泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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今も生き残るアカデミズム

 19世紀後半から20世紀前半にかけて西洋のアートワールド(芸術の権威)はその中心的規範(芸術と非芸術の境界を決定する言説)を大きく変えた。芸術アカデミーというブルジョワ国家の官僚的権威を中心に組織されていた古典主義的な「アカデミズム」から、前衛芸術を擁護する「モダニズム」へと急速に転換したのである。それは、西洋美術がそれまでの国家的(中央集権的、礼拝的)スペクタクルから、市場に流通する商品へと性格を変えて、消費のスペクタクルへと変貌していったことを背景としていた。モダニズム言説の特徴はいくつか挙げることができる(例えば、自己批判的、自己検証的な純粋性やメタ性、フォーマリズム、歴史発展主義など)が、モダニズムの消費のスペクタクルとしての性格を一番反映しているのは、「新しさ」という規範である。これは消費社会を流通する商品の価値を決める「モード」と何ら変わることないコードである。実際には、その他の規範を背負っていなければならない「モダニズム芸術」は、市場で売れればいいだけの単なる商品とは異なるのだが、この時期に芸術作品はよりあからさまに商品化したのは確かである。
 アカデミズムは古典主義というスタティックである意味わかりやすい規範であったが、モダニズムはダイナミック(動的)な規範であって、掴みどころがない。20世紀以降、つまりモダニズムが中心的規範となって以来、アーティストを志望する若者は誰でも「何を描いたらいいのか?」という問題に直面した経験を持つようになるのだが、これは19世紀以前にはあり得ない逡巡なのである。かつては芸術家になろうとする者が学び修練すべき目標ははっきりしていたのに、現在ではアーティストという戦士たちは、何が正解なのかわからない状態で今までなかった何かを創り出す必要に迫られるようになっているのだ。
 はっきりしているのは、固定的で形式的なアカデミズムの規範は、ダイナミックなモダニズムの規範とは本来相容れないものだということだ。形式的で古臭いアカデミズム芸術は、モダニズムにとっては過去のもの、キッチュとなって、芸術とは認められない「後衛」として、大衆文化や文化産業同様に非芸術として文化のメインストリームから排斥されてゆくべきものになったのだ。
 しかしアカデミズムの技術そのものは死んだわけではない。大衆文化や商業美術のなかではアカデミックな技術は、その価値を決する重要なファクターであるし、公募展(日本でいうと、日展とか二科展)のような周縁的な芸術の世界でも同様である。また、美術大学の入試では、いまだに石膏デッサンというアカデミックな技術の習得が選考の基準となっているわけで、アートワールドには相容れない規範が奇妙な形で同居しているのである。これでは美大に進んでアーティストになろうとしている若者は混乱するだけで、何か痛々しいのである。
 さらにここ数十年の間に、「ポストモダニズム」というモダニズムのアップデートバージョンが登場し、アートの世界はますます何が何だかわからなくなっている。モダニズムは、大衆文化(文化産業)の低俗さに対立することで自らの高級文化としての地位を確立させたために、独特の純粋性やストイックさを持つことになった。しかしその還元主義が臨界点に達するとともに、ストイックなプレモダニズムは放棄され、大衆文化と融合しながらポストモダニズムという新バージョンを形成した。しかしプレモダニズムもそれで消えてしまったわけではなく、ポストモダニズムと同居を続けているのである。

 アーティストになることを夢見る若者に言うとしたら、アカデミズムにしろモダニズムにしろポストモダニズムにしろ、こうした規範的言説はすべて芸術(高級文化)と非芸術(文化ならざる野蛮、稚拙、独り言)の境界を線引するものであり、対立させ、卓越することで「芸術」という高級文化が成り立っているということだ。つまり線引し、ジャッジする権威=権力が存在し、そうした他者が評価を下す基準となっている。だが私たちは、権威に認められなくとも、市場に認められなくとも(売れなくとも)、あるいは作品という商品の形をとることすらなくとも、面白いもの、熱い歓びの経験、というものを持っている。評価軸を自分たちの感性に取り戻すこと、すなわち自律することが何より肝心だし、そのときアートワールドの規範の混乱なんてものは、ナンセンスで壮大な権力の独り言に見えるだろう。目指すべきは、アーティストとして他者に卓越することだったり、卓越していることを承認されることではないのではないか。個人としての栄光みたいなものが目指すべきものなのかもう一度考えてみるべきではないか。

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荒井賢 (Ken Arai)

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