泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 
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トリスタン・ツァラはいわゆるプリミティブ芸術についてこんなことを述べている。

 芸術を人間の多かれ少なかれ意図的な、人間の内奥の本性からいわば切り離せる所産と見なしたアポリネールの美学的関心に対して、ダダはより広い概念を対置した。すなわち、プリミティヴな民族の芸術は社会的、宗教的機能と絡み合って、彼らの生の表現そのものとして現れていたと考えたのである。「ダダ的自発性」を称揚していたダダは、詩を知性と意志の副次的な表現というよりも、1つの生き方とすることを欲していた。ダダにとって、芸術とは、その深い根が感情生活の根源的構造と一体となるあの詩的活動の万人に共通の形態の1つだった。ダダは即興のダンスと音楽の黒人の夜会を催して、黒人の、アフリカの、オセアニアの芸術を、現代人の精神生活とその直接的表現に結び付けるこの理論を実践しようと試みたのであった。ダダにとっては、意識の奥底に詩的機能の沸き立つような源泉を見出すことが重要であった。(西村靖敬『20世紀アヴァンギャルド文学・芸術におけるプリミティヴィズムーブレーズ・サンドラールを中心に』より)


 ツァラが黒人文化に見出したものは、「生=表現」、生きることがそのまま表現である根源的な文化のあり方、すなわち「生きられる文化」であることは間違いない。これに対して「芸術」は、ツァラによると「意図的で、人間の内奥の本性からいわば切り離せる所産」とされているが、私流に言い直すなら、「制作される「作品」に価値を置き、制作行為を「表現=創造」とするとともに、それ以外の活動を無表現(モノローグ)、非創造として格下げする分離(切り離し)の所産」ということになるだろう。こうなってくるとプリミティブ文化のように「詩を知性と意志の副次的な表現というよりも、1つの生き方とする」ことを志向したダダは、「芸術」ではなくて「生きられる文化」であるとはっきり言うべきであった。
 おそらくツァラだけでなく、アフリカ美術に影響を受けたとさせるピカソのような画家も、単に彫刻や仮面の形態を模倣したり流用したりといった、表面的な(人間の内奥の本性から切り離された)影響を受けたのではなく、彫刻や仮面の中に「芸術」とは異なった「生=表現」の根源的な生と文化の関係を見抜いたのだと考えるべきだろう。同時に彼らは先ほどの「分離(切り離し)」によって成り立っているブルジョワ社会の疎外(一部の専門的な芸術家のみが「表現=創造」するとともに、その他の一般的な民衆は、芸術家の表現行為を消費するだけの「観客」へと格下げされ、生きることから疎外される)にも憤りや違和を感じていたことであろう。
 そうしたツァラやピカソのような人たち(=アヴァンギャルド、無論マネやセザンヌにさかのぼってもよい)の活動の意味を理解するには、彼らが芸術界(アートワールド)という基本的にブルジョワ(資本主義)権力のスペクタクル装置を、どのようにスクウォット(占拠)し、転用し、手玉に取ったのか、、、また彼らが逆に「芸術」に足をさらわれ、モダニズム理論に絡め取られ、ブルジョワ(資本主義)権力のスペクタクルの中へ再吸収されて行ってしまったのかをじっくり見る必要がある。


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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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