泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 
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ドゥルーズとガタリは、平滑空間について、つぎのように述べています。

 平滑空間の等質性は無限に接近する点同士の間にしか存在しないのであり、近傍同士の接合は特定の道筋とは無関係に行なわれる。それはユークリッド的条里空間のように視覚的な空間であるよりも、むしろ触覚的な、つまり手による接触の空間、微細な接触行為の空間なのだ。平滑空間は運河も水路ももたない一つの場、非等質な空間であって、非常に特殊な型の多様体、すなわち非計量的で中心をもたないリゾーム的多様体、空間を「数える」ことなく空間を占める多様体、それを「探険する」には「その上を進んでいく以外にはない」ような多様体に一致するのである。この型の多様体は外部の一点から観察されうるという視覚的条件を満たしていない。[ドゥルーズ/ガタリ 1994:427]

 ドゥルーズとガタリは、条里空間ではある一点から他の一点への道筋が計量されうるとされているけれども、平滑空間にはそのような点と点を結ぶ道筋を測定することのできる外部の一点(超越的な高みの足場)はないといいます。条里空間を一望可能で計量可能なものにしているこの外部の一点が、サイードのいうオリエンタリストのオリエントを眺望できる超越的立場と同じ「アルキメデスの点」であることは理解しやすいでしょう。そして、ドゥルーズとガタリは、このような条里空間と平滑空間の対比を、さらに思考の形式の対比および人との関係性のありかたの対比と重ね合わせて特徴づけています。すなわち、条里空間は、王道科学を代表とする「普遍的思考」という形式によってとらえられるものであり、平滑空間は、マイナー科学のような種族的でノマド的な思考の形式によってとらえうるものとしています。そして、関係性の形式、すなわち人と人とのつながりのありかたでは、条里空間における関係性の配分はツリー状のモデルにしたがう組織であり、平滑空間において配分されるのはリゾーム的な多様体であるというわけです。


 以上は小田亮さんの文章だが、これなんか読んでるとセザンヌの描いた空間は平滑空間なんじゃないかなんて思えてくるが、気をつけなければならないのは、平滑空間にしてもメルロ=ポンティのセザンヌ解釈=セザンヌは生きられた経験の世界(生活世界)を描いた、、、にしても、言説であって実際にそうした世界が目に見えるわけではないといことだ。どんなに対象を凝視したって生活世界や平滑空間が立ち現われて来るなんてことはない。それはむしろ生き方、生の使い方に関わっている。セザンヌは愚直なほど真摯に対象の本質を画面に構成しようとし続けただけだ。だがセザンヌの特異な点は、おそらく条理的な(遠近法的な)空間の捉え方に違和感を覚えていて(退屈していて)、異なる空間のあり方、すなわち上空飛行的な外部の一点から観察されうる「超越的な高みの足場」のない、地を這うような生き方を選んだことにあったのだ。セザンヌの絵は生活世界を写しとったものなどではなく、這うようにして「その上を進んでいく以外にはない」探検の痕跡なのであって、リンゴやサント・ヴィクトワール山から私たちは緊張感のある孤独な探検を追体験し、胸を打たれるのだ。


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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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