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泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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非ー哲学と間接的存在論

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という言葉が以前から気になっている。8000円近くする本で絶対買えないと思ってたら、地元の図書館に置いてあるではないか。オレのために、、、ありぐわと。

「問題は、哲学とその敵(肯定主義)との闘いではなく、非ー哲学であることによって哲学たらんとする哲学ー「否定哲学」である。真の哲学は、哲学を軽んずる脱哲学である。」

たぶん、反芸術が非公式文化による公式文化(芸術)の領域の乗っ取りであるように、非ー哲学というのは非公式知による公式知(=哲学)の乗っ取りのことであろう。だからこそメルロ=ポンティはセザンヌなどの反芸術に共感を抱いていたのだ。が、むしろ「非ー哲学であることによって哲学たらんとする哲学」ではなくて非ー哲学であることによって哲学たらんとする知」と言うべきではないか。この言い方、メルロ=ポンティはあくまでも公式知の領域に足場を置いたままであるように見え、それがややもどかしい。
Comments
 
下世話な話になりますが、メルロー・ポンティにしろアルチュセールにしろフーコーにしろ超々アカデミシャンですし。
フーコーが日本に来た時も丸山真男と喜々として対談してたけど、吉本隆明みたいなアマチュア郷土史家とは全く話がかみ合わない。
評判悪いですが、サルトルはかなりヘンな人で結構好きです。
バルタンさん 
なるほどそういえばサルトルは大学人じゃないですね。まあ、アカデミシャンかどうかはあくまでも外面的な問題に過ぎないとは思いますが、育ちのよさそうな知識人は文化=芸術、知=哲学になっちゃいがちなんでしょうね。その外の領域を見ればスコーンと世界が広がると思うんですがね。
 
ども、
文字による記録‐再現前化はシュメール、エジプトの時代から国家支配の道具ですが、当然それに対抗する思想も文字を操る階級からしか生まれないというのは了解しています。
アルチュセールは「敵の砲台を乗っ取って相手に向ける」とかカッコイイこと言ってますが、要は「枠にとどまりつついかに外に出るか」であり傍から見ると煮えない話に見えてしますのは致し方ないとうか。
ハイデガーは「形而上学の解体」のヒントを哲学以前の哲学「ソクラテス以前の思想家」(アリストテレスやマルクスが学位論文で取り上げたデモクリトスやエピクロスらの自然哲学者)に求めたわけですが、そもそも文字や国家をもたない人々はどうしていたのが? 文字どうり体で覚えたわけです。
ジェイムズは無意味で長大な文字列を筋肉の動きと連動して記憶するといった変な実験を繰り返してましたが、要は詠唱(ユーカラ)です。
バルタンさん 
非公式な文化、非公式な知といったものをイメージするのは難しいですよね。上のアルチュセールを批判したランシエールはより民衆的な思想家なんでしょうが、美学=芸術論を読みかじってみるとどうも公式文化=芸術しか見えていないような気がします。ま、このへんもうちょっと調べてみたいんですが。なかなか時間が、、、

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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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