泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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ジャポニズムとプリミティヴィズムについてのメモ

 19世紀後半からのいわゆるアヴァンギャルド美術の領域における事件としてよく知られているのは、ジャポニズムとプリミティヴィズムである。ジャポニズム(おもに浮世絵)は、19世紀に印象派や象徴主義美術に絶大な影響を与えた。一方プリミティヴィズム(アフリカやオセアニアの仮面、彫像)の衝撃は、20世紀のキュビズムからダダ・シュルレアリスムの原動力の一つとなっていた。
 ジャポニズムとプリミティヴィズムの起源は、西洋外部の民衆文化だったと言えるが、注意しておきたいのは、この2つの西洋外の文化は大きく性格を異にしていることだ。ジャポニズム(浮世絵)は基本的に西洋美術と同様の「卓越の文化」だが、プリミティヴィズムは「生きられる文化」である。
 日本における浮世絵文化とその背景について詳しく知らないのだが、浮世絵は版画の技術によって都市部の庶民が手軽に買える作品=商品として、江戸時代の日本というローカルな市場に流通していたこと、人気のある専門家(天才=個人である)の絵師(北斎、歌麿、広重など)が存在したことなど、こうした特徴は、明治以前のブルジョワ的な個人こそ存在していない時代ではあったが、浮世絵文化は「卓越の文化」の中でも、今日の「大衆文化(ポップカルチャー)」に性格が近かったといっていいだろう。
 一方、アフリカやオセアニアの仮面や彫像は、専門的な表現者によって作品として創られたものではない。西洋人の視線によって無理矢理芸術作品という解釈をされたのであって、元来、部族の宗教的生活体系の一断片を切り取ったものに過ぎなかった。つまり作品(媒体)と生の関係や、社会と表現行為の関係が、典型的な「卓越の文化」である西洋芸術とは全く異なる文脈にある「生きられる文化」なのである。
 このように浮世絵は西洋美術と同じ「卓越の文化」であったため、通約可能なわかりやすい影響をアヴァンギャルドたちに与えた。それはもっぱらスタイルの面に限られていたと言っていいだろう。ルネッサンス以降の写実絵画の形式化(アカデミズム)に退屈していた若い画家たちに、平面的で装飾的な浮世絵のスタイルは、西洋絵画の伝統を越えてゆく方向性を示していた。つまり反アカデミズム的な文脈で浮世絵は画家たちに大きなインスピレーションを与えたといっていいだろう。
 それに対してアフリカやオセアニアの部族文化が西洋美術に与えた衝撃は、スタイル面ではなかった。確かにピカソの初期キュビズムの段階において一時的にアフリカ彫刻の意匠が取り入れられているが、それ以降アフリカ的なスタイルは消えてしまっている。ダダ・シュルレアリスムへのプリミティヴィズムの影響は、ツァラやブルトンの証言からも明らかだが、部族文化のスタイルを運動の中に特定することは困難である。つまり西洋芸術とプリミティヴの文化は通約不可能なものであり、一見わかりにくいが、より根源的なレベルで西洋美術(芸術)を揺さぶったのである。
 アフリカやオセアニアの部族文化は、芸術(卓越の文化)というシステムそのもの(例えば個人を基盤にした制作や卓越が価値となる文化のあり方など)が、疎外されたコミュニケーションであることを自覚させる衝撃力を有していた。その点で浮世絵の西洋美術との親和的な関係を大きく超えていたというわけである。ジャポニズムが反アカデミズム的な文脈で画家たちにインスピレーションを与えたとすれば、プリミティヴィズムは「反芸術」、すなわち「芸術」というサブシステムを含むブルジョワ体制へのアンチであり、「疎外からの自律」という問題を西洋に提起していたと言っていいだろう。
 ただしプリミティヴィズムの提起した問題をアヴァンギャルドたちはどこまで展開させることができたのかは疑問である。ピカソやマチスも、あるいはより疎外からの自律に肉薄していたはずのツァラやブルトンという人たちですらも、芸術(卓越の文化)から抜け出すことができなかったのである。

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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
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