕方がない。石が残ったというにすぎないではないか、と思ってしまうからだろう。言うまでもなく、人類の用いたこの労働手段が文化の新しい転回のきっかけになったことは確かだ。その後の青銅や鉄の使用が文化の質を変え、それを「青銅器時代」「鉄器時代」とよぶように。
 だがそれは、いわば骨だ。それよりもそれを覆う肉体の方の神秘を、なんと呼んだらいいのか。……私か抵抗したくなるのは、この固い冷たい石、生活のごく一部だけを拠りどころにして、形骸をずらっと並べたて── まさに博物館の陳列棚の味気なさだ。── それで人間の歴史の深みを区切り、結果、無名の彩りは闇に没してしまう。そのことが残念なのだ。
 歌声は高く、踊りは激しく、入墨、扮装、祭りの中心にたち現れる神聖な象徴、人間と宇宙を結合する司祭の高貴な姿。それらすべてがどんなに生命の絶対感をもりあげたか。だがすでに影も形もない。
 ものにしても脆いのだ。草を編んだりして、いかに神秘を形作っても、また樹や花や鳥の羽、布、その目もあやな彩りも、消え去ってしまう。「石」だけが地に埋もれ、掘りかえされて、わずかな思い出としてわれわれにふれるのだ。
 ギーディオンの『永遠の現在』(東大出版会)に不思議な残像が記録されている。南米のボリヴィアの東部、チマネ・インディアンの居住地で明らかに祭場と思われる一群の石塊が発見された。石にはヨーロッパの旧石器時代の洞窟、聖所と見られる遺跡などに彫り込まれているのとそっくり同じ、女陰の記号化された浮彫りがびっしりつけられていた。ところで、ここのインディアンは、この石についての伝承をまだ記憶していた。それは、いまは用いられない儀礼の場所で、祖先たちが「羽毛で飾り、仮面をつけ、回転棒を携えながら」踊った場所だというのである。
 石は、当然、非常に神聖なものである。多くのことを思わせる。ただ、──私がこのようにこだわるのは、残ったものよりも消えた世界の方がどの位大きく、無限のひろがりをもって躍動していたかということを、痛切に思うからだ。
 消失したもののイメージは限りない。たとえば今日、世界の様々の博物館で文化財として珍重され、愛好家が飛びつく、いわゆる未開社会の美術。神像、マスク、衣裳、生活用具など、まことに凄みのある美しさに輝いている。それらは千年、万年の感動を伝えてきていると思うのだが、現に収集され艇示されているもののほとんどは、どんなに古くてもせいぜい百年か二百年くらいの間に製作されたものばかりである。
 それ以前のものは、壊れ、そして失われてしまった。話はちょっとそれるが、いま、それらを作り出す技術や伝統は、急速に滅びつつある。生活が変れば、その中に、未分化な神秘の感動としてあったこれらの芸術が基盤を失って消えてゆくのは当然のことといえるだろう。現在残されているのは、西欧人のコレクションのおかげである。その芸術の根源をうち砕いてしまった西欧人、それが保存者であり記録者であるというのはまた皮肉なことだ。
 近世ヨーロッパが経済発展した結果、大規模な植民地政策にのり出した。彼らはそれまで暗黒大陸とよんだアフリカ、比較的新しく発見したオセアニアやアメリカ大陸などの未開地域、文化などまったく無いと思っていた土地に進出した.そこで野蛮な土人どもの神像や仮而、その他のエキゾティスムをおもしろがり、気楽にまきあげて、風変わりな品としてヨーロッパにもって帰った。初めはそれらを別に美的観賞の対象とはしていなかった。ゲテモノ趣味として楽しんだかもしれないが。ところで歴史はまことに不思議な軌跡を描いてゆく。世紀末を通って20世紀の初め、ようやく西欧美学が言いようのない壁にぶつかりはじめたとき、その頃の芸術革命のチャンピオンたち、 ピカソ、そしてやがてシュールレアリストなどがこのプリミティーヴ・アートの表現に圧倒され、新しい美の問題をつきつけたのである。これによって近代芸術の相貌は根底から変えられるのである。
 ところで問題は先程もいったように、この貴重な美の伝統を負う、これらの衝撃的な「芸術」のほとんどが、絶対年代からいえばごく僅かな年数しかたっていないということ。その点をよく考えてみる必要がある。芸術表現の出発点であるような表情だが、ルネサンスやロココ、また自然主義時代の作品よりもずっと新しいのである。というのは西欧人がもち帰る以前のもの、あるいはたまたま西欧世界に引きあげられた以外のものは、これを本当に作り、使用し、生活を引きしめ、祭りをもりあげた人々、かつてのアフリカ人やオセアニア人とともに消え去ったからだ。彼らは本来の用途、その喜びに従ってそれを使い、やがてそれらが壊れたり腐ったりすることをなんとも思わなかった。永久に保存したいとか、コレクションしておこうなどという、いわゆる「作品」ものへの執着はまったく持っていなかったのだ。これは芸術に対する態度として、まことに正しいと思う。とにかく木、草、動物質の毛、皮、繊維などで作られたマスクや神像、その他は、いつの間にか、なんのこだわりもなく地上から消えてしまった。
 今偶然残ったわずかな証拠。片鱗、だがそれらを見ただけでも、無限の過去に次々と没し去り、消されてしまった夢の壮大なイメージが浮びあかってくる。ものとしてある絶対感は、その生命が人間精神とともにひらく瞬間にこそ生きる。それだけでよい。「遺物」自体がそう語っている。
 惜しみなく消えて行った文化が、どのくらい巨大で高貴であったか。
岡本太郎『美の呪力』「イヌクシュクの神秘」より



いろいろなことを考えさせる名文。岡本太郎が言ってる「惜しみなく消えて行った文化」はまさに「生きられる文化(ディオニュソス的な文化?)」のことだ。このような生が権力によって組織されるとき、初めて芸術=表現の専門家による文化(アポロン的な文化)が登場する。読めばわかるように、岡本太郎は生きられる文化と芸術を分けてはいない。必ずしもではないが、石の文化は大きな権力と結びついていたと思われる。そこには権力の永続への想いが凝結している。しかし瞬間の中に消えてゆくディオニュソス的なエモーションがその内部に息づいていなければ、表現の専門家による文化(アポロン的な文化)権力の文化も無味乾燥なものでしかなかっただろう。その意味では文化の根源はディオニュソス的ものにあるわけだ。
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荒井賢 (Ken Arai)

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 職業 アニメーション背景制作
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